第1592話 賢者と共に ――ヒント――
内通者として最有力候補となるコレット。ソラはニクラスと共に半休を申し出ていた彼女を尾行し、その内偵調査を行う事になっていた。二人はヴォダにおいて最高級の料亭にて謎の男女との会談を行うコレットを見張っていた。
が、その最中。二人よりはるか格上の暗殺者達の手に掛かり意識を奪われ、どこかへと搬送されていた。と、そんな彼であったが、幸いな事に殺される事もなく普通に眼を覚ました。
「っ……ここは……」
気絶させられたソラであったが、幸いな事にその目覚めは悪い物ではなかった。強いて言えば昼寝して眼が覚めた、という所だろう。なので目覚めてすぐは頭が働かず呆けていたが、少ししてすぐに何があったかを思い出して跳ね起きた。
「っ! ニクラスさん!」
跳ね起きたソラは周囲を見回して、一緒に気絶させられたと思しきニクラスの姿を探す。と、そうして彼が見付けたのはニクラスではなく、あり得ない人物だった。
「お、お師匠さん……?」
「うむ……どうやら、してやられた様じゃのう」
目覚めたソラの横に居たのは、ブロンザイトだった。彼は真剣な眼でソラを見ていた。
「あの……ニクラスさんは?」
「無事に保護されておる。今は病院で検査しておるがのう」
「良かった……」
ブロンザイトの返答に、ソラが安堵の吐息を零す。こういう時に彼が嘘を吐くとは思えない。どうやらニクラスも無事らしかった。
「あの、俺達はどうなってたんですか?」
「分からぬ。儂が聞いた時には、このホテルのラウンジにて寝かされておったそうじゃ」
「寝かされてた?」
「うむ」
ソラの問いかけに対して、ブロンザイトははっきりと明言する。と、そうして一頻り自分の事を聞いた後に、ソラは深い溜息と共に肩を落とした。
「はぁ……すいません、お師匠さん。俺が一緒に居ながら……」
「まぁ、負けた以上その点については反省はせねばなるまい。が、此度は些か仕方がない側面があろう。お主の様子じゃと、一切気付けんかった様子じゃな」
「はい……」
一体何が起きたのかさっぱり分からなかった。交戦さえしていないのだ。ただ、一方的に意識を刈り取られた。それが結論だ。十分な警戒をしていたとソラは言い切れるが、油断が無いかと言うとそうでもなかった。というわけで、ソラはその時に何があったか、というのをブロンザイトへと報告する。
「……という感じです」
「ふむ……まぁ、これについては相手が上手いと言ってよかろう。敢えて自らの姿を晒し、油断を誘う。そうして密かに手勢を忍び寄らせ、というわけじゃ」
「っ……」
ブロンザイトの言葉に、ソラの顔が悔しそうに歪む。言われれば簡単な策略だ。なのに、それにまんまと引っかかった自分が恥ずかしかったし、悔しかった。そんな彼に、ブロンザイトはある種冷酷だった。
「うむ。これはお主の油断と言うしかあるまい。気を付けよ。これぐらいであれば、十分に防げた筈じゃ。壁を越えたと油断せず、相手は更に上が居るかもしれん。それを、しっかりと胸に刻め」
「……はい……」
怒られないのが、ソラには逆に辛かった。ただ淡々と事実だけを指摘される。それ故尚更に、自分の非を認めるしかなかった。と、そうして一頻りソラを嗜めたブロンザイトであったが、真剣な顔のままで一つ彼へと問いかけた。
「……ソラよ。落ち込んでいる暇は無い」
「っ……はい」
「うむ……お主に聞きたい事がある」
「はい、なんでしょうか」
ブロンザイトの言葉を受けて、ソラはなんとか気を取り直して頷いた。それに、ブロンザイトはローブのポケットから何かを取り出して、ソラへと渡す。
「これに、見覚えは?」
「これは……ボタン、ですか?」
「うむ。お主のポケットに入っておった」
ブロンザイトがソラの手に乗せたのは、金縁が施された漆黒のボタンだ。少なくともソラの衣服に付けられているボタンではない様子だった。
「これが、俺のポケットに?」
「うむ」
「……」
