第1616話 ミニエーラ公国 ――弟子の過去――
ミニエーラ公国はバイエという北部にある山間の街に湯治へ訪れていたソラ。彼は弟が近くに来たので会いに行く、と言ったブロンザイトと別れ、トリンと共に温泉宿に備え付けの露天風呂に入っていた。
そうしてこの数ヶ月で溜まった疲れを取る傍ら、二人はふとした事をきっかけに皐月の体質についての話をする事になっていた。その会話から、暫く。再びソラが口を開いた。
「そういえば……カルサさん、ってどんな人なんだ?」
「あー……カルサさん? 本名はカルサイトさん、って言ってお爺ちゃんと真逆の豪快な人……だよ。冒険者だしね」
ソラの問いかけを受けてカルサイトというらしい人物の事を思い出したトリンは僅かに苦笑していた。ブロンザイトの反応を鑑みても、相当豪快な人物なのだろう。と、そんな彼の言葉に、ソラが僅かに驚いた様子を見せた。
「お師匠さんの弟さんなのに? 確か他の弟さんも結構凄い人なんだろ?」
「あはは。彼も凄い人は凄い人だよ。誤解ない様に言っておくとね。でも、そういう人とは見た目も真逆と言って良いよ。中津国行った、って言ってたよね?」
「おう……それがどうした?」
トリンの問いかけに、ソラは訝しみながらも頷いた。それに、トリンが再度重ねて問いかけた。
「剛拳さん、って知ってる?」
「ああ、中津国のえっと……榊原家の当主って人だろ? 『榊原』で事件に巻き込まれて、一度見た事がある」
「そっか。体躯はその人にそっくりかな。顔は……うーん……お爺ちゃんに似てるんだけど、それでも随分若い……かな」
「結構年下なのか?」
「さぁ……詳しい事は知らないけど、多分お爺ちゃんほど年はいってないよ。人間換算で50歳少し上、って所かな」
「へー……」
どんな人物なのかソラにはよく分からなかったものの、取り敢えず系統としては剛拳に近い容姿らしい。ブロンザイトが人間に換算すれば70~80歳ぐらいである事を考えれば、冒険者として鍛えている事を鑑みても相当に若いのだろう。
なお、後に聞くとこのカルサが三男で、その数十下にアコヤ――シソーラスの本名――が居るそうだ。更にこれに訳あって引き受けた養子がおり、これがブロンザイトの兄弟だそうだ。上から下までおよそ三百歳ほどの差があるらしい。
「そんな人なら、まぁ……近くに居ても不思議はないか」
「まぁねぇ……はぁ」
「どした?」
「お爺ちゃん、酔って帰ってくるだろうなー、ってね」
「そうなのか?」
「うん。このカルサさん、かなり酒好きでさ。一応限度は弁えてるんだけど……多分、お爺ちゃんも兄弟だから嬉しいんだろうね。お酒が進むみたいでさ。下戸なんだからやめなよ、って言ってるのに……」
これはソラは知る由もない事であったが、実際アコヤが取るものも取りあえずマクスウェルに来た様に、彼が兄弟達に会う事は殆どない。まず彼自身が世界中を旅しているし、今回のラグナ連邦の件の様に年単位で一つの事件を追う事もある。なので会える機会に恵まれない事は確かだ。
もちろん、それは彼が彼の考えで動いているが故の事だ。なので避けているわけではないし、兄弟達が嫌いなわけでもない。なので血を分けた肉親に会えば懐かしくなるらしく、珍しく酒を拒む事がないそうだ。
「なんだかんだ言いながらも、って事か」
「そうなんだろうね」
ソラが笑ってつぶやけば、トリンも笑って月を見ながら頷いた。と、そうして少しずつ、トリンが語り始めた。
「まぁ……実は僕がお爺ちゃんに拾われた時、そのカルサさんも一緒でさ」
「ん?」
「ほら、さっきこの傷、気にしてたでしょ?」
唐突になんだ、と首を傾げたソラに、トリンは苦笑混じりに自らの胸を指し示す。そこには相も変わらず、巨大な傷跡があった。
「実は、さ……僕元々とある国で半分奴隷みたいな感じ、だったんだ」
「へ?」
「あはは……色々と、あってね。実は親に殺されそうになってさ。で、その時この傷を、ね」
「……」
