第1611話 ミニエーラ公国 ――賢者の過去――
足掛け三年に渡るラグナ連邦での大捕物を終えたブロンザイト達に同行し、湯治を兼ねてミニエーラ公国へとやって来ていたソラ。彼はミニエーラ公国北部のロツという街にやってくると、ブロンザイトの古い知り合いだというカルコスというドワーフの男がやっている宿屋へとやって来ていた。
「ふぅ……やはり移動は疲れるのう。いや、飛空艇で移動出来た分、最近はずいぶん楽じゃがのう」
「お爺ちゃん? いつまでも若いつもりだと痛い目をみるよ。幾ら旅してるって言っても僕らだって不死身じゃないんだから……」
「そうじゃのう……」
ふぅ、とブロンザイトはわずかに疲れた様にため息を吐く。カイトやティナの様に不老となっているのならまだしも、彼はそうではない。彼は長寿なだけだ。故に三百年前と比べても体力は落ちており、最近は疲れる事も多かったとの事であった。
「……思えば、長く旅をしたものじゃ」
「どうしたの、急に……」
「いや、自らの老いを自覚して、お主を引き取ったが……そのお主もずいぶん大きくなったと思うてのう」
唐突に噛みしめる様に呟いた一言に目を丸くしたトリンに、ブロンザイトはただただ微笑んだ。と、そんな穏やかな空気が流れた所に、ソラがふと問いかけた。今でこそ遺跡を回っていると言っていたが、最初は何かきっかけがあって旅に出たはずだ。彼の言葉から、ふと気になったらしい。
「そういえば、お師匠さん。お師匠さんの旅のきっかけってなんなんですか?」
「旅のきっかけ……そういえば、なんじゃったかのう」
ソラの問いかけを受けたブロンザイトはロッキングチェアに腰掛けたまま、目を閉じて古い記憶を思い出す。彼は長兄。本来なら珠族の族長を継ぐ事も出来た身だ。が、彼はそれをしなかった。
まぁ、彼の父が後継者を決める時にはすでに旅に出ていた為、里を一番知る末弟が良いだろうと推挙したのは彼自身だ。なので決して継げなかったわけではない。
自らの意思で継がなかったのだ。他の兄弟達――他の兄弟達は様々な国で重鎮となっている――もブロンザイトと考えを同じくして、成人後も唯一里に残っていた末弟を推挙した。
一番しっかり者で、一番一族の事を考えてくれている。ある意味では自分勝手に生きている自分達と違う弟が、彼らにはそう映ったらしい。
「ふむ……そうじゃのう。実を言えば、これと言った目的があったわけではない。儂と百歳ぐらい離れた弟がおってな。今もさる国でご意見番をしておるんじゃが……そやつが実は一番最初に旅をしておってな。こやつに誘われる様に、儂ら兄弟も旅を始めた。今にして思えば、儂はものぐさな男であった」
思い返せば面白くなったのだろう。ブロンザイトは若かりし頃の自分を思い出し、しきりに笑っていた。
「もうずいぶんと昔の事じゃ。里で書を読み漁っておった儂に、そやつは直に見てきた事を語ってくれたのじゃ。それを何度と聞くにつれて、儂もどうしても好奇心が抑えきれなんだ。で、あれに頼み込んで旅に同行させて貰ってのう」
ブロンザイトは楽しげに、大昔の記憶を語る。後に聞けば、これはもう八百年近くも昔の事らしい。もう何歳の頃かと忘れるほどに昔の事だった。
「それから儂は一年の半分里で書を読み、半分は直に見に向かい、としてのう……そうする内に気付けば、一年と里を離れ。二年三年と里を離れる時間は長くなった。そうして気付けば、常に旅をしている様になった。幾つかの国では、名を偽って仕官したりもしたのう。そも、ブロンザイトという名も偽名の様な物じゃしのう」
「え?」
「む? そう言えば、お主にも語った事はなかったか……儂とて長く生きておる。そういう事もあろう」
驚いた様子のトリンに、ブロンザイトは楽しげに当たり前の事を語る。彼はおよそ一千年の月日を歩いたという事だ。長寿の珠族の中でもかなりの高齢だ。仕官した事があったとて、不思議はなかった。と、そんな驚いた様子のトリンに、ソラが逆に少し驚いた様に問いかけた。
