第1519話 オプロ遺跡 ――決裂――
ファルシュの正体はかつて数百人の子供に人体実験を施したマッド・サイエンティスト『ヴァールハイト・カリタス』かもしれない。記憶の一部を取り戻したシャルロットからそんな無視できない情報を手に入れたカイトであったが、折しもそれに合わせるかの様にファルシュの娘であるコナタが倒れたという情報が入ってきた。そうしてその情報を受けたカイトがコナタの部屋へと向かったが、そこではミースがコナタの状態を診察していた。
「ミース。コナタちゃんが倒れたと聞いたが……」
「……ええ。夕食を食べて少しして、急にばたん、と」
魔術を使ってコナタの内診を行うミースの顔は苦かった。そうして、目を開いた彼女がカイトに対して首を振った。
「駄目。魔力の流れが変調を来たしている。私ではなんとも出来ないわ」
「ふむ……意識は?」
「先程まではあったのですが……今はこの様子です」
カイトの問いかけを受けたリーシャが見たままを告げる。ベッドに寝かされたコナタの呼吸は荒く、胸はかなり大きく上下していた。
「……駄目か?」
「「……」」
こくん。カイトの問いかけを受けた二人は苦い顔で頷いた。こうなってはもうカナタの指示通り彼女の身をファルシュに預けるしかないだろう。
「……わかった。シーラさんに緊急で伝令を送れ。今から決着を付けるしかないだろう」
「今、ですか?」
「もし彼女が何らかの人体実験を施されていて、その影響だとするのなら下手に放置するのも悪手だ。もしそれが暴走を伴うものであるのなら、暴走の危険もある。無論、逆に彼に引き渡す事での不都合もあるが……この苦しみ様だ。下手に長引かせるのもな」
「……わかりました。では、こちらはけが人に対応するべく後衛に回ります」
「頼む」
カイトはリーシャの判断に頷くと、彼女ら二人には後方支援に回ってもらうべく手配を行ってもらう事にする。その一方、カイトはコナタを抱きかかえるとユリィに念話を送って合流していた。
「で、今から、と」
「ああ……一刻の猶予もない。些か急だが、もうここで一気に決める事にした」
「はいさ……で、冒険部どうするの?」
「幸い、まだ寝る様な時間じゃない。全員起きてる……即座に応戦体制を整えさせている」
カイトはわずかに視線を上に上げると、一葉達に一つ頷いた。それに、彼女らもまた一つ頷きを返す。シャルロットからの情報提供を受けている間、焦って帰還を開始した彼女を見て万が一に備えて彼女らには戦闘態勢を整えさせていた。それが功を奏した形だった。
「冒険部はどうするの?」
「そっちは桜達に撤退を指示している。『天使の子供達』計画がどの様な計画かはわからんが……少なくとも話を聞く限り邪魔にしかならん。本来なら、ティナ達の助力が欲しい所だが……」
現状を告げるカイトの顔は苦かった。出来る事なら万全を期して臨みたい所だが、その時間が惜しい。このまま進むしかないだろう。と、そんな慌ただしく動く陣の中を駆け抜け、カイトは中央建屋へとたどり着く。と、それを待っていたかの様に、ファルシュが現れた。
『……ああ、来たか』
「ファルシュさん……驚かないのですか?」
『診断結果から、そろそろ倒れるかもしれないとは推測していたからね。急いでくれ。調整槽の用意が何とかついさっき整ってね。助かったよ』
カイトを見たファルシュの顔はわずかに硬かったものの、どこかの安堵が滲んでいた。どうやら、彼の言う通りコナタの為のカプセルの用意が整っていたという事なのだろう。コナタへの愛情は本物だろう。であれば、この調整槽とやらはコナタの為になると信じるしかなかった。
というわけで、カイトはファルシュの指示に従って彼の研究室へと向かい、小間使いのゴーレムによって用意されていた調整槽の中にコナタを横たえる。すると、すぐに何らかの溶液でカプセルが満たされた。
『良し……ああ、少しどいてくれ。あまり使いたくはないが、用意していた薬を彼女に使う』
「ええ」
