第1668話 受け継がれし遺志 ――賢者の真実・2――
ブロンザイトの葬儀から、遡ること数ヶ月前。カイトとブロンザイトが再会を果たした時の事だ。そこで、カイトは彼より自身の病の事、そして自身の娘であるマリンの事、また別の系譜の孫であるトリンの事を聞いていた。そうして、話は今後の事へと続いていた。
「それで、まずはラグナ連邦へと行こうと思います」
「連邦へ?」
「ええ……カイト殿。ラグナ連邦の東側にて、この時期実はとある流行病が起きます。その予防を行いたく思うのです」
「なるほど……」
ブロンザイトらしいといえば、らしいと言える。カイトとしては風化病の末期患者である彼には是非とも病室で休んで欲しいと思うが、彼自身がそれを望まないだろうというのもわかっていた。彼は最後の最後まで、動く者だと理解していたのだ。そうして、しばらくブロンザイトがカイトへとヴォダ周辺の現状とおおよそ必要と思われる数についてをカイトへと伝えていく。
「わかりました。でしたら、当家が予防薬を準備させて頂きましょう。ですが、どうしても時期が時期……即座にとは参りません。その点はご理解と御了承を頂きたいのですが……」
「無論、そのぐらいはわかっておりますとも。どのぐらい必要ですか?」
「そうですね……椿。この間確かアウラが風邪が流行り始めている、という事で薬の調達をさせていたな。あの資料を頼む」
「かしこまりました」
カイトは椿より資料を受け取って、改めて予防薬等の調達に必要な日程を考える。やはりこの時期だ。ラグナ連邦だけでなくカイトの率いるマクダウェル領でも風邪やインフルエンザがゆっくりとだが流行り始めていた。
無論、そこは衛生環境の基準が地球で、その中でもおそらく有数の基準を持つと言える日本にあるカイトだ。ラグナ連邦に比べれば格段に衛生の基準は高く、うがいや手洗いに関する周知も徹底されている。なので必要となった薬の数も今回の申し出に比べれば格段に少ないと言ってよかった。が、これでも参考にはなる。
「……そうですね。用意の開始ができるのが、おそらくこの収穫祭が終わってから。今はどうしても、管理局や薬医達もこちらに掛り切りになってしまいますので……」
「それは仕方がない事です。カイト殿はこの地を治めていらっしゃいますし、今は皇帝レオンハルト陛下もいらっしゃっている。そちらを優先するのは、皇国貴族として正しい在り方。儂も無理は申せません」
「ありがとうございます。それで、見繕いますに早くともそこから半月は必要かと思います。今の時期から、どこも用意を開始しておりますので……ですが収穫祭の最中に医療機関に命じておけば、早々に手に入れられるでしょう」
ブロンザイトの理解に感謝を述べたカイトであるが、彼は改めてブロンザイトへとおおよその見込みを告げる。この半月、というのは現在のエネフィアの水準を鑑みれば異常に早いと言ってよかった。
それもこれも、医療に理解があり更には医療品であればエネフィア随一と言われるマクダウェル家だから出来る事、と言って良いだろう。ブロンザイトがカイトに申し出たのも当然と言える。
「そうですか……では、おおよそ三週間見繕えば十分でしょうか」
「そうですね。途中何かトラブルが起きたとて、それだけあれば十分に可能でしょう」
途中でトラブルが起きたとて、この件はブロンザイトの以来という事もありカイトが直々に解決に乗り出すだろう。そこらを鑑みれば、一週間の猶予を設けておけば十分と考えられた。
そうしてそこらを話し合い、カイトは自分がかつて懇意にした任侠組織が今は形を変えてラグナ連邦にて腐敗の原因となっている事を知る事となる。
「……そうでしたか……あの『黒き湖』は……」
やはり自分が尊敬した者が残した組織が腐敗し、国さえも蝕む様になっていた事を知らされたカイトの顔は辛そうだった。が、すでにカイトが言っていた通り、これを見通していたのだ。なればこそ、彼は今こそが彼との約束を果たすべき時、と判断した。
