第1577話 賢者と共に ――旅路の中の旅路へ――
賢者ブロンザイトと共にラグナ連邦の警察官エマニュエルの所での話し合いに参加する事になったソラ。彼は二人の話し合いの結果、ひとまずパンデミックを抑制する事を優先するべし、と決定したのを受けて、明日からの出立に備えての支度を行っていた。そんな彼はブロンザイトの指示を受けニクラスに案内され、警察署付近の馬車のレンタル屋にやってきていた。
「すんませーん! 警察署のアサートンです! 依頼した竜車見に来ましたー!」
「あ、はーい! 少々お待ち下さーい!」
ニクラスの呼びかけに、受付の奥から女性の声が響いた。そうして、一分ほどの後。奥から女性が一人現れた。
「お待たせいたしました。どういうご用件でしょう」
「えぇっと、この竜車に使う荷馬車の確認と、明日の朝一番の出発に備えて荷物の搬入する場所の確認を行いたいんですが」
受付の女性の問いかけを受けて、ニクラスは予め用意していた予約票を提出する。
「……はい。32番の竜車ですね。ただいま確認させて頂きます」
予約票を受け取った受付の女性が引き出しからリストと特殊な魔石を取り出し、間違いが無いかどうかを確認する。なお、予約票には魔石が取り付けられており、偽装防止が為されていた。そうして数分の間予約のチェックが行われた後、受付の女性が頷いた。
「はい、確認しました。ただいま係の者をお呼びいたしますので、少々お待ち下さい」
「はーい。じゃあ、ちょっと待とっか」
「はい」
ニクラスに言われ、ソラは受付近くにあった椅子に腰掛ける。と、その間暇だからか、手持ち無沙汰なニクラスが口を開いた。
「そう言えば、君確か日本人なんだっけ?」
「あ、はい。前の事件の時……」
「大変だねー、君達も」
「あはは……まぁ、でも。日本に居たらこんな冒険とかは出来ないですからね。そこそこ楽しくはやらせて貰ってます」
何時も通り呑気なニクラスに対して、ソラは笑いながら一応の本音を告げる。これもまた、彼の心情としては嘘ではない。なんだかんだと背負う物も多くなってきたし、地球とは違い危険に満ちあふれている事もある。が、それでも未知の物を見れる冒険や探検が楽しくないわけではなかった。
「そっかー。俺、そういうの苦手でさー。警察入ったのも安定出来るからだよ。まー、後で楽しようと思って学校でちょっと本気出したら皆同じ考えだったらしくて、課長の所入れられてさー。気付いたらこんな所に。まー、逆に今はサボれるから結果オーライだね」
「あはは」
普通なら左遷された、とか将来に不安が、とかで落胆するのだろうが、ニクラスは逆に今の職場を甚く気に入っている様子だ。特に気にするでもなく笑っていた。と、そんな彼の冗談めかした言葉に笑ったソラだが、そこで違和感に気が付いて目を瞬かせる。
「……ん?」
「ん? どうかしたかい?」
「……い、いえ、なんでも……」
違和感の理由に気付いて頬を引き攣らせるソラであるが、その違和感とは簡単だ。彼は警察学校で主席を取っていたという。学校でちょっと本気だしたら主席、である。そしてこのちょっと本気の本気とはコレットの資料によれば武術に間違いない。つまり、座学は本気でやっていない。
どちらも本気でやっていれば確実に歴史に名を残しただろう。本気になった彼がどれほどのスペックなのか、正直言ってソラには空恐ろしいものがあった。と、そんな話をしているとどうやら、係の職員が来たらしい。
「あ、おまたせしましたー。ご案内しますので、こちらへ」
「どもー」
「あ、はい」
ニクラスが気軽に立ち上がったのに続いて、ソラもまた立ち上がる。そうして暫く案内されて店の裏側に向かうと、そこには倉庫が立ち並んでいた。
「えーっと……32番32番……あ、ここだここだ。これが、予約されていた竜車の荷馬車になります」
係の職員は少し大きめな幌馬車の前に立つと、ニクラスに向けてそう告げる。
「ソラくん、一応これがウチの課長が予約してた荷馬車だけど……俺らじゃあ良くわからないからね。確認、お願いね」
「あ、はい……入って良いですか?」
「どうぞ」
ニクラスの要請を受けたソラは係の職員に一つ許可を得ると、警察で借りたという馬車に乗り込む。見た目としては普通の荷馬車と変わらないサイズだったが、どうやら魔術により内部の構造を変化させられる物だったらしい。
冒険部が保有するキャンピングカータイプの荷馬車と同じで、内部には部屋が幾つかあった。これについてはここに来る前にブロンザイトからも言われていたので、ソラも特に気にしない。とはいえ、これはその必要があるから、こうなっているだけだ。
「えっと……あ、ここだな。まぁ、流石にまだ冷蔵にはなってないか」
