第1617話 ミニエーラ公国 ――ひと休み――
バイエという温泉街にある温泉宿の名物となる露天風呂にて語られた、トリンの壮絶な過去。それはソラをして想像を絶する物であった。そんな会話を挟みながらも、取り敢えずは露天風呂にて疲れを癒やしたソラはひとまず一日目という事で三十分程度の彼からすると長風呂をして、再び部屋に戻っていた。
「ふぃー……あー……さっぱりしたー」
「だねー……あ、ソラ。お酒あるけど、どうする?」
「お前、飲めるの?」
部屋に備え付けの冷蔵庫の中を漁っていたトリンの問いかけに、ソラが目を見開いて問いかける。これでももう二ヶ月以上も一緒に居るわけであるが、彼が好き好んで飲んでいる姿は見た事がなかった。無論、付き合いで飲んでいる姿は見たが、それだけだ。
「別に僕はお酒は嫌いじゃないよ。外じゃあまり飲まないだけで……」
「そうなのか……まぁ、お師匠さんも遅いってんなら、少しぐらい良いか」
一応、ブロンザイト曰く今日の帰りはかなり遅くなる、という話だ。それなのでソラ達には出迎えはしないで良い、と念押ししており、トリンも良いと言っていた事もあってソラも素直に眠るつもりだ。
そして更にはこの温泉宿の寝床はベッド形式で、よくある酔って踏んづけられるという事もない。というわけで、ソラはトリンからお猪口と徳利のセットを受け取った。
「ふぅ……あー……なんとなーく、カイトがのんびりと飲む理由が分かる気がする」
まぁ、わからないんだけど。ソラは内心でそう呟きながらも、口ではそう言っておく。ここらは当人達の性質としか言えない。なのでソラがもし分かるにしても、落ち着きを得るだろうずっと先の事だろう。と、そんなソラに酌をしてもらったトリンが一口酒を口にして、笑って首を振った。
「あれはのんびり飲むんじゃなくて、ちびちび飲むだよ」
「違わなくね?」
「違うと思うよ、多分だけど……ここらは感覚だけどね」
「そんなもんかな?」
「そんなもん、だと思うよ」
少しどうでも良さげなソラの問いかけに、トリンもまた少しどうでも良さげに頷いた。ここらは酒飲み話という所で、どちらも正確な所は求めていなかった。
「にしても、やっぱ空気が綺麗だなー」
「空気が綺麗?」
「ああ……まぁ、そんな事言い始めりゃエネフィア全体が空気が綺麗なんだけどさ」
ソラは窓から流れ込む秋の夜空の空気で肺腑を満たす。地球なら僅かに感じられるのだろう排気ガスの匂いや、様々な塗料の匂い等が一切感じられなかった。
「なんだろ。毒気が無いというか、空気に雑味が無い……って言えば良いのかな。わかんねーけど……なんか、そんな感じ」
「よくわからないな、僕には……まぁ、ここらの空気が特に澄んでる事だけは事実だけどさ。やっぱり、ウルシアの工業地帯とかヴァルタード帝国の保護国の一部とかの空気は臭いから……」
「地球は全体的にそうなんだよ。なんってか……味がある、ってわけじゃないんだけどな」
ここらはやはりどうしても、感覚的な事だからだろう。ソラも説明に四苦八苦していた。とはいえ、バイエは高所である事も相まって、空気は非常に澄んでいる。
更には基本は長閑な国だ、という事もあるのだろう。工業地帯が無いわけではないが、それでもラグナ連邦や皇国に比べれば随分と少ない。周辺の国も似たような物なので、それも相まって殊更に空気は綺麗に感じられた。というわけで、そんな事を話しながら暫く飲んでいると、ふとソラが何かに気がついた。
「……あれ?」
「どうしたの?」
「ほら、あの湖……なんか浮かんでる」
ソラの指差した方向には湖があり、彼はその中心から少し離れた所を指差していた。それにトリンもそちらを見てみると、僅かに灯りが見え隠れしていた。
「ああ、あれは屋形船だよ。バイエの名物の一つだね」
「屋形船?」
「知らない?」
「いや、知ってるよ……へー……そんなのもあるのか……」
ソラはトリンの問いかけに首を振ると、改めて湖を見る。すると見えた屋形船と同じ様な屋形船が何席も浮かんでいた。と、その一隻にふと、見知った人物と見知らぬ人物が見えた。と言っても、見知った人物はこちらからは顔は見えたが、見知らぬ人物は屋根が邪魔で顔は見えなかった。
