第1591話 賢者と共に ――張り込み――
強盗事件の調査の外回りを偽装として、半休を取ったコレットの尾行を行っていたソラとニクラス。彼らは自分のマンションへと帰宅したコレットを見張る事になっていた。
そうして張り込み開始から一時間後。彼らの前にきちんとした姿に着替えたコレットが現れ、それと合わせる様にして彼女のマンションへと一台の馬車が停車する。そんな馬車に乗り込んだコレットを、二人は屋根を伝って追尾していた。
「ソラくん。監視は?」
「……まだ大丈夫っすね」
やはり内通者探しをしている以上、気になるのは敵の動きだ。何が偽装として働くかわからない。もしコレットが組織と接触するのなら、着飾ったのも偽装の可能性がある。下手に油断して証拠を掴みそこねるわけにはいかない。が、もし組織との接触なら、こちらとの交戦を覚悟でも排除しに来る可能性はあった。
「ニクラスさん。そっちは?」
「エネフィアの警察がまず学校で教え込まされるのは、幻影や偽装を見抜く事さ。一瞬も眼を離さなければ、逃げられない自信はあるよ」
「そっちは頼みます」
「ああ……君も周辺の警戒を頼む」
ソラの言葉に応じたニクラスはソラに周囲の警戒を任せ、馬車の追跡に集中する。そうして追跡する事三十分。二人は馬車を追って、高級料亭へとたどり着いた。
「……凄いな」
「? どうしたんですか?」
「ここ、ヴォダで一番の高級料亭だよ。この市で数えるぐらいしかないチップを支払わない最高級店だよ」
どうやらコレットが連れてこられたのは、以前に彼女が会食していたレストランよりも更に高級な店らしい。と、そんな料亭の前に停車した所で、馬車の扉が開いて女性が降りてきた。といっても、これはコレットではなかった。
「あれは……この間の女……でもないな」
ニクラスは記憶を呼び起こし、この女がソラが見た二人の女性のどちらでも無いと理解する。が、彼が直に見たのは横に座っていた女性だけだ。故にニクラスは横で警戒していたソラに声を掛けた。
「ソラくん。あの女……この間君がマルセロと見た女かい? 特徴は一致していないと思うが……」
「……いえ、違いますね」
「ふむ……」
一体どうなっているんだ。内通者云々を横にしてもわからないコレットの会談相手に、ニクラスが苦い顔を浮かべる。少なくとも彼女が今回の面会相手を重要視している事は分かる。が、こうなっては内通者として会うのか、それともまた別の理由で会うのかもわからなくなっていた。
「あの中に入りたいが……流石に無理か」
「無理なんですか?」
「流石に、あの店に一見さんがアポも無しに入るのは無理だ。俺も入った事はなくてね。誰かの紹介が無いと入れない。正式に書面で協力を要請するのなら、まだしもね。今入りたいのなら、警察手帳を使って入る事になるが……」
おそらくあの店には敵の手が及んでいる。ニクラスはそう睨んでいるからこそ、踏み込む決断は出来なかった。こういった高級店には一人か二人は必ず敵の地下組織の内通者が潜んでいる事が多く、もし警察として踏み込めばせっかく監視されていないのに意味が無くなってしまう。なら客として入りたいが、それでも出来なかった。
「ソラくん」
「いや、無理っす。結界が展開されてます」
「まぁ、そりゃそうか」
自身の問いかけを聞くまでもなく即座に無理を明言したソラに、ニクラスは更に苦い顔を浮かべる。こういう超高級店には中の客を守るべく営業時間中は常に強固な結界を展開する店も多い。
気配を読む事は今のソラには難しかった。冒険部であれば出来て、カイトぐらいなものだろう。と、そんな超高級の料亭に、ソラはふと興味を抱いた。
「……日本風、っすね」
「懐かしいかい?」
「まぁ……」
どうやら高級料亭は日本風レストランと言ってよかった。客も靴を脱いで店に入るらしく、素足が見て取れた。ソラには懐かしいといえば、懐かしかった。と、そんな一幕が終わるか終わらないかの頃合いで、再びコレットが姿を現す。
