第1620話 ミニエーラ公国 ――急報――
ラグナ連邦での疲れを癒やすべく、温泉街バイエへとやって来ていたソラ。彼は休暇二日目となり午前中は一人で、午後からはトリンと共にバイエの街を散策していた。
そんな一日が明けて、三日目。彼はトリンに案内されてバイエ近郊の湖で釣りでもするか、となって訪れた湖で出会ったのは、かつてのラエリア内紛で世話になった冒険者だった。
そんな彼こそがブロンザイトの弟であるカルサイトその人である事を知ったソラであったが、そんな彼との会話の最中にブロンザイトより連絡が入り、バイエの長の家に向かう事になる。そうして到着したバイエの長の家には、ブロンザイト以外にも何人かの男達が集まっていた。
「お師匠さん」
「お爺ちゃん」
「おぉ、二人共……む? カルサ。お主が何故こやつらと一緒に。南へ発ったのではなかったか」
やって来たソラとトリンに一つ頷いたブロンザイトであったが、一緒に居たカルサに首を傾げる。流石にここらの偶然の出会いはいくら賢者である彼でも見通せないらしかった。
「出ようとは思ったんだがなぁ……ちょいと朝、雲行き怪しかっただろ? それで半日、出発見合わせたんだよ。で、空いた時間で今日の昼飯でも釣るか、と釣りしてたら偶然この小僧共と出会ってな。まぁ、そんな話はどうでも良いだろう。急ぎだろ?」
「ふむ……確かにそうじゃのう。とはいえ、丁度よい。お主の助言も聞きたい。同席せよ」
「そのつもりだ」
ブロンザイトの指示にカルサは一つ頷くと、手頃な椅子にどかりと腰掛ける。その一方、ソラとトリンの二人はブロンザイトの後ろの椅子に腰掛けた。
「村長殿。こちらの人員は整いました。話を」
「わかりました」
ブロンザイトの求めを受け、バイエの長が一つ頷いた。彼は大凡見た目として60代頃の年齢だった。
「リーリャン。ライサ殿をお連れしなさい」
「わかりました」
バイエの長は息子に向けてそう命ずると、息子も一つ頷いて席を立つ。そうして少しして、リーリャンとやらに支えられたライサが連れてこられた。
「ライサさん!? 大丈夫なんですか!?」
「よ、ソラ。たはは、ちょっと怪我しちまったよ」
ソラの声に応じた少し恥ずかしげにライサであるが、その頭には包帯が巻かれていた。更には支えられている事を鑑みれば、決して大丈夫とは言い難い。とはいえ、何時もの様子は健在なので、少なくとも命に関わる怪我をしているわけではない様子だった。
「ちょっと、って……結構、デカイ怪我に見えるんですけど……」
「あはは。ちょっと魔物に追われて崖から落ちただけさ。受け身は取れたから、骨折はしてない。これは単に着地の間際に枝で頭を切っただけ。他も細かい部分はそんなとこだよ」
そんなちょっとには見えないんだが。ソラは苦笑気味に笑うライサに対して、僅かに不安そうに顔をしかめる。とはいえ、彼女とて回復薬を商品として扱っている。あれにはかなりの高級品もあり、流石に命あっての物種である以上は使わない道理はないだろう。
それを使っていない、という事は少なくとも命に別状があるわけではない、という事だ。ソラもそれを理解していた為、不安そうにはしたものの少しの安堵は得ていた。と、その一方のライサはバイエの長の息子に支えられながら、椅子に腰掛けた。
「ああ、ありがと」
「いや、良い。ウチの里も世話になってるからな。親父」
「うむ……まぁ、大半の者は見知っておると思うが、冒険者の方々もいらっしゃる。改めて彼女を紹介しておこう。彼女はライサ。このバイエを含め、ここらの里を回って行商をしてくれている行商人だ」
「ライサ・モンティロ。ここらを中心として、行商人をやってらせて貰っています。足を怪我してるので、座ったままの挨拶で失礼します」
バイエの長の紹介を受けて、ライサが頭を下げる。それを受けて、バイエの長が改めて話を促した。
「では、ライサ殿。話を頼めますか?」
「ええ……今回、私はミニエーラに居る兄の依頼で、バイエより少し北にある村に荷物を運んでいました」