「あれは……お師匠さん?」
「え? どれ?」
「ほら、あの中心から右に三隻目」
「あ、ホントだ……あの後ろ姿は……カルサさんか」
どうやら、ブロンザイトが一緒に居たのがカルサらしい。ソラが見た限りでも確かに、トリンの言う通り剛拳に似た巌の様な体躯だった。と、その横のブロンザイトの顔を見て、ソラが思わず笑みを浮かべる。
「……やっぱ、楽しそうだな」
「だね」
やはりトリンの言う通り、なんだかんだ言いながらも肉親に会えて嬉しいのだろう。ブロンザイトの顔は嬉しそうに綻んでいた。
「……寝るか」
「だね」
折角気兼ねなく飲んでいるというのだ。ソラもトリンも見ている事に気付かれる前に、と見るのをやめる事にする。そうして、二人は窓を閉じてそこそこ飲んで、ベッドに横になる事にするのだった。
さて、明けて翌日の朝。ソラとトリンはほぼ何時も通りの目覚めだったものの、何時も通りといかぬ人物が一人居た。言うまでもなく、ブロンザイトだった。後に聞けばどうやら彼はカルサが言って早めに帰した事もあり、朝帰りという事はなかった。
が、それでも相当に酔って帰ってきており、着替えもせずにベッドに横になっていたほどだった。こんな姿はソラが見た事がなく、思わず笑っていたほどである。と、その一方のトリンはというと、盛大にため息を吐きながらカイトが提供していた薬箱から二日酔いの薬を取り出していた。
「はい、お爺ちゃん。カイトさんがくれた薬」
「す、すまぬ……ト、トリンや……水も頼む」
「はぁ……何度も言うんだけどさ。お酒弱いんだから、程々にしなよ」
「わ、分かっておるが……くっ……あの馬鹿者め……度数の高い酒ばかり頼みおって……」
「それを一緒に飲んだお爺ちゃんもお爺ちゃんでしょ」
どうやら二日酔いで頭が痛いらしい。ブロンザイトの愚痴にトリンが強い語調で嗜める。
「はい、お水」
「あいたたた……すまぬ……ふぅ……」
「はぁ……で、カルサさんはなんて?」
「うむ。暫く近くで滞在する、と言うておった。奴は依頼じゃが……合わせて湯治も行うらしくてのう。アコヤの奴が儂が行く事を教えたそうじゃ。で、一足先にこちらに来たそうじゃ」
「ああ、それで近くに……」
ブロンザイトの言葉に、トリンは納得して頷いた。ソラは詳しくは人物像を知らないが、カルサなる男は冒険者だという。であれば、怪我も負うだろう。予定を合わせたのでなければ、湯治というのが一番あり得た。
「という事は、もう?」
「いや、明日の朝に発つそうじゃ。と言っても、奴は徒歩らしくてのう。ここを中継地として向かう予定じゃったらしいが……あいたたた……」
「はぁ……もう少し強めの飲んどく?」
「す、すまぬ……」
話している最中にどうやらぶり返してきたらしい。頭を押さえたブロンザイトにトリンが問えば、彼は辛そうな顔で頷いていた。というわけで、再度トリンが薬を取り出して、ブロンザイトへと差し出した。
「はい」
「う、うむ……ふぅ……まぁ、そういうわけでのう。数日儂らより先に来ておったそうじゃ。本当は今日の朝出る予定じゃったそうじゃが……儂らが来るというので予定をずらしたらしいのう」
「へー……」
「挨拶とかに行った方が良いですか?」
「構わん構わん。あれも堅苦しい事は好まん。まぁ、縁があれば遠からず相見えよう」
ソラの問いかけを受けたブロンザイトであるが、胡乱げに首を振る。まぁ、確かに何の縁で会いに行くのか、と言われてもソラはその理由がない。兄の弟子だから、と挨拶に来られても困るだろう。
「それに、あれは根っからの酒好きでのう。行けばこれ幸いと酒を飲みだしかねん。たまさかの兄弟の再会故に昨日は許したが、依頼もある身じゃ。そう何度も飲ませるでない」
「そうですね」
そもそもカルサがここに来ているのは湯治だが、その前に依頼もあるという話だ。更にはブロンザイトも近くに滞在、と言ったのであってバイエに滞在とは言っていない。おそらく依頼はまた別の街か村なのだろう。と、そこまで語ってソラの返答に頷いた所で、ブロンザイトが再び頭を押さえだした。
