第1578話 賢者と共に ――ヴァーグ村――
ソラがホテルにてブロンザイト、トリンと共に話をしていた一方その頃。そんなホテルが見える場所の一つに、ニクラスは立っていた。
「ふーん……」
先程ソラが見たとは違い、ニクラスの目つきは非常に鋭かった。そんな彼が見るのは、ソラ達が宿泊するホテルだ。
「腕、やっぱり良いな、彼。流石は冒険者のメッカ、エンテシア皇国マクダウェル領マクスウェルの冒険者、って所かな」
ホテルを見ながらニクラスが呟いて、放っていた使い魔の一体を回収する。これはソラの周辺に放っていた使い魔だった。
「んー……想定通りは想定通り、という所かなー」
使い魔を回収したニクラスは先程までの鋭さを一変させて、何時ものだらけた笑みを浮かべ歩き出す。そうして、彼は手に入れた情報を報告するべき所に報告するべく、歩き出すのだった。
警察署にて今後の事を話し合った翌日。ソラは竜車の中に居た。が、そんな彼の顔はどこか晴れないものだった。昨日会った五人の中に内通者が居るかもしれない。自身に付けられた監視からそれを把握したからだ。が、そんな彼は何も言わずに馬車の壁を背もたれにして腰掛けていた。
「……」
「気になる?」
「……まぁ、気にならないと言えば嘘だけどよ」
御者席に腰掛けたトリンの問いかけに、ソラは彼と背中合わせに座りながら頷いた。昨日のあの話はエマニュエルにも報告していない。
可能性は低いだろうが、エマニュエルその人が実は裏切り者かもしれない。そう告げたブロンザイトの言葉を受け、誰にも相談する事なくヴォダを後にしていたのだ。が、それ故に誰を信じれば良いかわからない現状に困惑気味だった。
「でも、お師匠さんはなんか考えがあるんだろ?」
「うん。そもそもこの展開も想定の範囲内だったからね」
「マジか……」
素直だなぁ。トリンはソラが僅かな落ち込みを見せたのを見て、そう苦笑する。これはトリンからすれば、ソラの良い所と言って良いだろう。
ティナもウィルも難儀な事とため息を吐くが、軍師や戦略家というのはどうしても相手を疑う事から始まる職業だ。故に素直に相手を信じる事はまず無い。常に相手が裏切った場合は、と考えている。軍師達が人間不信に陥りやすいのは、それ故だ。ソラにはそれが無かった。と、そんな彼に椅子に腰掛けたブロンザイトが口を開く。
「実はここで離れたのもそれ故でのう」
「え?」
「相手がどれだけ儂らを危険視しているか、考えたいんじゃ。それに応じて幾つかのプランを考えておってのう……ソラ、監視はまだ感じるか?」
「……はい。というより、多分俺の事を侮ってるんだと思います」
ソラは敢えて視線を動かさず、気配だけでトリンの操る馬車を見張る監視の視線を感知する。これについては、ブロンザイトの指示のおかげと言って良い。
昨日の会話から何度かトリンと共にホテルの外にも出たが、監視はその間常に二人に対して監視が付いていた。それら全てに対して、ソラは完全に気付かぬフリを通した。
その結果、相手はこの程度では気付かないのだ、と勘違いして警戒レベルを上げる事は無かったのだ。無論、だからといって調子に乗って迂闊な事はしていない。プロはプロだろう。常に気付かれていない領域を保っていた。単に相手の想定よりソラの力量が高かった、というだけだ。
「ふむ……どうやら、儂が本物である事を相手は理解しておると見て良いじゃろうな。ふむ……」
ブロンザイトはソラの報告から再び思考の海に潜る。と、そんな彼にトリンが口を開いた。
「お師匠様」
「……うむ。そう結論付けるしかなかろう」
「じゃあ、やっぱり?」
「うむ」
ソラの問いかけに対して、わずかに物憂げなブロンザイトがはっきりと頷いた。そうして、彼がはっきりと明言する。
「おそらく、あの五人の中に内通者がおるのじゃろう。明らかに相手の行動が早すぎる。儂とエマニュエル殿との話し合いをどこかで盗み取った、と考えるのが筋じゃろうて」
「目星は?」
「それはまだ無理じゃ。あまりに手がかりがなさ過ぎる」
内通者が誰なのか。それを知るのは現状では内通者だけだ。勿論、エマニュエルも情報の漏洩には気を付けている。三年前に痛い目を見たのだ。十分に警戒はしていた。
が、相手の組織規模を鑑みれば確実にヴォダの警察署の高位高官にも他の内通者は居ると思われる。どんな情報だって完璧な隠蔽が不可能な様に、盗み出す事が不可能とは、ソラにも思えなかった。