「聞いた事、なかったのか?」
「うん……そういえばお爺ちゃんが昔何をしてたか、とかあんまり聞かなかった気が……」
「儂も聞かれぬので語らん。意味がないからのう……お主、少しは儂に興味を持ってもよかろうに」
「ご、ごめん……」
三十年も一緒に暮らしておいて、ブロンザイトの事をほとんど知らなかったのだ。冗談っぽく告げた彼の言葉に、トリンは恥ずかしげだった。
「でも、そっか……そうだよね。お爺ちゃんにも長い歴史があるんだもんね……」
「当然じゃろうて……そうじゃのう。お主も独り立ちを考えるのであれば、どこかの国に仕官するのもよかろう。儂の伝手は多い。アクロアイトはお主も覚えておろう?」
「あ、うん」
「うむ……あれに話をしてやってもよい」
どうやら図らずも、話は真面目な話題となったようだ。少しだけ真剣にブロンザイトはトリンへと問いかける。それにトリンは少しだけ悩んだ後に、問いかけた。
「……今すぐ独り立ちしろ、って話じゃない……よね?」
「まぁ、そうじゃのう……まだ、お主にも教えねばならぬ事を全て教えてはおらぬからのう。少し先の事ではある」
「そっか……うん。なら、少し考える」
わずかに不安さを覗かせたトリンは、ブロンザイトの返答に僅かな安堵を滲ませる。やはりまだ独り立ちは不安らしい。それに、ブロンザイトも一つ頷いた。
「そうすると良いじゃろう。カイト殿やその縁で皇国に仕えるのも良いじゃろうし、皇国には儂も少し伝手がある。他にも魔族領という事もできよう。お主も知っておる通り、伝手は重要じゃ。それを使える事は忘れぬ様にな。無論、儂とて無理に仕えよと言うておるわけではない。単にそれも道というだけよ。儂の様に様々な地を巡ってもよかろう」
「……」
ブロンザイトの言葉に、トリンは無言だった。何をどうするべきなのか、というのはまだ彼にも見えていないらしい。
「ま、それもまだ先の事じゃ。今は、儂の下で学べ。まだお主は未熟。確かに三十年前よりずいぶんと成長しても、儂がまだ独り立ちはさせんよ」
「結局?」
真面目な雰囲気を和ませる様に笑ったブロンザイトの言葉に、トリンが肩を落とす。真面目に独り立ちしろ、と言ったと思えば一転して今はダメだ、だ。こうなるのも無理はなかった。そうして、その後は暫くはブロンザイトの過去の話をして、夜は更けていくのだった。
さて、ブロンザイトの過去の話が暫く続いた後。三人は空腹を覚えた事で話を切り上げて夕食を食べる事になっていた。そうして三人が向かったのは、宿屋に備え付けの食堂だ。ブロンザイトがここで食べる、と言ったのでソラもそれに従ったのである。
「ああ、ブロンザイトさん。オーナーから来ていると聞いてましたよ」
「うむ。それ故、今日はこちらで食べようかとな」
「ということは、明日には?」
「うむ。明日の朝一番の便でのう。その前にお主の飯を頂いておこうかとな」
三人が食堂に入ると同時。獣人らしいコックの一人とブロンザイトが話し合う。どうやら彼とも知り合いらしく、親しげだった。
「ということは……おぉ、やっぱり。トリンも一緒か」
「お久しぶりです、料理長さん」
「ああ……きちんと、飯は食ってるな」
「あはは……カルコスさんも料理長さんも、何時まで昔のままの僕を記憶してるんですか」
料理長らしい獣人の男性のどこか茶化す様な言葉に、トリンが恥ずかしげに口を尖らせる。と、そんな彼に料理長が笑った。
「あっはははは。そりゃ、仕方がないさ。お前がウチに初めて来た時、本当にガリガリでやせ細ってたからなぁ……しかも出された飯は食わねぇわ、で困ったもんだ」
「そ、その節はご迷惑をお掛けしました……」
「あはは。ま、そう思うのなら、俺達にもう少し茶化させてくれ。お前があんな日に戻らねぇようにな」
「はい……」
恥かしげに、トリンが小さく頭を下げる。と、そうしてどうやら彼らには恒例となるらしいやり取りを終わらせた所で、料理長がソラを見た。
「で、オーナーから聞いてたんですが、それが新しいお弟子さんで?」
