第1641話 受け継がれし意思 ――山中の戦い――
ミニエーラ公国の陰謀に巻き込まれて消息を絶ったソラの救出の為、ミニエーラ公国にやって来ていたカイト。彼はユリィと瞬の二名のみをお供に表向きソラの足跡を追ってロツにたどり着くと、まずは証拠隠滅に動くだろうという見込みを立てカルコスの宿にて忠告を残し、バイエを目指して出発していた。
「っ!」
瞬は目の前で振り下ろされた巨大な腕を跳び上がって回避する。その横ではカイトがユリィと供に、瞬が相手にしていた猿の様な魔物を複数体まとめて相手にしていた。
ブロンザイトが危険と言っていた山はやはり、危険だった。一応身を隠して交戦を避けて移動していたわけであるが、それでも『暴君猿』の群れに出会ってしまっていた。
それも五体や六体ではない。三十体ほどの巨大な群れだ。とはいえ、瞬も曲がりなりにもランクBでも上位に居る冒険者だ。一体ぐらいなら相手は出来た。
「これは……」
『暴君猿』の振り下ろしの一撃で出来た陥没を見て、空中に躍り出た瞬は思わず頬を引き攣らせる。かなり力がある一撃だな、とは思ったが案の定だったらしい。と、そんな彼であったが、即座に迷わず槍を投げた。
「いけっ!」
瞬の投げた槍であるが、それは腕をクロスさせた『暴君猿』の漆黒の剛毛で滑り、地面へと受け流される。真正面からの力の押し合いでなければ障壁はそこまで固くはないのだが、『暴君猿』の身を覆うこの漆黒の体毛が厄介だった。どうやら柔軟性と強度を持ち合わせているらしく、相当力を込めて打ち込まないと滑るのである。
「っ」
元々姿勢は整っていなかったのだ。単に返す刀での攻撃はほぼ通用しない、と瞬は理解し、着地して体勢を立て直す。そうして着地した彼に対して、『暴君猿』はゴリラの様に四つん這いに似た姿勢で一気にタックルを仕掛けてきた。
「ゴリラに近い……か」
幸いと言えば幸いな事に、『暴君猿』の速度はやはり大本が二足歩行生物であるが故かさほどではない。<<雷炎武・参式>>を起動すれば十分に避けきれるし、距離があれば弐式でも問題無い。故に、瞬は余裕を持って回避する。
「……」
どこかに体毛の薄い部分は無いか。サイドステップにて『暴君猿』のタックルを回避した瞬は半回転して『暴君猿』の背後を正面に捉えると、即座に『暴君猿』の背面を観察する。が、そう都合よく弱点が見付かる事はなかった。
「これでゴリラや猿なら尻に毛が無いんだが……流石にそう都合よくはいかんか」
さて、どうするか。瞬は同じく反転した『暴君猿』と向かい合いながら、次の一手を考える。とはいえ、別に自分で見つけ出す必要はないし、今回は訓練として来ているわけではない。答えはすぐそこに転がっていた。
「<<火よ>>」
瞬が見るのは、彼が一対一で戦える様にユリィと二人で舞う様に戦うカイトだ。そんな彼は火の契約者としての力を使い<<炎武>>を起動。その炎を左手の刀に移して戦っていた。
と言っても、攻撃の一瞬に火を宿している様な感じだ。かなり抑え気味に戦っていたと言って良いだろう。ここは、すでに敵地も一緒だ。下手に大出力で一掃して巡回のミニエーラ公国軍に見付かりたくないので、出力を抑えているのである。
手間だが、隠密行動なのだから仕方がなかった。そしてそれでも大丈夫なほどの技術と知識が、彼の手にはある。一切問題にはなっていなかった。
「……なるほど」
考えれば簡単な事だ。確かにこの『暴君猿』を覆う体毛は固く、柔軟性も持ち合わせている驚異の素材だ。が、所詮は体毛。強力な炎を出せれば、燃えるのである。
カイトは斬撃に火を纏わせ体毛を焼くと、そこを狙い澄まして切り裂いていたのだ。無論、更にユリィに目を向ければ彼女もまた火属性の魔術や、体毛の影響を受けにくい雷や闇属性の魔術を多用していた。
「なら、こうだな」
カイトとユリィの攻撃を参考に、瞬は己で出来る攻撃方法を見つけ出す。そうして、彼は火の加護のみを起動して更に火のルーンを身体に刻み込む。擬似的な<<炎武>>だ。
正確には彼の師であるクー・フーリンが、更にその師のスカサハの教えを独自に改良して生み出された強化術だが、結果的に擬似的な<<炎武>>となっていたのである。敢えて言えば比率を変えただけ、と言っても良いだろう。そうして、彼の槍に火の力が宿る。
「ふっ」
瞬は生物の本能からか火を纏う自身に僅かな警戒を滲ませた『暴君猿』に向けて、<<縮地>>を使い一瞬で肉薄する。
<<雷炎武>>とは違い<<炎武>>には速度を上昇させる力はない。なので何時もに比べれば格段に速度は落ちているが、相手が相手である事も相まってこれならさほど問題にはならなかった。
「はぁっ!」
一瞬で肉薄した瞬はまず、槍の穂先に火を一点集中。そのまま『暴君猿』へと突き出した。これがどの程度有効なのかは、まだ未知数だ。なので初手は最大火力で押し切って、ゆっくりと下限値を見繕うつもりだった。
(行ける、か!?)
