第1599話 賢者と共に ――幕間・1――
ブロンザイト・トリンの両名と共にラグナ連邦ヴォダ市の治安回復に携わり始めておよそ三日。ソラは久方ぶりに警察署にやって来ていた。と言っても勿論、仕事だ。
「やぁ、久しぶりだね」
そんなソラを出迎えたのはエマニュエルの部下のニクラスだ。彼は今回の事件において、中心人物として動いていた。なので公安警察からの依頼で調書に協力していたらしかった。そしてソラが呼ばれた理由も、それだ。マルセロと行動を共にしていた事実はあるので、一応の調書を取っておかねばならないらしい。
「どうだい、最近は」
「あー。あっちはあっちで色々とやってるっすね。まぁ、基本はお師匠さんの護衛が基本になるんっすけど」
「まぁ、そうなんだろうねー」
どうやら事件が終わったからだろう。ニクラスは再びあのだらけた様子に戻っていた。そうして少しの話し合いの後、彼はエマニュエルの保有する部屋へと通される。と言っても、そこにはエマニュエルは居なかった。
「あれ、エマニュエルさんは?」
「課長ならラクスの方に行ったよ。今回の一件で色々大事になっちゃったからね。あっちで公安警察のお偉方に情報提供や、まぁ……ほら、一応こっちで摘発はしたけど、マルセロ……ロサーノが部下だったからね。少しの間向こうで調書とか取られる事になってるんだ」
ソラの問いかけにニクラスはわずかに苦い顔で教えてくれた。ここら、どうしてもマルセロが部下だった、という事実だけは変えられない。なので彼についても一旦は公権力を停止させられた上、色々と調査されているという事だった。そしてそんな彼は更に続けた。
「まぁ、話は聞いてるよ。それも含めて、なんだろうね」
「仕方がないけど、これもまた仕方がない、ってことっすか」
「どうしてもね」
苦い顔のニクラスに対して、ソラもまた苦い顔だった。何を言っていたかというと、情報屋への接触だ。彼は以前、ニクラスと署長、更にはホセなる人物について情報屋に調査を依頼した事がある。
そして言わずもがな、情報屋とは非合法だ。なのでこの手法はどうしても問題視されざるを得ず、首都に呼び出されても致し方がない事だった。これについてはエマニュエルも覚悟の上と明言しており、呼び出しがあった時点で用意も整えられていたとの事であった。
「まぁ、それより課長としてはあっちの方がショック大きいかもしれないかな」
「あっち?」
「うん……ほら、マルセロの前にホセって奴が居るって言った事、あるだろ?」
「ええ……それがなんかあったんっすか?」
唐突に出された名前に、ソラが首を傾げる。そうして出た内容は、意外な事だった。
「マルセロ曰く、あいつは俺の前任者だ、そうだよ。案の定、今回の一件で連絡が取れなくなってね。地元警察が彼の部屋に行ったんだが……もぬけの殻だったそうだよ。多分、そうなんだろうね。課長、ああ見えて意外と繊細……って、君は知らないか」
「え? でも確か……」
「組織が情報屋にあたっている事を知って、金を握らせたそうだね。課長曰く、順番としては俺、署長、ホセの順番で調べさせたらしい。で、署長の所で課長が部長……当時中央の役人を追っていた警官だって掴んだそうだ。資金にせよ人脈にせよ、あちらの方が上だからね」
「その事を、エマニュエルさんは?」
「おそらく、向こうで聞いてるだろうね」
努めて事務的に語るニクラスの顔は、僅かな怒りがあった。やはり彼も二年間もの間騙されていたわけだ。しかも怪我の心配等で色々と手紙も出していたらしい。全部ウソと知って、やりきれない気持ちがあるのだろう。
「まぁ、ホセの事はあっちの警察か軍がなんとかしてくれるだろうね。これについては俺達じゃどうしようもない。管轄違い、という所でね」
「そうですか……」
