第1626話 ミニエーラ公国 ――生還――
湯治で訪れていた温泉街バイエ。その北の村にて起きた魔物による被害に対処するべく討伐隊の一員として加わっていたソラ。そんな彼は、バイエに来る道中で戦った『熊の帝王』という魔物が堕族へと変わり果てた魔物と戦う事となっていた。
その戦いであるが、これについては唐突に飛来したミニエーラ公国の紋章を付けた飛空艇の支援を受け、なんとか討伐に成功する事となる。そうして、戦いを終えてすぐ。ソラは完全に消し飛んだ『熊の帝王』がもう復活の見込みも無いと心の底から理解すると、思わず尻もちを着いた。
「はぁー……きっつ……」
幸い今回はブロンザイトの指示もあり温存で戦闘を進め、更には回復薬を二本もがぶ飲みした後なので体力にも魔力にも余力はあったものの、遥か格上を相手に防戦を強いられるというのは精神的にはやはり苦痛だった。それ故か彼の顔には辛勝と言い得るだけのしかめっ面が浮かんでいた。
「ソラ。無事じゃな?」
「あ、お師匠さん……ありがとうございました。あの結界が無かったら、多分死んでましたよ」
「うむ……想定以上の力じゃったのう」
立ち上がろうとしたソラをジェスチャーで留めたブロンザイトは、彼の言葉に頷いた。あれは彼をして想像以上の力と言うしかなく、もしあそこでミニエーラ公国の飛空艇による支援がなければかなりの苦戦が強いられただろう事が察せられた。
大なり小なり怪我はしているものの全員が生還出来たのは、その支援のおかげと断じて良いだろう。というわけで、ソラは上を見上げて問いかけた。
「……あの飛空艇はお師匠さんが?」
「……いや、おそらくはバイエからの連絡が飛び、国軍が動いたのじゃろう。儂も想定はしておらんかったが……幸運じゃったな」
ソラと同じ様に上を見上げたブロンザイトは一つ首を振って、大凡の推測を口にする。やはりバイエはそこそこ有名な温泉地で、世界中から人が来る。時には貴族がお忍びで来る事もあるらしい。それ故か国も動きが早かった、というわけなのだろう。と、その飛空艇の一隻が高度を下げて降りてきた。
「ふむ……」
降りてきた飛空艇を見ながら、ブロンザイトは一つ唸る。と、そんな彼らの見ている前で飛空艇は着陸して、タラップが降りてきた。
「失礼します。バイエより連絡を受け急行したミニエーラ公国軍の者ですが……」
「おぉ、失礼しました。儂はバイエの長より支援を頼まれまして、北の村へ来ていた討伐隊を率いておりました」
降りてきた兵士の言葉にブロンザイトが頭を下げる。これに、兵士もまた頭を下げ更に礼を言う。
「やはり、そうでしたか。我が国の治安維持にご助力頂き、感謝致します。一応、上空より見ておりましたが……完全に討伐されておりますね」
「ええ……先にあちらの男がトドメを」
「そうでしたか……ああ、皆さん、怪我を負われているご様子。怪我の治療も必要でしょう。どうぞ、お乗り下さい。バイエまでご案内しましょう」
ブロンザイトの言葉に一つ頷いた兵士であったが、僅かに慌て気味に彼へとそう申し出る。と、それを聞いて、その場に座り込んでいたランクAの盾持ちの冒険者が手を挙げた。
「あぁ、悪いんだが、俺と……そいつとそいつはここで良い」
「? 何かご用事でも?」
盾持ちの冒険者の言葉に、兵士が小首を傾げる。そいつとそいつ、と言ったのは両方女性の冒険者で、片方は道案内として同行していた狩人。もう片方は魔術師だ。討伐隊の内、女性はこの二人だけだ。そうして、彼はその内魔術師の方を指差した。
「俺とそいつは元々同じパーティなんだが、実はそっちの弓兵さんに頼まれて別件で北の村に用事があってな。このまま村に戻りたいんだ。流石にこの距離だと、飛空艇に乗せてもらう方が手間だからな。怪我の手当ては自分達でやるよ」
「そうでしたか……わかりました。そういう事でしたら、そちらの方が良いでしょう。ただ、少々お待ちを」
「あいよ」
まぁ、国軍が出ている様に今回の一件では参加した冒険者達に何かしらの報奨が与えられる可能性は非常に高い。となると手続きの為にも色々と名前等を押さえておく必要があった。それを盾持ちの冒険者は分かっていた為、特に拒絶する事はなかった。
というわけで、兵士が通信機を使って上官との間で会話を行い、一つ頷いた。そうして更に少し待つと、また別の兵士が降りてきた。その兵士は小型の端末を手に持っていた。
「おまたせ致しました。登録証のご提示をお願い出来ますか?」
「ああ……ほらよ」
盾持ちの冒険者は兵士の求めを受けて、自身の登録証を提示する。そしてそれに合わせて彼が述べた二人も登録証を提示した。
「ありがとうございます……はい。保存させて頂きました」