バイエの長の要請を受け、ライサはゆっくりと語り始める。彼女いわく、どうやら今回彼女がバイエで降りたのは兄の依頼だったらしい。が、これは正確にはこの兄の妻の親戚からの依頼らしい。
どうやらその妻の親戚とやらがこの村に嫁いでおり、その親戚が何か病に倒れたそうだ。それで兄が国外から薬を仕入れた――兄も商人らしい――そうだが、それを地理に明るい彼女がロツで受け取って、北の村へ運ぶ事になっていたのであった。そしてこの輸送に関しては、問題なく終わったらしい。が、その後に、問題が起きたとの事であった。
「魔物……」
「はい。村で一泊していたのですが……狩人の一人が魔物に襲われ、急遽山狩りを」
「ふむ……何人じゃ」
ライサの返答にブロンザイトが真剣な目で問いかける。どうやら、北の村の近辺で魔物が現れたらしい。それで、彼女が救援を求めに来たとの事であった。
「襲われた狩人を含め、村の男衆十人です。それで山狩りを行ったのですが……村の男衆が三人、やられました。全員が自警団で、きちんとした訓練を受けてもいる者です」
「一般的な兵士ほどの腕は?」
「山の中でなら一般的なこの国の兵士より、腕は立つかと」
「むぅ……」
当たり前と言えば当たり前の話であるが、兵士達は様々な状況を想定して訓練をするが、やはり環境に影響されて戦闘力が増減する事は多々ある。
が、逆にこの自警団の者達は山中こそが主戦場。それ故、平地の多いミニエーラ公国だと平地での訓練を主とする兵士達に比べれば、山中での強さは格段と言えるだろう。その彼らが、束になって敵わなかった。生半可な相手とは言い難い。
「ライサ……じゃったな。その魔物の詳細は」
「見た者が言うには、黒い大きな四つん這いの魔物、と……詳しい姿はあまりの出来事ではっきりとは見れなかった、と生き残った者が……」
「ふむ……トリン。ここらの魔物について書いた図鑑があったのう。あれを急ぎ、持ってきてはくれんか」
「あ、それなら俺が持ってます」
「む?」
トリンに指示を出したブロンザイトであったが、そこにソラが横から口を挟んで荷物の入ったカバンを漁る。そうして、一冊の分厚い本を取り出した。
「釣りの最中に暇なのわかってたんで、トリンに頼んで借りてたんです」
「おぉ、そうか。それは丁度よい……さて」
ソラの言葉に一つ頷いたブロンザイトは彼から図鑑を受け取ると、ランク別に分けられている中から、壁と呼ばれるランクB以上の魔物が描かれたページをめくる。
「ふむ……北の村となると、この辺りじゃが……カルサ。お主、どれがあり得るか分かるか?」
「そうだなぁ……」
ブロンザイトの問いかけを受けたカルサは、彼の開いた図鑑を見ながら少しだけ考える。
「確か一昨日、群れの長を倒したんだったな? それは主ぽかったか?」
「あれが主かはわからんが……群れを一つ率いていた事は事実じゃな」
「ってことは、流石に二日三日で縄張りが更新される事はねぇから、これは抜いて……で、単独行動してたってことは群れで行動する魔物も除外……」
やはりカルサは熟練の冒険者というところだろう。図鑑に記されていない情報を持っている様子で、自分の知識と照らし合わせて考えている様子だった。
「ここらであり得るとなると、四つん這いで単独だと順当なところで『暴れイノシシ』。漆黒のでかいイノシシだ。次にこいつは本来群れだが……歩行中に四足歩行にも見える『暴君猿』。こいつは証言の黒いってのにも合致する。が、体長は三メートルぐらいと些か小さいな。まぁ、威圧感ででかく見ちまった、って可能性もある。後は少し生息域からは外れてるが、『獰猛な虎』。こいつにも漆黒の体躯を持つ亜種が居る。この辺りが順当な所と言って良いだろうな」
「ふむ……」
「で、兄貴が危惧してるんだろう『熊の帝王』だが……こいつも群れから離れる事はまずない。群れと遭遇してた時点で、生きて帰れもしないだろうな。そもそも、漆黒の魔物でもねぇ」
「あれの亜種に黒いのはおらんかったか」