ブロンザイトの頷きを受けて、ソラは改めてボタンを確認する。特に変わった柄が刻まれているわけでもない。敢えて特徴的と言えるのであれば、金縁で中心に小さな赤い宝石が嵌められていたというぐらいだ。高級な物以外に何か特徴はない。
そんなある意味普遍的なボタンにしか見えないのに、ソラにはどうしてか見覚えがあるというか、何か引っかかる様な感じがあった。そんな彼の顔を見て、ブロンザイトが一つ唸る。
「ふむ……見覚えはある。が、思い出せんと言った所か」
「……すいません」
「いや、良い。それが正解じゃ。お主が即座に気付けば、儂は逆にお主の知性を些か侮っておった事になるからの」
「?」
ソラの返答に、ようやくブロンザイトが少し楽しげに微笑んだ。どうやら彼にはこれが何か分かっているらしい。そんな彼に、ソラが問いかけた。
「これは何なんですか?」
「ふむ……そうじゃのう。ま、見たままボタンと言って間違いはあるまい」
「そ、それはそうですけど……」
「ふぉふぉ……そうじゃのう。では、少しだけヒントをくれてやるとしよう。その中心に嵌ってあるのはルビーじゃ」
「は、はぁ……」
楽しげに告げられた言葉に、ソラが困惑気味に頷いた。赤い宝石だ。ソラとしても大凡はルビーだろうな、とは分かっていた。というより、彼の場合ぱっと思い付く赤い宝石はルビーかガーネットしかない。それを改めて念押しされる意味が分からなかった。
「ま、これで後は少し推論を重ねれば、自ずと裏切り者は理解出来よう」
「コレットさんではない、と?」
「儂はなーんにも言っとらんよ? コレットやもしれぬし、そうではないやもしれぬ」
ソラの問いかけにブロンザイトは楽しげだ。どうやら、ソラをからかって楽しんでいる様子である。
「まぁ、お主が内通者の正体に気付く気付かぬは別にして、内通者の捕縛は明日行う。作戦は決行直前に指示する故、それに従え。また、そのまま一気にこの街の市長の捕縛に入る」
「市長の?」
唐突に言われた言葉に、ソラが思わず目を丸くする。とはいえ、これはわかろうものだ。そもそも彼らが内通者を捕らえようとしているのは、証拠の隠滅や情報を相手に取られて逆手に取られる事を警戒しての事だ。ブロンザイトが三年の月日を経てラグナ連邦に戻ったのとてそもそも、地下組織の壊滅が可能と踏んだからだ。その証拠を盗まれるわけには、いかないだろう。
「うむ……三年間、儂は各地を回りながらこの地下組織の情報を集めておった。それでここの市長を逮捕するに十分なだけの証拠を手に入れてのう。今はカイト殿に預けておるが……儂の指示一つでマクダウェル家の息の掛かった密偵が儂の下に届けてくれる事になっておる」
「そ、そうなんですか……」
全然知らなかった。ソラはブロンザイトの行動の意味の一旦を知り、眼を見開いた。流石にラグナ連邦に蔓延る有数の地下組織も、マクダウェル家の密偵には勝てなかったらしい。なんとか情報の回収をしようと思ったが、流石に出来なかったそうだ。
「うむ……ソラよ。何故内通者が己の存在に気取られながらも、そのまま残っておると思う?」
「え? それは……情報が欲しいからじゃ」
「うむ。情報が欲しい……その最たる物が、儂が握っておる情報というわけじゃ。故に今、内通者は逃げるに逃げられん。これを是が非でも隠蔽せよ、と市長より言われておる事じゃろう」
道理は道理だ。マクダウェル家にある情報を手に入れろ、と言われた所で敵とて無理は知っている。マクダウェル家に手を出せば一巻の終わり。あまりに常識過ぎる。
とはいえ、マクダウェル家が持っているだけでは証拠として使えない。ラグナ連邦の警察に何時かは提出せねばならないのだ。とはいえ、そうなればなんとかなる可能性はある。が、それは当然こちらに警戒されている。となると、もう件の内通者ぐらいしか出来る事ではなかった。
「まぁ、些か強引な手段を選ばざるを得ぬじゃろうが……それでも、マクダウェル家に手を出すより成功の見込みは高かろう。それに、証拠さえ手に入ってしまえば向こうは如何様でも出来る」
「確かに……証拠が無いと逮捕出来ませんもんね」