やはり相手は同格の魔物といえるだろう。一点集中した力だとはいえ、一瞬の拮抗が訪れる。が、それも一瞬だけだ。瞬が更に力を込めた瞬間、一気に何かが燃える音がして抵抗が失われ、硬い筋肉に穂先が突き立てられた。
「おぉおおお!」
行ける。そう判断した瞬は更に足に力を込め、一気に槍を押し込んだ。そうして、槍が『暴君猿』の筋肉の鎧を貫いて、深々と突き刺さった。
「良し」
深々と突き刺さった槍に瞬は内心で手応えを感じながら、槍から手を放してバックステップで数歩分だけ距離を取る。と言っても、これだけで倒せるほどランクBの魔物は甘くない。そしてもちろん、瞬もそれぐらいは分かっている。単にこの場に留まって掴まれるのが嫌なので、その場を離れただけだ。
「<<火よ>>」
地面に着地したと同時。瞬は深々と突き刺さった槍に向けて、空いた右手を向ける。そうして、彼の口決を受けて火の加護の力が槍に宿り、『暴君猿』を内側から焼き尽くした。
流石にどんな堅牢な肉体と体毛を持っていようと、内側からの攻撃には弱いのは生物である以上、仕方がない事だろう。『暴君猿』は消し炭も残らず消し飛んでいた。
「ふぅ……まぁ、比べるだけ無駄か」
これで一体。僅かに安堵の吐息を零した瞬は、周囲を見回して思わず苦笑する。彼が一体倒す間に、カイトとユリィはすでに二十体以上の『暴君猿』を仕留めていた。
隠密に力を割きながらも、これである。技術でも圧倒的と言わざるを得なかった。とはいえ、だ。やはり隠密に力を割いている為、すべてを倒せているわけではない。まだ数体は残っていた。故に、瞬は改めて気を取り直す。
「良し……カイト。こっちでもう一匹やる。やり方はわかった」
「わかった」
瞬の申し出に、カイトは一つ頷いた。そうして自身が食い止めていた『暴君猿』の一体を瞬の方へと向かわせる。
「良し……」
こちらにやって来る『暴君猿』を見ながら、瞬は今度は二槍を構える。一点集中の一撃なら、余裕で倒せるのだ。そしてあの手応えから、別にあそこまで強大な力を宿す必要はないと把握していた。なら、二槍流でもなんとかなると踏んだのである。
「槍だけで十分だな」
やはり先に地面にひび割れを作った豪腕から繰り出される力は怖いが、油断しなければ素のままでも速度は十分に追いきれるし、<<炎武>>を起動させた状態なら十分に防御も可能だ。
故に瞬はこれから連戦になる可能性を鑑みて、身体能力の強化に割いていた力を温存する事にした。回避出来るのなら、防御を選択する必要はないのだ。そうして彼が炎の槍を構えたと同時に、『暴君猿』が後一歩の距離にまで肉薄する。
「っ」
確かに十分に対応出来る速度とはいえ、やはりランクBの魔物の一撃だ。遅いわけではない。故に瞬は走る勢いを利用して腕を振り下ろそうとするその動きを、しっかりと見極める。
と言ってももちろん、受け止めるつもりはない。故に彼は僅かに身を屈めて斜め横にジャンプして、攻撃を回避。すれ違いざまにその脇腹に槍の柄を叩き込む。
「燃やせる……な。良し」
槍を叩きつけた勢いで更に距離を取った瞬は空中で身を翻し『暴君猿』を正面に捉えると、自らの攻撃の結果を確認する。
やはり全力ではない上に一瞬だったので完全に燃やせた事は無いが、それでもある程度は燃えていた様子だ。と言っても、痛痒をもたらしている様子はない。この程度は蚊に刺された程度、という所なのだろう。そんな光景を見て、瞬は僅かに笑みを零す。
「ふむ……試してみるか?」
現状、瞬にとって『暴君猿』は力技でなければ中々に厄介な相手と言える。これが現状でなければ一気に力技で押し切る事を選択したい所であるが、隠密行動である事を考えればそうも言っていられない。故に瞬は今まで機会に恵まれなかった手を試してみる事にする。
(……とりあえずは、胴体を狙うか。その為には、まずは無駄なあの毛をなんとかしないとな)
やる事は決まった。そしてそのやり方は簡単だ。単に槍を当てて『暴君猿』の胴体部分の毛を少し燃やして肌を露出させるだけだ。
後は、今まで自分の戦闘スタイルから日の目を見なかった手段を試してみるだけだ。そうして、瞬は『暴君猿』の攻撃を掻い潜りながら、胴体の毛を焼き払っていく。
「何するつもりかな?」
