第1667話 受け継がれし遺志 ――賢者の真実――
トリンの問い掛けを受け、カイトは過去を思い出す。それは今から数ヶ月前。カイトの所にブロンザイトがやって来た日の事だ。お互いに社交辞令を終えて、ブロンザイトがソラを受け入れるという旨を伝えた後の事である。彼はゆっくりと、語りだした。
「……儂が若い頃。実は数人、愛した女性がおりましてな」
「……まぁ、ブロンザイト殿も世界を歩まれております。何か不思議な事では無いかと」
「ええ……まぁ、これでも若い頃はそれなりには美丈夫だった、と思います」
少し冗談混じりに、ブロンザイトはそう言って笑う。とはいえ、もちろんそんな事を語りたくてこんな話をしているわけではない。
「今から、およそ四十年前の事でしたか。ふとした偶然で、儂はエンテシア皇国のとある場所を旅しておりました」
「とある場所?」
「ブランシェット領の北東。ブシュエフという貴族が居る事をご存じですか?」
カイトの問い掛けに、ブロンザイトはある貴族の名を問い掛ける。それに、カイトは頷いた。
「ええ……ブランシェット家の遠縁の子爵の地ですね。長閑な牧草地が多い場所、と記憶しております」
「ええ……実はそこに、儂が愛した女性が眠っております。一度は、そこに骨を埋める覚悟をした女性です」
「そんな方が……」
初めて明かされたブロンザイトの恋愛歴に、カイトが僅かに目を見開いた。長い付き合いではあるが、そこまで詳しく彼の来歴を知っているわけではない。なのでこれは本当に初めて聞いた事で、彼の兄弟達もアコヤとカルサを除いては、葬儀の前にカイトに知らされるまで知らなかったほどだった。
「ええ……それで、お恥ずかしい話なのですが……どうやら、この女性との間で儂の子が生まれておったそうなのです」
「え?」
僅かに苦笑する様なブロンザイトの告白は流石に、カイトをして想定していない話だった。故に先程以上に彼は目を丸くして、改めて問い掛けた。
「ご存知ではなかったのですか?」
「ええ……実はお恥ずかしながら、この女性がさる高貴な身分でして……つい勢いで手を出してしまったのです。お互い身分の差もあり、余計燃え上がった」
「は、はぁ……」
あはは、と恥ずかしげに話すブロンザイトに、流石のカイトも反応に困ったようだ。生返事であった。そうしてそんな彼に、ブロンザイトは更に詳しい話をしてくれた。
「まぁ、その当時の儂は名も無い流れ者……彼女の両親が認めてはくれませんでしてな。是が非でも彼女を迎えるべく、皇国にて仕官したのです」
「仕官した事がある、とは聞いていましたが……そういう事でしたか……」
「ええ……それで五年ほど文通を重ねながら、時間を見ては会い愛を育んでおりました。そんな中唐突に、彼女からの文が途絶えましてな。最後の言葉は、次に会った時は貴方に是非見せたい物がある、という言葉でした。それで気になった儂は休みを利用して彼女を訪ねたのですが……そこで、両親より彼女の死を知らされました。すでに葬儀も終わらせた後、と」
「それで納得したのですか?」
「まさか」
カイトの問い掛けに、ブロンザイトは笑いながら首を振る。そうして、彼は更に恥ずかしげに話を進める。
「その後、儂は職権乱用で彼女の行方を調べたのですが……戸籍上も、確かに亡くなっておりました。偽装等でもなく、儂に手紙を送った数カ月後、確かに亡くなっておったのです」
「そうですか……ん? もしかして……」
「ええ……お恥ずかしい。実は彼女の死は儂の子を生んだ後の産後の肥立ちが悪く、という事でした。あの時詳しく調べておけば、と今でも悔やんでも悔やみきれません」
この後、ブロンザイトがカイトに語る事には、どうやら最愛の女性の死という出来事に若い彼は耐えられなかったらしい。ただ嘆きと共に、逃げるように皇国から旅立ったとの事だ。
無論、その最愛の女性とやらの両親がその子の存在を隠していた、という事もある。後に彼が件の子に聞けば、娘に手を出した挙げ句孕ませて死なせた疫病神、と恨まれていたそうだ。なので彼女の子は当家の子であり、ブロンザイトには何ら関係の無い子である、とされたそうだ。
「それで、今から四十年前……偶然近くを通ったので、彼女と出会った場所に立ち寄って彼女の墓を詣でましてな。そこに、墓の前に一人の御婦人がおったのです。こんな所に何の用事か、と思い聞いてみると……ここに母が眠っている、と。そして何時か父がここに来るのを待っている、と」