と言っても、外に出て来たのではなく縁側を歩いていた。横には先程の女性と、その更に前には案内の着物姿の女性が一緒だ。そんな三人は店の中にあった離れへと通されて、案内していた女性が頭を下げてその場を辞した。
「……あそこか。確かあそこは……」
ニクラスはたった一度だけ捜査の一環で入った時の事を思い出す。離れにどういう客を通すか、という事は聞いていないのでわからないが、どういう構造なのかは見ていた。
「……そうだ。確かあそこなら内庭が見える大きな窓があった筈だ」
「え?」
「ソラくん。移動しよう。ここから逆側に、中が覗ける窓があるんだ。まぁ、正確には内庭を見せる為の窓、という所なんだろうけど……」
ニクラスはソラに向けて語りながら、身を屈めて移動を開始する。なお、この時ニクラスに説明していられる余裕が無かったので語られていないが、結界は防音に関しては会話を外に漏らさなくする程度しか無いらしい。姿を隠したりする物は犯罪者を隠匿したり悪用出来る為、民間で設置する事は出来ないらしかった。
なので会話は聞こえないものの、誰かを確認する事は出来るとの事である。そうして、二人はゆっくりばれない様に離れが覗ける場所へと移動する。
「……ここからなら、見えるかな……ソラくん。ここからはおそらくもし敵が居た場合、確実に戦闘があり得る。君は窓に注意しなくて良いから、少し離れて俺の周辺を警戒を優先してくれ。会話もこのヘッドセットを使って行おう」
「了解」
ニクラスの指示を受けて、ソラは窓の見える屋根の縁に移動するべく匍匐前進で移動する彼から少し離れて、建物の屋根の中心付近にて身を屈める。そうして、お互いの背を守る様にニクラスに背を向けた。
「ニクラスさん。こっち準備完了っす」
『了解。こっちもなんとか……良し。この位置なら相手もしっかり見える』
身を屈めてポケットに右手を突っ込んだソラからの連絡に、ニクラスがヘッドセットを介して返事する。ソラがポケットの中に手を突っ込んだのは、この中に秘密兵器があるからだ。何時でも戦闘に取り掛かれる様に、というわけだ。そうして、ニクラスが中の様子の観察を開始する。
『……部屋の中には……男が一人と女が三人。一人はコレット。さっき馬車に一緒に乗っていた女がコレットの横に座ってる』
「その部屋で待ってた男女は?」
『見覚えは無いね。が、身なりはかなり良い』
ソラの問いかけに、ニクラスはただ見たままを答える。ここで、どちらかが死ぬかもしれないのだ。なら出来る限りの情報の共有は行っておくつもりだった。なお、それ故にソラも手帳――こちらで新しく買った物――に情報の記載を行っていた。
『……どうやら、男が一番偉いらしい。上座に彼が。その前にコレットが座っている』
「表情とかは?」
『コレットは……珍しいな。緊張してるっぽい。二年ぐらい一緒だけど、ここまで緊張してるコレットなんて初めて見たよ。それに対して男の方は柔和に笑ってる。こっちには余裕が見え隠れしてるな。顔立ちは……かなりイケメンだ。外見年齢は二十代前半。目鼻立ちは整ってるよ。髪色は青系。眼も同じく青。座ってて背丈はわからないが……多分170以上はある。種族は不明。目立った特徴は無し』
ソラは男に関する情報を手帳に記載する。この男と会うのが、今回のコレットの目的だったと考えて良いだろう。
「その横の女の人は?」
『そうだな……種族は魔族だね。褐色の肌に奇妙な模様……凄い特徴的だ……年齢は20代前半から半ば……といっても魔族だからあてにはならないか。顔立ちは……彼女だけはこっちに顔を向けなくて、少し確認し難いな……所感で悪いけど、なんだろう。お気楽って感じだ。分かる限りは後で伝えるよ。どうやら男の方の秘書とかそんな立ち位置らしい。男に給仕をしたり、手帳から男に何かを話したりしている。が、笑ってる所を見ると、男とはそこそこ親しいらしい』
どこかの企業の若社長とその秘書って所かもしれない。ソラはコレットが会っている二人の印象から、そんな印象を得る。
「これ……組織の相手と会ってる感じじゃなさそうっすね」
『そう……だと思うね、俺も』