「ふむ……」
誰が、その内通者なのか。ブロンザイトは思考を巡らせる。内通者が居ない可能性はゼロと考えている。相手の行動があまりに早すぎる。常にエマニュエルの近辺に待機して、その動きを見張っていると考えて良い。というより、普通はそうする。
実はソラにエマニュエルへの相談を述べなかった最大の理由は、これだった。無論、これはソラも理解している。故に彼はソラの気付いていない可能性を指摘しただけだ。
「少々、他にも情報が欲しい所じゃが……」
どうやって手に入れるか。ブロンザイトはそれを考える。まず内通者をどうにかしない事には先に進めない。常にこちらの情報が筒抜け、というのは非常に有り難くない。そうして幾つか考えた後、ブロンザイトはソラを見て口を開いた。
「……ソラ」
「はい」
「ここらの魔物の知識はきちんと頭に入れておるな?」
「はい」
ラグナ連邦へ来る道中、ソラはブロンザイトから戦略や軍略を学ぶと共に、ここら一帯の魔物についてを記した書物を借り受けて完璧に暗記させられていた。
ここらは主要街道に近い事もあり、付近の魔物は群れで来てもソラ一人にブロンザイトらの支援があればでなんとかなる領域だ。まぁ、そうなるルートを敢えて選んでいるのだから、当然だ。
「敵の眼を少し誤魔化す。が、相手には戦闘時の行動を思わせる。もし相手が迂闊な行動をした場合、即座に監視を捕まえよ……間違っても、殺すでないぞ」
「はい」
「うむ……トリン。ヴァーグを抜けた近辺で仕掛ける。何をするべきかは、分かるな?」
「はい」
ソラの応諾に頷いたブロンザイトの言葉を受けて、トリンもまた頷いた。話は聞いていた。なら、自分が何をするべきかは分かっていた。伊達に三十年近くも賢者の弟子をやっているわけでもないのだろう。語られないでも、理解している様子だった。
「ソラ。ヴァーグという村を抜けた当たり、トリンが良い群れを見繕い少々大掛かりな支援を行う。その時にお主が動け。事の隠蔽は儂がなんとかする」
「はい」
何を考えているのか、というのはソラにはわからない。が、賢者が策を打ったのだ。であれば、ソラはそれを素直に信じてその通りに動くだけだった。そうして、彼はその後は数度の交戦を経ながら予防薬を配布するべく辺境の村を目指して馬車に揺られていくのだった。
さて、エマニュエルの部下に内通者が居ると判断してそれに対する策を一つ打ってからおよそ半日。夕方になった頃に、ソラは第一の目的地となるヴァーグという村にたどり着いていた。と、到着して早々、村長が数人の男性と共に手ずから出迎えてくれた。
「お久しぶりです、ブロンザイト様。それと、お待ちしておりました」
「いえ……遅くなり申し訳ありません。村の医師は?」
「あ、自分です」
ブロンザイトの問いかけに一人のローブを羽織った男が手を上げる。そしてラグナ連邦の医師免許を提示した。
「例の予防薬をお持ちしました。冷蔵庫等の手配は?」
「出来ています。注射器も同じく。後は薬さえあれば何時でも、予防薬の接種が可能です」
「そうですか……流行は?」
「まだ。と言っても街道沿いの主要な宿場町ではすでに流行が起きている、と聞いていますので……長くはないでしょう」
「そうですか……なんとか、間に合いましたか」
ヴァーグ村の医師の言葉に、ブロンザイトが胸を撫で下ろす。よほど悪化しないと死ぬ事はないとはいえ、やはり老人や子供の様に抵抗力が低い者は少しの油断が死を招く。そして真っ先に感染するのも、そういった抵抗力の低い者達だ。病人が出る前に間に合ったのは良い事だろう。
「はい……ああ、村長より許可を得て、搬送に村の自警団を借りています。もし手が必要でしたら、是非お声がけください」
「お待ちしてました」
ヴァーグ村の医師の言葉を受けて、彼の横に立っていた三十代ぐらいの男性が頭を下げる。彼がヴァーグの自警団の団長というわけなのだろう。その後ろには三人の若者も立っていた。そんな団長にブロンザイトも一つ頷いた。
「ありがとうございます……ソラ。お主も自警団の方々と搬送を手伝いなさい。ヴァーグ村の荷物はどれか、わかっておるな? トリン、お主はお医者様と共に予防接種を何時でも始められる様に手配を」
「「はい」」