「それで彼女こそが御自分の子であると悟った、と」
「はい……どうやら、彼女のご両親も最後に悔いていたようです。当時の儂の名を告げ、何時か来た時に謝罪して欲しい、と。それで、時折彼女の墓にやって来ていたとの事でした」
「その事を、ご息女は?」
「……恥ずかしながら、気づかれてしまいまして。いや、もしやすると、最初から気付いておったのかもしれません。何度か来ているのを見ておったそうです。だが確証が掴めず花を手向けたその姿で、おそらく父なのだろうと確信したと」
恥ずかしげに、ブロンザイトがカイトにその娘が自分が親である事を知っている事を語る。と言っても、流石にそんな彼女も父親がブロンザイトという名の賢者とは知らず、知った時には大いに驚いていたらしい。
ブロンザイトも当時他の偽名で仕官していたと言っていた。この時の愛した女性には本名を告げて、種族も告げていたがそれ故、彼女も両親に偽名を伝えていたとの事であった。そしてその結果、両親はブロンザイトの名を知ること無く、娘もブロンザイトの名を知る事が出来なかったらしかった。
「それで……そこに埋めて欲しい、と」
「ええ……どうか、お頼み申す。彼女とはついぞ結ばれませんでしたが……あの世では、共に居てやりたいと思うのです」
「……わかりました。全て、当家が取り計らいます。ご安心下さい」
深々と頭を下げたブロンザイトに、カイトは笑って快諾を示す。この時、すでに彼はブロンザイトが病である事を聞いていた。故にすでに長くない事も知っており、埋葬の手はずなども頼まれていたのである。死にゆく者の願いだ。それを聞き届けねば、彼は彼ではなかった。
「ありがとうございます……それで、もう一つ。カイト殿には、お話しておきたい事があります」
「? なんでしょうか」
「……実は、もう一人。儂には子がおりました」
「は? い、いえ……先程のお話でも数人女性がいらっしゃったという話でしたので……不思議はないかと思いますが……」
更に語られたもう一人の女性の存在に、カイトは困惑気味に頷いた。何より彼自身、各地に女性が居た者だ。故にカイト自身が知らないという隠し子騒動が絶えないわけだ。なら、ブロンザイトにもそういう話があったとて不思議はない。が、そんなカイトに対して、ブロンザイトは真剣な顔で告げた。
「……その子の子が、トリンです」
「は? で、ですが彼は……」
そんな事は知らないはずだ。カイトはトリンの事を思い出し、そう言外に問い掛ける。これに、ブロンザイトもまた頷いた。
「先の娘との逢瀬の後、儂は娘の所で二年ほど、滞在しておりました。彼女の息子も儂の事を義理の祖父と受け入れ、慕ってくれました。そこで一度はそのまま彼女の父として、骨を埋める覚悟をしたのですが……ある時ふと、気になったのです。他の女性との間で子は居なかったのか、と」
「それで、それを調べる旅に出たと」
「はい……自身の人生全てにけじめを付ける、最後の旅のつもりでした」
カイトの確認に、ブロンザイトは数度頷いた。そうして彼は数年掛けて、愛した女性達のその後の経歴を調べたらしい。とはいえ、これについてはやはり遥か昔の事で、作業は難航したそうだ。当然といえば当然だ。が、それでも彼は必死で、成し遂げたらしい。そして、そこで知ったのだ。
「そうしてもう一人、見付かったのです。息子が。会いに行ったのですが、そこで孫が一人おった事を儂は知りました」
「それが、トリンと」
「はい……お恥ずかしながら、この息子は妻と色々とあったそうで……孫を……トリンをナイフで刺し森の中に遺棄した、と。妻も刺し殺そうとしたそうですが……そこで警官に見付かって、刑に服している所でした」
「それでご自分でその孫を探しに、と」
「はい……森に宿る記憶を頼りに、せめて菩提だけでも弔おうと思うたのです。が、そこで、誰かに助けられた事を知りました」
ここからは、トリンがソラに語った通りだ。誰かに助けられた事を知った彼は、この後五年近くの歳月を掛けてトリンを見つけ出す。が、ここがブロンザイトの病に繋がる事となった。
「少し話は変わりますが……先程、儂は病に犯されているとお伝えしましたな」
「はい……もはや助からぬとも、お伺い致しました」
「……その病の名ですが……風化病と申します」
「風化病!?」
