第1528話 出立
道化師達がにわかに闘争の匂いをさせ始めていた一方その頃。カイト達はというと、大凡全ての調査任務を終えてマクスウェルへと帰還していた。と、それに合わせてソラ・トリンの二人はマクスウェルに残りラグナ連邦との間で折衝を行っていたブロンザイトと合流していた。
「おぉ、トリン。どうやら、なかなかに面白い状況になった様じゃな」
「お、おもしろくなかったですよ……何回か寿命が縮むかと思いました……」
「ふぉふぉ……まぁ、とはいえ。想定しておった話ではあったじゃろう?」
「ええ、まぁ……」
ブロンザイトの問いかけにトリンは気を取り直して頷いた。そもそもの話として、実質的に遺跡への潜入実績であれば彼ら二人の方が冒険部より遥かに多い。その中には調査もまだ完全に行われていない遺跡も多かった。
となると必然として厄介な罠に引っかかる事もあり、その中には無数のゴーレムに追いかけられる事はあった。ある意味ではこの程度の事は想定の範囲内と言って良かった。無論、流石にそう言ってもここまでの大事になる事は非常に稀と言わざるを得ない。なのでそう言う意味では想定外といえば、想定外と言えた。
「うむ……それで、ソラ。これから明日の朝には出立となるわけであるが、準備はどうじゃ」
「あ、はい。出来てます。旅券、路銀とか……武器も手入れの道具はきちんと」
「うむ、よろしい」
ソラの返答にブロンザイトは一つ頷いた。流石に色々と事件は起きたものの一ヶ月はあった。更に言うと、収穫祭の時点で準備は進めていたのだ。もう既に準備は終わっていた。
「さて……それでは一度カイト殿の所へ向かう事にしよう」
ブロンザイトはそう言うと、立ち上がって公爵邸へと向かう事にする。何故公爵邸なのかというと、薬品の関係があるからだ。今回ラグナ連邦に向かう最大の理由は流行病が流行の兆しを見せているから、だ。その薬品の進捗を確認するには冒険部では出来ないからだ。
そして彼が向こうに行くという事なので、カイトも当然あちらに入っていた。そうして三人が入った公爵邸ではカイトが手ずからブロンザイトを出迎えた。
「ブロンザイト殿。お待ちしておりました」
「おぉ、カイト殿。お久しぶりです。出立間際となりましたので、最後の確認をしたく」
「はい。では、こちらへ」
ブロンザイトの言葉に頷くと、カイトは公爵邸の敷地内に用意されている研究施設へと向かう事にする。するとそこには幾つかのコンテナが並んでおり、側面にはマクダウェル家の紋章が入っていた。これは夜間の内に空港へと移送され、明日ソラ達が乗る予定の飛空艇に載せられる事になっていた。
「コンテナは冷蔵での保存が可能な物を用意しております。内蔵のバッテリー駆動時間はおよそ一ヶ月。まぁ、向こうも既に受け入れ体制を整えて下さっているという話ですので、輸送にも問題は無いでしょう」
「ふむ……中はどの様な形に?」
「幾つかのアンプルを小分けにした小箱に入っています。今回は長距離の輸送となりますのでそれぞれの小箱には衝撃吸収素材での梱包をしています。また、別途あちらの箱には持ち運び用のクーラーボックスも用意しています。万が一、何らかの事情で持ち運ばねばならない場合にはそちらをご使用ください」
カイトは並べられていたコンテナとはまた別に設置されていたコンテナを指し示す。あの中にクーラーボックスが入っているという事なのだろう。別途分けられている理由はコンテナの種類が違うから、らしい。あちらには冷蔵保存の機能は備わっていないらしい。
「そうですか……それは有り難い。やはり僻地になるとどうしても大規模な輸送が出来ませんからな」
「ええ……そう思い、手配させて頂きました。が、クーラーボックスについては小箱の数は存在しておりませんので、もし万が一足りなくなった場合はあちらの担当の者とご相談ください」
「わかりました……クーラーボックスにはそのまま?」
「いえ。このクーラーボックスはヴィクトル商会が販売しております一般の物ですので、梱包材ごととは。無論、大きめの物を用意しておりますので入らなくはないですが……数を持ち運べなくなってしまいます。その点は考慮に入れた上でご使用ください」
ブロンザイトの問いかけにカイトは逐一答えていく。なお、やはり医薬品という事で気になるのは注射器であるが、これについては必要がない。