「ふむ……何か考えが無いわけじゃないと思うがな」
ユリィの問いかけに、カイトは少し楽しげに瞬の戦闘を見る。彼らの方はすでに残りすべての『暴君猿』を討伐しており、巡回の部隊がもしここらを通り掛かっても問題にならない様に遺骸もすべて消滅させていた。行き掛けの駄賃とばかりに回収出来る素材を回収までしていたぐらいである。
「腹を出す……か。まさか腹を冷やしてくれるなんて、思ってないよな」
「魔物がお腹壊すかな?」
「さぁ……日向も伊勢も腹下した事は無いな。オレの知る限りでは、だが」
「うーん……風邪は引くから、案外壊すかもね」
「あり得るかもな……とはいえ、だ」
「うん。今の一瞬でそんな事になるわけもなし」
カイトの言葉に、ユリィは改めて瞬の戦闘を観察する。どうやらこの会話の間に瞬は『暴君猿』の胴体の毛を焼き払えていたらしい。この程度で十分か、と槍に纏わせていた火を解いていた。
「ふむ……<<雷炎武>>に切り替えたか」
確かに体毛を焼き払った以上、槍に火を纏わせておく必要はない。更に言えば今の瞬の反応速度なら、十分に対応出来る。<<雷炎武>>を使う必要はないはずだ。それでも使うのなら、何らかの理由があっての事だろう。と、そうして何かを窺う様な瞬の姿勢を見て、カイトが一つ頷いた。
「……なるほど」
「わかったの?」
「ああ……多分、な」
ユリィの問いかけに頷いたカイトは、答え合わせとそのまま成り行きを見守る事にする。そうしてその時はすぐに訪れる事となる。
「……」
『暴君猿』の動作に集中しながら、瞬は脳裏に自身に刻んでいる火のルーンを思い浮かべる。そもそもルーンとはルーン文字の事で、文字で起動させる魔術だ。それ故に自身の身体に刻んだり貼り付けたり、という事が出来るわけだ。
となると、一つ気になる事がある。このルーンを敵に刻み込む事は出来ないのか、という事だ。答えは、可能だ。と言っても流石に遠距離から刻む事はよほどの力量差がなければ出来る事ではない。
魔術師としての訓練を積んでいない瞬であれば、何をか言わんやである。同格どころかよほど格下で無い限り、成功しないだろう。が、方法が無いわけではない。それを、瞬はここで試すつもりだった。
(穂先に刻み込むルーン文字をしっかりと組み込んで……)
瞬は随分と昔に師のクー・フーリンより教えられた事をしっかりと確認しながら、準備を進めていく。準備はゆっくりで良いが、敵にルーン文字を刻み込む場合は対処されない様に一瞬ですべてを成し遂げなければならないのだ。故に一つ一つ動作を確認して、確実に攻撃を叩き込める様にしていた。そうして、それらの確認が終わった所で瞬は一つ内心で頷いた。
(良し)
後は、隙を窺うだけだ。とはいえ、『暴君猿』の攻撃は大ぶりな物が多い。故にその隙はすぐに訪れた。
「ここだ!」
大きく横薙ぎに腕を振るった『暴君猿』の攻撃を最小限のバックステップで回避した瞬は、そのまま一気に地面を蹴って『暴君猿』の懐の内側へと肉薄する。そうして、露出していた皮膚へと穂先を突き立てる。とはいえ、今回は全力ではない。僅かに血が滲む程度だった。
『!?』
「……良し」
やはり槍が突き立てられたからだろう。一瞬だけ、『暴君猿』の身が強張った。が、僅かに血が滲んだ程度で痛痒がないのを見て、『暴君猿』は人を食った様ないやらしい笑みを浮かべる。どうやら挑発する程度の知性はあったらしい。それに、瞬も楽しげな笑みを浮かべる。
「あははは」
『うほっ! うほっ!』
「あはははは!」
『うほほほほっ!』
何が楽しいのか、それとも攻撃が通用していない事に余裕を見せているのか。瞬の笑い声――単に釣られただけらしい――に合わせて、『暴君猿』もまた笑い声を上げる。そうして僅かな笑い合いの後、一気に『暴君猿』が突撃しようと地面を蹴った。
「<<火よ>>」
『暴君猿』が突撃したと同時。瞬が指をスナップさせる。そして、それと同時に『暴君猿』の胴体に火のルーンが浮かび上がり、空中に跳び上がっていた『暴君猿』の身を業火が包み、『暴君猿』はそのまま消し炭となって着地と同時に崩れ去る事となるのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第1642話『受け継がれし意思』