カイトはゴーレムを使って治療に取り掛かったファルシュの邪魔にならない様に、少しだけ離れた所に移動する。そうして、一度だけ深呼吸して意を決して問いかけた。
「そういえば、ファルシュさん」
『ん? なんだい?』
「コナタちゃんはどんな病気なんですか?」
『おや? まだ病名を告げていなかったっけ……彼女はモザイク症候群という病気でね……ああ、前に語ったのは母親からの遺伝という所だけだったか』
ファルシュは思い出す様に、カイトへとコナタの病名を語る。それに、カイトは聞き覚えが無かった。
「モザイク病……ですか?」
『うむ……聞いた事は無い、様子だね。まぁ、安定するまで少し時間がある。その間に教えておくよ』
どうやらファルシュは隠すつもりは一切無いらしい。カイトの求めを受けて、コナタの病気に関する情報を提示する。
「ふむ……」
「因子の複合化に伴う弊害……?」
『うむ。敢えて言う必要もないだろうが、多種族が交わっていくと当然、種としては混血化が進む事になる。それは良いね?』
提示された情報をのぞき見たユリィの問いかけに、ファルシュは一つ頷いた。そうしてそれに対する頷きを受けて、彼は更に話を進める。
『そうして混血が進み様々な因子が混ざっていくと、時に因子が肉体の中でモザイク画の様にピッタリと嵌ってしまう事があってね。非常に稀な病だ。私が知る限り、数えられる程の患者しか居ない難病と言って良いだろうね。無論、私が見たわけではないから全員がそうとは言い切れないが……疑わしい症例であれ、それだけしか確認されていない』
コナタの状態を見ながら語るファルシュの顔はやはり、親として難病に苦しむ子を見る悲しさと辛さが滲んでいた。少なくとも、彼がコナタを愛している事、そしてコナタが何らかの病気である事だけは事実。喩え人工知能だろうと、それが理解出来る顔だった。
そんな彼の顔を見て、カイトは尚更に彼が本当にそんな数百人の子供に人体実験を施したマッド・サイエンティストなのかと疑うしかなかった。それ故、カイトもまた神妙な顔で彼へと問いかける。
「彼女はそれ、と?」
『うむ。私の研究で一応、原因は掴めた。本当にこれは極稀、としか言い得なくてね。本当に極稀に、数々の因子を取り入れた上でそれを顕現出来てしまう肉体を持つ者が居るんだ。数十万人に一人ぐらいで適合出来てしまうらしい』
「それが貴方の奥様の血統だった、と」
『ああ……元々彼女の血統は早逝したり、慢性的に因子による暴走があったりするという一族でね。医学生だった私はそれを聞いて、研究対象程度のつもりで彼女らが暮らす所に向かったのだが……そこで彼女と出会ってね。気付けば、恋に落ちていたよ』
どこか恥ずかしげだが、それでも嬉しそうにファルシュは妻との出会いを語る。これもまた、嘘を言っている様子はない。
『ふふ……彼女が居た頃は本当に楽しかったよ。彼女が死んでからも勿論、コナタのおかげで寂しくなかったけどね』
「そうですか……」
嬉しそうに笑うファルシュに、カイトもまた微笑んだ。少なくとも、彼がその二人を愛していたのは事実だろう。だろうが、いつまでもこの関係を続ける事は出来なかった。
「……ファルシュさん。一つ、伺いたい事があります」
『ん? なんだね』
「……『天使の子供達』計画というのは、ご存知ですか?」
『……』
カイトの問いかけに、ファルシュはわずかに驚いた様な顔をする。が、そんな彼は特に気にする事なく頷いた。
『ああ、勿論知っているとも。ふむ……その様子だと君はカナタに会ったかな?』
「っ! カナタの事もご存知だと!?」
さも平然とカナタの事を認めたファルシュに、カイトが目を見開いて声を荒げる。それに、ファルシュは楽しげに頷いた。
『お、おいおい。娘を知らないと言うわけがないだろう。コナタもカナタも私の大切な娘さ。忘れるわけもないし、知らないわけもない』
「……では、貴方こそがヴァールハイト・カリタスで間違いないのですね」
『おや……』
