第1623話 ミニエーラ公国 ――戦いの始まり――
バイエから北にある村が魔物に襲われたという急報を受け、討伐隊の一員として北の村へ向かう事になっていたソラ。彼はブロンザイト、トリンの二人と共に北の村の村長であるシューマンという男の家にて、北の村の自警団を率いていた者の息子から、話を聞いていた。
そうして話を聞いたブロンザイトが出した結論は、おそらくバイエまでの道中で交戦した『熊の帝王』が堕族となった魔物だろう、という事であった。というわけで、シューマンの家からの帰路。ブロンザイトはソラへと詳しい話を行っていた。
「『熊の帝王』が堕族に、ですか?」
「うむ……実はのう。あの交戦の後から、この可能性は危惧しておった。無論、あの時はあり得まいとは思うておったが……」
ソラの問いにブロンザイトが苦い顔でため息を吐く。そうして、彼がソラへととある事を思い出させる。
「ほれ、ソラ。お主あやつと戦った際、鎧を無視して怪我をさせられておったな?」
「そういえば……そうでしたね」
些末なことだったし殆ど気にする必要も無い様な怪我だったのでソラは忘れていたが、戦いの後に見てみればソラの腕には鎧を無視した傷があった。これが、ブロンザイトには違和感だった。
「実は『熊の帝王』の更に上に、『熊の皇帝』という魔物がおってのう。この魔物は聞くには空間をも切り裂く爪を持つという」
「ということは……鎧を無視して切り裂く事も?」
「うむ。不可能ではないじゃろう。おそらく、あの個体は進化の途上にあったのじゃと思われる」
ソラの問いかけにブロンザイトは一つ頷いた。魔物の進化がどの様に起きるのか、というのはまだ完全に解明されていない内容の一つだ。時に周囲の魔素を急速に吸収して一瞬にして変化する事もあれば、今回の様に何らかの予兆がある事もあった。
「でもそれだけじゃまだ堕族になった、という事には遠い様な……」
「うむ。遠い……が、少なくとも生き残れる可能性は高まろう。無論、それでも低確率には変わらぬが……が、逆じゃ」
「逆?」
「うむ。生き残ったが故に堕族となったのではなく、堕族となったが故に生き残った。そう捉えれば、筋が通らぬか?」
「あ……」
ソラは堕族について詳しくはないが、話には聞いた事はある。堕族となった時、その戦闘能力は飛躍的に上昇するという。しかも、身体の怪我も無視出来るのだ。十分、生き残れる可能性はあった。
「わかった様じゃな。もし崖に落ちた時点で堕族になったのであれば……十分にここまでこれても不思議はあるまい。とはいえ、まだ完全に堕ちてはおるまい」
「そうなんですか?」
「うむ……ソラ。お主、堕族を見た事は?」
「無い……ですね」
ソラは問いかけに少し記憶を手繰り、無かった事をはっきりと明言する。そしてこれは珍しい事ではない。堕族の討伐依頼という物は存在しているので、冒険者でも見たことがないという事はない。都市の規模を考えれば、マクスウェル支部にも他領地の支部より多くは持ち込まれている。
が、堕族の討伐依頼が出る様な場合は得てしてランクB以上の個体が堕族化した事が多く、その様な場合にユニオンから受注にあたり出される条件はランクA以上の冒険者となる。冒険部で現在公的にランクA以上なのはカイト単独だ。故にカイトの指示でユニオンから冒険部へは持ち込まない様にされており、ソラが見た事がある可能性は低かった。
「じゃろうのう。お主は知るまいが、堕族に堕ちた魔物は基本的には不眠不休で活動する。死ぬまで止まらぬ、という奴じゃのう」
「はぁ……それがどうして、完全に堕ちていないという推測に?」
「止まっておるからよ」
ソラの問いかけに、ブロンザイトはその理由をはっきりと明言する。それに、ソラが首を傾げた。
「止まっている?」
「うむ……わからぬか? あれに理性は無い。そして止まらぬ。敵は間違いなく人間と捉えて良かろう。であれば、パオロの父を殺した後。魔物はどうすると考えられる」
「えっと……」
ブロンザイトの問いかけを受けて、ソラは改めて敵の動きを考える。すると、一つの事に気がつけた。
「あ……そっか。普通なら、追いかけますね」
