第1606話 賢者と共に ――エピローグ――
ラグナ連邦に蔓延っていた地下組織。その掃討作戦を実施して数日。その間幾つもの手配を行っていたブロンザイトであったが、ひとまずはヴォダ市の情勢は安定を見る事となった。
「これで、ひとまずですかのう」
「いえ……今まで有難うございました」
ブロンザイトの言葉にムルシアが頭を下げる。ヴォダ市の新しい市長を決める市長選挙は来月告示の再来月初頭に実施される予定で、流石にそこまで留まる必要はない。
先にもブロンザイトが言っていたが、彼らはあくまで流れ者。故にこういった市長選の手配等は政府が無事なら政府が行うべきだろうし、そちらの方が慣れている。下手に手を出す必要はない、と判断していた。どうせ結果は新聞で報道される。それで知れば良いだけだ。
「いえ、いえ。これで市民の生活も少しはよくなるでしょう」
「ええ……ああ、では後は私が引き継ぎます」
「ありがとうございます」
ブロンザイトはムルシアに頭を下げると、見送りを断ってその場を辞去する事にする。新しい市長が決まるまでは副大統領であるムルシアが政治を代行する事になり、暫くは彼の方はこのままヴォダに留まるそうだ。
大統領の方は首都ラクスから支援してくれる事になっており、一応顔を見せに来たもののそれっきりだ。大統領の側は組織壊滅後の混乱に伴う対処もある為、全国的な指示を行うとの事であった。
「組織を壊滅させてそれでおしまい、ではない。当然じゃが、組織の後釜を狙う組織もあろう。その組織に入られぬ様するのも、重要な事じゃ」
「はい」
ブロンザイトの解説にソラが一つ頷いた。色々とこの街では学ぶ事は多かったが、それももう後数日だった。と、そんな二人の所に、トリンが帰ってきた。
「お爺ちゃん。出国の許可は貰ったよ」
「おぉ、そうか。すまんな」
「うん」
ブロンザイトの感謝に、トリンは貰ってきた書類を手渡す。そうして三人は市庁舎を後にする事にした。そんな道中で、トリンが口を開く。
「にしても、久しぶりだね。行く宛も無く旅するのって」
「そういえばそうじゃのう。ここ暫くはカイト殿からの呼び出しに備えたり、と色々としておったからのう」
「前はどれぐらいだったんですか?」
「ふむ……まぁ、この三年は基本はこの組織の一件に取り掛かっておったが……その時々に応じて他大陸にも行っておったからのう」
「基本はエネシア大陸で、目的に応じて他の大陸って所だったかなぁ……」
ブロンザイトの言葉にトリンもまた中空を見詰めながら自分の記憶を呼び起こす。三年前の敗北から、基本的に二人はこの案件の調査を行っていたらしい。
が、調査はどうしても時間が掛かる。更には組織の大きさから他大陸にも触手は伸びており、時には他大陸に出掛ける事もあったそうだ。そんな中でやはり他大陸に向かえば他大陸での揉め事もある。そういった所に手を貸して、としていたそうだ。というわけで、トリンが口を開いた。
「本当に三年ぶりぐらいかな。何の目的も無しは」
「うむ……ここ当分は本当に色々とやっておったのう……まぁ、ここまで都合よく進んだのは、やはりカイト殿が帰還されたという所が大きいのう。彼でなければ<<無冠の部隊>>は動かせん。あれが最後の一押しとなってくれた」
トリンの言葉に同意したブロンザイトは改めて、カイトが全てのきっかけだった事を明言する。彼との会話の折り、おそらくそろそろ指導部に困窮が生じるだろうと見通していたのは事実だ。それを見越してカイトの所に行き、支援を対価に一人弟子を受け入れる。それが、彼の今回の目論見の一つだった。
「ふむ……とりあえず東に向かうか、と思うたが……どうするかのう」
「とりあえず今だと……東のミニエーラ公国が一番良いんじゃない?」
「ミニエーラか。それは良いのう。丁度和平の締結もあり、治安は随分と回復したとの事じゃしのう」
トリンの提案にブロンザイトが笑って同意する。と、そんな聞いたことのない国に、ソラが首を傾げた。
「ミニエーラ公国、ですか?」
