第1653話 受け継がれし遺志 ――眠る――
ミニエーラ公国の陰謀により、遂に捕らえられる事となったブロンザイト。ソラはそれを見ている事しか、出来なかった。そうして彼が連れ去られた後、一頻り悔しさで泣きわめいた後、ソラがトリンへと食って掛かった。
「なんで止めたんだよ!」
「……」
涙を流して自らの胸ぐらを掴みかかったソラに対して、トリンは暫く何も言わなかった。そうして、少しの後。トリンが口を開いた。
「帰り道……言ったよね? お爺ちゃんを殺そうとしている、って」
「……」
「あいつらは多分、ソラに対してこう言う筈だよ……お爺ちゃんが指示したと言えば、楽にしてやるって」
「俺が売ると思ってんのか!?」
トリンの言葉を聞いたソラが激高し、問いかける。これに、トリンは冷たい目で告げた。
「……君は拷問を甘く見てる」
「っ!?」
軍師特有の冷たい目で見据えられ、ソラは思わず気圧された。同じぐらいの年齢に見えて、実際には彼の方が二回り以上も年上なのだ。見てきた経験は、決して同じではなかった。
「もちろん、僕も君を信じてる。君はお爺ちゃんを売る事はない……でもね。多分、その場合は君は生きては帰れない」
諭す様に、ではない。ただ淡々と事実を告げる様にトリンはソラへと告げる。それは一切の反論を許さない力強さであった。そうして、彼は更に続ける。
「……今、君が死ねば脱出の芽さえ無くなる。君の持つあれこそが、脱出の切り札なんだ。もしお爺ちゃんが生きて帰っても、君が死んだらその時はどっちにしろ一緒なんだ」
脱出の計画は確かに暴動を起こしてその混乱に乗じて逃げるものだが、その際には必ず戦闘が起きる。それは全員が覚悟していた事だ。その際に少しでも生還率を高めるのなら、ソラの持つ神剣は必要不可欠なものだった。
が、その神剣はソラ以外には扱えない。ソラが死んだ時点でアウトだ、というのはブロンザイトよりも何度も言われ、ソラも死なないように安全策を取ってきた。それを、ソラもトリンの指摘で思い出す。
「……くそっ!」
「……今は、信じて待つしかないよ。お爺ちゃんは死なない、って言ってた。じゃあ、死なない。賢者ブロンザイトの名は、伊達じゃない」
ただ信じる様に、トリンが上を向きながらブロンザイトの生還を口にする。そうして、誰もが寝られぬ間に、夜が明ける事となるのだった。
ソラ達が眠れぬままに夜を明かして、少し。流石に兵士達も殺気立った彼らに声を掛ける事は憚られたのか、就業時間が始まったにも関わらず部屋でブロンザイトを待つソラ達はそのまま放置となっていた。そうして、就業時間となって少し。誰もが無言のまま過ごしていた所に、扉が開いた。
「「「っ!」」」
扉の開いた音を聞いて、全員が一斉に顔を上げる。が、そうして運び込まれたブロンザイトを見て、全員が思わず絶句した。身体中傷だらけで、服もボロボロだ。目はうつろで、辛うじて生きているという所であった。いや、より正確に言えば、生きているのが不思議という所でさえあった。
「お爺ちゃん!」
「お師匠さん!」
一瞬の絶句の後、ソラとトリンが慌ててブロンザイトへと駆け寄る。その一方、コンラートとグスタヴの二人はあまりの酷さに顔を背けるしかなかった。そうして投げ捨てる様に放り出されたブロンザイトをなんとかソラが抱きかかえ、それをトリンが補佐する。
「……この爺。一晩中痛めつけて」
「っ!」
ブロンザイトを連れてきた兵士の言葉を遮る様に、思わずソラがその兵士をぶん殴る。何を言ってもぶん殴るつもりだったのだろう。そんな彼が、肩で息をしながら声を荒げる。
「はぁー……はぁー……てめぇら、それでも人か!?」
「ソラ! 今はそんなのどうでも良いよ! 君も早く手を貸して!」
「っ!」
背後から聞こえたトリンの声に、ソラは慌てて身を翻す。思わずやってしまったが、今はそんな場合では無いのだ。ブロンザイトを早く治療せねばならなかった。
「コンラートさん! 回復薬を!」
「おう! グスタヴ! お前は急いでラフィタの所へ行って来い! 俺達の蓄え、全部使え!」
「おう!」