想像を絶するトリンの過去に、ソラは思わず言葉を失った。とどのつまり、彼の胸の傷は彼の親が付けた物だというわけなのだろう。この傷跡だ。生きている方が不思議なほどで、相当な殺意があった事が察せられた。その一方、トリンは苦笑混じりの顔のまま、続けていた。
「で、どこかの山中に捨てられたんだけど……どういうわけか、生き延びてね。偶然近くを通り掛かったキャラバンに拾われたまでは、良かったんだけど……その後、少しして今度は人さらいに拐われてね」
あれはちょっと僕も迂闊だったなー。あの当時だからしょうがないといえばしょうがないけど。絶句したまま何も言えないソラに対して、トリンは少し楽しげにその当時の自分について笑っていた。そうして、そんな彼は更に続ける。
「で、そこから三年ぐらい、かなぁ……まぁ、詳しい年月は忘れちゃったけど。見世物小屋みたいな所に売られて、そこで色々と仕込まれてね。料理と勉強以外の大半はそこでの経験が大本……かな。実際、やっとけ、ってだけで馬車の修理とかさせられたからね。上役の子なんかに教わりながら、必死でやってたよ」
それで、ブロンザイトに教わったにしては器用な所が多かったのか。ソラはトリンの器用さに納得する。旅の中で必然として習得したのだと思っていたが、基礎にはそこがあったのだろう。と、そんな彼に、ソラがおずおずと問いかけた。
「……料理と勉強以外? 勉強は分かるけど……料理もか?」
「……お爺ちゃん曰く、下手に食事を作る事を覚えさせると、飢えを自分で凌げる様になってしまうからだろう、って。何が食べられて何が食べられないか、とか分かっちゃうとそれだけで逃げてもなんとかなる、って思えるからね。食べる事だけは、きちんとオーナーが選んだ人がやってたよ」
「……」
なんだよ、それ。ソラは思わず、その見世物小屋とやらの主人に憤慨する。この言葉が意味する事は、一つしかない。そこは食事も満足に与えられない様な相当に劣悪な環境だった、という事だ。そんな彼の顔に、トリンが笑った。
「あはは。まぁ、正しいといえば正しい判断だよ。食べられないと人は生きていけない。だから、生かさず殺さずに最低限の食事は与える。自分達で食事を手に入れるという余力を与えない程度に、ね。もちろん、人論の側面については横に置いて、だけどね」
「……」
そんなソラであったが、当人に笑われてしまってはなんとも言い得ない。故に少しだけ息を吐いて、少し話題を変える事にする。
「……で、どうしてお師匠さんの所に?」
「ちょっと、色々とあったらしくてね。お爺ちゃんが僕を探してたそうなんだ」
「探してた?」
「色々とあった、って言ったでしょ? ちょっと、ね」
ソラの問いかけに、トリンはそう言って笑うだけだ。どうやら、触れられたくないらしい。そしてそれなら、ソラとしても触れない事にした。これは冒険者の暗黙の了解だ。過去は語られない限り、触れない。それに従ったのである。
「そっか……でも良かったのか? んなの話して……」
「あー……別に昔の事だから。実際、オーナーの扱いはひどかったけど……今となっちゃ、どうでも良い事だしね。唯一、気になるといえばその当時の子達だけだけど……流石に三十年も前になると、何人が生きてるかもうわからないかなぁ……」
ソラの問いかけに、トリンは苦笑の色を深める。もう傷としては癒えている、というわけなのだろう。それに、ソラも僅かに安堵を得た。無理をしていないか、と思ったのだ。が、この様子ならそういうわけでもないのだろう。
「で、その時にお爺ちゃんの護衛として一緒に居たのが、カルサさんでさ。その次に会ったのは……ざっと十年後だったかなぁ……実際、会った回数だとシソーラスさんの方が多いんじゃないかな。彼の方はお爺ちゃんが気に掛けてるから、時々里に行くからね」
「へー……今回はどれぐらいなんだ?」
「んー……前は三年か四年前じゃなかったかな。今回は早かった……かな」
「す、すげぇな……」
三年か四年で早いなのか。ソラはあまりの時間感覚に唖然となる。
