第1608話 賢者と共に ――古い約束――
ソラが乗った飛空艇は、エマニュエルの衝撃の事実を最後の手土産として出発していった。そんな飛空艇を、少し離れた所から見ていた者が居る。
「閣下。準備が整いました」
「ん、ああ。わかった」
ストラの報告を受けて、カイトはソラの乗る飛空艇から視線を外す。と言っても、こちらに居る彼は使い魔。コレットの面接を行っていた物と同一個体で、本体ではない。
そもそもの話として、彼が使い魔をこちらに差し向けたのには理由があった。コレットの面接はついでなので行ったというだけだ。本来はユハラが行う所を、カイトが追加で入っただけだ。秘書室の人員を増やすから、と別に彼が直接面接をする意味はほとんど無い。それなのに来ていた以上、それは意味があるのだろう。
そうして、カイトは使い魔を操って今回来た目的の場所を目指す事にする。そこはヴォダから少し離れた小さな街だ。もう知っている者の方が少ないだろう。そこの奥地にある古い神殿の墓場に、用事があった。
「お久しぶりです、お隣さん。また会いましたね。ウチの地酒ですが……何時かの約束通り一杯、持ってきましたよ」
カイトは古ぼけた墓の前に腰掛けると、少しだけ苦笑して小さな盃を二つ添える。ここに、先にソラが戦った組織の初代が眠っていた。お隣さん、というのは偶然に出会ったからお互いに名前も知らない相手だ、と言う為だけの言い訳の様な物だ。
「結局……貴方の言った通りになっちまいましたか」
初代の眠る墓の前で、カイトはゆっくりと口を開く。実のところ、初代の頭首はここまで見通していたらしい。いや、より正確に言えば、自分の想い等が受け継がれる事なく潰える事を、というべきだろう。そうして思い出したのは、その彼との会話だった。
『俺ぁ長くはねぇでしょう。なにせ稼業が稼業……恨まれますんで。ですが、そんな俺達も仁義を欠く事なく。決して、カタギに迷惑は掛けねぇ……それが俺達の俺達なりのモットーでさぁ』
長生きは出来ない。口癖の様に言っていた言葉と自分のモットーを語って笑った初代頭首の顔を、カイトは今も覚えている。確かに誰かに誇れる商売ではない。
が、それでも彼らには彼らの筋があり、こちらが筋を通す以上は決してその領分を越える事はなかった。勝手に勘違いされる者より、自分なりの一本の筋を持つ者。そちらの方が遥かにやりやすい。何をしてはならない、と分かるからだ。
そしてこの彼らは誰より、わかりやすかった。彼らのシマでは薬を売らない。女に関する商売は組のルールに従う。この二つだけで良かった。よくあるみかじめ料さえ、強要はしなかった。保護が欲しいなら出せ、と言うに過ぎなかった。
『この度はウチのシマのモンが迷惑掛けやした。手間ぁ掛けさせて申し訳ありません』
『親分さん……いや、これは貴方こそ迷惑を掛けられた側だ。そう何度も頭を下げないでください。部下の手前もあるでしょうに』
『俺達は所詮は裏のモン。手前様と住む世界が違う。なら、それ相応の筋を通さねぇといけやせん』
上に行くにつれ、頭を下げられなくなる者は少なくない。特に彼らの稼業だ。舐められれば終わり、という側面が無いわけでは決して無い。
が、この初代はそんな事を気にせず、それこそ時として部下や衆人の前で憚ること無く頭を下げた。それ故、彼は街の住人達から受け入れ、時として彼らの苦境には密かに寄付さえされた事もあったそうだ。
『それに、俺の面子でしたらご心配なさらず。ここは酒場。酔った勢いで、とどうにでも出来ます……あれの親父にはけじめ、付けさせやした。あんなクズでも、俺にとっちゃ数少ない肉親です。あいつにとってもただ一人の血を分けた親です。もう二度とここらには近寄らせません。組からも破門させました。どうか、命まではご勘弁を』
ある事件で頭を下げた初代との一幕が、カイトに思い出された。が、それ故に浮かんだのはやるせなさだ。この時に追放されたのが、後に彼の孫の後釜を狙った従兄弟筋の高祖父だった。
(確か……サリアさん曰く、情にほだされて連れ戻したんだったか。老いた親を哀れんだ、か)
