第1612話 ミニエーラ公国 ――温泉街へ――
ラグナ連邦での大捕物の湯治を兼ねてミニエーラ公国と呼ばれる小国のロツという街にやって来ていたソラ。彼はブロンザイトの知り合いがやっているという宿屋にやってくると、そこで彼らと共に一晩を過ごす事になっていた。そうして、その翌日。三人は少し急ぎ足に宿屋を後にしていた。
「ではのう、カルコス。元気でな」
「ええ、ブロンザイトの旦那もお元気で……トリンの小僧とソラの小僧も、また顔出せよ」
「うむ」
「「はい」」
見送りにやって来たカルコスの見送りの言葉に三人は頷くと、彼に別れを告げて馬車の発着場へと向かう事にする。どうやら件の温泉街はそれなりに有名らしく、一日に数便はそこを最終目的地とした馬車や竜車が出ているらしい。今回は急ぎの旅でも無いので、乗り合いの竜車でゆっくり宿場町を一つ一つ通っていくとの事であった。
「へい、バイエまで三人。確かに確認しました」
馬車の発着場に到着した三人は、御者の一人にきっぷを提示すると馬車へと乗り込む。竜車は数頭の地竜で引く類の物で、夜行バスぐらいの大きさがあった。荷馬車の大きさから、地竜も速度重視ではなく、牽引力を重視した物になるそうだ。
そして長時間かつ長距離の移動になる為、御者も複数人居るらしい。後に聞けば、カイトの発案で改良された荷馬車らしく、乗客の乗るエリアの下に運転手が休むスペースがあり、そこに交代の御者が居るそうだ。
「へー……長距離移動の馬車ってか竜車は乗った事無いんですけど……中こんなのなんですね」
「うむ……まぁ乗り合い故、冒険者の為のスペースもある。ここらはまだ比較的問題は無いし、お主より腕利きの冒険者も多いじゃろう。存分に学ぶと良い」
「はい」
ブロンザイトの指示に、ソラは一つ頷いて三人が腰掛ける席を探す。基本的にこういった長距離の馬車になると、地球の飛行機と同じ様に座席は指定されている事が多い。冒険者も多い長距離移動だ。下手に揉められても困るので、座席は決めておくのが良いのだろう。
「ふむ……出発まで暫く時間はある様子じゃのう。些か早かったか」
「まぁ、遅れるよりは良いんじゃないかな」
「それもそうじゃのう」
トリンの指摘に、ブロンザイトもまた一つ頷いた。そうして、そんな彼はソラへと問いかける。
「ソラよ。お主の武装はどうじゃ?」
「あ、はい。大丈夫です。この間オーアさんに再会した時、合わせて調整もしてくれましたから……」
ソラは相も変わらず懐に納められている円筒を服の上からぽん、と叩いた。カイトが使っているガンホルダーを改良したホルダーに吊り下げられており、何時でも使える状態だった。
「そうか。武器も問題は無いか?」
「それも、大丈夫です」
「二本共か?」
「はい」
重ねてのブロンザイトの問いかけに、ソラはしっかりと頷いた。今回の旅路において、ソラは基本的には神剣を使わない様に言いつけられている。
あれはやはり非常にレアリティの高い物だ。安易に使えばそれが揉め事の原因に成りかねない。なので常には桔梗と撫子が作ってくれた片手剣を使い、いざという時だけ<<偉大なる太陽>>を使う様にしていたのであった。
「うむ。それなら良かろう。とはいえ、この旅路の間にも戦闘はあろう。後ろのあのエリアで武器の調整が可能じゃ。戦いが終わった後には、忘れんようにな」
「はい……一度見てきても?」
「それが良かろう」
ブロンザイトの許可を得て、ソラは立ち上がって荷馬車の後ろへと歩いていく。馬車の後部は完全に空いており、冒険者達が戦闘後に武器の調整が行える様になっている。
「ふーん……研ぎに使う水場もあるのか……」
やはり冒険者の中でも最も割合が多いのは、剣士や槍使い等の刃物を使う者だ。そういった者達が戦闘後に武器を軽く砥ぐ為の水も確保してくれているらしい。流石に鍛冶師は居ないし鉄火場もないが、砥げるだけ十分だろう。と、そんな彼の近くに、一人男が歩み寄る。
「ん? 先客か?」
「っと、悪い。使うか?」
「いや、ただ場所とかの確認だよ」