「うむ……あいたたた……ソラ、トリン。スマヌが、儂は薬が効くまで横になる。お主らは好きにせい。それに、ソラはやる事もあるじゃろう」
「あはは……はい。じゃあ、お言葉に甘えて」
「はぁ……僕は残っとくよ。どうせ、お爺ちゃんがやれ水だ薬だ、と言うからね」
「あはは……わかった。俺は色々と見てくるよ。何かあったら、連絡くれ」
「お願い」
トリンはソラの申し出に呆れ顔で頷いた。ブロンザイトも何も言わない所を見ると、そうなるだろうとは思っているか、それとも言い返すだけの気力が無いかのどちらかなのだろう。というわけで、ソラはブロンザイトをトリンに任せ、自身は外に向かう事にするのだった。
さて、ひとまず屋台の外に出たソラであるが、特に何かやりたい事があるわけでもない。まぁ、幸い温泉宿は高台なので道に迷っても帰る事は可能だ。なのでその点は、ソラも心配していなかった。
と、そんな彼であったが、やりたい事は無くともやる事はあった。というわけで、まずは彼は街の地図を頼りにしてユニオン支部を目指す事にする。
「えっと……あれ……だな」
高台の上にあった事で、幸いにも街の全貌は見渡せていた。なのでソラは地図を頼りにユニオン支部の建物を見つけると、取り敢えずそこに向けて歩き出す。
やはりこの街が湯治で栄えているからだろう。ユニオン支部は街の中心にあり、冒険者は多かった。と言ってもやはり比率としてはけが人が多い。怪我の湯治に来た者が大半と考えて良いだろう。そして彼がここに来た理由は、言うまでもない。
「すいません。遠征任務中なんで、経過報告をギルドに提出したいんですが……」
「あ、はい。わかりました。登録証を提示して頂けますか?」
受付にて、ソラの申し出にユニオンの受付嬢が手続きに入る。今回、最初に言われていたがソラはあくまでも遠征や出向という形でブロンザイトの旅に同行している。
ギルドの規模が大きければ、他国への遠征も十分にあり得る。なのでこういう場合には、ユニオンが情報伝達を担ってくれる事になっていたのだ。というわけで、ソラは自身の登録証をユニオンの受付へと提出する。
「はい」
「……はい、確認しました。情報も確認……ソラ・天城様ですね。確認致しました」
コンソールに表示される情報とソラの人相等が間違いない事を確認し、受付嬢は一つ頷いた。そうして、そんな彼女が問いかける。
「それで報告書の送付先は、エンテシア皇国マクダウェル領マクスウェル支部にあるギルド<<冒険部>>でお間違いありませんか?」
「はい。それでお願いします」
「かしこまりました。では、書類の方を」
ここらは何時も確認されている事だ。なのでソラとしてもすでに何度目になるか、というわけですでに慣れたものだった。なお、逆にカイト達から送られてくる手紙はユニオン支部に彼が来た際に受け取れる。が、今回はかなりの大距離の移動で、こちらで受け取れるとは限らなかった為、返信はまだだった。
「はい、これで」
「わかりました……少々、お待ち下さい」
受付嬢はソラから受け取った封筒を手に取ると、天秤を使って重さを計量する。ここらは日本の郵便システムと同じと考えれば良い。基本的には重量に応じて輸送費が決められる事になるのであった。
というわけで、ソラは算出された輸送費を支払って報告書を冒険部に送ってもらう事にすると、ユニオンを後にする。
「さて、これで本日のお仕事は終了と……どうすっかなー」
すでに朝一番の訓練は終わらせたし、書類もきちんと提出した。今回は湯治という事で依頼を受ける事もない。更に言えばブロンザイトがあの状態では何か教えを請うわけにもいかないだろう。というわけで、ソラは完全に予定はフリーだった。
「……なんか美味そうな匂いしてんな……とりあえず、あっち行ってみるか」
温泉街という事で、やはり屋台は飲食店は多い様子だった。というわけでそこかしこで美味しそうな匂いが漂っており、見えた限りでも温泉まんじゅう等もある様子だ。というわけで、ソラはとりあえず何か美味しい物でも探してみるか、と適当に歩き回る事にするのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第1618話『ミニエーラ公国』