初代の従兄弟だが、これもまた出来た人物だったらしい。が、如何せんこの従兄弟の父が悪かった。事件から十数年が経過して老いて病に冒された親と再会したこの従兄弟は、やはり父と哀れんだらしい。
すでに二代目と後継者となっていた三代目に頭を下げて、病気の治療の為にと街からの追放だけは取り下げてもらったのだそうだ。二人も自身の後見人で、永きに渡って組織を支えてくれた恩人の父ですでに年老いて病気だから、と追放を取り下げたそうだ。
が、そうして何年と過ぎ行くウチに、この従兄弟の父の野心が再び顔を覗かせた。従兄弟の子――彼からすれば孫――に野心を植え付け、何時か自分の果たせなかった宿願を果たせる様に仕組んだらしい。この彼が、従兄弟の死後に四代目の後見人となるのであった。
『あいつは出来た奴なんですが……情が深いのだけが心配でさぁ』
従兄弟の事について初代が語った言葉を、カイトは思い出した。どうしても彼らの様な職業だ。ある程度の非情さは必要だった。そしてその横で仏頂面ながらもわずかに恥ずかしげだった従兄弟の顔も、カイトは覚えていた。
『おそらく、俺が死んだ頃にでもあいつの親父が戻ってくるでしょう。その時、俺達がどうなってるかまでは見通せませんが……もし何か悪さするようなら、その時は頼んます。こいつの頼みでもあります』
『縁起でもない。そうならない様に、貴方や彼が居るんでしょう』
『あはは。そうですけどね……俺達の稼業だ。長生きは出来やせんので……』
何時もの口癖を告げる初代の顔を、カイトは再度思い出す。そうして最後に思い出したのは、そんな彼の遺言だった。
『お隣さん……偶然にも酒場で酌み交わした仲だ。最後の頼み、聞いてやくれやせんか』
『……ああ』
『こいつが居る間は大丈夫なんですがね……もし、遠い未来。ウチのモンがカタギに迷惑掛けるのなら、そしてもしけじめの付け方忘れたってんなら……頼んます。引導、渡してやってくだせぇ』
『……わかりました。偶然とはいえ、酒を酌み交わした仲。お引き受け致しましょう』
『ありがとうございやす……これで……安心して……』
最後に血まみれの身体を押して頭を下げてそのまま死んだ初代の姿を、カイトは忘れていない。その横に立っていた従兄弟の姿も、だ。彼が泣いている姿を見たのは、後にも先にもこの一度のみ。そうして、その彼が初代の身体を横たえた後、座ったまま頭を下げた。
『……お隣さん。どうか、親分の遺言を頼みます。常には俺が見張ります。が、俺とて何時かは死ぬ。その後は、どうか』
『ああ』
二人との最後の会話を思い出し、カイトは一度目を閉じる。そうして、目を開いた彼は口を開いた。
「……お隣さん。お付きの方……お二人との最後の約束……確かに、果たさせて頂きました。渡世の者がこちらに迷惑掛けた以上、こっちのルールでしっかり裁かせて貰います。ですのでどうか、安らかにお休みください」
深々と、カイトは墓へと頭を下げる。これで約束はしっかりと果たした。状況が状況故に自分の手でけじめを付けさせてやる事は出来なかったが、これで彼らも安らかに眠れるだろう。
「……ふぅ」
頭を下げたカイトは盃に酒を注ぐと、持ってきていたもう一つにも酒を注ぐ。これは自分の分だった。そうして一杯飲み干した彼は、従兄弟の分と酒を注いだ盃を見る。
「結局、貴方とは一度も飲めないままでしたか」
初代の従兄弟だけが、公的にカイトが初代と会っていた事を知る唯一の人物だ。そして唯一、その場に同席していた人物でもある。だが、おかしな事に一度も彼と飲み交わした事はなかった。
勿論公的に、であるし酒場で会っていてどちらも有名人なので当然、街の住人達も周知の事実だった。が、初代を慕った住人達は揃って笑いながら見て見ぬふりをしたし、今はもはや誰も知らない様に誰一人として口外はしなかった。酔ってて覚えていない、と誰もが笑って流したのだ。
『お付きの人。貴方は飲まないんですか?』
『へい……親分が酔ったら連れて帰らないといけやせんので……』
カイトが何度かただ立ってつまみだけを口にする従兄弟に問いかけた際に、彼が言っていた事だ。が、それが嘘だという事を、彼は知っていた。
『実はあいつ、下戸でしてね。年始の祝いの席でも一杯しか飲めねぇんですよ』