トリンの声で、全員が我を取り戻して一斉に行動に入る。それに対して、兵士達は制止しなかった。そうして、ソラに殴られた兵士が血を吐き捨てて一方的に告げる。
「ぺっ……爺は関係無い事がわかった。後は好きにしろ」
「……」
「ソラ。堪えて」
怒りを堪える事に必死のソラに対して、トリンがなだめる様に告げる。そうして、二人はブロンザイトを抱えて彼のベッドへと横たえた。そんな所に、コンラートがソラが昨日手に入れたばかりの回復薬を手渡した。
「トリン! こいつを!」
「ありがとう! ソラ! お爺ちゃんの姿勢を僅かに持ち上げて!」
「おう!」
ソラはブロンザイトを抱き起こすと、トリンが水差しに回復薬を入れて息も絶え絶えのブロンザイトへと回復薬を口にさせる。そうして、少し。ブロンザイトが咳き込んだ。
「ごほっ! ごほっ!」
「「お師匠さん!」」
「お爺ちゃん!」
咳き込んだブロンザイトへと、三人が声を掛ける。それに、ブロンザイトが気が付いた。
「……トリ……ン……? それに……ソラと……コンラートか……?」
「うん……居るよ」
「そうか……やはり……」
頷いて手を握ったトリンの返答に、ブロンザイトが一度目を閉じた。
「ソラ……言ったでろう? 儂は死なぬ、と」
「お師匠さん……冗談言ってる暇があるんなら、これを」
「すまぬ……」
ソラから差し出された水差しをブロンザイトが口にする。が、その途中で咳き込んだ。
「ごほっ! ごほっ!」
「ソラ。もう少しゆっくり」
「わ、わりぃ……」
「よい、よい……少し、楽になった」
一瞬だけ漂った何時もと変わらぬ雰囲気に、ブロンザイトが微笑んだ。そうして、彼へとコンラートが告げる。
「お師匠さん。グスタヴの奴が今、ラフィタの所に治療用の道具、取りに行ってます。もう少しだけ、辛抱してくだせぇ」
「……すまぬな……が、コンラート。それはもう良い」
「もう良い?」
ブロンザイトの言葉に、コンラートが問いかける。が、彼とて冒険者。わからない筈がなかった。故に、その顔は辛そうでさえあった。そんな彼に、ブロンザイトが諭す様に問いかける。
「……お主なら、分かろう?」
「……」
ブロンザイトの問い掛けに、コンラートが思わず俯いた。そんな彼に微笑んで、ブロンザイトがソラへと問い掛けた。
「ソラ……お主が持ってきてくれた回復薬……双子大陸の物じゃな?」
「え、あ、はい」
「ふふ……幸運じゃのう……まさか、最後の最後に出会えるとは……」
「はい」
微笑んだブロンザイトに、ソラもまた一つ頷いた。が、ここで現状をしっかりと理解出来ていないのは、ソラだけだった。これは仕方がない。彼は地球人。どれだけエネフィアで学ぼうと、まだ一年と少しだ。異族の事をしっかり理解出来ているわけではなかった。
「ソラ……すまぬが、残りの全てを儂の胸のコアに掛けてくれぬか」
「え?」
「ソラ……」
「……おう」
悲しげなトリンの言葉を聞いて、不思議そうだったソラはその指示に従う事にする。そうして、もはやヒビだらけのブロンザイトのコアへと、ソラは回復薬を全て注ぎ込んだ。
「ふぅ……これで、少しは保つ」
ソラから回復薬の投与を受け、ブロンザイトが少しだけ楽な顔で頷いた。そうして、彼が口を開く。
「……ソラ。お主に黙っておるのは、ならぬじゃろう。よく聞け」
「はい」
「儂は、もう助からぬ」
「……え?」
はっきりと告げられた言葉を、最初ソラは理解を放棄した。が、その本能が理解していた。彼はもう助からないのだ、と。そんな彼に対して、ブロンザイトが微笑んだ。
「ふぉふぉ……儂は生きて帰る、とは言ったが、助かるとは言っておらんよ」
「お、お師匠さん! こんな時に冗談を……」
「ソラ……」
こんな時に冗談を言ってる場合か。そう言おうとしたソラに、トリンが手を当てる。彼も分かっていた。これがブロンザイトの、祖父と慕った男の遺言になるのだ、と。ならば、少しでもその言葉を長く聞き届ける為にソラに邪魔をさせるわけには、いかなかった。
「っ……」
「……儂は本当に出来た孫を持ったのう……ソラ。辛いじゃろうが、よく聞け」
「……はい」