告げられた病の名に、カイトは思わず目を見開いた。その病の名を、彼は知らないはずがない。今でも年に何人かは死者が出ている病だ。とはいえ、これにカイトは思わず腰を上げて、声を大にした。
「風化病の末期と!?」
「はい」
「そんな……貴方とてご存知の筈です! 三百年前当時ならまだしも、今は風化病は末期に至らなければ完治する病です! 不治の病でもなんでもない!」
朗らかに頷いたブロンザイトに、カイトは声を荒げる。まぁ、そういうわけだ。風化病は珠族特有の病で、かつては『霊薬』や『エリクシル』等の最上位の回復薬程度でしか治療出来なかった。末期になれば、もはやこれさえも効かない。
が、カイトを筆頭にして医療に理解ある貴族が増えた事で、この三百年の間に初期段階であれば治療する術が確立していたのである。そしてこの風化病の症状は比較的自覚症状がある。
なので今では大抵は初期段階で適切な治療を受けられる病だった。そんな完治する病であるにも関わらず、放置した結果末期となったというのだ。信じられようものではなかった。
「そうですな……初期段階で適切な治療を受ける事ができれば、完治する病です」
「……一体、何が? 貴方ほどの方が自らを疎かにするとは思えません。そして貴方の治療の為であれば、当家……いえ、それどころか皇国とて支援を惜しまぬでしょう。なぜ、治療をなさらなかったのですか?」
「……」
少し落ち着いたのか、声を落として問い掛けるカイトに、ブロンザイトは一つ笑う。そうして彼が穏やかな様子で、語り始めた。
「……話を、戻しましょう。トリンが捨てられたと聞き、儂は方々歩き回ってその行方を探しました。そうして、比較的早々に確かに助けた者を探す事に成功致しました」
「……それで?」
「……はい。その者は、非合法に子供らの売買を行う密売人でした」
どこの事かはわからないが、非合法と言うからには相当やばい相手ではあったのだろう。そして、ここからカルサが関わってくる事となる。
「いくら賢者と褒めそやされますれど、儂は所詮は人より些か知恵を持つだけのしがない老人。そこで冒険者を雇おうとしたのですが……」
「雇えなかったのですか?」
「雇えは、しました。ですが奴ら、想定以上の戦力を整えておりました。上納金を街の役人に納めておったのです」
苦い顔のブロンザイトに、カイトもまた苦いものを浮かべる。やはり平和となればどうしても、腐敗が生まれてしまう。それは皇国も然りだったし、他に国もそうだったのだろう。そしてこの時のブロンザイトはかなり焦っていた。調査が不十分の状態で乗り込んでしまったとの事であった。
「焦りすぎた、という所なのでしょう。そこで今度は腕利きの冒険者を雇い、更に偶然に再会したカルサの奴を主力として乗り込んだのですが……」
「逃げられた後、と?」
「いえ……壊滅には成功し、上納金を受け取っていた役人も捕らえられました。それで行方を聞いたのですが……どうにも奴ら、トリンをウルシア大陸にて売ったとのたまったのです」
「ウルシア……」
カイトはブロンザイトの言葉に、更に苦味を深める。ウルシアには行った事はないが、国際港を抱える関係で噂ぐらいは聞いている。未だ大陸の趨勢として奴隷制度が合法である大陸で、魔物より人の方がかなり危険な場所らしい。
「ええ……道理といえば、道理でした。そうして探している間に、時間が過ぎてしまいましてな。初期症状の治療が出来ぬまま、トリンを見付けるに至ったのです。カルサにも随分と無理を言って、二年近くも共に旅をして貰いました」
「そうでしたか……」
なるほど、とカイトは納得するしかなかった。賢者が賢者らしからぬ手段を取る時、それは何時だって何か特別な理由がある時だ。今回は自身の孫のトリンを探し出す、というわけだった。
そして彼の判断は、正しかった。もし彼が自身を優先していれば、トリンは今生きてはいなかっただろう。トリン自身が、あそこは地獄だったと言う劣悪な環境だ。故に、ブロンザイトの顔には一切の後悔は無かった。
「先程は失礼致しました。やはり、貴方らしい行動です」
「ありがとうございます」
微笑んだカイトの掛け値なしの称賛に、ブロンザイトもまた笑って頭を下げる。そうして、話は更に先へと、進んでいくのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第1668話『受け継がれし遺志』