以前瞬が毒を受けた際、ティナが銃型の注射器を渡した事があった。あれと似た機能を兼ね備えた物が各国には用意されており、今回カイト達が用意した薬品についてもそれの規格に合致した容器に入れられている。後はこれを専用の注射器のシリンダー部分に入れ替えるだけで、薬品を投与出来る様になっていた。
「……うむ。大丈夫そうですな。幸い、向こうとしてもまだパンデミックには至っておらず、ギリギリセーフという所でしょう」
「ありがとうございます。何とか、間に合わせられて良かったです」
僅かな安堵を滲ませたブロンザイトに、カイトが笑って頭を下げる。やはり流行り病で一番怖いのはパンデミックだ。まだ冬本番ではないので安全圏ではあるが、それでも段々と寒くなり始めている。ラグナ連邦の北部の一部地域ではもう雪がちらついているという。何時パンデミックが起きても不思議はなかった。
「そうですな……何とか、間に合った」
「……」
ブロンザイトの言葉に、カイトは一つ頷いた。そうして、その後はしばらく彼との間で打ち合わせを行い、それが終わった所でソラは再度ブロンザイト達二人と別れる事となった。
理由は単純だ。そもそも彼は出発までは冒険部に居なければならないわけだし、それ以外にも旅に同行する以上は注射器の扱い方を学ばねばならないだろう。トリンもブロンザイトも仕事柄取り扱いには慣れている。が、一方のソラは流石に使った事がなく、簡易で良いので扱い方をマスターさせておこう、となったのである。
「というわけで、これがその注射器だ」
「注射器、ねぇ……針ねぇのな」
「まぁな。その先端の部分……注射器で言えば注射針の根本になる筒先と針本の部分に魔石が取り付けられている」
ソラの言葉にカイトはエネフィアで一般的に使われている注射器を手渡す。そうしてソラも触ってみたが、見た感じはどこかおままごとで使う様な注射器のおもちゃの様な感じだった。
違うと言えば針の部分には魔石が取り付けられており、注射器で言えばシリンジの部分は取り外せる様になっている様子だった。更に最大の違いとして、プランジャー――押し込む部分――はスイッチになっており、あまり動かない様子だった。
「これ、どうやって体内に注入してるんだ?」
「基本的には魔力で体内に中の液体だけを浸透させている。ほら、地球でも注射の際に体内に空気が入って問題になる事があるだろう? あれに対処するのがまぁ、難しい話だった」
「ふーん……なんでそんな事知ってんだ?」
「開発したの、ウチだからだ」
ソラの問いかけにカイトが苦笑する。エネフィアの現在の技術水準は地球で言えば中世ヨーロッパからかなり現代よりだ。が、それでもまだ現代にはたどり着いていない。三百年前であるのなら、何をか言わんやである。現在でさえ量産品として注射器を作る事は出来ないし、何より血管内に気泡が入り込む事の問題性を大半の者が理解出来ていなかった。
が、注射器の有益性はカイトが知っている。それを利用しない手は無い、と彼は考えていた。そこでティナ達と話し合った結果、出来たのがこの注射器だったというわけであった。
「液体という概念だけを通せる様にしてな。これなら、多少シリンジの内部に空気が入っても問題はないし、針を使わないから感染症の問題も非常に少ない。それこそアルコールで消毒すれば使いまわしても問題ない。肌に接触させるだけだからな」
「地球の注射器より上じゃね?」
「まぁな。ま、そういうわけだから使い方としても非常に簡単だ。見てわかる通り、その魔石の部分を肌に接触させて上のスイッチを押し込むだけ。それだけだ」
猿でもわかるな。カイトの解説にソラはなるほど、と理解した。が、勿論それだけというわけではない。でなければわざわざ使い方の説明なぞする意味がない。
「とはいえ、見たらわかる通り、きちんと注意事項もある。まず、その針の部分にある魔石が完全に肌に接触していないと、プランジャー上部の魔石が赤く光って投薬出来ない。逆にきちんと接触出来ていれば緑色になって使える。これは覚えておけ」
「ああ……お、ホントだ」
ソラは試しに自分の肌に接触させて試してみて、カイトの言う通り肌に完全に密着させるとランプが緑色に変わる事を確認する。そうしてその感覚を何度か確認して、ソラが口を開いた。