「まぁ、お主は知らぬのも無理はない。教国を挟んだ反対側の国じゃからのう」
「長閑な国だよ。鉱山と農耕で成り立ってるね」
「ミニエーラ公国では、特殊な鉱石が産出されてのう。それを特産品として、各国に輸出して成り立っておる。他にも農作物を輸出しておるのう」
「へー……」
レアメタルみたいな物かな。ブロンザイトの解説にソラはそう理解する。と、そんな彼にトリンが更に教えてくれた。
「国の規模としてはそこまで大きくはないよ。えっと、どれぐらいだったかな……」
「確か儂が聞いた話とカイト殿の話された話を合わせると、四国ぐらいの大きさという事らしいのう」
「なるほど……」
ブロンザイトの補足を聞いて、ソラは大凡どの程度か理解する。地球の数倍の表面積を持つエネフィアだ。それを鑑みれば、間違いなく小国と言って良いだろう。
「基本は北部に山があり、南部に穀倉地帯がある。今の時期じゃとギリギリまだ雪は積もっておらんじゃろう。少し山々を見て南に向かい、首都を通り抜けた辺りでお主とは別れて儂らは更に南へ向かう事にするか」
「それが良いかもね。今の時期から更に北に行くと着いた時には降雪が怖いし」
「では、そうするかのう……トリン。スマヌがこのままミニエーラの大使館へ向かい渡航許可を貰って来てもらえんか」
「うん」
ブロンザイトの指示に、トリンが笑って進行方向を少しだけ逸らす。ヴォダには国際空港があるので、よほどの他大陸の小国でもなければ各国大使館も揃っている。そしてこういった申請であればトリンも慣れたものだ。そうして、トリンと別れた二人はそのまま歩いてホテルへと帰る事にするのだった。
さて、ホテルへ帰り着いて少し。ブロンザイトは自身が書き溜めた地図の一枚を取り出した。
「さて……ソラ。これがミニエーラ公国の大まかな地図じゃ」
「へー……」
ソラが地図を見て思ったのは、やはり言われた通り北部に巨大な山林があり、南部には穀倉地帯があるという事だ。
「さて……で、このミニエーラ公国であるが、この南部の中心のミニエーラを首都として成立しておる」
地図を広げたブロンザイトは碁石に似た石を一つ手に取ると、南部の穀倉地帯の中心付近にそれを置いた。この場所に、首都があるらしい。周囲を肥沃な大地に囲まれた場所という所だろう。
「で、今回儂らが目指すのは、この北部のロツという街じゃな。北部有数の街で、鉱物資源の加工技術に優れた国でもある」
「移動は飛空艇ですか?」
「うむ。まぁ、何時もの儂らなら呑気に馬車で移動、という事も多いんじゃが……今回そこまで馬車で行けばあっという間に時間が終わる。急ぐわけでもないが、折角じゃ。ミニエーラの草原や山々を見て、というのも勉強になろう。ここらは都会じゃからのう。田舎の国には田舎の国の見所があるわけじゃ」
「ありがとうございます」
ブロンザイトの気遣いに、ソラが頭を下げる。そんな彼にブロンザイトも一つ頷き、更に話を続けた。
「うむ。で、よ。ここから公都ミニエーラを目指すには幾つかのルートがあるが……まぁ、基本はこのルートで良かろう」
「遠回りなんですか?」
「うむ。ほれ、この山が分かるか?」
ソラの問いかけに対して、ブロンザイトはロツという街からミニエーラへ直線を引いた途中にある幾つかの山脈を指し示す。
「この山は高度が高くてのう。お主の様な冒険者であれば楽に越えられるかもしれんが、儂らの様な者には辛い。なので迂回してのんびり行くのが、丁度よいんじゃ」
「なるほど……」
ソラはブロンザイトの言葉に、重要な事を一つ理解する。基本的に冒険者となると自分達を中心に行動可能範囲を考えがちだが、それ以外の者と同行するのであればそちらを基準に考えねばならない。なので山越えは危険だろう。もし依頼人が同行するのなら、それはしっかり含めておかねばならなかった。
「まぁ、ここらの移動は半月で終わるが、先にも言うた通り今回は急ぎの旅ではない。なので途中の街々でのんびりすれば良いじゃろう。それに、今回はお主も疲れたじゃろう。実は道中に温泉街もあるのでのう。そこでしっかり休めば良い」