荷馬車の中を見回して、ソラはトラックで言えば冷蔵車にあたる機能を持つ格納庫の確認を開始する。一応、保冷剤やクーラーボックスを用意しているが、カイトも言っていた通り長くは保たない。なので常にはこの冷蔵庫に収納して、持ち出す時にクーラーボックスに入れる予定だった。
「えっと、確かケース一つに十個入ってるって話で、これぐらいで……確か今回行く村の数は五つ。住人の数は……」
ソラは先程のエマニュエルとブロンザイトの会話を思い出し、更にはそこで述べられていた村の住人の数を思い出す。数は軽く三桁を超えていた。が、やはり大国という事で最低でも一人はどんな村にも医師は常駐しているらしいので、逐一留まって全員に注射を、という事にはならない。
ソラ達が行うのは運搬と納品の手伝いだ。無論、それでももし万が一に間に合わずパンデミックの兆候が見受けられ、手が足りなくなった場合はそのまま留まって手伝いを行うし、そのために注射器の講習も受けた。そこらは、臨機応変だ。
「詰めれば……余裕で行けるよな。途中で一回補充してくれるって話だから、そこで合流してと考えると……うん。なんとかなりそうだな」
冷蔵庫は余分を入れても十分に運送が可能だ。ソラはそれを把握すると、一つ頷いた。辺境の村には彼らが届けるが、それらが全て一つの道で繋がっているわけではない。
道中数度は主要街道に合流出来る為、そこで主要街道沿いの街に予防薬を配る役所の者達と合流する予定だった。ただ主要街道沿いの街は住人の数を考えるとどうしも人手が足りない為、彼らも手伝いをしているだけだ。最悪は居なくても良いが、犠牲者が一人でも減らせるのなら、という善意と言って良いだろう。
「ニクラスさーん!」
「なんだいー!?」
「一応これで大丈夫っぽいですねー!」
「そっかー!」
入り口の外からニクラスが何時もの呑気な声でソラに応ずる。冷蔵庫のスペースは大凡日本の宅配便のトラックの荷台の半分より少し大きい程度で、積み方や梱包材等を工夫すれば一度に四百人分ぐらいはなんとか輸送出来る。
一番数を輸送する事になる所で最低でも三百人分を輸送したい、という事なので十分な許容量は用意されていたと言って良いだろう。許容量限界まで積み込めば、もし万が一があっても十分住人全員に行き渡るだけの数を積み込めるだろう。というわけで、そんな事を考えながらソラは荷馬車から下りた。
「まぁ、梱包材とか色々工夫しなきゃダメだと思いますけど、四百人分ぐらいは行けると思いますよ」
「そっか。それなら大丈夫だね」
ソラの返答に頷くと、ニクラスは改めて予約票を懐に仕舞っておく。この馬車については明日の朝一番に役所の前に移送させられて、ソラ達の分となる予防薬を積み込まれる事になるらしい。それが終わったら、役所の庶務課の者達と一緒に出発だった。
「じゃ、俺はもう戻るねー」
「はい、お疲れ様です」
ひらひらー、と手を振ったニクラスに、ソラが頭を下げる。と、そうしてソラもブロンザイトに言われた仕事が終わったので戻る事にした。
「……ん?」
そんな道中の事だ。ソラはふと、視線を感じて一瞬だけ思考する。
(……わずかに敵意……あるよな、これ……捕まえる……か?)
やはり曲がりなりにも冒険者のランクBという所だ。この程度の監視であれば察知する事が出来た。とはいえ、だからこそソラはわずかに悩んだ。捕まえようとすれば捕まえられる。が、今回彼は敢えて行動せずに、敢えて気付かぬフリを選択する。
「……」
ソラが敢えて気付かなかったフリをした理由。それは至極簡単で、ブロンザイトに相談する為だ。やはり相談出来る、教えを乞える者が居る、というのが彼にとって良く働いた。自分で判断出来ない、もしくは更に良い手があるかもしれない、と判断すると敢えて悩まず判断を保留する事を彼は学んだのである。
(まぁ、敵も警戒はしてるんだろうからなぁ……)
当然は当然か。ソラはそう思う。かつては引いた筈のブロンザイトがまた舞い戻ったのだ。しかもエマニュエルと接触したという。どれだけ隠しても今日には不正を行っている役人に伝わっているだろう。
監視させよう、というのは正しい判断だと言える。というわけで、ソラはその監視に気付かないフリをしながらホテルへと戻ると、即座にブロンザイトに事の次第を打ち明けた。
「ふむ……」
やはり敵が動きを見せてきたからだろう。ブロンザイトは何時になく真剣な顔でソラの報告を聞いていた。
「ソラ。その監視。わざと察知させたとかは、無いか?」
「はい。明らかに腕はそこまで良く無いと思います」
「ふむ……」
