第1619話 ミニエーラ公国 ――思わぬ再会――
ブロンザイトの指示でバイエ近郊の湖にて運行されている遊覧船に乗る事になっていたトリンに同行し、ソラもまた遊覧船に乗り込んでいた。そんな彼は乗組員やトリンから色々な話を聞くと、機関室を後にして改めて遊覧船の甲板に戻っていた。
「うぁー……屈んでたからか腰いてぇ……」
「あはは……まぁ、取り敢えずこれで今日の用事は全部終わりかな」
屈伸してボキボキ、と音を鳴らすソラを見ながら、トリンが一つ頷いた。ブロンザイトが本調子でなかった事もあり、今日彼らに命ぜられていた内容は殆ど無い。というわけで、これで全部終了だった。
「で、取り敢えず後一時間は呑気に船の上、か」
「遊覧船、一時間半の予定だからね」
とりあえず、二人は呑気に甲板の縁の手すりにもたれ掛かる。特にやる事があるわけでもないが、ここから帰る事は出来ない。まぁ、ソラなら体力的にも泳いで帰る事は出来るが、やりたいわけがなかった。と、そうして少し話していると、ふとソラが思い出した様にトリンへと問いかけた。
「そういやさ。お師匠さんの持ってるお守り? あれってどんぐらいの大きさなんだ?」
「ああ、お守りか。見たこと無い?」
「ああ。で、気になってさ」
このミニエーラ公国に来る際、ソラはトリンからブロンザイトというか珠族はお守りとして己のコアと同じ宝石で出来たネックレスを所持していると聞いていた。その際は服の破れが重要だったので特に語られる事なく終わったが、今になって気になったらしい。
「そんな大きくはないよ。首からぶら下げる物だしね。ソラも見たかと思うけど……予備の宝石。そんな大きくはなかったでしょ?」
「? 結構でかかっただろ?」
「? どういう事?」
ソラの返答に、トリンが首を傾げる。ソラがラグナ連邦で見たのは、大凡彼の人差し指の半分程度の大きさのブロンザイトだ。まぁ、そう言っても原石は原石だ。あそこから研磨してと色々としていれば確かに小さくはなるだろうが、原石故にそこまで小さくは感じられなかった。
「いや、人差し指の第二関節ぐらいまであった気すんだけど……」
「は? ネックレスの宝石は大体これぐらいだよ?」
ソラの返答に目を丸くしたトリンは、大体3センチぐらいの大きさを指で表す。それに、ソラが自分達の食い違いに気がついた。
「ああ、そういう事か。いや、原石っぽかった。カッティング……だっけ? あんなのされてない奴」
「? どういう事? ネックレスの予備は取り替えるだけで良い状態になってるはずだよ。もちろん、予備を作る石も自分で手に入れる事が多いから原石があっても不思議はないけど……」
ソラの返答に、トリンは更に訝しむ。それで、ソラもようやく首を傾げた。
「ん? でも俺が見たのは確かにカッティングとかされてなかったっぽいぞ?」
「可怪しいな……また何か必要になった……? でも今の所何かやらないといけない事とか無いんだけど……」
どうやら、何か可怪しい事があるらしい。トリンが眉の根を付けて訝しむ。そうして考え始めた彼に、ソラが問いかけた。
「どうした?」
「あ、あぁ、ごめんごめん。さっきも言ったけど、基本的にネックレスの替えって付け替えるだけで良い様にしてるんだ。でも、ソラが見たのはそうじゃない、という事はそれ以外にもあったという事。その意図は何かな、って考えてたんだよ」
「何か可怪しいのか?」
「うーん……可怪しい、ってわけでもないんだけど……やっぱり、ほら。僕らみたいに旅してると、落とす可能性も高いからね。お爺ちゃんもなるべく持たない様にしてるんだけど……」
それがどういうわけか、予備の宝石の原石を持っているという。トリンにはどうしてもそれが納得出来なかったらしい。
「まぁ、大方カイトが渡したんじゃないか? ブロンザイトがどんな宝石かは知らねぇけど、宝石は宝石だろ? そう何度も手に入るもんなのか?」
「そりゃ、まぁ……安くはないよ。宝石だからね。特にネックレスに使うのは純度と透明度の高い物だから、そこそこ値は張るよ。何時もそこそこの宝石店に行ってるし……」
「なら、カイトが渡してても不思議はなくね?」
「うーん……」
どうなんだろう。トリンもソラの推測が正しい様な気がしないでもないらしい。そもそもブロンザイトそのものがそこまで有名な宝石ではない。なので流通量も少なく、彼が来る事を知ったカイトが予備に、と献上していても不思議はない。
現にソラが見た原石も透明度はかなりの物で、きちんとカッティングすれば十分ネックレスにも使えそうだった。大きさを鑑みれば二つ三つと作れそうでもある。であれば、何回かに分けてと考えても不思議はなかった。
「そう……かな。まぁ、それならそれで良いか」