「あ、ありがとうございます」
「うむ。儂も疲れたので、そこらで一度湯治する予定じゃ。お主もしっかり休め。で、最後の長旅を行い、最終目的地となるミニエーラとなる」
ソラの感謝にブロンザイトは一つ笑うと、そのまま更に次の道筋を指し示す。基本的にロツから二日で温泉街に到着し、そこで数日逗留して湯治。そこから数日掛けて宿場町を経由しながら、二週間ほど掛けてゆっくりミニエーラを目指す予定だった。で、最後のミニエーラで二週間ほど観光を兼ねてミニエーラ公国を見て回り、ソラは皇国に帰国が今の所の予定だった。
「まぁ、当時が終わってからも途中で何度か魔物との戦闘はあろう。なので気を付けねばならん。折角湯治して怪我をしては元も子もないからのう」
「あはは……はい、気を抜かない様に気を付けます」
少し冗談めかして笑うブロンザイトに、ソラもまた笑って頷いた。ここらは何度も旅をして慣れている。なのでソラも抜かりはなかった。そうして一通り話を終わらせた所で、ブロンザイトは地図を丸めてカバンにしまい込む。と、そんな時だ。彼の裾から何かがこぼれ落ちた事に、ソラが気がついた。
「あ、何か落ちましたよ?」
「む?」
「よっと……」
首を傾げたブロンザイトに、ソラが屈んで落下した何かを拾う。触ってみてわかったが、どうやら鉱物の様子だった。色はダークブラウン。何かはよくわからないが、鉱物というより宝石に近い様子だった。
「これは……」
「おぉ、すまんのう。懐に入れておったが、動いた時に落ちたか」
「なんですか、これは」
「宝石じゃよ。儂ら珠族は己のコアと同じ宝石を持つのが習わしでのう。身代わり、とでも言えば良いか。願掛けの様な物じゃ。儂の場合は、ブロンザイトじゃな」
ソラから宝石の方のブロンザイトを受け取って、ブロンザイトはそれを懐に仕舞う。これはソラは知らない事であるが、古来珠族は色々と狙われたという。そんな時に身代わりとして己のコアと同じ物を差し出していたのが、始まりだったそうだ。
「ふむ……にしても、落ちては縁起が悪いかもしれんのう。別のにするか」
「? 何かあるんですか?」
「うむ。実は身代わりという様に、何かの厄を逃れられた時には、これを神殿に奉納するのが習わしでのう。なので基本お守りの予備を持ち合わせるわけじゃが……流石にその予備が落ちてはあまりよくあるまい。こういうのは所詮は、験担ぎじゃからのう」
ソラの問いかけに答えながら、ブロンザイトは悩ましげに落ちたブロンザイトをしげしげと見つめる。まぁ、宝石だ。そう安々と手に入るものでもないだろう。
「……まぁ、後で考えるかのう。幸い、今回は何かの厄に襲われたわけでもなし。が、放置すると放置するで面倒じゃしのう」
「あ、あははは……」
ブロンザイトは賢者としては優れた人物だが、私人としては色々とものぐさな面も多かった。今回はそのものぐさな面が出た、という所だろう。と、そんな事をしていると、トリンが戻ってきた。
「ただいまー。ミニエーラ公国の大使館、行って来たよ。やっぱり丁度お祭りの前だったから、少し混んでたね」
「お祭り?」
「うん。今から一ヶ月後ぐらいにお祭りがあってね。収穫祭……と言ってもマクダウェル家のお祭りみたいに巨大な物じゃないけどね。それが開かれるんだ」
「へー」
トリンからの情報に、ソラはわずかに興味が鎌首をもたげるのを自覚する。やはりこういうお祭りは楽しいので、嫌いではなかった。
「うむ。まぁ、最後にお祭りで土産でも買っていけばよかろう。丁度色々と屋台も出るじゃろうからのう」
「はい」
ブロンザイトの言葉に、ソラは少し心待ちにした様子で笑顔で頷いた。そうして、三人は三週間と少し程度滞在したラグナ連邦を出国する準備を始め、その日は床に就く事になるのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第1607話『賢者と共に』