出来れば自分の手で手錠を掛けてやりたい所なのだろうが、こればかりは、警察という前提がある。なのでニクラスやエマニュエルがホセなる人物の地元へ行き捜査する事は出来ないらしい。特に今は、だ。無論、彼らを完全に無視して話が進むことはないだろうが、主体は彼らではなくなるそうだ。と、そんな話を少しした所でソラはふと、もう一人足りない事に気が付いた。
「そういえば、フロランは?」
「ああ、彼? 何時も通りだよ。今日は、机の下も確認済みだよ?」
「あ、あははは……変わらないっすねー」
「まぁね」
半笑いのソラに、ニクラスが楽しげに笑う。とはいえ、彼もフロランが事件の翌日ぐらいはめっきり落ち込んでいた事を知っている。なので本当の意味で変わらないわけではない事は分かっていたが、ソラには心配を掛けない様にしていたらしかった。
ちなみに、ソラ達が怪しんだフロランが寝息を立てていなかった理由であったが、焼き肉屋で聞けばどうやら実は起きていたらしい。ただ寝ていた事も事実で、起きた時点でエマニュエルらが来ていた為、密かに出て行って遅刻したフリをするつもりだったそうだ。が、その前にソラに気付かれたので慌てて寝ているフリをしたとの事であった。
なお、コレットについてはすでに連絡があり、次の職場が他国――皇国――となる事で色々と手続きが忙しいらしい。エマニュエルは居ないし、ヴォダ市市警そのものがほぼ停止状態だ。書類仕事もほとんど無く、丁度よいと有給休暇を使い切るつもりらしい。
「なーんか、そうなると寂しいっすね。結構小さい部屋と思ってたんっすけど……」
「あはは。お陰で俺は電話番で有難いけどね。いっそ有給取ろうかなー、とかも思ったけど……誰も居なくなっても問題だからね」
ある意味、一番いつも通りなのは彼かもしれない。ソラはそう思う。元々彼もやる気は無いのだ。それが元に戻っただけだ。
「あ、そうそう。そういえば追ってた強盗」
「あれっすか」
「うん。捕まったよ。この事件に乗じて逃げようとしたらしいけど、逆に軍が厳重に封鎖してたからね。あえなく御用だって」
「あー……」
わからないでもないけど、迂闊は迂闊だなぁ。ソラはこの一週間前ぐらいまで追っていた強盗犯に対してそう思う。今回の一件は完全に連携が取られており、街は軍により一時的に封鎖されていた。
無論、それでも一部の往来は可能だったのだが、混乱の隙を突く事で逃げられるとでも思ったのだろう。あまりに封鎖が早すぎて、あえなく御用というわけらしかった。
「盗まれた物は?」
「半分ぐらいは戻ったらしいね。あと半分は組織の所で、ガサ入れで残りの半分を確保。四分の一はどこかへ流された後で、今は軍が追ってるって」
「組織、っすか」
「らしいね。といっても換金してたのはその下部組織だけど……そっちは昨日、情報を掴んだ軍が乗り込んだそうだよ」
さすがは大国の裏を牛耳っていた地下組織と言うところだろう。至る所に魔の手は伸びているらしかった。それを改めて思い知ったソラは苦い顔だが、元々知っていたニクラスはどこ吹く風だった。
「そういえば……まだ時間もあるし、マルセロに会っておくかい?」
「出来るんっすか?」
「あいつは下っ端も下っ端だし、調書にも協力的っていう事でね。結構自由にやれてるらしいよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて……」
ニクラスの問いかけにソラは一つ頷いて、再び立ち上がる。幸い調書を取るという事で、今日は一時間ぐらい早めに動いていた。それに同じ署内だ。留置所に行くぐらいなら問題にはならないだろう。ということで、二人は署内にある留置所に向かう事にした。
そこの独居房に、マルセロは入れられていた。下手に同室を入れておくと暗殺される可能性がある、という事で独居房になったらしい。他にもヴォダ市の市長と副署長もこことは別、話せない距離の独居房に入れられているらしかった。