『そ、それは……失礼な事をしていましたか。今度、彼が戻った時には詫びさせて下さい』
『あっははは。気にしないでやってくだせぇ。あいつもそれが恥ずかしいってんで、無理に飲もうとするんで……俺が止めてるんでさぁ。あいつの事を思うのなら、知らぬ存ぜぬを通してやってくだせぇ』
一度だけ従兄弟が欠席した席で初代が笑いながら言った事を思い出して、カイトは思わず笑みを零した。
「……」
暫く、静かにカイトは酒を飲む。そうして酒瓶を半分ほど空けた所で、カイトは立ち上がった。
「……まぁ、またどこかで会ったら一緒に飲みましょう。こうして会ったのも何かの縁でしょう。なら、次がまたあるかもしれませんしね」
これが、何時もの別れの挨拶だ。ここで会ったのは単なる偶然。酒飲みと酒飲みが酒場で偶然にも出会った、というだけだ。次に会えたとしても、それは偶然だ。
というわけで、彼は半分だけ残る酒瓶をそのままに、墓場を後にする。酒瓶や盃は後で神社の側が回収してくれる手はずになっていた。相変わらず、そこらの手抜かりはなかった。と、そうして墓場を後にしたカイトが墓場の入り口までたどり着いた所で、影に隠れていたストラが現れた。
「閣下。もうよろしいのですか?」
「ああ……人払い、すまなかったな」
もう誰もここがラグナ連邦で最大の地下組織の初代が眠る墓とは知らない。が、それでも彼や当時の街の住人達が墓まで持っていったのだ。なら、カイトもそれに応じて、誰にもばれない様にしていた。と、そんなカイトにストラが首を振った。
「いえ……親分さんには私も世話になりましたので……」
「ん? そんな事があったのか?」
「ええ……色々と運営に行き詰まった際、彼のやり方を参考にさせて頂きました」
「なるほどな……元々組自体はあったが……あそこまで大きくなったのは親分さんの手腕が大きかったもんなぁ……」
ストラの言葉を聞いて、なるほど、とカイトは思った。こういう先人の知恵を取り入れていくのは、マクダウェル家の最大の強みと言えるだろう。
特にこういう水商売関連に関しては、街の運営に長けた賢者達もあまり得意とはしていない。どこの書物も大抵隠してしまうからだ。故に、こういう初代の様な人物の手腕を参考にさせてもらったのだろう。
「……」
「……」
僅かな感傷を滲ませるカイトに、ストラはただ黙してその後ろに付き従う。そうして暫く歩いた所で、カイトは西を見た。
「ストラ。頼んでおいた仕事はどうなっている?」
「は……ご命令通り、すでに何時でも可能となっております」
「そうか……賢者ブロンザイト。流石は、という所か。弟子の思考回路ぐらいお見通しか」
カイトは笑いながら、ソラ達について言及する。彼らがどこへ向かうのか。それを実はカイトはずっと前から知っていた。この流れをブロンザイトが予言していたからだ。と、そんな彼に、ストラが問いかけた。
「閣下。よろしかったのですか?」
「……知らんよ、それはな」
ストラの問いかけにカイトは僅かな悲しさを滲ませながら、首を振る。何が正しく、何が間違いなのか。それは勇者である彼にもわからない。いや、わかった事なぞ滅多にない。今回もまた、わからない事の一つだった。が、そんな彼にも一つ分かっていた事がある。
「が、賢者がそれを最良とされたのだ。なら、オレは素直にそれに従おう」
「……閣下らしくないお言葉ですね」
「……そうだな」
微笑んだストラの言葉に、カイトは僅かな苦笑を滲ませる。大抵、賢者が止める事を自分が嫌だから、というだけでやってきたのが彼だ。そしてその結果、賢者達に時には愚者の方が良いと言わせてきた。その彼が賢者の最良に従う。確かに、らしくない。
「……いや、良いか。ストラ、お前ももう戻ってくれ。飛空艇は用意してあるからな」
「かしこまりました」
ストラに言うだけ言うと、カイトは使い魔を消失させる。それを見届けてストラもその場から立ち去って、誰にも知られる事なくやって来た男は誰にも知られる事なく、去っていったのだった。
お読み頂きありがとうございました。明日からは新章です。
次回予告:第1609話『ミニエーラ公国』