カイトの問いかけにファルシュ、否、ヴァールハイトは今度は大きく驚いた顔を浮かべる。しかし、それに彼はすぐに合点がいった様な顔を浮かべた。
『ふむ。私の事を知らないので似ているだけと思ったが……やはり彼女こそが女神ムーンだったか。にしては、ここに至るまでが遅かったが……君のその顔だと泳がせていたというわけでもないだろう。さて、どういう事情があったのか……』
ヴァールハイトはカイトの顔を見て、シャルロットの現状を推測する。しかしそれに、カイトが制止を掛けた。
「少し、考察はやめて頂こう。今この場には貴方だけが居るのではない。オレの存在を忘れてもらっては困る」
『うむ。やはり君は私が見込んだ通りの男だ』
コナタが浮かぶ調整槽に向けて銃の形にした指を向けるカイトを見て、ヴァールハイトは嬉しそうに笑みを浮かべる。その笑みには、どこか狂気が滲んでいた。そんな笑みを浮かべたまま、彼は続けた。
『さて……君に時の利があるとは思えないが。まぁ、君が話し合いを望むのならこちらも応じよう。別に私は何時開始でも良いのだけれどもね……っと! 君は思った以上に暴力的だな!』
「……」
ヴァールハイトの言葉にカイトは黙れ、とでも言わんがばかりに彼の映像に向けて魔弾を放つ。無論、これは警告射撃だ。なので何ら一切破壊する事はなかった。が、これは警告。そして彼はやる時は本気でやる。故に、彼は本題に入る事にした。
「何を考えている? いや、今は一旦これは置いておこう。彼女に何をした?」
『……一つ、はっきりとさせておこう。まず私はコナタとカナタに対しては何か恥じる事をしたとは思っていない。彼女が生きられる様にした。それだけは真実だよ』
睨みつける様なカイトに対して、ヴァールハイトは力強い意思の籠もった声で明言する。どうやらこれは本当らしい。カイトは彼の真剣な顔を見て、そう判断する。そうして、そんな彼は改めて告げた。
『まぁ、その様子なら君は私の罪状を知っているのだろう。ああ、そうだよ。私は子供達を何人も犠牲にした。それは別に隠してもいない事だ』
「……彼女を救う為か?」
『無論、それはそうだ。それは否定しない。私とて無意味にそんな事はしないさ』
「……鬼子母神、という所か」
ヴァールハイトの言葉にカイトは小さくそう告げる。それを聞いて、ヴァールハイトが首を傾げる。
『鬼子母神?』
「我々の世界で居るとある神だ。ハリティーともいう。我が子を食べさせる為に他人の子を拐って食べさせていた女神だ」
『ああ、なるほど。確かに、私は鬼子母神だ』
カイトの解説を聞いて、ヴァールハイトは笑って納得した様に頷いた。基本的に彼の行動原理は娘の為と言って良い。それだけは確かだ、とカイトもまた納得した。が、それ故に問いかけなければならなかった。
「一つ、聞きたい。何故そういった事を黙っていた? オレの性格を貴方は理解していると思っている。聞いたとて娘の為であれば理解を示すだろう」
『ふむ……もう君は気付いていると思うのだがね』
「っ! では兵器として改造したのも事実ということか!?」
ヴァールハイトの言葉にカイトは思わず声を荒げる。確かに、まだ鬼子母神であればカイトも僅かな理解を示そう。娘をなんとしても救いたい。そういう心情であれば彼もまた理解を示す。が、娘を兵器として改良したというのであれば、話は別だった。
『うむ。ああ、そう言っても間違えないで貰いたい。これは彼女の意思でもある』
「……彼女の意思?」
『うむ……聞いておきたいが、君はカナタについてどれだけ知っている?』
「彼女から、貴方を疑えと聞かされた。そこから貴方を疑い、幾つかの事を調べて今に至るという所だ」
ヴァールハイトの問いかけにカイトは己が彼を疑うに至った経緯を語る。それに、彼は調整槽に横たわるコナタを見て思わずといった具合に苦笑を浮かべた。
『ああ……全く。困った子だ。コナタは良い子なのに、カナタときたら……まぁ、そういう所もかわいいんだけどもね……とはいえ、その様子なら君は何も知らないのだね。そして随分と気に入られている様子だ。私に似ていたのかな?』