ブロンザイトの指示を受けて、ソラとトリンが頭を下げる。そうしてソラが自警団と共に動き、トリンがヴァーグ村の医師と共に病院に向かう一方、ブロンザイトは村長へと向き直った。
「ヒォルフ殿。少々、お話をお伺いしてよろしいですか?」
「はい……と言っても、最近は風も冷たい。立ち話もなんですから、我が家へとご案内致します」
ヒォルフというらしい村長はブロンザイトの要請に頷くと、自宅へと案内する。そうして彼に続いてブロンザイトは村長宅へと向かう事にする。
「それで、お話とはやはり……例の件でお間違いは」
「……ええ」
どうやらヒォルフも要件を理解出来ていたらしい。ブロンザイトの問いかけを受けるまでもなく、彼の側から口を開いていた。まぁ、迷惑を被っているのは彼らだ。情報を求められて隠す道理は一切無かった。
「この村の医師でしたら、信頼して良いでしょう。奴らもわざわざこんな辺鄙な村の横流しを行う事は無意味と思っているのでしょうな」
「ふむ……そうですか」
実際にはこういう辺鄙な所だからこそ、信頼さえ得てしまえば露呈の恐れが無いと動く事もあるのだが。ブロンザイトはそう思いながらも、笑うヒォルフの言葉に頷いた。ここら、信頼している相手にその信頼している者を疑う様に言った所で自分への信頼を損ねるだけだ。
「まぁ、付近の他の村の村長と話をする限りでは、そういった事は無いかと。ただ……」
「ただ?」
「やはり、予防薬等で融通されない事は多かった、とは意見を一致させております。政府は十分な数を用意している、という発表でしたが……」
まぁ、当然か。ブロンザイトはヒォルフの言葉にそう思う。と言っても、これは勿論全部が全部融通されなかったわけではない。望んだ数を手に入れられなかった、と言う所だ。
一切融通しないとマスコミは騒ぎ立てるだろうし、組織的な犯行も簡単に露呈する。なのであくまでも大規模な問題にはならないが、という程度だ。そういう所を幾つも作れば、あっという間に大量の横流し品は手に入るだろう。そうして、ブロンザイトは少しの間、ここ数年の横流しの話や現在の流行り病の流行具合を確認していく。
「ふむ……ではまだここまでは来ていないと」
「はい……と言っても、往来はありますから。潜在的に感染している者はいるのではないか、と……」
「そうでしょうな……私が以前にお話した対策は?」
「それは勿論です。そのおかげもあり、三年前に比べて格段に感染者は減っております」
元々、予防薬が横流しされ十分な数が手に入らないのは分かっていた話だ。ブロンザイトは三百年前にカイト達から話を聞いて、大半の流行り病が目に見えないほどに微細な生命体、病原菌等が原因となる物である事を理解していた。
その対策としてうがい手洗いが有効である事を三百年前のカイト達から聞いて、可能な限りこういう場所で広めていたのである。本当ならばアルコール消毒等もしたい所であるが、どうしてもラグナ連邦ではそういった民生用のアルコール消毒液が手に入りにくい。なので出来る限りの事は、という所だった。
「そうですか……では、それについては来年以降もそのまま継続させて下さい。わずかでも予防させられるのなら、それが一番ですから」
「はい……」
ブロンザイトの助言をヒォルフも素直に受け入れる。こういった予防をしても流行る時は流行るのだ。が、それでも可能性を減らせるのなら、そうするだけである。と、そんな相談をしながら暫くの時間を過ごしていると、ソラとトリンが揃って村長宅へとやってきた。
「お師匠さん。荷運び、全部終わりました。鍵もきちんと」
「おぉ、そうか。トリン、お主の方は?」
「あ、はい。僕の方も全部終わりました」
まぁ、荷運びにせよ準備にせよ、元々準備がされていたという。なのでさほど時間は掛からなかったのだろう。と、そんな所にヒォルフが問いかける。
「あの……ブロンザイト様。そちらの少年は……」
「おぉ、そういえば三年前の時はいませんでしたな。彼は……」
ブロンザイトはヒォルフにソラの事を紹介する。今日はこのままこの村に泊まる事になり、村長邸に世話になる事になっている。紹介はしておくべきだろう。そうして、ソラはブロンザイト、トリンと共にその日は村長宅に厄介になるのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第1579話『賢者と共に』




