第1673話 ルクセリオン教国 ――修練――
ミニエーラ公国による陰謀に巻き込まれ捕らえられたソラが救出されて、数日。カイトは数日後に迫ったルクセリオン教国行きに備えて数々の手配を行っていた。そんな中、彼は教国の枢機卿にして教皇ユナルの娘であるアユルの依頼を受ける事となっていた。そうして、その帰り道。カイトはルーファウスと話をしていた。
「そういえば、ルーファウス」
「なんだ?」
「トレーフルに行った事はあるのか?」
カイトが問いかけたのは、アユルと現教皇ユナルの故郷と言われるトレーフルだ。やはり皇国とは正反対の場所という事で、ここについては和睦が締結された後とはいえ皇国では詳しくわかっていない。しかも要所からは離れているのか、さほど重要な軍事拠点でもないらしい。カイトも三百年前に一度行ったような気がする、と言う程度で詳しくはなかった。
「ああ、あそこか。当然だが知っている」
「まぁ、そりゃそうだろうな」
「で、行ったかだが……軍務で一度、と言う所か。教皇猊下は自らの地元だからと贔屓にはされない方だ。猊下がいらっしゃった頃に疫病が蔓延してしばらくは治安が荒れたが……それ以外に荒れた事はない。数年に一度しか軍も大部隊を派遣しないで良いような良い場所だ」
どうやらルーファウスが行ったのが、その数年に一度の軍務というわけなのだろう。彼の実家はヴァイスリッター。遊撃隊だ。派遣される部隊としては妥当だろう。
「そうか……なら、本当に疫病以外に問題は起きないような場所か」
「そうだな。記憶が曖昧で申し訳ないが……確か南部に広大な森林があって、そこに生える薬の材料を求めて冒険者が来るぐらい……だったと記憶している」
「元々は酪農か森へ分け入る者達が集まって出来た村という所かね……」
詳しい場所がどこなのかはカイトにはわからないが、今までの情報を複合的に鑑みた所、そこそこ教国でも奥地という所だろう。長閑で良い所なのだろう、とカイトは想像しておく。そうして、彼はそんな事を話しながらギルドホームへと帰還する事にするのだった。
さて、アユルの依頼を受けて帰還したカイトであるが、執務室に帰った彼を出迎えたのは出ていった時に居たソラではなく、瞬だった。
「ああ、先輩。帰っていたのか」
「ああ……カイトもルーファウスも今帰ったのか?
「ああ……あぁ、ルーファウス。取り次ぎ、ありがとう。そっちも出国に向けて手配を進めてくれ」
「ああ」
とりあえず瞬の出迎えを受けたカイトは、同行していたルーファウスに作業を進めるように指示を出す。そうしてその一方、カイトは瞬から作業の進捗を聞く事にする。が、その前にソラの事について問い掛けておく事にした。
「ソラは……リーシャの所か?」
「いや、丁度ユニオン支部から呼ばれたらしい」
「ああ、そっちか」
先の一件で冒険者ユニオンのミニエーラ支部が関わっていた事は明白だ。なのでユニオンも組織として調査に乗り出しており、関係者の一人で脱走者の中心核であったソラに話を聞きたいのは当然だろう。
治療の合間の空いた時間で良いので、できれば調査に協力してもらいたい、と本部から来た調査員が述べていた。
「まぁ、それならそのうちに現状を聞いておくか。先輩、確か学園に戻っていたな? 桜達から何か報告は?」
「ああ、生徒会の用意は整ったらしい。残留組との調整も大丈夫だそうだ」
「そうか。まぁ、ある意味何時も放置のようなものだが……」
そもそもカイト達が率いているのは冒険部。組織としては天桜学園の下部組織になるが、指揮系統はほぼほぼ別と言える。なので今更確認を取らないでも問題はないだろう。
「部活連合は?」
「そちらも、今更だな」
カイトの問い掛けに、瞬が苦笑する。基本的に今でも運動部系の出身者となる冒険者達は瞬が統率を執っているが、学園全体として見てみれば部活連合の会頭となる彼が全体の統率を担う事になる。が、こちらは当人が指揮より自分のレベルアップに熱心なため、ほぼほぼ放置も良い所だった。
「そうか。まぁ、だからといって今回は立場を忘れないようにな」
「わかっているさ」
カイトの忠告に答えながら、瞬は己の手をぐっと握りしめる。
「妙にやる気だな」
「ああ……ソラに負けたんでな」
「負けた、ねぇ……」
瞬の言葉に、カイトは僅かに椅子に深く腰掛けながら苦笑する。瞬はこう言ったものの、本調子でないソラと瞬はまだ戦っていない。とはいえ、やはり実践や冒険者としての経験値であれば瞬が上回る。なのでおおよその力量を見抜く力は瞬の方が上であり、その見立てでソラが数歩先に進んだ事を理解していたのである。
「まぁ、あいつは一年進んだんだ。仕方がないさ」
「それはわかっている。わかっているが、やはり、どうにもな……」