「そうじゃ。が、パオロに聞く限り、こちらに来た形跡は無いという。そして儂らが通った際に遭遇しておらぬ事から、近くにもおらんと考えて良かろう。となると、必然として奴はパオロらは追わず、またどこかに向かったと考えるのが良かろう」
「どこか?」
「それはまだ推測の域を出ん」
す、推測は出来てるんですね。ソラはブロンザイトの慧眼に思わず舌を巻く。そんな彼の内心を知ってか知らずか、ブロンザイトはそのまま続けた。
「さて……そうは言うても。半分とはいえ堕族は堕族。油断はなるまい」
「何か手はあるんですか?」
「ふむ……ソラ。一つ言うとすると、お主はあまり前線で戦うべきではない」
「俺がですか?」
「うむ」
ソラはこれでもランクBの冒険者だ。そして同時に、装備はおそらく討伐隊の中で一番整っていると考えて良いだろう。それはブロンザイトも分かっているはずだ。その彼が、ソラに後方に下がる様に命ずるのだ。何かがあると考えて良いだろう。
「おそらく、あれはお主の事を覚えておるじゃろう」
「え?」
「狙われるじゃろうのう」
「ど、どうしてですか?」
「お主が、仲間を殺したからに決まっておろう」
慌てる様子を見せるソラの疑問に対して、ブロンザイトはある種冷酷にそう告げる。あの魔物は群れを率いていたのだ。であれば、堕族に堕ちた理由なぞ考えるまでも無かった。そんな当たり前にも等しい内容を指摘され、ソラも思わず目を見開いた。
「あ……」
「別に魔物を殺して罪悪感なぞ抱く必要はあるまいが……そも、仲間意識があるかもわからんしのう。自らが傷付けられた事に怒っておる可能性も高い。とはいえどうにせよ、この討伐隊であの戦いに参加しておるのは、お主一人よ。儂はまぁ、顔は出しておらんし、トリンも声は上げたが顔は見られてはおるまい。であれば、間違いなくお主を狙いに来よう」
「……」
自分狙いで攻撃を仕掛けてくる可能性が高いというのだ。ソラとしてもこの助言についてはしっかり胸に刻み込む。
「うむ……後は、実際に戦ってみて考えるしかあるまい。幸い、此度はランクAの冒険者も数名おる。身を護るに徹すれば、危険は少なかろう」
「はい」
続いたブロンザイトの助言に、ソラはしっかりと頷いた。そうして、明日になるだろう戦いに備えて、二人は討伐隊に合流して予想される敵の内容やその他の敵についての事を話し合う事にするのだった。
バイエから増援としてやって来た討伐隊が北の村へやって来て、翌日。一晩ゆっくりと英気を養うべく提供された一角で眠りに就いたソラであったが、その目覚めは決して穏やかな物には、ならなかった。彼の目覚めはけたたましい鐘の音だった。
「っ!」
鐘の音でばさっ、と跳ね起きたソラはベッドを飛び降りると、ベッドの脇に置いておいた片手剣を手に取った。
「何だ!?」
「……どうやら、予想に反してこちらに来たか。いや、もしやすると……」
鐘の音で起きたのは、何も彼だけではなかった。同じ部屋で寝ていたブロンザイトもトリンもどちらも、鐘の音で目を覚ましていた。
「お師匠さん?」
「……ソラ。武装を整えよ。武器は神剣で無くて良い。が、防具については完全に整え、神剣についてもいつでも出せる様に偽装を施せ。抜かねばならぬ可能性は無いではない」
「……はい」
ブロンザイトの真剣な顔で、ソラもまた今回の討伐対象が村に攻め込んできた事を理解する。それに、ブロンザイトは一つ頷いて次いでトリンを見た。
「うむ。トリン、流石にこの状況じゃ。儂らも出るぞ」
「うん……用意は整えてるよ」
「うむ」
トリンの頷きを受け、ブロンザイトは杖を手に立ち上がる。今回ばかりは流石に彼も前線に出る事にするらしい。そうして、三人が装備を整えて討伐隊の待機するエリアの中心にたどり着いた時には、すでに討伐隊の他の者の大半が集まっていた。無論、全員が真剣な顔で何が起きているかを察している様子だった。
「ブロンザイトさん」
「うむ……どうやら、昨日儂が危惧した通りとなった様子じゃのう」
「ええ……匂い、ですかね?」
ブロンザイトと討伐隊の隊長は揃って、北西の方を見る。そちらにはソラ達がバイエに来るまでに通った山道があった。昨日の会議にて、ブロンザイトはおそらく魔物はこの山道に向かっただろう事が告げられていたのである。