「ああ……まぁ、礼金が出るのならユニオンの口座に頼む。それ以外はユニオンを通してくれ」
「かしこまりました」
盾持ちの冒険者の登録証を受け取り、持ってこられた端末に通しながら兵士が一つ頷いた。これで登録証に登録されている情報を記録しておいて、後で連絡を取る為に使うそうだ。
「はい……これでお三方については問題なく。また後ほど軍より連絡が入ると思いますが……」
「あぁ、この系統の依頼は俺もこいつも何度か受けてる。そこらの手続きはわかってるから、問題ねぇよ」
「かしこまりました」
自らの説明を途中で打ち切った盾持ちの冒険者に、兵士が僅かに苦笑しながらも頷いた。まぁ、彼の腕だ。こういう依頼を受けていた事が一度ならずあっても不思議はない。
「あ、そうだ。そう言えば……お三方はこれから北の村に向かわれるという事でしたね?」
「ああ……そうだが?」
「でしたら、討伐が終了した事を伝えて頂けますか? また後ほど軍からも伝令の使者が参りますが……一刻も早く報せてあげるべきかと」
「ああ、そういう事か。もちろんだ」
兵士の問いかけに僅かに警戒しつつも訝しみを浮かべた盾持ちの冒険者であったが、その兵士の言葉を聞いて快諾を示す。それに、兵士が頭を下げた。
「ありがとうございます。他にお乗りにならない、という方は?」
「どうします?」
「ふむ……」
ソラの問いかけにブロンザイトが僅かに考える。バイエまでは半日という所で、ここから一度北の村に戻って傷の手当てや休憩をするとなると、まず今日一日は潰れるだろう。というわけで、ブロンザイトの出した結論は当然の物だった。
「乗せて貰った方が良かろう。儂もトリンも魔力を消耗しておるし、お主も消耗はしておろう。バイエに向かうのであれば、特に問題は無いじゃろうて」
「そうですね……」
ブロンザイトの指摘にソラも一つ頷いた。そもそもブロンザイトもトリンも純粋な冒険者ではない。旅人ではあるので健脚ではあるが、それでもこの地域のこの時期であれば、なるべく移動は控えた方が良いだろう。というわけで、三人はミニエーラ公国の飛空艇に搭乗させて貰う事にする。
「では、この部屋をお使い下さい」
飛空艇に乗り込んだ後。兵士の一人に案内され、討伐隊の面々の内、大怪我をしていない者については大部屋へと通された。先に先の腕が折れたもう一人の盾持ちの冒険者の様な重症の者の治療の後、ソラ達の様に軽い怪我のけが人の治療をするという事だった。
「ふぅ……流石にもう大丈夫っすかね」
「うむ。まぁ、良いじゃろう」
ソラの言葉を聞いたブロンザイトは一つ頷き、それを受けてソラが防具を脱いで円筒に格納する。軍の飛空艇に収容されているのに、わざわざ暑っ苦しい防具を装着しておく必要はないだろう。
「ふぅ……あー、やっぱ色々と怪我してんな……鎧も結構傷んでたし……戻ったらオーアさんにしっかり修繕してもらわないとな……」
回復薬を飲んだので魔力と体力についてはそれなりに回復しているが、それ故に怪我についてはさほど治癒していない。そんな己の肉体を見て、ソラが僅かに顔を顰める。とはいえ、この程度なら最悪は回復薬をぶっかければなんとかなる話だ。そこまで危惧はしていなかった。
「はぁ……流石に今日は疲れた……」
「まだ朝だよ。それ以前に朝ごはんも食べてないし……」
「そういや……そうだっけ」
少し苦笑気味にトリンに言われて、ソラは寝起きすぐだという事を思い出す。そもそも鐘の音で叩き起こされ、すぐに装備を整えて戦闘だ。今が何時かも把握していなかった。
「そういや、今何時なんだろ……げっ。もう7時か。いや、まだ7時か?」
「後で誰か来たら、朝食を用意してもらうえば良いじゃろう」
「そうですね……あー……気にしたら腹減ってきた……」
なんだかんだ、ソラとて食べ盛りだ。朝食抜きでここまでの運動は堪えたようだ。更に言うと、この場の全員が同じ様に殆ど朝食を食べられていない。
というわけで暫く待っていると、兵士の一人が部屋へとやって来た。その兵士に、人数分の食事を用意してもらえるか聞いてみる。
「あー……かしこまりました。こちらで手配させて頂きましょう」
「ありがとうございます」
時間帯が時間帯だ。兵士も仕方がないとわかったようだ。と、そんな彼はふと、ソラが平服に変わっていた事に気が付いた。
「あれ……? 貴方、装備は……」
「ああ、装備は仕舞いました。飛空艇の中でまで着ておく必要はありませんし……」
「ああ、そうですね。失礼しました……では、少々お待ち下さい」
ソラの返答に一つ笑った兵士は再度頭を下げて、部屋を後にする。そうしてそんな彼を見送って、ソラが口を開いた。
