第1671話 閑話 ――望月千代女――
カイト達がミニエーラ公国でのゴタゴタを片付けて、数日。それは久秀が望月千代女との名を与えられた女との出会いから数日でもあった。その日、ついに千代女が表舞台へと現れる事となった。
「さて……皆さん、この土壇場でお集まり頂いて申し訳ありません」
危急の用事、という事で七人衆を集めた道化師は、勢揃いした七人に向けて改めて謝罪する。久秀が計画していた教国への襲撃の行動開始まで、もう日がない。参加する者は参加する者で準備に余念がない状況だ。そこで急な呼び出しであるので、という所なのだろう。
「クラウン殿。このような土壇場に集めたのじゃから、何か用事があろうな?」
「はい……実は皆様にお一人ご紹介したい方がいらっしゃいまして」
石舟斎の問い掛けを受けた道化師は、そこで一つ手を叩く。そうして研究者達に連れられて入ってきたのは、薄手の着物を着崩した千代女だ。その姿はやはり女忍の名を与えられていたからか吉乃とはまた別の、蠱惑的とでも言うべき艶やかさがあった。そんな姿に、石舟斎も思わず息を呑む。
「ほぉ……これはまた素晴らしき女生。それが如何に? 我ら全員、別に女色を好むわけ……いや、殿は好まれるが、そのような為に我らを集める意味も無し」
「もちろんです。まぁ、抱きたいというのならどうぞご自由に。口説ければ、ですが……」
「口説けるとは思わぬよ」
少し冗談めかした道化師の言葉に、石舟斎は一つ笑う。彼は何度となく死線を越えた戦士。その戦士の勘が告げていた。この女に迂闊に触れるべきではない、と。
「さぁ、お名前を」
「望月千代女、と申します」
千代女は道化師に促され、丁寧な様子で自己紹介を行う。が、これにやはり時代柄石舟斎と宗矩、そして吉乃の三人が首を傾げた。
「千代女……と言えば武田のか。お主、何か知っておらぬか?」
「はぁ……と、申しましても私より親父殿の方がご存知かと思いますが……」
「儂は一人の剣客に過ぎん。出会った事も無い」
「はぁ……」
それ以前に自分は武田家滅亡――1582年に勝頼が自害――の時にはまだ元服していないのだが。宗矩はそう思いながらも、ふてぶてしい父に生返事をするだけだ。というわけで、知っていそうな最後の一人へと石舟斎が問い掛ける。
「奥方様はどうじゃ」
「……いえ、どこかで会った記憶はあるのですが……杳としてしれず。松永殿、貴殿は如何ですか?」
「……残念ながら、思い出せん」
久秀は一切の予断無く、千代女を見据える。知っている。危険だともわかっている。にも関わらず、誰かわからない。こんな経験は彼をして初めてと言わざるを得ず、警戒には十分だったようだ。が、そんな彼はしばらくして首を振った。
「いや……まぁ、良いか。で? 千代ちゃんを……睨むな睨むな。とりあえずは仲間だろう?」
「誰が貴方なぞと仲間なものですか」
絶対嫌われてる。久秀は千代女のトゲしかない言葉に、それを理解する。基本人に恨まれてきた久秀であるが、それでも呆れるほどだった。
「やれやれ……で、どうすれば良い?」
「彼女も貴方の指揮下として、使って下さいな。それについては彼女も承知済みです」
「俺、誰よりも殺されそうなんだがね……」
千代女から今にも殺されかねんほどに濁った目を向けられる久秀は、そうため息を吐いた。そんな彼に、千代女が告げる。
「裏切り者を殺して何が悪いのですか? 貴方は、私が殺します。あの方を裏切った貴方を……そうだ。貴方の首をあの方への貢物にしましょう……その後は……あぁ、貴方も殺さねば……そして最後は……あぁ……うふふふふ……」
「……殿。殿のお知り合いのご様子」
「お前も睨まれてるぜ……」
「儂は殿と共に行動しただけですぞ……」
明らかに狂っている。陶酔にも近い笑みを浮かべ久秀と石舟斎を殺す算段を立てる千代女に、石舟斎と久秀はヒソヒソと話し合う。
降りかかる火の粉は払わねばならぬ、とは二人も思っているが、何がなんだかわからない相手は不気味でしかないらしい。というわけで、これは触らぬ神に祟りなし、と久秀は吉乃へと目配せする。