「おそらく、のう。ソラの匂いも覚えておるじゃろうが……おそらく追ったのは、パオロらの匂いじゃろう。もしくは、こちらの方が近いと判断したか」
「どちらでも構いません……この現状ではね」
ブロンザイトの推測に、隊長は僅かに苦笑する。その彼が視線を上げれば、そこには半透明の何かが実体化していた。村に展開されている防御の結界に継続的な負荷が掛かり、実体化されているのである。
間違いなく、堕族と化した『熊の帝王』が攻撃を仕掛けているのだろう。止め処なく、何かがぶつかる様な轟音が響いていた。そんな彼は、改めて真剣な顔でブロンザイトを見た。
「どうします? 何時までもは保ちませんよ」
「お主らは一度、北側の門より外に出て敵を抑えよ。儂は南側より出て、策を打つ。まずは村より離さねばなるまい」
「わかりました。何人要りますか?」
「ソラとトリンの二人だけで良い。お主らもそこまでの余力はあるまいしのう」
「わかりました……おい、全員! 聞いていたな! 俺達は先に北門から外に出て、奴を結界から引き剥がす!」
「「「おう!」」」
討伐隊の隊長の言葉を受け、ソラ達を除いた討伐隊の面々が急ぎ足に北門へと向かう。その一方、残ったソラはブロンザイトの指示を待っていた。
「ソラ。お主は儂らと共に村の南門より出て、村を大きく迂回。南西より討伐隊に合流せよ。まずは村より離さねばなるまい。お主を覚えておれば、あれは間違いなくお主に向かってくるはずじゃ」
「はい……お師匠さんは?」
「儂は東へ向かい、支援の準備を整える。トリンに合図を上げさせる。それを目印にして、そちらを目指して走れ」
「大丈夫ですか?」
現状、こちらの護衛はソラのみとなっている。それと別れて行動する、という事はもし魔物に襲われた場合に厄介だ。無論、元々二人で旅をしていた以上言うほど危険ではないのだろうが、それでも安全とは言い難い。
「うむ……お主も感じよう。この底冷えする様な寒気を」
「……」
ソラはブロンザイトの言葉に、無言で同意する。言われなくても最初から感じていた。討伐隊が向かった北側から、底冷えする様な寒気が漂っていた。
「この寒気じゃ。並の魔物は近寄るまい。不安が無いわけではないが……儂らとて魔術は使える。なんとかはなるじゃろう」
「わかりました」
「うむ……誰か、おるか!」
ソラの返事を受けたブロンザイトは一つ頷くと、改めて声を上げて村人に問いかける。それを受け、一人の若者が進み出た。
「なんですか?」
「うむ……今、村の外壁で自警団の指揮をしておるのは?」
「パオロさんが」
「そうか……であれば、あれには敵を遠巻きに射掛け近寄らせぬ様に命ぜよ。儂が見るに、数日前より更に強くなっておろう。決して、村に近寄らせぬ事を肝に銘じよと伝えとくれ」
「はい」
ブロンザイトの指示を受けて、村の若者は急ぎ足で駆けていく。それを見届け、三人も行動に入る事にする。そうして南門へと向かいながら、その道中でブロンザイトはソラへと更に助言を与えていく。
「ソラ。お主は出てすぐに向かうではなく、儂らと別れて三分ほど待ってからにせよ」
「待ってからですか?」
「うむ。こちらも支度がある。更にはお主とてさほど長くは逃げられまい。であれば、こちらの準備を先にせねばならん。そこらを鑑みた場合、急ぎすぎてもいかん」
「わかりました」
「うむ……では、トリン。行くぞ」
「はい」
ブロンザイトの言葉を受け、トリンが一つ頷いた。いつの間にか南門にたどり着いていたらしい。そうして、ソラはそこで二人と別れて暫く待つ事になる。
「……」
堕族と戦うのは、ソラとしても始めての経験だ。特に今回は相手の素体からして格上と言える。油断は出来ない。故にソラは自らの精神を落ち着けながら、その時を待つ。そうして、その時が訪れた。
「よし……俺が出たらすぐに門をしっかり閉じて下さい」
「ああ……気を付けてな。それと、村を頼む」
「はい」
ソラは門番の言葉に一つ頷くと、気合を入れて一歩を踏み出す。そうして、彼はブロンザイトの指示に従って、村を大きく迂回しながら敵の下へと向かう事にするのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第1624話『ミニエーラ公国』