半分苦笑気味に笑いながら、ヴァールハイトはカイトを見る。そうして、カナタの正体と何故自身に預ける様に言ったのか、という真意を語ってくれた。
『うむ。君には全てを語っておくべきだろう。彼女はコナタの別人格……二重人格、というのはわかるかね?』
「解離性同一性障害か」
『うむ、うむ。まぁ、古代には魂が二つある、とかと言われていたのだがね。彼女は……いや、コナタはそれだ。それをはっきりと顕現するに至らせたのは私自身と言うしかないのだろうが……』
カイトの言葉に頷いたヴァールハイトは楽しげに彼女らが生まれるきっかけを作ったのは自身だと明言する。そうして、そんな彼が教えてくれた。
『元々、コナタの方が後から出来た人格でね。生存本能を司るカナタと、無垢なコナタ。この二人で彼女は成り立っている。今彼女が倒れたのは生存本能が失われ、その負荷にコナタが耐えられなかった為、と考えて良いだろう』
「では、カナタを目覚めさせている、と?」
『ん? いや、何もしていないよ』
カイトの問いかけに対して、ヴァールハイトは何時もの笑みを浮かべながらはっきりとそう明言する。それに、カイトが目を丸くした。
「は?」
『ああ、まぁ、分からないのも無理はない。彼女は最初の投薬の時点で目覚める様になっている。あれは敢えて言えば気付け薬の様なものでね……カナタ。いい加減そんな所で寝ていないで目覚めたらどうだい? ずっと会話は聞いていたんだろう?』
笑いながら、ヴァールハイトは調整槽に浮かぶコナタへと告げる。それにコナタが、いや、カナタが笑った。
『あら……お父様。折角の団長さんとの初対面なのに……そう素直に出てしまっては面白くないわ』
『おっと……すまないね。こんなダメな父を許してくれ』
『仕方がないわね』
ぴしっ、とカナタが横たわる調整槽のガラスにヒビが入る。そうして、次の瞬間。彼女が横たわっていた調整槽のガラスが砕け散り、溶液が外へと飛び散った。
「お久しぶり、団長さん」
「……カナタ、か」
無垢なコナタの笑顔とは違う妖艶で優雅な笑み。それを見て、カイトも本能的に彼女がカナタだと理解する。それを聞いて、カナタが優雅にカーテシーで一礼した。
「はい、団長さん。はじめまして。そして、今後も末永くお願いします」
『それで、カナタ。どうするんだい? おそらくこの流れは君の望む通り、という所なのだろう。生憎父は戦いの関連が得意ではなくてね。教えてくれると嬉しい』
「ええ、お父様……さぁ、始めましょう、団長さん。いい加減、お話ばかりは飽きていた所なの」
「っ……」
どこからともなく剣と盾を取り出したカナタに、カイトは思わず身構える。そんな彼に、ヴァールハイトが口を開いた。
『先の話の続きだ。彼女は生存本能に特化しているが……それ故に闘争本能や破壊衝動も司っている。超一流の戦士だと請け負っておくよ。では、頑張ってくれたまえ』
「ふふ」
ヴァールハイトの紹介に、カナタは背中に二対四枚の翼を顕現させる。そしてそれと同時に、研究室の壁が開いていく。
「……どうしても、戦うのか?」
「ええ……この意味や意義、理由を貴方は知りたいでしょう?」
「……それを知りたければ戦え、と」
「ええ。戦って? 今後仲良くしてく為には、喧嘩だって必要でしょう?」
カイトの言葉にカナタは何時もの妖艶な笑みを浮かべ、緩やかに浮かび上がる。それに、カイトが敢えて笑みを浮かべた。
「喧嘩にしては物々しいが」
「ふふ……」
カイトの言葉に対して、カナタは特徴的な妖艶な笑みを浮かべて開いた壁から飛び出した。どうやら、壁の先は外へと繋がっているらしい。満天の星空が見えた。そうして、カイトはカナタを追いかけて飛翔する事にするのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第1520話『オプロ遺跡』