泣きながら、ソラはブロンザイトの言葉に頷いた。そうして、ブロンザイトの遺言が語られる。
「お主はやはり、まだ未熟。感情に流される事が多い。ゆめ、気を付けよ」
「はい」
「うむ……この後じゃが……儂の後生の願いじゃ。トリンを、信じよ」
「……はい」
手短な己への言い付けに、ソラははっきりと頷いた。そうして、ついでブロンザイトはコンラートを見た。
「コンラート……」
「へい」
「お主と出会えた事は、儂にとっても想定外の事であった……教えを最後まで授けられぬ事は、すまなく思う」
「いえ……俺も一時だけでも、教えを受けられて幸いでした。この教え、生涯忘れやせん」
「そうか……お主はお主で短絡的な所がある。もし何かがあれば、横の者に問え……経験は十分じゃ。後は、落ち着き考える事を覚えるだけで良い……そうすれば、お主は更に上に飛躍できよう。敵を知り己を知れば百戦殆うからず……カイト殿が仰っていた言葉じゃ。勇者の言葉を、決して忘れぬ様にな」
「……へい」
涙を流しながら、コンラートはブロンザイトの最後の指南を胸に刻み込む。そうして二人に語った後、ブロンザイトはトリンに微笑んだ。
「……トリン」
「……うん」
「何も、語る必要は無いな?」
「…………うん」
長い間が空いて、ブロンザイトの問い掛けにトリンが頷いた。彼の悲しみは、ソラにもコンラートにも理解出来ない。が、共に何十年と過ごした二人だからこそ、分かる事があった。
「お主には、儂の全てを教えた……後は、お主の自由に生きよ。儂の伝手。儂の知識。儂の経験……全てを、お主には与えた」
「……うん。結構、辛かったよ」
最後と分かっているからだろう。トリンはブロンザイトの手を握りながら、微笑んだ。それに、ブロンザイトもまた笑った。
「ふぉふぉ……実の孫のつもりで、お主を育てたからのう」
「……うん。僕も実の孫のつもりで、お爺ちゃんと暮らしてたよ」
笑ったブロンザイトの言葉に、トリンも涙を流しながら笑って頷く。それに、ブロンザイトは笑みを深めた。
「ふぉふぉ……トリン。最後に、一つお主に言っておこう」
「……何?」
「お主が苦しむ必要はない」
「っ!」
告げられた一言に、トリンが目を見開いた。どうやら、これは予想外だったらしい。それに、ブロンザイトが笑う。
「ふぉふぉ……儂は、お主のお爺ちゃんじゃ。わからぬと思うてか?」
「……」
微笑んだブロンザイトの言葉に、トリンがただ無言で涙を流す。そうして、無言となった彼へとブロンザイトが告げる。が、今度は家族ではなく、師としての言葉だった。
「……トリン。儂の全てを受け継いだお主は、もう全てを理解していよう。後の全てを、お主に託す。三人を、お主が脱出させよ」
「……はい」
「うむ……」
トリンの返答を聞き届け、疲れた様にブロンザイトが息を吐く。それに、三人は揃ってブロンザイトが全てを伝え終えたのだ、と理解した。そうして涙を流す三人であったが、ブロンザイトが最後の力を振り絞って、ソラの方を向いた。
「ソラ……」
「はい」
「カイト殿に、伝えてはくれぬか……後の事はよろしく頼みます、と」
「……はい。絶対に伝えます」
「すまぬな……ふぅ……」
伝える事は全て伝えたのか、ブロンザイトは僅かに楽になった様に息を吐く。そうして少しして彼が口を開いたが、その眼はもはや、三人を見ていなかった。
「おぉ……カイト殿……久方ぶり……ですな……では……その先が……」
「っ!?」
僅かに微笑んだブロンザイトの言葉の意味を、ソラは理解する。カイトの力は、死者を呼び出す力。そして、死者と共にある力。その彼が、この言葉を告げたのだ。何を意味するかは、わかろうものであった。そうして少しの後、彼が小さく言葉を発した。
「……これで、儂も……かの……みも……へ……」
これで、儂も。その先が何だったのかは、三人にはわからなかった。だが、その言葉を最後に、老賢者ブロンザイトが何か言葉を発する事は無く、眠る様に安らかに彼は息を引き取ったのだった。
お読み頂きありがとうございました。タイトルは誤字ではありません。今後はこちらとなります。
次回予告:第1654話『受け継がれし遺志』