「ん? よぉ、ニクラスか」
「やぁ、ロサーノ」
「おう……って、ソラか。よぉ、この間ぶりか」
「おひさしぶりっす。変わんないっすね」
独居房に入れられて手かせが嵌められている以外は何時も通りのマルセロに、ソラは思わず笑いが出た。更には癖になってしまっていたのか、頭も下げていた。そうして少しの挨拶の後、マルセロが口を開いた。
「で、何か用事か? それとも移送が決定したか?」
「いや、単にソラが会いたいってだけでね。調書取りに来たんだよ」
「おぉ、なるほど」
本当に何時も通り、と行ってよかったのだろう。マルセロは何時もの様に笑っていた。と、そんな彼に、ソラが問いかけた。
「そういえば……マルセロさんはどうして組織に?」
「ん? そうだなぁ……まぁ、お前さんなら分かるか。俺の前職」
「冒険者……っすよね? あんだけの腕ですし、戦い慣れてましたし……」
「あっははは。まぁ、分かってたか」
ソラの問いかけに、マルセロは笑いながら頷いた。流石にあれだけの腕だったのだ。おそらく壁越えも果たした冒険者だったのは、疑うまでもないだろう。
おそらく軍が取り囲んだとて逃げ切れるだけの腕利き。ホセなる人物の事を考えれば、組織も万が一が起きない様に気を遣ったというわけなのだろう。そんな彼であったが、一頻り笑った後に少しの苦笑を混じえた。
「……まぁ、もう調書じゃ言ってたんだがな。その様子じゃ、お前さんは聞かされちゃいねぇか」
「はぁ……」
「ここらの事じゃねぇんだが……ちょいと依頼でしくっちまって、依頼人殺っちまってなぁ。まぁ、組織が手を回してくれて手配はされてないんだが……逃げるのに組織の手、借りちまったんだよ。で、色々とな」
マルセロはソラへと隠すことなく、自身の犯罪歴を告白する。なお、ソラが気になって調書を見せて貰った所によると、どうやら依頼人と口論になり、ついはずみで殺してしまったそうだ。
ここで悪かったのは依頼人はそこそこの篤志家だったらしく、人望もあり追手が差し向けられるのは確実だったとの事だ。そこでどうするか、と困った彼は組織に頼んだらしい。
何故こんな事をしたのか、と言われるとどうやら別に相当大きな依頼――低ランクの冒険者が一年は暮らせる額との事だった――を受けていたらしく、捕まるわけにはいかなかった、との事だった。
その後は依頼の達成と共に組織に飼われる事になり、兵隊として数度の仕事を経て前任者の一件を受けて、ヴォダにやって来たらしかった。
「……そうなんっすか」
「あはは。お前さんが気にする事じゃあるめぇよ。冒険者長くやってりゃ、こういう事は一度はあるからな」
なんとも言えない様子のソラに対して、マルセロは苦笑気味に笑い飛ばす。と、そんな彼であったが、一転して神妙な顔で頬を掻いた。
「あー……まぁ、お前は俺みたいにゃなるなや。田舎の農家の五男坊で学無しで、食ってく為に冒険者やって、あんなことしちまったが……頭に血が上ってつい、ってやっちまったら俺達はその時点で人殺しだ。それだけの力持ってる事、忘れんなよ」
「……気を付けます」
「おう……後それとお前さんの一撃、悪かぁなかったぜ。もっと上目指せんなら、頑張りな。帰る為にもな」
「……うっす」
最後に笑ったマルセロの助言を、ソラはしっかりと胸に刻み込む。あの戦い、勝てたのは装備が整っていたからだとソラは思っていた。そして現実として、それは誰もが明言するだろう。それに対して、マルセロは笑って頷いた。
「良し。じゃあ、もう行きな。次に会えるとすりゃ、何十年か後だ。勿論、お前さんがそれまでこっちに居るか、こっちに留まるかの選択した場合だがな」