「吉乃ちゃん。流石の俺もこんな所で殺されたくないから、話はお宅に頼んで良いか?」
「……かしこまりました。千代女殿」
「? 貴方は……?」
「果心居士と申します。以後、お見知りおきを」
「果心……居士……?」
吉乃に声を掛けられた千代女が、僅かに何かを思い出すかの様に首を傾げる。そうして、何かに気付いた様に一気に顔が真っ青になった。
「あ、あぁ……あぁああああ……あぁああああ!」
「どうされたのですか?」
「はぁ……やはり些か早すぎましたか。安定した様子でしたので連れてきましたが……」
果心居士の名を聞いて顔を見るなり唐突に顔を青ざめ悲鳴を上げ泣き出した千代女に、道化師がため息を吐いた。そうして彼が指をスナップさせると、それだけで千代女の意識は失われる。
「失礼しました。実は皆様に彼女をお会いさせる事が今の今まで叶わなかったのも、こういう理由なのです。彼女の精神は安定を欠いています。今の内に鎮静剤を」
「はい」
「「「……」」」
なるほど、納得だ。今の狂態を見れば、誰だって千代女の精神が不安定である事が理解できた。だから、誰にも会わせなかったのだろう。そうして気を失って注射で何らかの薬品を投与される千代女を見ながら、久秀がため息混じりに問い掛けた。
「はぁ……こいつを使えって?」
「ええ……申し訳ないのですが、彼女も使っていただかねばなりません」
「この状態でどうやって使えって言うんだ?」
「ごもっともで」
些かの無茶ならなんとかしてみせる久秀であるが、流石にこの状態の千代女を使えと言われても如何ともし難い物があったらしい。そんな彼の苦言に、道化師も苦笑混じりに頷いていた。
「先の調整でなんとかなる、と思ったのですが……まだ無理ですか。今回は一時間か二時間保てば良いのですが……なんとかなりますかね……」
「一応、聞いておきたいんだがね……望月千代女ってのは嘘だろう?」
「え? あ、はい。もちろん」
「誰なんだ? わざわざ名前を隠してまで俺達の所に連れて来るようなのは……」
この状態を見せた千代女であるが、それでなければならない何らかの理由はあると見て良い。であれば、それは誰なのか。それがわかれば、なんとか使えるかもしれない。そう判断した久秀に対して、道化師は首を振った。
「それはお答えしかねます。無論、調べない方が良いとも明言しておきましょう」
「……そうですか」
どうやら、吉乃は今の道化師の言葉で千代女の正体に勘付いたらしい。倒れ伏した千代女の姿に、どこか哀れみを浮かべていた。それに、久秀が問い掛けた。
「わかったのか?」
「……はい。そこまで、でしたか。久秀殿。どうか、後生です。彼女については、私にお任せを。決して悪いようには致しません。道化師殿もお頼みします」
「……なんとか出来るのですか?」
「はい」
僅かに苦笑する様に、吉乃は道化師の問い掛けに頷いた。が、そんな彼女は一度だけ、道化師を睨みつける。
「……おおよそ何をされたか、というのは存じませんが……いえ、止めましょう。貴方方は私の非難を覚悟の上で、こういう事をされるお方なのでしょう。言っても無駄の非難なぞ、せぬ方がマシです」
「……貴方も貴方で、油断なりませんね」
どうやら、吉乃が見切った千代女の正体とその仕掛けは正しかったらしい。道化師の顔が僅かに歪む。が、それなら、と道化師は気を取り直して首を振った。
「いえ……なら、貴方のお好きな様に。自身の手駒として使うも良し。使い潰すも良し。貴方の手勢として、お好きにお使いなさい」
「では、その様に」
どうやら道化師としてもここで使ってもらえれば良いわけで、その他の事には興味が無いらしい。吉乃が手勢として使う事を良しと認める。
「さて……では、吉乃さん。彼女については先の襲撃に先駆としてお使い下さい。腕については我々が保証しましょう」
「かしこまりました」
吉乃は道化師の指示に頭を下げて了承を示す。そうして、吉乃は目覚めぬ千代女を魔術で浮かせると、立ち上がった。
「どこへ行くんだ?」
「……一度、彼女と話をせねばなりません」
「厄介、か?」
