第1581話 賢者と共に ――地下組織――
流行り病に対する予防薬を配布する旅路の最中。ソラ達は賢者ブロンザイトの策にて仕掛けられた監視の捕縛に成功する。その後彼の魔術にてその記憶を抜き取り、更にはこの日一夜の対処を終わらせ、三人は野営の支度を終わらせると情報を確認する事にしていた。
「さて……」
監視から抜き出した虹色の玉――もう輝きは無くなっている――を手に、ブロンザイトが焚き火の側に腰掛ける。このまま触れていても記憶を読み取る事は出来るが、色々と面倒になるので更にここから色々な加工を施すらしい。と、そんな彼にソラが問いかけた。
「あの……一つ良いですか?」
「む? なんじゃ?」
ソラの問いかけにブロンザイトが先程まで浮かべていた眉間のシワを取り頷いた。
「さっきの奴。なんであっさり記憶の消去を選んだんですか?」
「それか……まぁ、さほど難しい事ではあるまい。端的に結論のみを言えば、死にたくないという事で良かろう。職務に忠実というわけでもなさそうじゃしのう」
死にたくないんでな。監視が言った言葉を、ソラは思い出す。とはいえ、それは彼にも分かる。が、何故記憶の消去とそこが繋がるかが分からなかった。というわけで、ブロンザイトが教えてくれた。
「当然じゃが、奴とて人じゃ。事の全てを上に対して嘘を貫き通す事なぞ、出来はしまい。となると、何時かはバレて真実を告げさせられる」
告げさせられる。その意味は、ソラにもわかった。おそらく碌な目には遭わないだろう。
「ふむ……では、どうするのが一番嘘を貫き易いか。それは簡単じゃ。本人さえも知らねば良い。知らねば嘘なぞ吐かぬも同然」
喩え本人は嘘を言っていたとしても、本人さえそれが嘘と知らなければ問題にはならない。嘘を言わなければ相手は嘘と見抜けない。カイトが――というよりティナとウィルの二人――よくやる手だ。嘘ではないからだ。だから、監視は自分が本当と思い込まされている情報を告げれば良いだけだ。
「まぁ、そうは言うても。何時かは事の真相は露呈しよう……が、自らが捕らえられ記憶の改ざんがされたというのであれば、まだ助命の見込みはある。その頃にはそんな監視の始末一つの対処に手を割ける状況ではないじゃろうしのう」
「なるべく後回しに出来た方が得、という事ですか?」
「うむ。嘘を吐きすぐに気付かれるのと、自分さえ嘘と知らず時を稼ぐ。後者とならば露呈するのは、儂らが動く時よ。ま、あの男の場合、おそらくどこかに記憶のバックアップは取っておるじゃろう。報告後にそのバックアップを通じて事の真相を理解し、まんまと逃げおおせるじゃろう」
ソラの問いかけに頷いたブロンザイトは少し笑って監視の思惑をそう読み解いた。潔く記憶の封印に同意した姿勢等から、彼は自分が組織から狙われるだろう事を理解していたと理解するには十分だ。その後の即断即決を鑑みるに、嘘を吐いてもなんとかなる手を考えていたと見ても良い。
勿論、記憶を取り戻した後も真実は言わないだろう。逆手に取る、というのならブロンザイトを甘く見すぎている。しかも組織の情報が盗まれた事は事実だ。盗まれた事実がある以上、彼の命は無い。なら、口を閉ざすのが一番だった。
「ず、ずる賢い奴ですね……」
「ずる賢くなければ、監視やスパイとして生きてはいけぬ。ここら、密偵と斥候の少し違う所でのう。斥候は周囲を目ざとく観察する力を養わねばならず、密偵は周囲を騙す力を養わねばならぬ。どういう状況で動くか、という事が違うからのう」
「はぁ……」
そんなものなのか。ソラはブロンザイトの言葉に生返事だ。とはいえ、これはソラとしては実はカイトと翔の二人を例示されれば、すぐにわかった。
隠密としてのカイトは口八丁手八丁と、どこかに潜り込んでも存在する事がバレる事を厭わない。そのかわり、自分が敵である事を悟らせない。それに対して翔は闇夜に隠れて、ばれない事が前提だ。敵に存在も気取らせないが、そのかわりバレれば一巻の終わり。隠密としては同じだが、実際としては似て非なるものだった。