これは外れか。ソラもニクラスも今回は無駄骨に終わりそうな気配に、わずかに苦笑する。そもそも今回は予め半休を入れていたというのだ。であれば、見張られない筈がない。二人はそう考えたらしい。
とはいえ、最後まで気を抜けない事は気を抜けない。この会談を隠れ蓑にして、この後に本命と会う可能性があるかもしれないのだ。だからと立ち去れるわけではなかった。とはいえ、わずかに弛緩したのは弛緩したわけだ。故に、手帳に書き込みを行うソラがふと問いかけた。
「そういえば……記憶を抜き取るのって今回は使えないんっすか?」
『ああ、あれ? あれは使用に許可が必要だからね。密かには使えないんだ。まぁ、今は密かに動かざるを得ないからねー』
こういった作業は全部、記憶を映像化さえ出来れば必要がない。とはいえ、あれだって何時でもなんでも出来るわけではない。記憶が抜き取られる時に不快感があったりするし、悪用すればプライバシーの侵害だって可能だ。
なので厳重に管理されており、もしエマニュエルが左遷されていなくても独断では使えないらしかった。これを無許可で使ったのがバレるとエマニュエルの責任問題だけでなく、警察の信用問題にも発展する大事らしい。
「なるほど……」
それでこんな地球の警察と同じ様な事をしているわけか。ソラはニクラスの説明に納得すると、再び聞いた内容を逐一記載する。と、二人で会談の内容を記載していたわけであるが、唐突にニクラスの声が途絶えた。
「……あれ。ニクラスさん?」
『……』
「?」
今一瞬前まで、ニクラスの声に過度の緊張は無かった。勿論、仕事なので真剣さはあったが、警戒している様子はない。なのでソラは訝しみながら背後を振り向いて、その瞬間。彼の意識は完全に闇に包まれる事になる。そうして、ソラの気絶をきっかけとしたかの様に彼の背後に唐突に人影が現れた。
「不審者の気絶に成功しました。少し観察しましたが、会談を覗いていた模様。どうされますか?」
「ふむ……」
ソラの背後に現れた人影に続いて、更に一人の男が現れる。どうやらそれはソラとニクラスを気絶させた人影よりも地位が高いらしい。そんな男は顔を隠す様にうつ伏せに寝そべったソラの背を一瞥すると、背を向けてニクラスの方を向いた。
「直接に覗いていたのは、こっちか」
「はい」
「記憶を抜き取り、何が目的か調べろ」
「は」
冷酷な男の指示に、人影は一切の余念なく頭を下げて了承を示す。それを背に、男は再度振り向いてソラを見る。
「こっちは護衛という所か」
「はい……どうしますか?」
「別に残す必要はないだろうが……あの男次第ではこちらを殺しておいて見せしめで良いだろう」
「は」
どうやらソラを殺す事に特に感慨は無いらしい。とはいえ、殺すにしても色々とせねばならない事があったし、それが最善である場合に殺すだけだ。決して殺すと決まったわけでもないらしい。
「閣下に後ほど報告せねばならない。二人共顔写真を撮っておけ」
「は……では、支度に取り掛かります」
「ああ。他の者もすぐに来る」
どうやら、ここらに待機しているのはこの二人だけではないらしい。気配は一切感じられないが、男の言葉によればそういう事なのだろう。と、そうして写真を撮るべく、ソラが仰向けにされた。そんな彼の顔を見て、男が首を傾げた。
「……ん?」
「どうしました?」
「……」
人影の問いかけに対して、男がソラの顔を見ながら何かを訝しむ。
「ふむ……確か……」
男は記憶を手繰り寄せ、何かを考えているらしい。人影や男が呼び寄せたらしい人影は、ニクラスとソラの処置を後回しに彼の指示を待つ。そうして、指示が決まったらしい。
「先程の命令は取り止めだ。そのかわり、別の手配が必要になった。閣下にも指示を仰がねばならない」
「はぁ……」
どこか楽しげな男の言葉に、人影が困惑気味に頷いた。そうして、ソラはニクラスと共に馬車に載せられどこかへと移送されていく事になるのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第1592話『賢者と共に』