「ええ、厄介です……が、これが最善なのでしょう」
久秀の問い掛けに、吉乃が僅かに苦笑する。どうやら彼女は千代女を助けるつもりらしい。そうして彼女は道化師に頭を下げてその場を辞去した。
「……やれやれ」
「何をしたんだ、お前さんら」
「……必要な事を、です。まぁ、必要かどうかは判断の別れる所ですが……兎にも角にも、彼女は必要なのですよ。それこそ、貴方達よりも」
「そうかい」
どうやら、千代女が施されたなんらかは自分達には施されていないのだろう。久秀は道化師の物言いから、それを把握する。自分達より重要だ、という事はすなわち自分達には無い何かが彼女にはあるという事だ。それを知る事が彼女の正体を、そして彼らの計画の概要を掴むきっかけとなるかもしれない。久秀はそう考えた。
「では、後は皆さんに任せます」
「あいよ……さて」
最後に後を久秀に任せて去っていった道化師に、彼はようやく安堵した様に椅子に深く腰掛ける。
「やれやれ……気の休まる一時なんぞ無い場所だが、今のはほとほと休まらなかったなぁ……」
「ええ……生きた心地がしませんでしたな」
「どこがだ……少なくとも千代ちゃんはお宅ら親子よりは弱いぜ」
「いやいや、女生は怖くございます。枕元に立つなど……いくら儂でも枕元に立たれては如何ともし難いですからな」
「あー……ウチの嫁も怖いの何の……」
石舟斎の言葉に、久秀が遠い目でため息を吐いた。やはり彼といえば女好き――受け継いだ技術を試す側面もあったが――として知られるわけであるが、その妻となる女性との間で一つこんな逸話がある。
それはある時果心居士と会った彼は戯れに多くの戦場を渡り歩いた自分を怖がらせてみろ、と言ったらしい。そこで果心居士はその数年前に死んだ妻を呼び出して、大いに震え上がらせたとの事であった。
「やめだやめだ。こんな話した所で得は一つもねぇからな」
死んだ嫁の話なぞ怖いだけ。そう断じた久秀は一転、気を取り直す。そうして、彼は我関せずを貫いていた源次を見た。
「修羅の兄さん」
「……俺か」
「意外に誰がいるよ」
妙な呼び方だ。そう思う源次であるが、そのまま久秀の先を促す。それに、久秀が告げた。
「教国。お宅も行くんだったな」
「ああ」
「あまり、暴れすぎんなよ? 今はまだ、御大将をガチギレさせるタイミングじゃない。お宅の思惑云々に関しちゃ、俺は関与しない。好きにしなよ。が、大筋に影響を与えるのは、筋じゃねぇだろう」
「……善処はしよう」
久秀の言葉に、源次は曖昧な返事を行う。それに、久秀が僅かに威圧的な風格を身に纏った。
「善処、じゃない。そう行動しろ。こいつは軍事行動。御大将が敵だ。迂闊な事をしてお宅に死なれちゃ、こっちが迷惑だ。今回は、見送れ。それでお宅は好きにして良い、ってのが道化師さんとの契約だろう?」
「……承知」
不承不承という所ではあったが、久秀の言う事は尤もだ。全員が何かしらの契約を交わして、道化師に協力している。各個人がどういう条件を出したかはわからないが、道化師は少なくともカイトとの戦闘行動を対価として持ち出しているはずだ。であれば、源次の好き勝手はその契約に反する内容と言えた。
「それで良い。お宅の行動で下手に御大将の部下に犠牲が出られると、道化師さんの作戦にも影響しちまうんだよ。御大将にゃ最後までギルドマスターで居てもらわにゃならない、ってのが道化師さんの考えだ……ま、それさえ守れりゃ、後は好きにしな」
久秀は言うだけ言うと、今までの威圧的な風格を解いた。基本、この場の全員の手綱は彼が握っている。道化師も彼に統率を任せている。なので勝手な行動をしそうな相手を掣肘するのも、しっかりとした仕事だった。
「ま、その上で言えば……あんたも義理堅いねぇ」
「……別に、義理なぞでは……」
久秀の言葉で僅かに頬を赤らめた源次に、張り詰めた空気が僅かに弛緩する。そうして、彼らは彼らで教国行きに備える事となるのだった。
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次回予告:第1672話『ルクセリオン教国』




