第1588話 賢者と共に ――内偵調査――
コレットが会っていたという謎の女性。それをきっかけとして彼女こそが内通者なのではないか、という疑いが出る事となる。それを受けて調査に乗り出したわけであるが、そんな中でソラはブロンザイトの指示を受けて一人彼女へと昨夜の話を聞いていた。そうして、そんな彼女が去った後、その合図を受けたブロンザイト達がこちらに向かい始める。と、その最中の事だ。
「……うん?」
感じたのは、人の気配。とはいえ、これは知らない気配だ。それが示す事は即ち、監視という事だろう。と、そんな監視もどうやらソラが自分達に気付いた事に気が付いたらしい。一瞬で気配は消え去った。
「去ったか……ちょっとやっちまったか……?」
考え事をしていたからだろう。ソラはわずかに己の失態に舌打ちする。まぁ、そう言ってももう気付けるぐらいの力量がある事は、向こうも承知済みだ。なので問題は無いといえば問題はない。が、少し早すぎたか、とは思わないでも無かった。
「……」
どう考えたものか。ソラはコレットとの先の一幕を思い出し、そう考える。と、そんな彼なのであるが、ブロンザイトより連絡が入った事で、その思考を切り上げる事となった。
『ソラよ。聞こえておるな?』
「あ、はい。お師匠さん。今、コレットが帰った所です」
『うむ……で、ソラよ。一度屋上に来てはくれんか。お主に見てもらいたい物がある』
「屋上ですか? わかりました」
何がなんだかはわからないものの、ブロンザイトが屋上に来いというのだ。であれば、ソラは素直にそれに従うだけだ。と、その道中の事だ。ふと、ソラは感じた事のある気配が近くにある事に気が付いた。
「ん? これは……」
感じたのは、帰った筈のコレットの気配だ。その彼女の気配はどういうわけかまだ警察署にあり、それもどういうわけか署長室から感じたのである。屋上に向かう最中に署長室を通る必要があるのだが、ついここ当分の癖で気配を読んでいると偶然に彼女の気配を感じ取ったのである。
『……お師匠さん』
『む? どうした?』
『すいません。コレットが帰った筈だったんですけど……どういうわけか署長室に居ます』
『む……?』
ソラからの報告にブロンザイトは僅かな驚きを露わにする。基本的に彼女は帰りは直帰だ。署長室に向かった事なぞ聞いた事もない。勿論、署長が呼び出した、という話は直接の上司であるエマニュエルも聞いていない。不可思議な、そして筋の通らぬ話ではあった。
『どうします?』
『……いや、迂闊な事はせんで良い』
一瞬だけ思考した後、ブロンザイトはソラへとはっきり撤退を命ずる。もしコレットが敵であった場合、この会話は聞かれたくない筈だ。そして監視が付いた事から、敵も聞かれたくはないと判断していると思われる。迂闊に出るより、ここは引くべきだった。
『わかりました』
そんなブロンザイトの思惑を理解して、ソラもまた一瞬止めた足を再び動かす。そうして、署長室の近くを通り抜け、屋上にたどり着いた。
「来ました。どうしたんですか?」
「おぉ、すまんな。ちとお主に聞きたい事が出来た……トリン。一度場を空けよ」
「あ、はい」
ブロンザイトはそう言うと、屈んで何かを確かめていたトリンをその場から退かせる。それを受けて、ソラは警察署の屋根の縁に近寄った。
「……何も落ちてない様子ですけど……」
「うむ。何も無いのは何もない……実はここで人影を見てのう」
ブロンザイトはそう言うと、戻ってくる時に見た人影についてを語る。やはり彼らの感覚はソラより数段劣る。なので気配に気付いたのは、随分と警察署に近付いた頃だという。なお、トリンが見ていたのは何か痕跡はないか、という所らしい。
「なるほど……」
「うむ。で、お主に聞いておきたくてのう。どの程度からなら、儂らを見張れる?」
「うーん……」
ブロンザイトに問われて、ソラは翔を基準に考えてみる。基本的に翔は装備無しなら平均的な斥候タイプの冒険者程度の性能はある。彼を基準に考えれば、一般的な冒険者がどの程度見切れるかがわかった。そして翔とソラは同じギルドの仲間だ。彼が出せる大凡の性能というのは、ソラもまた把握していた。
「……確か今日は市庁舎の裏に行ったんですよね?」
「うむ。そこで、カイト殿の使者と合流してのう。そこで一旦偽装を出して貰ったが、逆にそれ故に市庁舎の裏を通って帰ってきた」
「確か市庁舎はあれ、だよな……」
ブロンザイトの言葉を聞きながら、ソラは少しだけ翔とのとある会話を思い出す。
『そういやさ。お前らって視力以外にもなんか遠くを見る力、持ってんのか?』
『んー? まぁ、あるけど。どした?』
『いや、密偵ってさ。町中だと建物邪魔だろ? なんか建物でも透過出来るのかなーって』