「ちょっと押し込むぐらいが良い……のか」
「そうだな。ちょっと押し込まれる感覚がある程度が、丁度良いかもしれない。で、使い終わったら今度は中のシリンダーを入れ替える必要がある。ここらは注射器とは違う所か。注射器は中に溶液を再度入れる形だが、エネフィアのはシリンジを毎度交換する。シリンジ部分の上部に爪があるだろ? それをシリンジから外して、押し込んでみな」
「こう……か。あ、外れた」
「そうだな。それで、次のを入れ替えられる。後は上下を確認してはめ込むだけだ。上下は赤い印が付いているからわかるだろう。印がある方が下だ」
ソラはカイトの説明に沿って、注射器のシリンジを入れ替える。そうしてシリンジを入れ替えた後は再度固定すれば、完成だった。
「へー……簡単なんだな」
「ま、当時の医者の水準が水準だったからな。どこでも、どんな程度の医者でも使える様に工夫していくと自然、誰でも使える様な簡易さが求められちまったのさ。まぁ、おかげで注射器に関わる医療事故は殆ど無いがな」
感慨深げに頷いていたソラに、カイトは僅かな苦笑を浮かべる。なお、こんな万能に見える注射器だが、当然看過できない幾つかのデメリットもある。
まず色々と簡易にしたわけであるが、シリンジを交換する形にした所為で地球の注射器の様に針を交換して中身を補充という事が出来ない。そしてそのシリンジの交換とて、ソラが教えてもらった以外にも幾つかの安全機構が備わっている。それら全てをクリアせねば使えず、必然として効率は悪化した。
更にここまで簡易にした代償として、数々の魔術的な刻印を刻み込む事になった。量産性は必然として大幅に悪化していた。それに伴って値段も上昇し、決して使い捨てには出来ない高級品と言えた。
最後に、これは必然としか言えないのであるが機能上どうしても採血は出来ない形になっている。こればかりは魔術を使って投薬している関係上、どうしても対処する事が出来ない問題だった。
「というわけで、安心して使っていけ」
「使わない方が良いんだろうけどな」
「そりゃ、そうだがな。既に患者が出てしまっている以上、使わない事がないだろう。お前も大いに手伝ってこい」
「おう」
カイトの言葉にソラが頷いてやる気を見せる。そうして、その後はソラは由利やナナミとの時間に使い、カイトは最後の最後まで準備に勤しむ事になるのだった。
明けて翌日。カイトはソラの見送りにやってきていた。そうして空港にて、カイトは彼へと最後の念押しを行っていた。
「ソラ。分かっていると思うが、今回のこの旅はあくまでも冒険部としての派遣となる。ユニオンを介せばギルド内での伝達が可能だ。適時、報告を送る様に」
「ああ、わかった。基本的には受付で手紙を渡せば、それで大丈夫なんだよな?」
「ああ。可能なら三日に一回。まぁ、旅があるだろうから難しければ一週間に一回、手紙を出せ。便りがないのが元気な証とは言うが、報連相は基本だ。それを怠るなよ」
「おう」
カイトの念押しにソラもはっきりと頷いた。この手紙についてはカイトが冒険部として費用を渡しており、彼もそのつもりで胸に刻んでいた。そうして一通りの注意事項を言い含めた後、ソラが恋人二人との最後の会話を交わす一方でカイトは改めてブロンザイトへと頭を下げた。
「ブロンザイト殿。では、ソラをお願いします」
「うむ。確かに、お預かり致しました……次に会うのは、三百年後ですかのう」
「あはは。そう仰らず、ぜひ近い内にお訪ねください」
前に最後に会話をしたのは三百年前。その後は縁が無く再会したのはこの一ヶ月前だ。それを含めての冗談というわけだろう。そうしてそんな冗談に笑ったカイトの言葉にブロンザイトもまた一つ頷いた。
「ふぉふぉ……そうですな。可能なら、早い内にお訪ねさせて頂きます」
「はい……では、お気をつけて」
「失礼します……トリン、ソラ。では、行くぞ」
「「はい」」
カイトの言葉にブロンザイトが頭を下げると、トリンとソラの二人に声を掛ける。そうして、彼は二人を伴って昇降口へと消えていくのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第1529話『何時もの日常』