「あいつ、生き残れるでしょうか?」
「さぁのう……まぁ、精神も図太い者じゃ。ああいう奴ほどどんな状況でもずる賢く生き残る。組織に忠誠心も無い様子じゃしのう……案外、これからも色々と旅を続ければお主、どこかで再会するやもしれんぞ?」
「そ、それは出来れば遠慮したいですね……」
どこか冗談めかしたブロンザイトに、ソラが少し頬を引き攣らせる。なお、余談であるが。かなり先になりソラが諸事情でラグナ連邦を訪れた際、この時の監視は案の定組織の壊滅に際して図太く生き延び情報屋に転向しており、向こうから接触があったという。
「ふぉふぉ……まぁ、そこらは未来故、今は言うても詮無きことよ。あれにはあれの運がある。運がなければ案外あっさり死ぬものじゃしのう……で、トリン。まだ支度は終わらんのか」
「あ、あともうちょっと……よ、良し! これでどうだ!」
呆れた様なブロンザイトの言葉に、トリンは四苦八苦しながら作っていた結界展開用の魔道具を地面に突き立てる。それを受けて、周囲数十メートル程度に結界が展開された。
「ぼ、冒険者用は安いけど手間が……」
「そうか? 俺達何時もやってるんだけど……」
「そりゃ、慣れてるからでしょ……」
何をそんなに手間取るんだろう、と言わんばかりのソラに対して、トリンが半眼で睨む。今回、せっかくソラも旅路に加わる事だし丁度良いので冒険者が使う道具も教えてもらえ。ブロンザイトよりそう言われ、ソラから冒険者が使う用の道具の使い方を学んでいたのであった。
教えられるだけではなく、教えあえ。もう弟子入りして三十年。彼の弟弟子も何人も巣立っていた。お前も何時か独り立ちする時が来るのだから、その中で一人で旅をする事もあるだろう。ブロンザイトから言われたのであった。
「そっかな……」
「まぁ、お主は些か不器用なきらいは」
「お爺ちゃんよりマシでしょ!? この間だってネックレスのチェーンが切れた時、団子にしてたよね!?」
どうやら身内話だからだろう。ブロンザイトの苦言に割って入って、トリンが声を荒げる。それに、ブロンザイトはとぼけてみせた。
「なんの事じゃったかのう」
「とぼけないで良いから……で、ご飯は?」
「出来とるよ」
自身を睨む様なトリンの問いかけに、ブロンザイトは笑いながら焚き火に掛けた鍋を示す。今回、料理はブロンザイトが、ソラは地竜の世話――餌やりや道中で付いた傷の手当て等――を担っていた。本来トリンとソラの役割は逆なのだが、今回はトリンの練習もあって役割を逆にしたのであった。
なお、ブロンザイトは流石に食事については慣れた者がやるべき、と夕食だけは替わらせる事はなかった。そして流石に数百年も旅をしているのだ。なかなかに凝った料理も出来るらしかった。というわけで三人で焚き火を囲んで料理を食べた後、一息ついた所でブロンザイトが口を開いた。
「さて……腹ごしらえも済んだ。では、本格的に動く事にするかのう」
ことん、とブロンザイトは監視から抜き取った記憶の玉を地面に置く。地面には魔法陣が刻まれており、緩やかな光を湛えていた。そうして何かを始めたブロンザイトを見ながら、ソラが小声でトリンへと問いかけた。
「何するんだ?」
「このままじゃあ、記憶は素の記憶……わかりやすく言うと、映像記録になってるからね。対話形式で知りたい情報を文字として出せる様にするんだ。それ以外にも画像として出せる様にもね」
「なるほど……」
映像として情報を見せられた所で、その情報は長い上にどうでも良い情報も多い。なので知りたい情報を文字として書き起こされる様にしている、というわけなのだろう。というわけで少しの作業の後、ブロンザイトは一つ頷いた。
「良し……トリン、ソラ。お主らも見ておきなさい」
ブロンザイトは全ての作業を終わらせると、邪魔にならない様に離れていた二人を呼び寄せる。そうして二人が近くに来たのを見た所で、彼は杖で地面を軽く小突いた。すると、投影映像の様に四角い枠が記憶の玉から浮かび上がる。