どうやら彼もソラと同じ冒険者という所らしい。年の頃は彼より少し上か同じぐらい、という所だろう。腰には両手剣があり、何らかの魔物の革で出来ているらしい軽鎧を身に着けていた。そんな彼はソラがここに居る事から、自分と同業者だと理解していた。
「同業者か。ま、道中何かあったら後ろは頼む」
「おう。そっちもな」
「任せとけ」
やはりここら冒険者という所だろう。男も軽い様子でソラの言葉に応じていた。そうしてソラは彼へと場を譲ると、更に設備を見ておく事にする。と、そうして怪我の治療に使うスペースに足を伸ばしたわけであるが、そこにはすでに先客が腰掛けていた。
「らっしゃい、兄さん。何か入り用かい?」
「……ここで売ってんのか?」
「へへへ。まぁね。きちんと御者にゃ許可取ったよ。安心してくれ。品物は正規ルートで仕入れた物ばかりだ。それに、あんたらにも悪い話じゃないだろ?」
どうやら行商人らしい。旅人用の厚手のローブに、横には彼女の上半身程度もある巨大なカバンがあった。そんな彼女は地面にシートを広げて商売をしている様子だった。種族は獣人なのだろう。猫に似たしっぽがゆらゆらと揺れていた。
「へー……品揃え、見て良いか?」
「もちろん。兄さん。乗ってくるのを見てたけど、あの二人の護衛かなんかか? なら、これなんかどうだい? ヴィクトル商会の正規品。値段は良心的だと思ってくれて良いよ」
「それは?」
商人がソラに見せたのは、手のひら大の球体だ。どうやら魔道具の一種らしい。が、これだけでは詳しい事は分からなかった。
「信号弾さ。と言っても、特殊な加工が施されていてね。予め設定した人物以外には見えない様になってる。護衛の最中にどうしても別行動しないといけなくなった時、使えるのさ。盗賊とかにばれないで移動する、とかね」
「そんなのがあるのか……」
「まぁね。性能はきちんと私が見てやってるから、お墨付きと言って良いよ。これでも商人ギルドのゴールド会員さ。信用はしてくれて良いよ」
えへん、と商人は懐から冒険者の登録証に似たカードを掲げる。黄金で出来た――耐久度から特殊な加工もされているらしい――カードで、彼女の顔写真も入っていた。商人ギルドが発行している登録証だ。冒険者ユニオンから買った偽装防止も入っていて、きちんと機能している様子だった。
「偽物……じゃないな。にしても、ゴールド会員?」
「なんだ、知らないのか。商人ギルドじゃ所属する商人を信用度でランク分けしててね。私は上から二つ目。まぁ、優良会員だって言うわけ」
「へー……」
商人はどこか鼻白んだ様子で、自らの登録証を懐にしまい込む。なお、後にカイトから教えてもらった所によると、ゴールド会員は商人ギルドに所属して五年以上目立った問題――詐欺や不良品を故意に売りつける等の商人としての信頼を大幅に損なう取引――を起こしていない商人に付与される物らしい。見た目はかなり若いが、実際には見た目以上の年齢というわけなのだろう。
「商人ギルドじゃ、そっちと違って金属で信頼を等級付けしててね。下はカッパー、シルバー、ゴールド、ブラック。まぁ、ブラックは正確には別枠って事でオブシディアンなんだけどね。面倒だから皆ブラックって呼んでる。これが貰えるのは幹部だけだから、私はそういう意味じゃ最高ランクさ」
「なるほどな……」
それで、自慢げだったわけか。ソラは商人が自慢げだった理由を把握した。個人でやる分には最高位と言って良いだろう。十分に商人ギルドにより実績が保証されている、と言ってよかった。
「で、どうするんだい?」
「……いや、今は良いよ。街を出る所だしな。お師匠さんとかにもきちんと用意は確認してもらってるし」
「そうかい。じゃあ、もし戦闘で消耗したりして、消耗品が必要になったら来てくれよ。この旅の間は、ここで商いしてるからさ。回復薬、砥石なんかはもちろんの事、酔い止めの薬なんかも常備してるよ。品質は私が保証してやるよ」