なら何故自分に何も言ってないのか、という所が気になる所といえば気になる所であったが、トリンは取り敢えず気にしない事にしたらしい。ブロンザイトとて何から何まで彼に告げているわけではない。それに何より、これは些細なことといえば些細なこと。彼に告げる必要があるか、と言われればそうでもないのだ。黙っていたとて、不思議はなかった。
「で、この後はどうするかね」
「どうしようか」
この話題はこれでおしまい。そう考えたらしい二人は改めて呑気に手すりにもたれ掛かり、港への到着を待つ事にする。
「あー……こんだけでかい湖だと、釣りとかしてぇ」
「あー……いいね、釣りも」
「出来るのか?」
「釣具があればね」
「確か荷物にあった気がすんな」
トリンの言葉にソラはカイトが用意してくれていた用意のリストを頭に思い浮かべる。そこには確かに、釣具も含まれていたはずだった。といってももちろん、ルアー釣りではなく普通に餌を使って釣る昔ながらの釣りだ。旅で必要になった際に使え、というわけであった。
「じゃあ、案内するよ」
「おう、頼むわ……といっても、流石に明日になるだろうけどな」
どうせやる事もないのだ。であれば、適当に釣りでもして時間を潰すのも良いか。二人はそう考えたらしい。そうして、そんな事を話しながら二人は暫くの時間を潰す事にするのだった。
さて、明けて翌日の朝。二人は温泉宿に後にすると、昨日に引き続き湖にやって来ていた。ブロンザイトは釣りには興味無いのか、のんびり温泉に浸かるという事だった。トリンの言う通り、温泉が好きなのだろう。事あるごとに入っている様子だった。
「ここらが、釣りのエリアだよ」
「へー……確かに釣り人結構居るな」
「まぁ、ここらは色々と釣れるらしいからね。多いらしいよ、湯治に来てここで釣りやってる人」
「俺らもそうなんだけどな」
「あはは……さて、どこ行こう」
ソラの言葉に笑ったトリンは、空いている場所を探す事にする。そこまでごった返しているわけではないが、あまり近すぎても他の釣り人の邪魔になるだけだ。
かと言って遠く離れすぎても今度は危険性が高くなるし、釣り禁止のエリアになってしまう。というわけで、トリンと共に少し周囲を見回したソラは白髪混じりの茶色い髪の男が腰掛ける横が空いている事に気がついた。
「お、あの人のすぐ横とかどうだ? ほら、あの左側。ちょっと空いてるだろ?」
「あ、あそこなら大丈夫そうだね」
ソラが見つけたのはここから少し離れた所だが、幸いにして釣り禁止とされているエリアには少し遠い。戦闘力の無いトリンでも安全に釣りが出来る場所と言えた。というわけで、二人はそちらに向けて歩いていく。
「すんません、横、良いですか?」
「ん? あぁ、良いぜ」
ソラの問いかけを受けた男はあぐらを掻きながら頬杖を突いていた様子で、そのまま一つ頷いた。どうやら、あまり調子は良くないらしい。若干胡乱げだった。
が、少なくとも愛想が悪いという事はなく、釣れない事を嘆いている様子だった。まぁ、その姿はかなり似合っていたので、これの方が様になると言えるかもしれない。
「どもっす」
「おう」
ソラの感謝に男はこちらを向く事もなく一つ笑って頷いた。そうしてそれを横目に、ソラも持ってきていた釣具を置いて椅子を取り出し、トリンと並んで釣りを開始する事となった。
「……」
「……」
「……」
釣りの開始から、暫く。三人並んで釣りをしていたわけであるが、どうやら今回は中津国の渓流釣りの時とは違って完全に釣れないらしい。ぼんやりとした空気が流れ始める。と、そんな様子から、どうやら横の男の方が思わず苦笑した。
「兄ちゃん達も釣れないか」
「あっははは。そうみたいっすねー……はぁ……」
「まぁ、こういうこともあらぁな……ん?」
こちらを向いて豪快に笑った男だが、ソラを見て少し首を傾げる。それを受け、ソラもまた彼の方を向いた。
「どうしたんっすか?」
「いや、兄ちゃん……どっかで会わなかったか?」
「はぁ……」
訝しんだ様子の男に問われ、ソラも男の顔をしっかり見る。すると、確かにどこかで見覚えがある様な気がしてきた。と、その一方の男の方が、唐突に声を上げた。
「あー! 思い出した! 兄ちゃん、あの時の兄ちゃんと一緒に居た奴か!」
「はい?」
「ほら、俺だよ! ラエリアの内紛で一回会ったろ!? いやぁ、兄ちゃんも生きてたとはなぁ!」
唐突に盛大に破顔した男に、ソラが首を傾げる。が、そうして男に言われた言葉で、ソラも彼が誰かを思い出した。カイトやカリン達と別れ突き進んでいた後、一番最初に合流した冒険者だった。
その後は死神に襲われ彼は軽くない傷を負うもその場を離脱し、その後は彼らも知らなかった。が、どういう縁かここで再会出来たというわけであった。