「あはは。実際、お爺ちゃんの種族は病死とかがなければ、半分半永久的に生きられるらしいからね。と言っても、もちろんこれは肉体の話というだけで普通は精神の老衰が肉体に影響して死ぬ事が多いんだけど……」
「精神の老衰ねぇ……」
やはりここらは普通の人間と言えるソラだろう。こういった異族達の時間感覚はよくわからない所だった。
「そういや、さ。俺前に一回だけ聞いた事あるんだけど……カイト、精神が老いないって話じゃん」
「あー。そうらしいね。僕らは違うからよくわからないんだけど……」
「それと異族……この場合はお師匠さんの様な存在とはどう違うんだ? カイトの話聞いてる限りだと、異族の中でもあいつの付き合いのある人の中には、同じ様に精神も老いてないって人居るらしいんだよな。その差ってなんなんだろうって」
ソラの言葉に、トリンもカイトについてを思い出す。ティナも何度か言っていたが、カイトは人間であるが同時に不老の存在だ。それも異族達とは違い、精神が老いる事はないという。なので言ってしまえば今後も永遠に二十代前半の精神を持ったまま、永劫の時を過ごす事になるとの事だった。それと異族達はどう違うのか。それが、ソラの疑問だった。
「うーん……これは僕もお爺ちゃんが別の学者さんと話していたのを横で聞いていただけで、詳しい事はわからないけど……それで良い?」
「おう」
どうやらトリンも詳しい事はわからないらしい。ここらの学術的な知識については全てを教えられているわけではないらしく、あくまでもブロンザイトが教えているのは物事の考え方や戦術、内政に関する事らしい。学術の話については本を読めばわかる、という事で彼は必要でない限りは教えないそうだ。
「なら……えっと、カイトさんの場合、進化って言えるんだって」
「進化?」
「うん。まぁ、本来はカイトさんだけとは言えないんだけど……お爺ちゃんは新人類、って言ってたよ。何時か人類が到達する次の段階の一つ。そこにたどり着いたのが、カイトさんを筆頭にした不老に至った英雄達なんだって」
新人類。これはカイトや彼が懇意にしている英雄達が言った事でもなければ、はたまた誰かが提唱した言葉ではない。単に今の人類より更に上の段階に立っているから、ブロンザイトがそう言っただけだ。
が、これと同じ様に考えている者は少なからずおり、彼ら英雄達を新人類と捉えている学者は少なくないらしい。とはいえ、これをいきなり言われてソラが理解出来るか、というとそうではなかった。
「新人類、ねぇ……」
「ほら、魔物は進化するでしょ?」
「ああ」
「それと同じで、人間も強く……この場合は多分、精神の毅さかな。それが強くなっていけば、進化するんじゃないか。それがお爺ちゃんが言っていた事だよ」
「なるほど……」
これについてはやはり冒険者だからだろう。ソラは人類が強くなっていった結果進化した、と言われた方が納得が出来たらしい。
「ん? そういや、さっきお前、人類の進化の一つ、って言わなかったか?」
「うん。魔物が亜種がある様に、人類も幾つか進化の形があるんじゃないか、というのが話の結論だったよ。誰も見た事がないから推測に過ぎない、らしいけどね」
「まじか……」
一体どれだけの進化があるのだろうか。ソラはトリンの説明に、そう思う。とはいえ、これは誰にもわからない事だ。そもそも、カイト達の事を新人類と言っているのさえブロンザイト達が勝手に言っている事だ。彼らが新人類なのかどうかさえ、定かではなかった。
「俺も何時かは、そんな進化するのかね」
「さぁねぇ……」
どうやら、話題が変わった事でソラも少しは気分転換になったらしい。一度は舞い降りたシリアスな雰囲気が、再び弛緩した物へと変わっていた。そうして、ソラはその後はのんびりと露天風呂に入って疲れを癒やす事になるのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第1617話『ミニエーラ公国』