ここら、やはり瞬は根は勝負師と言えた。どうしても好敵手に近い相手が自分より先に行ってしまうと悔しいという思いがある様子だった。それにか彼の顔に浮かんでいた苦笑に、カイトもまた苦笑する。
「まぁ、オレも色々とやっていた関係で何かを言える事はないが……無茶はしない様にな。生き急いで良い事なぞ、なにもない」
「わかっているさ」
やはりカイト自身が生き急いだからだろう。そんな彼の言葉を、瞬も素直に受け入れている様子だった。
「まぁ、そう言っても、だ。とりあえずカイト。頼めるか?」
「またか?」
「ああ……悪いとは思う。が、お前ぐらいしか頼めないからな」
呆れた様にカイトに頼む瞬に、カイトは再度ため息を吐いた。何を頼むか。それは訓練だ。ソラが数歩先に進んだのを見て、彼も更に上を目指して新たな訓練を導入したのである。
「まぁ、手加減はしてやるし、それを勧めたのはオレだが……」
「とりあえずはこの感覚に慣れないとな」
カイトに対して急かすような瞬の胸元には、一つのネックレスがあった。無論、彼だ。リィルからのプレゼントでもなければ、ネックレスなぞ身に着けるはずもない。というわけで、これはそうではなく修行用の魔道具だった。ソラが行っていた身体に過負荷を掛けて身体能力の向上をする為の魔道具だ。
ソラがブロンザイトとの旅に出た一方、彼は時間を見付けてはこれを使った訓練をしていたのである。どうやらソラの持久力の増大を見て、自分も総合的な身体能力の向上を目指すことにしたらしい。
「まぁ、良いか。今は急ぎという仕事も無いし……椿。この後に予定は?」
「はい、ひとまず現時点では15時から公爵邸にてクズハ様との会談のみとなっております」
「なら、大丈夫か……わかった。少し訓練に付き合ってくる。何かがあったら修練場へ頼む」
「かしこまりました。汗を流せる準備をしておきます」
「頼む」
カイトは椿よりの返答に一つ頷くと、立ち上がる。すでに教国行きも間近。ソラ達の救援がどの程度の時間を要するかわからなかった為、ミニエーラ公国に行く前におおよそ自分が必要な部分については終わらせておいた。
教国側も事態を知っていた上、カイトに内偵を任せていた。なのでここらの手配についても協力してくれており、今は暇といえば暇だったのである。というわけで、カイトは瞬と共に外の修練場の空きスペースへと向かう事にする。
「さて……」
カイトに対して向かい合った瞬はひとまず、ネックレスを外す。今回、瞬が行うのは慣熟訓練だ。カイトしか相手にならない、というのはそういう意味だった。
少し話は離れるが、ソラが現在まともに戦えないのは彼自身のスペックに彼自身が順応出来ていないからだ。しかしこれは本来、こういった訓練を行う場合は適度に今の瞬の様に感覚を慣らす為の訓練を行う為、問題にはならない。ソラはそれが出来なかったので問題だった、というわけだ。そして瞬はそうならない様に定期的にこうやって感覚を慣らしている、というわけであった。
「良し。準備出来たぞ」
「わかった。とりあえず前回の八割の速度から開始するが……大丈夫だな?」
「ああ、それで頼む」
ぐっ、ぐっ、と拳を握りしめて槍を構えた瞬は、カイトの確認に一つ頷いた。そしてそれを受けて、カイトは五十本ほどの小型のナイフを周囲に生み出した。
「とりあえず、速度は八割。威力は半分で開始する。ルールは前回と同じで、一発でも直撃すればそこで終了だ」
「ああ。前回と同じく、とりあえずは回避からだな」
「ああ。この修練場全体を使って回避しろ。その後、無理と思えば防御していけ」
「ああ……良し、来い!」
改めてのルール説明に、瞬は気合を入れてナイフをしっかりと見据える。基本的にやる事は二人の言った通りだ。縦横無尽に飛来するナイフを己の感覚で把握してそれを避け、無理と思った時点で槍を使って弾き飛ばす。簡単である。そうして、瞬の準備完了を見て、カイトはナイフを手始めに十本動かした。
「っ」
自身に向けて一直線に飛来したナイフの束に、瞬は僅かにサイドステップを刻んで回避する。まぁ、全てが一直線に飛来するのは今だけで、準備運動と言える段階だからだ。彼の背後に回り込んだナイフは次の瞬間にはバラけて縦横無尽に飛翔を開始した。
「……」
まだ、余裕だな。瞬は背後に回り込んだ十本のナイフの動きを気配だけで見切ると、目では前に残る四十本の動きをしっかりと観察する。
「まぁ、この程度は余裕か。では、次だ」
「っ……」
来る。自身に向けて動き出した別の十本に、瞬は自らの周囲を高速で飛翔しながら攻撃の時を見定めるナイフの感覚をしっかりと見極める。ここでこれを怠って前からの攻撃に集中して、何度も痛い目にあった。なので流石にもう忘れる事はなかった。
(今回は別々か!)