『まぁ、なんかそんな専用の魔眼とかだと出来るらしいぜ。俺は持ってないけど』
この時のソラはまだカリンの事を詳しく知らなかったので知る由もないが、翔の言及した魔眼は彼女の持つ<<透視眼>>の事だ。とまぁ、それは良いとして。この後も会話は続いていた。
『じゃあ、どうすんの?』
『ちょっと簡単だけど便利な魔術ってか、魔眼があってさ。えっと……あ、居た。ほら、あの鳥、見えるか?』
『おう……あれがどうしたんだよ?』
『狩人達が使う魔眼の一つに、<<寄生の魔眼>>ってのがあってな。俺もそれは覚えた』
<<寄生の魔眼>>。それはかつて収穫祭の前の準備の時にイングヴェイという冒険者も使っていた魔眼だ。効果は小鳥や抵抗力の弱い魔物の視界を乗っ取るという物だ。
これは基本的には狩人達が獲物を探す為のものだが、それを使って対象を監視しているとの事であった。単に視界を乗っ取っているだけなので、警戒していない相手なら滅多な事では気付かれない。密偵達にとっても便利な魔眼だった。
「お師匠さん。そいつ見かけた時、どこか近くに小鳥居ましたか?」
「む?」
「<<寄生の魔眼>>を使えば、簡単に監視は出来るんです。もし相手が迂闊にも見られたのなら、視界を乗っ取ってた可能性は高いかな、と」
「ふむ……」
<<寄生の魔眼>>。その事はブロンザイトも勿論知っている。が、それでも姿を露わにしたのだ。自分の勘違いを考えて、ソラに問いかけたのだろう。そしてその答えに間違いがなかった為、彼は一際険しい顔だった。
「……」
ブロンザイトは何を考えているのか。ソラはそれを考える。必ず、どこかに何らかの意図はあるはずだ。と、そんな事を考えていたソラであったが、唐突にブロンザイトが首を振った。
「……いや、今は良いか。ソラ、とりあえずコレットと話をしたとの事じゃったな」
「あ、はい」
「ああ、いや。今は報告せんで良い。外じゃからのう」
「あ……そうですね」
ブロンザイトの言葉にソラが一つ頷いた。確かに外なら読唇術で会話を読み取られる可能性はある。というわけで、三人は一度戻って先程の一幕の事を話し合う事にするのだった。
コレットの件について話し合って数時間。部屋にエマニュエルも戻ってきて、改めての話し合いとなっていた。が、そうして聞かされた話に、エマニュエルは只々困惑するだけだった。
「署長の所に……?」
「はい……」
「ふむ……」
ソラの頷きを受けて、エマニュエルが訝しげに眉の根を付ける。ここで気になったのはやはり、件の署長の事だ。この彼が敵に通じていない事を請け負ったのは、他ならぬエマニュエル自身だ。その彼が何故、コレットを上司であるエマニュエルを介さずに呼び出したのか。気になるといえば、気になる話だった。
「まさかあれから敵が接触したというのか……? いや、だがあの署長に限ってそんな事は……だが、しかし……」
どうやらコレットの話を聞いて、エマニュエルは疑心暗鬼に陥っている様子だ。と、そんな彼にソラが問いかけた。
「その署長の内偵をしたのは何時なんですか?」
「私が来てすぐの事だ。まず私と共にこの部に回されたニクラスと、元々こちらの出身で新たに配属されたホセという者、そして署長の三人の内偵を行った」
その所為で貯金の大半を使い果たしたがな。エマニュエルはため息混じりにそう告げる。一気に三人分だ。それは確かに貯金の大半を使い果たしても不思議はないだろう。そしてその後も何人か来た部下の調査も行っていたらしかった。
「……だとすると、ですか?」
「ふむ……可能性は無いわけでは、無いじゃろうな」
ソラの問いかけにブロンザイトもため息混じりに頷いた。調査を行ったのは三年前という。その内一人となるホセなる男については怪我で故郷に戻ったという。もし内通者だったとて、今は関係が無い。
「とはいえ、エマニュエル殿。無闇矢鱈に仲間を疑ってはなりませんぞ」
「……そ、そうですな。まだ署長が敵に籠絡されたとは決まっておりません」
「はい……無論、だからといって油断して良いわけでもありません。奴らは水の如く、どこからともなく忍び込む」
「ええ……どうすれば良いでしょうか」
ブロンザイトの警告にエマニュエルが問いかける。それに、ブロンザイトが再び口を開いた。
「……まず、地道に調査をするしかありますまい。とりあえずコレットから調べる事で良いでしょう。ただ、他の者はまだ確定で味方となったわけではありません。安易に漏らすべきでは無いでしょう。まず、信頼の出来るニクラスに内偵を頼むべきかと」
「……わかりました。その様に指示を出しましょう」
「……わかりました」