「うむ。証拠さえ手に入れば、内通者はバレても些かも問題ない。なにせそれで任務は終わりじゃからのう。ま、後でまた別の内通者を入れたりするじゃろうが……今居る内通者の仕事はそれで終わりと考えてよかろう」
これについてはソラもまた道理と思うだけだ。そしてそれ故、ブロンザイトもまた頷いて立ち上がった。
「ソラ。儂は最後の確認と手配に向かう故、お主はこのまま明日まで誰が内通者か考えよ。それが、儂からの今日の課題としようかのう。なお、トリンももう勘付いておるので、あれに聞くのも無しじゃ」
「え、あ、はい」
楽しげに告げたブロンザイトの言葉に、ソラは自分一人だけが理解していない事を理解し、同時にやろうとすればもう気付ける事を理解した。そうしてブロンザイトが去った後、ソラは一度深呼吸した。
「……ふぅ……おっしゃ! やるぞ!」
ぱしん、という小気味よい音が鳴り響く。ソラが自分で自分の頬を叩いたのだ。やはり失態を犯した直後だ。彼としても気落ちしていた。が、落ち込んだままでもいられない。故に己で己に喝を入れたのであった。そうしてそんな彼が見るのは、相変わらず握られたままの金縁のボタンである。
「これが最後の手がかり、ってわけなんだよな……」
このボタンは何かが引っかかるのだ。それが思い出せない。が、これを思い出せば自然と犯人が分かる、という事だろう。故にソラは一度目を閉じて、己の記憶を保管している領域へと沈み込む。
(どこだ……? どこで見た……?)
記憶を保管する魔術は幾つかあって、その内ソラが使っている物はパソコンの検索に似ている。自分の調べたい情報で検索に掛け、記憶をソートして取り出すのだ。というわけで、ここで調べるべきキーワードは、『ボタン』『金縁』『ルビー』と彼は考えた。
(……えっと……)
ボタンと入れただけでは、無数の情報が浮かび上がる。それこそなんだったら由利がほつれたボタンを修繕している姿だって浮かび上がる。ルビーだったら由利やナナミにプレゼントしたネックレスの一つだって出て来た。そういうある意味無意味な情報をソラは除外していく。
(……あれ?)
そんな作業を一時間ほど続けた頃合いだろうか。ソラがふと訝しむ。何度検索しても、該当件数は無いのだ。そうして、彼は一度視線を机の上に置いたボタンへと戻す。
「無い……?」
どこかで見た、もしくは聞いた記憶はある。なのに、記憶にない。ソラはボタンを見ながら訝しむ。とはいえ、見た事がないはずはないと思っていた。ブロンザイトが自分は知っている筈だと言っていたのだ。であれば、見た事がない筈がない。
「何か間違えてる……のか……?」
わからない。が、出てこないということはつまり、これが間違っているという事に他ならない。ということで、ソラは改めて条件を考え直す。
(ルビーって言葉を出したのなら、確実にこれは条件に当てはまる筈だ。ルビー……えっと、なんだっけ)
ソラは改めて条件を洗い出すべく、今回の謎で重要な事を取り出して考えてみる。そうして彼は一度ルビーについて考え、学校で習った知識を思い出した。
(ルビー……科学的にはサファイアと同じ酸化アルミニウム、だっけ。通称はアルミナ)
これに不思議な所はない。単に科学的な性質を口にしているというだけだ。故にソラも特には疑問に思わず、更に酸化アルミニウムの化学式等を思い出す。
(金縁で黒のボタン……だからなんだ。いや、マジでだからなんだよ)
改めて思い直して、ソラは金縁のボタンなぞありふれていると思わず笑った。これでボタンに何かの意匠が彫られているのならまだしも、単に金で縁取りされた漆黒のボタンというだけだ。金が純金か単なる金メッキかはわからないが、純金でなければ言うほどもない額だろう。
(……)
幾つもの条件を思い浮かべ、ソラはそれを考えては消していく。そうして、彼はその日一日中ブロンザイトの宿題に取り掛かる事になるのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第1593話『賢者と共に』