動き出した前面の十本を見ながら、瞬は今回は周囲の十本が一斉に攻撃に掛からないと把握する。無論、ここらはカイトなので一拍二拍遅らせる事はあるものの、今回はその兆候もない。なので瞬は自身の周囲を飛び回る十本の動きを見極めて、投じられた更に十本を回避した。
「っ!」
瞬が右に逃れて投ぜられたナイフを回避したと同時だ。そんな彼に向けて、周囲で飛び回っていたナイフが一斉に襲いかかる。それに、彼は魔力を爆発させてその場を強引にその場を離脱した。
(ここでは終わらないよな!)
続けて投じられた一撃を回避して一安心。それで何度痛い目に遭った事か。瞬は爆発で強引に移動した反動を殺すと同時に、ナイフが飛来するのを知覚する。が、それ故に驚きを浮かべた。
「なぁ!?」
ここで全部一斉に来るか。投じられた五十本全てに、瞬は僅かに気配の乱れを生じさせる。それに、カイトが冷酷に告げた。
「何時も何時でも同じ訓練では訓練にならないさ」
「慣熟なんだがな!」
「速度は落としている。それにレベルアップをしていくのなら、開始地点もゆっくりとだが進むのさ」
流石に五十本全てを避けるだけ、というのは出来ない。なので瞬は即座に槍を振るい、前面から飛来する全てを吹き飛ばした。
「はぁ!」
相変わらずスパルタはスパルタだな。瞬はそう思いながら、自身の攻撃を迂回して飛来するナイフを気配だけで察知する。
「っ!」
瞬は一瞬だけ魔力を硬化させ、周囲に飛来するナイフを減速させる。本来カイトの投じるナイフであればこんな事は出来ないが、今回は鍛錬だ。そして同格が相手ならこれは出来る。なのでそれに合わせて、このナイフの勢いを弱らせる事は出来た。そうして勢いさえ弱まってしまえば、避ける事は容易だ。
「はっ!」
僅かに身を捩る様にして槍の柄で自身の下半身を狙うナイフを弾き飛ばすと、槍を消して一気にスライディングで飛来するナイフの下を潜り抜ける。が、そんな彼に対して、吹き飛ばしたはずのナイフがコントロールを取り戻して一気に降下する。
「ちぃ!」
一気に襲いかかってくるナイフに対して、瞬は地面を叩きつけてその衝撃で吹き飛ばす。そこからは、やる事は一緒だ。なるべく回避をメインにして身体の感覚を慣らしながら、避けきれないと理解したら最低限の攻撃を放って防御。なるべく自分の動きが自分のイメージ通りに出来る様に自分自身をコントロールするのである。
「ふむ……」
ナイフを操りながら、カイトはそんな瞬の動きを見る。このナイフであるが、流石に何時もの様に魔力一つで操っているわけではない。魔糸を使って操っている。
といっても瞬に絡みついたりしない様に繊細な操作は行っている。流石に瞬を相手に限度は考えていた。無論、更に成長していくのなら魔糸を切って魔力で完全に操作しても良いだろう。
「反応速度は少し上がっているな……反射神経をコントロールする魔術を少し弄ったか。次回は更に本数を増やしても良いか」
まぁ、一朝一夕に性能が向上するわけもない。身体性能としては僅かに向上という所か。カイトは瞬の練度についてそう総評を下すと、次回からはもう少し増やしても良いと判断する。そうして、彼は昼まで瞬の訓練に付き合って、昼以降は自分の鍛錬に費やす事にするのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第1374話『ルクセリオン教国』




