第1614話 ミニエーラ公国 ――カイトについて――
山中での戦いを終えて、再び温泉街バイエへと向けて出発したソラ達。彼らはその後一度の戦闘を経て、温泉街に到着していた。
「はーい、バイエ到着っすー」
竜車が完全に停車して、御者の男が後ろを向いて乗客達に到着を告げる。それを受けて、ソラはブロンザイト、トリンと共に竜車を降りた。
「うわー……なんつーか、中津国思い出した」
やはり温泉街だからだろう。周囲には蒸気が僅かに漂っていたし、温泉街特有の硫黄の匂いも漂っていた。そんな光景でどうやらソラは中津国を思い出したらしい。
と言っても、あそこの様にスーパー銭湯は無い。なので基本は幾つもの温泉旅館があったり、大衆浴場がある様な感じだった。もちろん、中津国とは違うので行き交う人々が浴衣や着物ではなく、普通の服装だ。と、そうしてどこか感慨深げに立ち止まっていた彼へと、トリンが声を掛けた。
「ソラー。行くよー」
「あ、おーう……よいしょっと」
ソラは荷物を持ち直すと、トリンに続いて歩き出す。どうやらここらにも何度か来た事があるらしく、トリンも今回の宿は知っているらしかった。というわけで、二人の後ろを歩く事少し。ソラは一件の宿屋にたどり着いた。
「ブロンザイト様。お待ちしておりました」
「うむ、スマヌが世話になる」
どうやらここの宿屋の主人ともブロンザイトは知り合いだったらしい。女将は彼らが来る前から店前で出迎えてくれていた。そうして三人は女将が紹介してくれた中居に案内され、部屋へと通される事になった。
「ふぅ……これで取り敢えず荷物は大丈夫っと」
「こっちも取り合えず入れた」
トリンの言葉を背中で聞いて、ソラもまた荷物の保管が完了した事を明言する。地球でも比較的安全とされる日本はまだしも、世界的に見ればホテルの部屋に荷物を置いてそれで安心という事はあり得ない。
それはエネフィアでも変わらず、安心出来るのはマクダウェル家の様な大国の文化水準と治安が良い所だけだ。なので貴重品の類は持ち歩くか、はたまた今回の彼らの様に特殊な金庫に入れておくのが基本だった。
「うむ……ソラ、鍵はお主が持て。お主がこの中では一番戦闘力が高い」
「はい」
ブロンザイトに言われ、ソラは内ポケットに鍵を入れて、更に特殊な魔術で盗難防止を行っておく。これで、万が一にも落ちる事は防げる。
「で、これで一応荷物は置いたわけなんですけど……これから何か予定とかあるんですか?」
「予定のう……無いのう。ここには湯治に来ただけじゃ。まぁ、何か思いつけば、という事にしておく事にしよう。何より、休む時は休め。それもまた、学びじゃて」
ブロンザイトは改めて当然といえば当然の事を口にする。そうして、持ってこられた緑茶を口にした彼の横で、ソラはソラで暫くの間休む事にするのだった。
さて、それから暫く。彼らは温泉宿側が用意した夕食を食べていた。そんな彼らの今日の夕食のメインディッシュは、変わった魚の塩焼きだった。
「川魚……なんですかね、これ? 変わった見た目ですけど……」
「カジカじゃ。秋のカジカは丁度夏の産卵が終わり、失った体力を取り戻すべくたらふく飯を食う。故に、この時期のカジカは非常に絶品でな。儂はここらに来る度、必ず一度は貰っておる。此度もそれ故、儂が来ると聞いて持ってきてくれたんじゃろう」
奇妙な風貌の川魚に首を傾げ僅かな警戒感を滲ませたソラに対して、ブロンザイトは嬉々としてカジカの塩焼きに手を伸ばす。それに、ソラも物は試しと箸を伸ばす。
「あ……美味い」
「うむ。ここらは温泉が有名な場所じゃが……一日ほど北に行けば、また村があってのう。そちらでは山菜や川魚がよく採れる。故に食もまた、それを受けての物となった」
「へー……」
カジカをつまみながら、ソラはブロンザイトの語りに頷いた。と、そんなブロンザイトであったが、更に少し嬉しそうに語ってくれた。
「で、この北の村という所ではカジカを刺し身で食えてのう。これがまた、美味であった。あちらに機会があればまた行きたいんじゃが……」
「行きますか?」
「いや、今の時期は些かキツイ。舗装はされておるが……徒歩でしか行けんのでのう。少し難所もあり、もし途中で降雪に見舞われれば事じゃ。地元の慣れた者がおれば、また話は別じゃが……今の時期であれば迂闊に行くな、と言われるじゃろう。残念ながら、今年は諦めるしかあるまい」