「ブロンザイト殿。その件ですが、どうか私も一つかませて頂きたい」
「どうされました?」
「はい……実は件の組織の大本となった組。それの組長さんとは懇意にさせて頂いておりました。それで、彼より遺言に近い形として、けじめを取ってくれと頼まれております」
「そうでしたか……初代、と仰られますと……彼ですか。詳しくは存じ上げておりませぬが、人格者だったとは伺っております」
カイトの申し出に、ブロンザイトは一つ頷いて理解を示した。基本的にカイトは立場を気にしない。なので当時優れた人格者と言われていた初代頭首の事と知り合いでも不思議はないと思ったらしい。
「お願いします。また、それに合わせてラグナ連邦との打ち合わせは私の方で取り計らいましょう」
「おぉ、お願いしてよろしいですか?」
「はい……ただ、その代わりにお願いがあります」
「なんですか?」
「どうか、一ヶ月の間しっかりと療養なさって下さい。病院等は当家が手配させて頂きます。今更、旅に出るなとは申しません。ですがその為にも、どうか」
ブロンザイトの問い掛けに、カイトは深々と頭を下げる。これに、ブロンザイトは微笑んで受け入れた。
「……そうですな。ありがたく、ご厚意を頂戴させて頂きます」
「ありがとうございます」
「はい……それで、もう一つ。実は此度の旅路についてお伝えせねばならない事がございます」
「なんでしょう」
ブロンザイトの申し出に、カイトが一つ問い掛ける。そうして、それに対してブロンザイトはミニエーラ公国の事を語っていく。
「それを、潰すと?」
「はい……ラグナ連邦を追っている中で、偶然にこの地の事を知りました」
「ですが……別に御身がなさらずとも良い事かと思われます。当家にお申し付け下さいましたら、少々お時間は頂きますが、必ずミニエーラ公国の悪行を暴き立てる事をお約束致します」
当初、当然であるがカイトはこれ以上ブロンザイトが無理をする事に難色を示した。この時はどうやってミニエーラ公国の暗部に立ち向かうのか、等の見通しは聞いていなかったが、それでもラグナ連邦の時と同程度の大捕物になる事は目に見えていた。
「……先に、お伝え致しましたな。儂にはもう時間が無い、と」
「……はい」
「時間が、欲しいのです。トリンに全てを教える為の時間が……」
どこか悲しげな顔で、ブロンザイトがそう告げる。これはトリンが見通していた通りだ。人為的とは言え、時間の狂わされた異空間だ。確かに外よりも病気の進行は抑えられ、時間は得られる。が、同時にそれは長く苦しむ事でもあり、予期していないまた別の症状が現れる事にもなりかねなかった。
「……なぜ、そこまで彼にこだわるのですか?」
「……なぜ、ですか……ふむ……」
カイトに問われ、ブロンザイトは一度苦笑混じりに微笑んだ。そうして、彼は自らの想いを告白する。
「……何もしてやれなかった息子がしてやれなかった分、儂は息子の分を含めて全てをあれにはくれてやりたいと思うのです。儂が培ってきた技術。儂が得てきた伝手。儂が見てきた全てを……それをどう使い何を成すかは、トリンの自由。ですが、これからの可能性だけは与えてやりたいのです。儂が儂の子らにしてやれなかった分、と言えばマリンには悪いやもしれませんが……」
「……」
儚げに笑ったブロンザイトの顔に、カイトは何も言えなくなる。そうして、そんな彼にブロンザイトは更に告げた。
「おそらく、この時儂は生きては帰れぬでしょう。どうか、お頼み致す。ソラくんを巻き込んでしまう事を、許してくだされ」
「……」
ブロンザイトの申し出に、カイトは暫くの間沈黙を保つ。どうするべきか、と決めるにはあまりにソラの人生に与える影響が大きい。本当なら、ソラに教えてやって判断を仰ぐべきだろう。が、それは出来ない。