どうやら商人もソラが今何かを買ってくれるとは期待していなかったらしい。まぁ、まだ出発もしていないし、流石に新人の冒険者でもなければ出発間際に慌てて買い出しに出る事は無いだろう。
彼女も今は単に店を開いている姿を見せている、という所に近かったらしい。買ってもらえれば儲けもの、だそうだ。と、そんな彼女に、ソラが問いかけた。
「回復薬、ねぇ……等級は?」
「お、兄さん若いけど、意外と旅の基本がわかってるね。もちろん、最上級以外の物は全部取り揃えてるよ。産地も指定したいのなら、大国の物は全部揃ってるよ。量は流石に少ないけどね。皇国のは最も品質が良いマクダウェル家の物だ。些か値は張るが、性能はピカイチ。ほら、これがこの旅の間で売る物のリスト。あげるよ」
「っと……有り難う」
「じゃ、短い付き合いだけど、ご贔屓に」
「ああ」
ソラは商人から印刷されたリストを受け取ると、再び自席に戻る事にする。と、その道中でリストを見ていたが、かなり手広く商売をしているらしい。各種の回復薬に加え、彼女の言っていた砥石や果ては簡易な魔道具、呪符まで取り揃えていた。
「どこにこんだけの物が入ってるんだ……?」
まぁ、あのでかいカバンしか無いんだろうけど。ソラは商人の巨大なリュックサックを見て、思わず頬を引き攣らせる。おそらくあれは内部の空間が歪んている特殊な物なのだろう。と、そんな一幕を見ていたらしいブロンザイトがソラへと告げる。
「ふむ……幸運じゃったのう」
「幸運?」
「うむ。こういう馬車の中で商いをする行商人は少なくない。旅路で消耗した消耗品は冒険者なら常に補給しておきたい物じゃろう?」
「ええ、まぁ」
基本的にソラはギルドでの活動になるし、大規模な遠征の際はキャラバンを出せる。なので予備も含めて大量に発注をしている。なのである程度の余剰を持つ事は出来るが、個人で旅をすればどうしても持てる荷物は限りが出る。それは彼も理解していたようだ。
「であれば、ここに行商人が来るのは我々にとっても有り難い事になる。無論、手数料という事で多少は高いが……それでも、補給出来る事は何より重要じゃ。ならば、幸運じゃろう?」
「そうですね……」
ブロンザイトの指摘に、ソラは改めて受け取ったリストを確認する。と、そこには商人の名刺がある事に、二人は気がついた。
「……こ、これはちゃっかりしておるのう」
「あ、あはは……」
名刺によると、どうやら商人の名前はライサというらしい。基本はロツとこれから向かうバイエという温泉街、首都ミニエーラの間で行商をしているらしい。通信用の魔道具を使って連絡を入れれば、訪問販売も行ってくれるそうだ。フットワークはかなり軽いと考えて良いだろう。
「ま、まぁ、ゴールドであれば不当にぼったくられる事はあるまい。覚えておいて損はなかろうな」
「そうですね……うん。覚えておこう」
ブロンザイトの言葉に同意したソラは、リストをしっかりと確認しておく。今欲しい物は無いが、これからも欲しい物が無いかどうかは話が違うのだ。なら、しっかりと確認しておくべきだろう。
「へー……」
リストを見てソラが思ったのは、やはりきちんと組織から評価されている者であるだけの事はある、という事だろう。旅の開始時点での在庫がリストには記されており、大凡の目安にはなってくれそうだった。
ここの旅路での彼女の主な顧客は間違いなく冒険者。であれば、戦う毎にどの程度の消費があるか、というのは誰よりも分かる。早い内に買っておくか、もしくは必要ないな、と考えて動けるだろう。そうして一通りリストを確認し頭に叩き込んで、ソラは一つ頷いた。
「良し。大丈夫です」
「そうか……ソラ、すまぬが儂らも見せて貰えるか?」
「あ、はい」
ブロンザイトの要請を受けて、ソラはライサの商品リストを彼へと渡す。そうして、彼らが真剣にリストを見始めた横で、ソラは出発までの少しの間、外を見て時間を過ごすのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第1613話『ミニエーラ公国』