ブロンザイトは再度唸る。無論、ここはもし超級と言われる者達なら平然とソラを騙してくるだろうし、彼には理解し得ないだろう。が、そんな超級を気軽に差し向けられる様な組織は滅多にない。今回の地下組織も実力が不確かなソラにそんな腕利きを差し向ける事はないだろう、と考えられた。
「……良し。ソラ、とりあえず気付かぬフリをしたのは上策じゃ。現状、お主の腕が如何ほどか、というのは敵は把握しておらん。こちらの手札を見せる必要はない。相手はお主が気付かぬのを見て、油断する。そのまま、気付かぬフリを通せ」
「はい」
ブロンザイトの指示にソラは素直に頷いた。ラグナ連邦内の事ならまだしも、他国を、それも大陸の正反対の皇国の木っ端ギルドで活躍するソラの腕を知りたければ情報屋に聞くしかない。
これが以前のイングヴェイほどの腕ならまだ大陸中に知れ渡っている可能性もあったが、所詮ソラ程度だと全国的に知れ渡る事もないのだ。であれば、彼の事を知りたければ情報屋となり、ここにはカイトの手が回っている。如何様にでも偽装出来た。
「ふむ……」
ソラに指示を与えたブロンザイトは、少しだけ悩む。
「トリン。お主、どう思う?」
「……かと」
「ふむ……」
どうやら、師弟はソラにはなにかわからない事について同意出来ているらしい。ほぼ悩むこと無く同意を示したトリンに対して、ブロンザイトもまた険しい顔で深く息を吐いた。と、そんなブロンザイトには声を掛けられない、とソラはトリンへと問いかける。
「どういう事?」
「ん? あ、あぁ、ごめんごめん。ソラが居るの忘れてた……ちょっと違和感感じてさ」
「違和感?」
トリンの言葉にソラが首を傾げる。それに、トリンは頷いた。
「うん。ちょっと早すぎる、って思ってね」
「早すぎる?」
「うん……今回、ソラは知らないと思うけど……実は僕らは身分を隠してラグナ連邦に入っていてね」
「そうなのか?」
「うん……僕らは今回、積荷の監督者として来てるんだ。三人なのも相手に疑われない為でね。ソラの事を知ってるのは本当に限られてるんだ」
「へ?」
トリンの言葉にソラが眼を丸くする。そこそこ冒険部では知られていた事だ。なので誰もが知っている事だと思っていた。が、実はこれは完全に勘違いだ。ソラはここが他国、それも大陸の正反対である事を忘れていた。それ故、トリンが笑いながらそれを指摘する。
「ここは大陸の反対側だよ? 情報屋をカイトさんが押さえてるのに、情報がそう安々手に入ると思う?」
「え……あ……そっか、そうだよな……」
ソラは今まで自分が地球の常識に囚われていた事を理解して、目を見開く。ここは地球ではない。インターネットを使って世界中の情報を、というわけにはいかないのだ。情報屋ギルドや様々な伝手を使ってようやく手に入るものなのである。
「うん。じゃあ、当然だけどまずお爺ちゃんが本物なのか確認を行うのが、筋の筈なんだ」
「確認取れたから、ってわけじゃないか?」
「そうだね。だから、ソラに監視が着いた」
ソラの問いかけにトリンははっきりと頷いた。これについてはブロンザイトもまた同意する所で、それ故に彼も険しい顔だったのだ。
「ソラ、一つ聞きたいんだけどさ……君、昨日の夜報告が入った事についてを今朝確認して、その後にすぐに密偵、出せると思う? しかも僕らが入った事さえ本当かどうかわからないのに、だよ。君ならまずどうする?」
「……普通、確認取るよな……」
トリンの問いかけに、ソラは自分ならどうするかを考える。相手が本物なら良いが、偽物ならこれを囮にしてどこか他から入るつもりなのかもしれない。
そういった事を考えると、まず行うのは相手が本物かどうか、だ。その確認をしていると、どう考えても半日で監視を出す所までは行かない。いや、行けない。
今回、ブロンザイトに新たに弟子入りしているソラの力量等を多角的に見極めなければならないからだ。にも関わらず、敵は即座にソラの監視に動いた。であれば、答えは限られた。
「つまり、敵は元々僕らが入国する事を知っていたという事。勿論、これがどこから露呈した情報なのかは、わからないけどね」
「……」
つまりは、そういう事なのだろう。トリンは敢えて言及しなかったが、ソラは彼の言及しなかった事についてはっきりと理解する。その内容とは、一つだ。それを口にしようとして、トリンが口の前に人差し指を当てる。
「……ソラ」
「……」
内通者が居る。ソラはトリンが口止めした内容が正解だと理解して、わずかに真剣さを増す。そうして、ソラは内通者が居るかもしれない、という話を胸に仕舞い込んだまま、翌日にはヴォダを後にするのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第1578話『賢者と共に』