「一つ、お聞かせ下さい」
「何なりと」
「……ソラは、無事に帰れますか? 彼を愛する者達が痛みを得ず、貴方との思い出を良き物と思えますか?」
「お約束致しましょう。このブロンザイト。その持てる全てを使い、彼を守り抜くとお約束致します」
深く悩んだ様子のカイトに、ブロンザイトははっきりと約束する。それを見て、カイトはゆっくりと頷いた。
「……わかりました。それで、中ではどれぐらいの時間が必要ですか?」
「およそ、半年と少し。それだけあれば、儂が伝えたい全てを伝えられるでしょう」
「賭け、ですか」
「……はい。ですが、それまでは意地でも生きてみせるつもりです」
彼の余命はおよそ半年。が、これが特殊な異空間に入ってどうなるかは、誰にもわからない。そもそも風化病が異空間の中でどうなるかは、現代医学でも未知の話だ。
ここらの異族特有の病の進行に関しては、どうしても時空間という高度な魔術が絡むとまだまだ未解明な所が多い。しかも治療法が確立している事で、これを調べる事はつまり、一つの生命を研究の為に見殺しにすると言っても過言ではないのだ。調べる事が出来るわけがない。
他にも風化病は肉体の成長が影響しているのか、コアの新陳代謝が影響しているかが不明だ。もし新陳代謝に影響しているのなら、中でも外と同じペースで進行して半年で息絶える可能性もある。賭けとしか言いようがなかった。
「……」
ブロンザイトの決意にカイトは一度目を閉じて、深く考える。そうして暫くの後に、一つ頷いた。
「……わかりました。その後の全てを含め、私もまた責任を持ちましょう。貴方には私も、そして私の妻もまた、大恩がある。その賢者最期の願い。私が……勇者カイトとして、マクダウェル公カイトとして、聞き届けましょう」
「……かたじけない。ありがとうございます。必ず、ソラくんも無事に帰還させる事をお約束致しましょう」
「はい……ですが、一つ。お約束して頂きたい」
深く頭を下げたブロンザイトに、カイトはカイトなりの譲歩を告げる。こればかりは、彼だからこそだった。
「なんでしょう」
「もしご生還が叶われた場合、どうか最期は皆の見守る中、適切な治療を受けて安らかにお眠り頂きたい。最期ぐらいは、ご自愛なさって下さい」
「……」
カイトの申し出に、ブロンザイトは思わず目を瞬かせた。何を言い出すかと思えば、これである。あまりにカイトらしいと言うしかなかった。それ故、呆気に取られたブロンザイトは変わらぬ彼の姿に、思わず笑いを浮かべた。
「……そうですな。もし生きて帰れましたら、儂もそうしましょう。ですが、墓については譲りませんからな」
「あはは……流石に御本人からの申し出がある以上、そのとおりにさせて頂きます」
笑ってカイトの申し出に快諾を示したブロンザイトに、カイトも僅かに眉間のシワを伸ばして頷いた。もちろん、これはもし万が一ミニエーラ公国の強制労働施設に囚われた場合の話だ。
が、ブロンザイトが言う時点で、カイトは非常に高い確率でそうなるだろうと思っていた。というより、その前提で話を進めていたのだ。何らかの考えが彼にはあると思われた。
「まぁ、そうは言いましても、まずは何をするにしても一度、検査を受けて下さい。余命半年、と仰られましたが……当家なら少しは伸ばせるやもしれません。入らないで良いのなら、そちらの方が良いのです」
「そうですな……儂とて好き好んで苦労を得たいとは思いません。ありがたく、ご厚意に甘えさせて頂きたく思います」
カイトの申し出に、ブロンザイトもまた一つ頷いた。そうして話は更に続く事となり、それが終わった後にブロンザイトはトリンに隠れて神殿都市の病院に向かい、その後は一ヶ月近くの療養を行う事となるのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第1669話『受け継がれし遺志』