「まず、一つ。此度の監視。随分と儂への動きが早い様子であったが、どうしてここまで素早かった」
『……上の話によると、エマニュエルという男の部下の内通者から連絡があったらしい。ブロンザイトと呼ばれる男が来るという手紙があった、という事だそうだ。その手紙の写しも見て、筆跡は覚えた』
「ふむ……」
やはり、か。ブロンザイトは眉間にシワを寄せて、苦い様子でため息を吐いた。どうやら案の定、エマニュエルの部下四人の中に裏切り者が居るらしい。
まぁ、元々エマニュエルは警戒されてはいたのだ。この可能性は予め想定されていたものでもあった。というわけで、苦い顔ではあるもののブロンザイトは驚くまでもないと口を開いた。
「その内通者は?」
『……知らない』
「まぁ、当然かのう」
監視はブロンザイトの手腕等を鑑みてそこそこ腕利きであった様子であるが、そこまで何でもかんでも教えられているわけでもないらしい。内通者が誰か知らなくても仕事は出来る。
知る必要のある情報は教え、知らないで良い情報は伏す。別に不思議もなく、ブロンザイトも知っていれば儲けものとしてしか考えていなかった。
「さて……それでは組織について、お主はどうやってアクセスしている?」
『……俺の様な監視や斥候を行う奴が利用する部屋がある。そこを介して、組織から連絡が来る。部屋は定期的に変えている』
「その場所はどこで、どの様に変更しておる」
『それは……』
ブロンザイトの問いかけに、監視の記憶は逐一知る限りを答えていく。そうして、およそ一時間ほど経過した所で、ブロンザイトが一つ頷いた。
「ふむ……これぐらいで良かろう」
言うや否や、ブロンザイトはとん、と杖で地面を小突いて魔法陣を消失させる。欲しい情報の大凡は手に入れられたらしい。
「どうやら幸い、エマニュエル殿が敵という事は無いと安心して良さそうじゃ。これで、なんとかなるかのう」
「え……そ、そうなんですか?」
エマニュエルが信頼出来ると把握したブロンザイトの唐突な言葉に、ソラが思わず目を見開いて問いかける。これだけで組織との戦いに勝てると言い切れる理由が分からなかった。横目に今の一幕を見ていたソラであるが、組織の規模はまだしも上の事はほとんど分かっていない。
監視は監視役の中でもそこそこ良い立場だったらしく下っ端よりは詳しく知っていたが、組織の本部の場所やそれどころか中央の役人が組織の構成員だとさえ知っている様子はなかった。
敢えて今回はっきりわかった事を明記すれば、エマニュエルは味方という事と彼の部下に裏切り者が居るというぐらいだ。この二点だけでどうにか出来るとは到底思えなかった。が、それはソラの勘違いだった。
「む? そうじゃろう。我らは根無し草。公的な権力は一切持たぬ。それに対してエマニュエル殿は警察。罪さえ詳らかに出来れば、奴らを捕らえる事は造作もない。そして一度捕らえてしまえば、ラグナ連邦の中央を動かせる手も得ておる。警察を動かせる、というだけで十分じゃろう」
「あ、そ、そっちですか」
「何じゃ。お主儂がこの程度の情報で全てを解決出来ると思うておったか?」
「は、はい……」
「ふぉふぉ。それは買いかぶり過ぎじゃて。賢者と言われようと、儂とて人よ。情報を集め、正しきと間違いを選別し、未来を見通す。それしか出来ん。今は必須な手札が手に入っているとわかっただけじゃ。どうやって中央の役人を捕らえるかは、まだこれからよ」
恥ずかしげなソラに対して、ブロンザイトは笑いながらはっきりと明言する。全ては、ここからだ。今はまだ足元がしっかりと固まったという程度でしかなかった。そうして、三人はひとまず重要な情報は手に入られた事を把握して、その夜は眠りに就くのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第1582話『賢者と共に』