「随分と丁寧な部隊ですね」
「うむ……その様子じゃのう」
「どうしたんですか?」
何かを考えている様子のブロンザイトに、ソラが首を傾げて問いかける。それに、彼は首を振った。
「いや、なんでもない。気にした所で無意味かもしれんからのう」
「はぁ……」
何がなんだかはわからないものの、ブロンザイトにはまた何かが分かっているらしい。眉間のシワを解く。こういう時、彼が何かを語ってくれない事はソラもこの一ヶ月と少しの付き合いで理解していた。というわけで、何かを再度考え始めたブロンザイトから離れ、彼はトリンの横に腰掛ける。
「お師匠さん。何考えてるんだ?」
「さぁ……でも、何が原因かは分かるよ」
「そうなのか?」
「うん」
ソラの問いかけに、トリンは一つ頷いた。そうして、彼は周囲を僅かに警戒しながら小声でソラへと解説を開始した。
「ソラもさっき言ったでしょ? 丁寧な部隊だって」
「それがどうしたんだよ」
「ここまで教育の行き届いた部隊、って結構珍しいんだ。それが言われて急行した、っていう所が可怪しくてね」
「何か別命を受けてる可能性がある、ってわけか?」
「そう、考えてるんじゃないかな」
ソラの問いかけにトリンはブロンザイトを見つつ、一つ頷いた。確かに、それなら筋が通る。この飛空艇が軍のどこの所属かはわからないが、丁寧な対応を見るにきちんと調練された部隊に思われた。敵の詳細が分かっていない段階から送り出される部隊としては、確かに可怪しかった。
「その別命っては、なんかわからないのか?」
「流石に無理かな。幾ら何でも情報が少なすぎるから……」
「そか……」
ソラとトリンは暫く、別命として何が考えられるか、というのを話し合う。と、そんな事をしているとそこそこの時間が経過したのか、朝食が運ばれてきた。
「では、足りなかったら仰って下さい。ご用意させて頂きます」
「ありがとうございます」
朝食を運んできてくれた兵士の一人の言葉に、ソラが――偶然近くに居た為――頭を下げる。朝食はパンとスープ、サラダに少し厚切りのベーコンと卵という所だった。そうして、討伐隊の面々が並んで朝食を開始した。
「うめー……空きっ腹に効く……あぐっ……」
「相変わらず良く食べるね、君」
「今日は特に腹減ったんだよ」
どこか茶化す様なトリンの言葉に、ソラは少し恥ずかしげながらも食パンに大口にかぶり付く。そうして、そんな話をしながら朝食を食べていた所に、再度兵士が入ってきた。
「失礼します。ああ、お食事はそのままで。食後、順次調書を取らせて頂きたいのですが……よろしいですか?」
「おぉ、そうですな。わかりました……皆も、それで良いか?」
兵士の申し出を受けたブロンザイトが、一つ全員へと問いかける。これを断る理由はどこにも無い。というわけで、全員が頷いたのを受けて兵士も一つ頷いた。
「ありがとうございます。では、お食事を食べた方から順に外の兵士へ申し出て下さい。ご案内致します」
まぁ、現状誰がこの討伐隊のまとめ役なのか、というのは軍も把握していない。なので準備が出来た者から順に、となったようだ。そうして調書の合意を得られたということで、その支度に入ると兵士はまた部屋を後にした。
「ふむ……」
「どうしたんですか?」
「いや、あの男……武器を持っておった」
「そういえば……」
ブロンザイトの指摘に、ソラはそう言えば、と思い出す。先の兵士にせよこの道中にせよ出会った兵士達は全員腰に剣を帯びていた。
基本的に軍の武器は個人の所有で無い限りは、武器庫で一括で管理される事になる。それはどこの軍でも変わらない。なのに、この飛空艇の兵士達は揃って武装していたのだ。些か、可怪しいと言うしかなかった。と、そんな彼に、ソラが推測を口にする。
「でも、当然じゃないですかね」
「ふむ」
「俺達は冒険者。で、武装してるんですし、人格面わかんないでしょ? なら、自衛の為の武器は持ってて可怪しくないんじゃないかな、と」
先を促したブロンザイトに対して、ソラが己の推測を口にする。そしてそれを聞いて、ブロンザイトも一つ頷いた。
「ふむ……確かに、その可能性はあろう」
「おい、小僧共。とりあえず今はそんな話は良いからよ。飯食っちまえよ。食わねぇなら、俺が貰うぜ」
「っと! いや、食べるっすよ!?」
どうやら小難しい話がうざったくなったらしい。僅かに胡乱げな大剣士の言葉に、ソラが慌てて食事に戻る事にする。そうして、彼は再び食事を再開し、その後調書を取る事になるのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第1627話『ミニエーラ公国』