ブロンザイトの指示を受け、エマニュエルが頷いた。そうして、会議は終わりとなり次に向けて動き出す事にするのだった。
会議の結果、コレットの内偵が行われる事になって数日。その数日の間、ほぼ変わること無く日々は過ぎていった。
「課長。とりあえず数日張り込んでみましたが……」
「気付かれた様子は?」
「無いですね。というより、コレットの奴。身体性能だとウチで一番低いでしょ」
「バカモン。それが偽装という可能性もあるだろうが」
「まぁ、そうなんですけど……」
やはり怠け者のコレットが内通者、と言われてもニクラスにはどこか釈然としないものがあるらしい。とはいえ、怪しいのもまた事実だ。故にエマニュエルが先を促した。
「まぁ、良い。それで?」
「あ、はい……とりあえずですけど、何かよくわからない相手と会っているのは事実っぽいです」
「相手は?」
「まだ不明です」
手帳を取り出したニクラスはただ淡々と事実のみを報告していく。ここら、やはり彼も警官という所だろう。仕事は仕事と割り切って、仲間だろうとしっかりと調査していた。
「ふむ……男か? 女か?」
「女です。それは目撃証言を洗った結果、判明しています。話を聞く限りでは、ソラくんが言っていた女性とも一致しています。横に座っていた女性、かと」
「店に確認は?」
「流石に事情は説明出来ませんでしたので、客の事は教えられない、と断られました。顧客情報に関して必要なら、正式な書類として提示して欲しい、と」
「むぅ……」
まぁ、当然といえば当然か。エマニュエルもそう思う。今回の事はやはり署長にも明かせない内容だ。なので公的な書類は出しておらず、あくまでも情報収集の一環として調べさせている。
コレットが入っていた店は一流の高級レストランで、客には街のお偉方も多い。中にはお忍びで来ている、という者も居るだろう。アポも無しで客の事を教えてもらえるとは到底思えなかった。
「そういえばコレットが会っておったのは二人と言っていたな? 正面に座っていた女については?」
「どうやら話を聞く限りだと、ここらの人間では無い様子です。チップを出す文化にわずかに慣れない様子があった、と目撃者から証言が」
「む……?」
チップを出す文化に慣れていない。そう聞いて、エマニュエルが訝しむ。確かにチップ文化でない場所というのは存在し、ラグナ連邦でも一部の店ではチップを受け取らないという店はある。
が、ここら近辺には彼らの知る限りでは片手の指で足りるほどしか存在せず、行きつけにするには流石に高い店となる。慣れるほどとなると、連邦の中央に行かねば存在しなかった。
「ふむ……となると、ラクスから来たという事か……?」
ラクスというのはラグナ連邦の首都の事だ。そちらでなら、常日頃利用出来る可能性は無いではなかった。後はチップ文化の無い他国となる。
「むぅ……」
判断がし難い。エマニュエルはニクラスの報告に顔を顰める。チップ文化が無いなら無いで分かるが、そうなると何故そんな遠方から来たのか、と気になる所だ。が、もし中央の人物であれば、とある筋が通った。
「ニクラス。お前はそのままコレットを追え」
「分かりました。課長は?」
「私は少し気になる事があり、中央の知人に相談しようと思う」
「中央……? 少し早いんじゃ」
中央と言われやはりニクラスが思い浮かべたのは、三年前に自分達を追い込んだ中央の役人だ。この彼の逮捕を彼らは最終的な目的としており、それに繋がっているとされているヴォダ市の重役もすでに掴んでいる。それを捕まえる為に今は内通者のあぶり出しをしている、という所であった。
とはいえ、それ故にニクラスの疑問だ。今中央の役人に手を出した所で痛い目を見るのはこちらだ。それは三年前でエマニュエルもよく理解している筈だった。
「その女。チップに慣れない様子があった、と言っていたな?」
「ええ……」
「あれの周辺かもしれん。市長の所に来て、何らかの理由でコレットに接触したのかもしれん」
「……内通者程度に接触しますかね?」
「無論、仲介者の一人だろう。が、中央の者であれば、このままここで調べた所で意味は無いだろう」
「……」
確かに、それはそうだ。そもそもニクラス自身がその女性についてこの街の人間ではない、と言っていたのだ。そしてチップ文化に慣れないのなら、中央で活動していたとて不思議はない。組織の規模は大きい。ラクスで表向き企業の経営者をしていたとて、不思議はなかった。そうして、その次の日にエマニュエルは首都の知人に会うべく動き、ニクラスは更にコレットの調査を続ける事になるのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第1589話『賢者と共に』