「後少し早ければ、という所だったかもね」
「うむ。後一、二ヶ月早ければ、行っても良かったやもしれん」
トリンの言葉にブロンザイトもまた、少しだけ残念そうに頷いた。何度か言われていたが、これからこの地域は降雪の可能性がある時期となるらしい。まだ早いといえば早いが、山の気候は変わりやすい。無いとは言い切れない。
無論、ソラも居るので戦闘という意味では比較的安心は安心だが、実戦経験値の少ないソラが降雪で満足に戦えるわけがない。ここに案内人が加わり、もし降雪時に魔物に遭遇したら一巻の終わりだろう。自分達の為にも行かないのが、正解だった。と、そんな話をしながら食事をしているわけだが、そこでふとソラが疑問を呈した。
「そういえば、川魚のお刺身って危険じゃないんですか?」
「む?」
「え?」
ソラの唐突な言葉に、ブロンザイトとトリンの二人が首を傾げる。それに、ソラがその理由を口にした。
「いえ、川魚の生って結構危険、って聞くんで……そこらは地球もエネフィアもそう変わらないよな、って」
「寄生虫の事か?」
「はい」
日本でも一時期問題になっていたが、生魚を食べる上で最も危険と言われているのはやはり寄生虫の事だ。とはいえ、これをソラが知るように、彼もまた知っていた。
「うむ……これはのう。カイト殿がしっかり対処を残された。よほど日本では有名じゃったのじゃろう」
「ええ……日本はお刺身でよく食べますから……一時、かなりニュースになってました。とはいえ、あいつなら安心ですか」
「うむ。これが熱心に研究されたそうでのう。専用の魔術も幾つも開発されておるよ」
やはりなんだかんだ食になるとやる気が見え隠れするカイトの事だったのだろう。生食用に幾つもの魔術を開発したそうで、以前の最も鮮度を保てる禁呪を使ったやり方から、日本で一般的な冷凍による寄生虫の駆除を用いた方法、生命反応を用いて寄生虫を物理的に駆除する技術等様々開発したそうだ。
これについてはブロンザイトもマクダウェル家から教わって生食を行う地域で広めており、その関係でここらの地域にも広まっていたそうである。
「まぁ、お主には言う必要はないかもしれんが……あの方の功績は武勇が全てではなく、それどころか武勇以外の功績の方が多い。無論、それが地球では常識であったとしても、じゃ。何より、それが全てこちらで出来るわけではない。あの方はこちらで出来る方法を模索された。それを見付け、広めたのは紛うこと無くあの方の功績と言ってよかろう」
ブロンザイトは改めて、ソラへとカイトの功績を語る。何度か言及されていたが、まずエネフィアで衛生環境が飛躍的に上昇したのは間違いなく彼の功績だ。
無論、これは当人が現代の地球の清潔さに慣れているから、という事はあるだろう。が、エネフィアに合わせるではなく、こちらを向上させたのは彼だ。そして、その結果死亡率は飛躍的に減ったという。功績に間違いない。と、そんなある意味当たり前の話を聞いて、ソラは長らく疑問だった事を問いかけてみる事にした。
「あの……そういえばずっと疑問だったんですけど、良いですか?」
「なんじゃ? 話半分程度で良ければ、教えてやろう」
「……あいつはどうやってそんな多くの事を成し遂げたんでしょうか。あいつが優秀な指導者だ、というのはまぁ、下に居るので分かります。でも、どう優秀なのか、というのが具体的に掴めないんです」
ソラが疑問だったのは、ここだ。カイトの功績は枚挙に暇がないほどに多い。が、それは結果を見れば分かる事で、それが出来る要因がわからないのだ。それに、ブロンザイトはなるほど、と頷いた。
「ふむ……良い質問じゃ。これはやはり、彼が自らの限界を知っておった、と言える」
「自らの限界……ですか?」
「うむ。自らの限界を知り、それ故に他者に頼る。その意味ではあの方は非常に優秀じゃ……ふむ。この話題は長くなるのう。先に飯を済ませてしまう事にしよう」
「あ、はい」
ブロンザイトの指示に従って、ソラはひとまず食事を終わらせる事にする。そうして一通りの食事を終えた所で、改めてブロンザイトはソラへの教示に入る事にした。
「ふぅ……さて、ソラ。では先の話の続きをするか」
「はい、有り難うございます」