「あぁ、あの時の! 無事だったんっすね!」
「おう! いや、あの時は流石に拙かったんだがなぁ! あの死神の奴の力が凄まじくて、安全地帯まで逃げ切れたんだよ!」
やはりお互いに苦境を乗り越えられたからだろう。ソラも男も喜色を浮かべて再会を喜び合っていた。後にカイトが聞けば、こういう再会があるからこそ冒険者稼業は面白いのだ、と言う所なのだろう。と、声を大にしていた二人に、トリンが呆れた様に振り向いた。
「はぁ……ソラ。ちょっと声を静かに……って、カルサさん?」
「ん? おぉ、トリンの小僧じゃねぇか!」
「へ?」
目を見開いたトリンに、男がソラの影に隠れていたトリンを覗き込んで片手を上げる。どうやらこの大男こそが、ブロンザイトの弟のカルサなる人物だったらしい。そうして、暫くの間三人で以前出会った時からの事が語られる。
「なるほどなぁ……あの時の兄ちゃんも無事か」
「はい……その節はありがとうございました」
「いや、良いって良いって。あら俺も仕事だし、敗走したわけだしな」
頭を下げたソラに、カルサは胡乱げに首を振る。ここらはやはり彼も冒険者という所なのだろう。掛けた恩は気にしない、とばかりに特に気にしない様子だった。
「にしても、そうかぁ……あの時の兄ちゃん達がねぇ」
気を取り直したカルサはしみじみとそう呟いた。何がどうなるかわからないから、世の中楽しいのだ。それ故にか彼の顔は少し楽しげだった。と、その一方、改めて釣りに向き直ったソラが問いかけた。
「にしても……強いんっすね」
「ん? まぁ、そりゃこれでも数百年単位で冒険者やってるからな。バルフレアの小僧とお前のとこの大将とは飲み友達だ」
「へ?」
「なんだ、聞いてなかったのか?」
目を丸くしたソラに、カルサが楽しげに問いかける。そうして、そんな彼が少し語ってくれた。
「三百年前に、兄貴とカイトの小僧が知り合ってるからな。俺も知り合ってて不思議はねぇだろう。しかも三百年前のご時世だ。兄貴の護衛に俺が、ってのもそこそこあってな。そこで、あれとも知り合ってんのさ」
「……なるほど」
今でこそ平和な世の中――今は違うが――になっているわけであるが、三百年前は戦争の真っ只中だ。ソラ達を数段以上上回る腕の持ち主であるカルサなら、当時でも十分に通用しただろう。実の兄弟だし、仲も良い。護衛としては適任と言えた。と、そんな事を話し合いながら釣りをしていたわけであるが、そんな所にソラの持つ通信機に通信が入ってきた。
「あ、すんません」
「おう」
「はい、ソラです」
『おぉ、ソラか。今、大丈夫か?』
通信に応じたソラの耳に、ブロンザイトの声が響いた。が、その声音はどこか真剣で、何か事件が起きた事が彼にも察せられた。
「はい、大丈夫です」
『うむ……ライサという女商人は覚えておるな?』
「ええ、まぁ……それが?」
『うむ。それが今、バイエに戻っておってのう』
ライサ。それはソラがこのバイエに来る道中で世話になった女商人だ。彼女もソラ達と共に降りており、彼女は北の村へ出発していたはずだった。
地元民なので上手く進めれば四時間もあれば行ける、という事を考えれば、朝一番に北の村を出発したとして確かに戻っていても不思議はない。が、それはとんぼ返りの場合だ。商売を考えれば、明らかに何かトラブルがあったと考えた方が良さそうだった。
「あれ? 確か北の村に行ったんじゃないでしたっけ」
『うむ……それで、少しこの里の長より呼ばれての。お主も来て貰いたい。場所は長の家じゃ。トリンは別に良いが……お主一人では道が分かるまい。あれに道案内をさせよ』
「わかりました。すぐに戻ります」
何が起きたかはわからないが、兎にも角にもトラブルが起きたらしい。それを理解したソラは一つ頷くと、トリンへと顔を向ける。
「トリン。なんかお師匠さんが戻れって。ライサさん……俺が世話になってた商人が急いで戻ってきたらしい。で、バイエの長の家に来てくれって」
「わかった。案内するよ」
どうやらトリンはソラが話している顔で何かトラブルがあったと察していたらしい。一つ頷くと、二つ返事で立ち上がる。と、その二人の話を聞いて、カルサが口を開いた。
「トラブルか?」
「らしいっす。お師匠さんが戻ってこいって」
「そうか……なら、ちょっと待ってろ。俺も行ってやる」
「良いんっすか?」
「兄貴の呼び出しだろ? なら、俺も手伝える事があるかもしれねぇしな」
ソラの問いかけに一つ頷いたカルサは少し急ぎ気味に釣具の片付けを行う。そうして、三人は連れ立ってバイエの長の家へ向かう事にするのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第1920話『ミニエーラ公国』