「うむ。まぁ、こちらは健啖家じゃ。心配は無用じゃぞ」
「ちょ、ちょっとお爺ちゃん!」
「「あははは」」
恥ずかしげに抗議の声を上げたトリンに、こちらも冗談めかしたブロンザイトと料理長が揃って笑う。と、そんな笑いが収まった所でソラが自己紹介し、三人はテーブルに通された。
「へー……」
「ソラよ。何か食べたいものはあるか?」
「……いや、その……ほとんど何がなんだかわかんないです」
ブロンザイトの問いかけに、ソラはメニューから視線を外さずに首を振る。大半の料理は聞いたこともない物ばかりだ。折角他国に来ているのだから珍しい料理を食べたい所だが、何がなんだかさっぱりなのでどれをどう頼むべきかさっぱり分からなかった。
「ふむ……であれば、とりあえずここらの料理でも頂くかのう。トリン、お主もそれで良いか?」
「うん。折角だからね」
ブロンザイトの問いかけを受けたトリンは折角なので、と異論はなかったようだ。どうやらミニエーラ公国には久しく来ていなかったらしい。なので郷土料理を食べておくのも良いか、と思ったらしかった。というわけで、ウェイターに注文をして、三人は料理が出来るまで暫く待つ事にした。
「色々とあるんですね……飲み物一つにしても、やっぱりマクスウェルとは違う。これも桃に似てるけど、桃じゃない気が……」
「そうじゃのう。それはここらで採れる果物を絞った、公国では一般的なジュースじゃ。それを使ったカクテルもあるそうじゃのう」
「へー……」
ソラはブロンザイトに勧められて頼んでみた何らかの果物を使ったジュースをしげしげと見つめる。味は桃に似ているが、どこかアーモンドに似た香りもある。
なお、これは後にカイトが教えてくれた事だが、この果物は地球で言う所の蟠桃と呼ばれる珍しい桃の一種に近いらしい。それがこちらに合った品種改良がされた物、と言う所だろう。
珍しいのにカイトが知っていたのは、地球では斉天大聖こと孫悟空とは懇意にしている為、彼女が好んだとされる蟠桃を知っていたらしい。西遊記に描かれている桃のモデルとされているのが、この蟠桃らしかった。そうして、そんなエネフィア版蟠桃ジュースを一口口にして、ソラがトリンを見た。
「にしても……お前、昔はもっと痩せてたのか?」
「あ、あははは……うん。お爺ちゃんに拾われる前に色々とあってね」
「あの頃のお主は本当に手の掛かる子じゃったのう」
「もう……反省はしてるよ」
拗ねた様にトリンが口を尖らせる。そんな彼に対して、ソラがブロンザイトへと少し楽しげに問いかけた。
「どんな子だったんですか?」
「あ、ちょっと!」
「そうじゃのう……儂の言うことなぞ全く聞かんでのう。飯もろくに食わぬわ、とホトホト困り果てたもんじゃ」
「もー! お爺ちゃん!」
「「あははは!」」
顔を真っ赤にして恥ずかしげに声を荒げるトリンに、ソラとブロンザイトが声を上げて笑う。と、そんな話をしていると、あっという間に時間が経過する。気付けば、三人の囲むテーブルにはソラの見たことも無い豪快と言える料理が並んでいた。
「うお! すげぇ!」
「豪快じゃろう? ここらにはやはりドワーフ達が多い。それ故、ここらの郷土料理には豪快な料理も多い」
「はー……」
ブロンザイトの言葉を聞きながらも、ソラの視線は目の前に置かれた料理に注がれていた。それを一言で言い表わせば、豪快な肉料理と言って良い。分厚い肉を豪快に焼いて、色々な香辛料をふりかける。見ただけを述べればそれだけだ。が、それ故にひと目見て美味しだろう、と理解できた。
「まぁ、何かを語るより食べた方がわかり易かろう」
「はい! じゃあ、頂きます!」
笑うブロンザイトの促しに、ソラは手をあわせる。そうして、ソラはミニエーラ公国最初の一食を心ゆくまで堪能する事にするのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第1612話『ミニエーラ公国』