「あはは……ウチのトップが色々と考えてるんで。帰ってもなんとかなるっすね。ま、そんときゃ面会に来ますよ」
「あっははは。そうか。ま、兎にも角にもそっちも頑張れや」
「うっす。じゃあ、また」
「おう」
ソラは最後にマルセロに頭を下げ、ニクラスに頷いてその場を後にする。そうして再びエマニュエルの課の部屋に戻る道中、彼へと問いかけた。
「そういや、マルセロさんの量刑ってどんぐらいになるんっすか?」
「彼の量刑?」
「うっす」
「そうだねぇ……」
当然だが、ニクラスはマルセロの一件を調べていたし、公安警察の方も彼の方が喋らせやすいと判断したらしい。彼が主軸となり話をしているらしかった。
「……まぁ、懲罰部隊への兵役含みで十年と少しって所かな。彼次第だけど」
「意外と短いんっすね」
「実は大本の事件が事件でね。まぁ、見たら分かるけど、ロサーノ。そこまで言うほど直情的じゃないからね。調べたら結構、情状酌量の余地があったそうだよ。彼の場合、偽装でだらけてた部分を除いた警察としての職務態度を加味したら、勤務態度は悪くなかったからね。フロランの方が悪いぐらいさ。それでなんとかなるっぽいね」
驚いた様子のソラに、ニクラスがマルセロの語らない部分を語る。これがもし金銭目的の強盗殺人であれば情状酌量の余地無しとなるらしいが、今回はどうやら相手がマルセロを侮辱していたらしい。挑発とみなされ、情状酌量の余地があるとなったそうだ。
「まぁ、そう言っても彼はまだ知らないよ。下手に教えて情報を引き出せないより、という上の指示でね」
「? どうしてっすか? その事件から逃げてたんっすよね?」
「実は彼が逃げたのは、その相手が篤志家っていう事でかなり慕われていてね。使用人達が全面的に彼が悪い、と証言するのが分かっていたらしいんだ。実際、事件当初の調書だと彼が全面的に悪いという事になっていてね」
「はぁ……」
よくわからないな。ソラはニクラスからの情報に首を傾げる。なのに何故かマルセロにも情状酌量の余地がある、とされたのだ。わからないでも不思議はない。
「匿名のタレコミがあったそうだよ。それで調べたら案の定、どうやらその篤志家はかなりの冒険者嫌いでね。やむにやまれず依頼を出したけど、相当キツイ物言いばかりだったらしい。その篤志家からの依頼を受けた冒険者達は何時かはこうなるだろう、と思っていたそうだよ。実際、ざまみろ、と証言した人物も居たそうだし……」
「てことは……」
「多分、そうなんだろうね。ロサーノを哀れに思った冒険者か、それとも依頼を受けた冒険者が腹に据えかねる物があって垂れ込んだか……どちらかはわからないよ」
ため息を吐いたニクラスは、同時に篤志家の方も仕方がないんだけど、と思いながらもソラへの会話はここで終わらせておく。これ以上は彼が知る必要が無い事だ。
(まぁ……篤志家の方も家族を冒険者に襲われて殺されてるから、仕方がないんだろうけど……)
やるせないなぁ。ニクラスはそう思う。マルセロが悪い事は悪い。それは事実だ。が、同時に彼とて相当酷い侮辱をされた、とは聞いている。ではその原因となった篤志家は、というと彼とて被害者だ。
八つ当たりをしたくても仕方がないだけの被害を被っている。が、そこで関係のないマルセロに当たったのは間違いだし、その面では自業自得だとしか言えない。やるせなさだけが、後に残っていた。
「……いや、考えてもどうしようもない事か」
「? なんっすか?」
「なんでもないよ。さぁ、戻ってもう少し時間潰そうか」
ニクラスはわずかに抱いたやるせなさを、首を振って追い出した。そうして、彼はソラと共に部屋へと戻る事にして、少しの間時間を潰す事にするのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第1600話『賢者と共に』