温泉宿の従業員達がお膳を引いた後、ソラはブロンザイトの前に座って記憶の為の魔術を展開する。基本、ブロンザイトの授業には黒板も机も無いのだ。なので授業の様にノートを取る事は出来ない事の方が多い。が、その変わりとして彼との会話を忘れない為の魔術があるし、教材は教材として用意してくれている。なので基本的には対話形式での授業が多かった。
「先にも言うたが、彼は指導者としては非常に優秀と言って良い。無論、完璧な指導者か、と言われるとそれは儂も否定しよう。あの方にもあの方の欠点がある事だけは、儂も否定は出来ん。あくまでも凡百の指導者達と比較し、優れておるに過ぎぬ」
ブロンザイトはソラに対して、改めてカイトの評価を語る。武名や大精霊の名から民衆から絶大な信望、それこそ時に狂信の領域になるほどの信望を集める彼であるが、それを抜きにしてしまえばこれだけは誰しもが認めていた。そしてカイト自身も認めている。
「さて……それで彼の欠点であるが、彼の欠点はまず甘い、という事が上げられよう。あの方はまぁ……ありえぬほどに甘い。時としてこちらが心配になるぐらいに、のう。無論、これは彼の優しさに端を発する物故、一概に悪くも言えんが」
ブロンザイトはカイトを思い出し、少しだけ苦笑する。彼は甘い。これは彼と関わった全ての者が必ず口にする事だ。
「そして、苛烈さも欠点と言えよう。これは甘さの反動、とも言えるが……」
「苛烈さ、ですか?」
「うむ……甘いが故に、大抵の事は許し、赦す。これはまさしく、勇者の姿と言ってよかろう。が、その許容範囲を超えた瞬間、彼はもはや止められぬ。天地鳴動、驚天動地……自然の猛威と一緒じゃ。それを以って、敵を撃滅する。いや、殲滅と言っても良いやもしれん。抑えられるはずの被害が生まれる。無論、そんな事を言ってしまえばそも悪行三昧が問題であるし、そういった者が権力を持ち兵を繰り出して守るのが問題と言えるかもしれんが……」
ブロンザイトは僅かなため息と共に、カイトのもう一つの欠点に言及する。大戦期、彼は幾つかの国の正規の軍を殲滅している。これは本来なら生まないで良い被害だと言っても良いだろう。
なにせ彼は圧倒的。本来は妨害を無視して、標的のみを殺す事だって出来るのだ。が、それでも怒り任せに攻撃を放つ結果、その出力も相まって莫大な被害を生んでしまう。これもまた、彼の欠点と言えた。
「無論、これは裏返せば長所でもある。彼は先に言うた通り、甘い。が、これは優しさに端を発するものじゃ。そして苛烈さもまた、裏返せば長所と言える。彼が怒るのは何時だって誰かの為じゃ。故に彼の怒りは大衆にとって、正しき怒りとなる」
ブロンザイトはカイトの長短を語る。そうしてその上で、彼の指導者としての優秀さを説いた。
「さて……その上で、彼の優秀さを説くとしよう。まず、言えるのは人材集めに余念がないという所じゃろう」
ソラはブロンザイトの言葉に、コレットを思い出す。もちろん、彼とてカイトが更に別の思惑があった事を知るわけではない。が、それでも遠くまで人材を求める事はさほど珍しい事ではない。
「この人材集めに余念がない。これが彼の最も優秀という所であろうな。そしてその人材の活用も見事と言える。いや、これは彼自身のある種の不器用さ故と言えるやもしれんが……」
「ある種の不器用さ、ですか?」
「うむ。知っての通り、彼は大抵なんでも出来る。が、なんでも出来るが故か、特化はしておらぬ」
「そういえば……」
時々、カイトがぼやいているのをソラも聞いたことがあった。自身は確かに強いが、並の英雄に比べれば所詮その程度だ、と。
「聞いた事はある様じゃのう。うむ。彼は高スペックに纏まっておるが……逆に尖った物がない。まぁ、それはそれ故に優れておるとも見做せるので一概には言えぬが……それ故、尖った者に任せる事を彼は知っておる。故、人に任せる事に躊躇いもない。それ故、三百年も彼が不在でもマクダウェル家は回った。それはそこらに起因しておる」
「なるほど……」
冒険部の運営についてカイトは自分でやっている様に見えて、意外と自分ではほとんど何もやっていない。ソラはそれを思い出す。確かに彼が居なければ回らない事は回らないが、それでもなんとかなる体制は整えている。それを考えれば、これは正しいのだろう。そうして、ソラはそういった事を聞きながら、食後の時間を過ごす事になるのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第1615話『ミニエーラ公国』