「いや、亜種には一匹も黒いのはいねぇな。銀色は居るが……銀色だったら、国軍呼ぶべきだったろうぜ」
どうやらカルサ曰く、ソラ達が戦った魔物の群れの長――『熊の帝王』というらしい――はあれでも弱い個体だったらしい。
あれでもソラと同等かそれ以上の個体だったが、この亜種となる銀色の個体はそれに輪をかけて危険だそうだ。後にカルサ曰く、これと会ったのならまず逃げろ、と言われるほどの危険な魔物だそうだ。とはいえ、カルサもこれで断定したわけではないらしい。一応、とライサに問いかけた。
「まぁ、あり得るとなりゃ茶色を黒と見間違えた、だが……お嬢ちゃん。山狩りは何時頃行ったんだった?」
「今朝です。昨日の昼に狩人が襲われて、夕方から村長と村の男衆が会議。で、餌を食べただろう時間帯を見計らって、と」
「なら、流石に色を見間違えたはねぇだろう。だろう?」
「はい。流石に狩人が昼日中の色を見間違える事は無いかと」
カルサの問いにライサもまたはっきりと頷いた。確かに交戦は山の中らしいが、それでも時間帯も相まって色の判別が出来ない様な状況ではないらしい。というより、そういう不測の事態を引き起こしかねない事にならない様に昼日中を狙ったのだ。見間違えた、とは考えにくいのだろう。
「まぁ、それならやっぱ順当な所だろう。これ以外にも可能性を言っちまったら、どこまでもあり得るが……流石にそこまでは考えちゃいられねぇな」
「か……カルサ。お主、確かこれから南へ向かうのじゃったな」
「ああ。バイエの南にある村に呼ばれててな。十何年か前に会った冒険者が隠居して、そこで鍛冶師やってんだ。で、ちょっと依頼が来ててな。怪我の治療で使う薬の原料が欲しいってんで、坑道に行かねぇとならねぇ。半日もあれば終わる依頼だが……世話になった奴でな」
どうやら依頼内容を隠す必要は無い類の依頼だったらしい。カルサは事もなげに明かしてくれていた。それに、ブロンザイトは一つ頷いた。
「そうであったな……であれば、カルサ。お主はすぐにそちらに向かえ。お主なら不足はあり得まいが……万が一には即座に戻れ」
「あいよ。まぁ、倒せるなら倒すが、最悪はあれ使って逃げる。兄貴よりは、上手だからな」
「まぁ、その点はお主に任せよう……その後、そちらでの依頼が終われば急ぎこちらに戻れ。それまでに事が済む様にはしたいが……せぬ場合は、その時にまた追って指示を出そう」
「わーった」
ブロンザイトの言葉にカルサは一つ頷いた。彼はソラより数段上の力量だ。駆け足で南の村へ急報を伝えに行く事は出来るだろう。と、そんな彼にバイエの長が待ったを掛けた。
「カルサ殿。そういう事でしたら、私が出します書類をお持ち下さい」
「すまねぇ。頼めるか?」
「はい。少々、お待ちを」
カルサの要請に一つ頷いたバイエの長は、ブロンザイトと一つ頷きあって早速手配に入る。あまり遅れても今度は危険が増すばかりだ。急がねばならなかった。
「では、こちらを」
「おう。確かに、預かった。それですまねぇが、宿についてはそちらで頼めねぇか? 必要なモンは持ってくが、それ以外の荷物を預かっておいてくれるだけで良い」
「かしこまりました。手配しておきましょう」
どうやらカルサは身軽にして動くつもりのようだ。幸い彼の武器は拳。技術としてもソラなぞ比べ物にならないレベルだろう。しかも今回はすぐに戻る事も確定している。不要な荷物は置いていくのだろう。そうしてバイエの村の長から書類を受け取ったカルサは、急ぎ足に長の家を後にする。
「じゃあ、行ってくる」
「うむ。気を付けてな……さて。ではこちらは討伐隊を組む事にしましょう」
カルサを見送ったブロンザイトは改めて、この一件に対処するべく話を再開する事にする。そうして、この翌日の朝。ソラは討伐隊を率いるブロンザイトに同行し、バイエを後にする事になるのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第1621話『ミニエーラ公国』




