第1469話 一度目の授与式は
少し時は遡る。三百年前に起きた戦い。その戦いを終わらせた後の事だ。当然だが各国はようやく訪れた平和を噛みしめる為に、そしてまさしく勝ち目なぞゼロに等しい状況から立て直せた奇跡を後世に残すべく大きな戦勝パレードを行う事になっていた。
では、その中で最も重要になったものは何だったのか。それは、たった一つ。カイトの授与式だ。魔王を打ち倒した勇者。大戦最大にして有史上最高の英雄。世界中に大精霊の加護と祝福を受けた偉大なる勇者の名を知らしめる事だった。
「……うむ。似合うではないか」
「馬子にも衣装という言葉を思い出した……」
「世辞ではないわ。うむ! 似合うのう」
ため息混じりのカイトに対して、ティナはどこか嬉しそうに頷いた。色々と思う事が無いわけではない。この戦いは間違いなく、彼女の義理の弟の死を祝う物だ。
が、それでも。彼女はあれが仕方がなかったのだと理解していた。何より、彼女も同意の上での事だ。そもそも、彼女を戦わせなかったのはカイトの我儘。どんな事情があっても家族に家族を殺させる事は出来ない、というだけの話だ。と、そんなティナにカイトは複雑な顔だった。
「……なんじゃ。何か言いたげじゃな」
「……いや、なんでもねぇよ」
「その顔でなんでもないはなかろう……ま、小僧一人の考えなぞ分からぬ余でも無いが」
「……良かったのか?」
苦笑気味のティナに対して、カイトは僅かな不安を覗かせる。それに、ティナは心底自分が愛されている事を理解する。だから、彼女は嘘を言わない事にした。ここで嘘を言うのはカイトに対する失礼だとわかっていたからだ。
「……打算が無いわけではない。魔族が最もこの後上手く立ち回れるのは間違いなく余とお主の婚儀となろう。既に玉座を降りる事を公表した余じゃが、その影響力は失われん。故に、この婚儀はある種の象徴的なものとなろう」
間違いなく、これだけは確かだ。勇者カイトが先代の魔王であるティナを妻とした。そうなれば間違いなく各国共に魔族には強く出れなくなる。当たり前だ。カイトの後ろには大精霊達が居る。彼の言葉は大精霊達の言葉にも等しい。
もしこの時代の風潮に則って魔族を奴隷としようものなら、間違いなくカイトが出て来る。魔族の王だった妻の民が奴隷にされる事を見過ごせる人物ではない。道理としても道義としても許される事でもない。そして彼が奴隷制度を嫌っているのは公然の事実だ。介入出来る大義名分も本音もある。
彼と揉める事だけは出来ない。一度担いだ神輿である事は事実だし、何より事実として大精霊というバックが存在している。大精霊を敵に回してはならない。それは地球以外すべての世界における絶対の不文律だ。魔族を保護するのであれば、この関係は誰よりも、何よりも利益があったのだ。
「……お前、時々思うけどさ。難儀な女だな」
「……」
自身と同じく苦笑を滲ませるカイトに対して、ティナは苦笑の色を深める。そんなものは自分でもわかっている。難儀な女だとは誰よりも自分こそが一番理解している。だから、難儀な女はそれでも己が難儀な女である事を語る。
「恨みがないか、と言われると不思議なもので……うむ。恨めしい気持ちはある」
目を閉じればすぐにでも思い出せる。よちよちと己の後ろを歩いてきて転ぶ幼い子どもの姿。複雑奇っ怪な魔術を見様見真似で習得しようとしていた少年の姿。いつしか自分の仲間達と共に魔族の安寧の為に奔走していた青年の間の姿。最後がどんな姿だったのかは、彼女は殆どわからない。見れなかったし、見たくなかった。カイトもなるべく見せない様にしていた。
そしてそれはついに、目の前に立つ男の手によって奪われた。わかっていたし、覚悟していた。自分もそれしかない、と同意した。同罪の筈だ。なのに、恨めしかった。奪われたと思ってしまう。どうしようもなく、愚かだとしか言い得ない。
だが当然だ。血の繋がりは無けれども、家族なのだ。ティステニアにどんな事情があったかは知らない。そしてどれほど愚かな事をしたのかもわかっている。だがそれでも、家族だった。その気持ちは他の誰よりもカイトが理解出来ていた。
「……」
こつん、とティナは無言でカイトの胸に額を当てる。気付けば、背丈は追い抜かされていた。顔立ちは様々な経験を経たからだろう。既に彼女と出会った時の少年の色はなく、大人のそれだ。いや、下手な大人よりもずっと成熟している。
「……のう、カイト。よく顔を見せよ」
「こんな顔でよければ好きなだけ」
「うむ」
後少し首を伸ばせば、間違いなくカイトに口づけ出来る。それほどの近距離から、ティナはカイトの顔を見る。感じるのは、どうしようもない愛おしさ。この男と添い遂げようと決意した時の気持ちは今も心の内側にしっかりと居座っている。二つの相反する感情。それを、彼女は胸に抱く。
「単なる女として生きられれば、楽なのやもしれん。単なる魔王として生きられれば、楽なのやもしれん」
「単なる魔王ってなんだよ。魔王の時点で単なる、じゃないだろうに」
「そうじゃのう……」
ああ、この男は本当に馬鹿だ。ティナは己を抱き寄せる事もしないカイトを見て、素直にそう思う。ここで一言オレの女になれ、とでも言えば良いのに。そうすれば彼女も楽になれる。何も考えなくて良い。馬鹿な女に成り下がれる。
だが彼はそれをしない。それを望まない。誇り高き統一魔帝。魔族を改革せしめた偉大なユスティーナ・ミストルティンという女を愛している。馬鹿な女を愛しているのではない。ここで悩み、苦しむ自分だからこそ愛してくれているのだ。
だから、自分の答えを待っている。待っていてくれる。苦しめと言ってくれている。だから、覚悟を固められた。この男と一生添い遂げようという覚悟を、だ。
「……のう……」
「ん?」
「聞かせよ。お主の言葉……偽りはないか?」
「どの言葉だよ。オレの言葉なんぞ偽りだらけといえば、偽りだらけでもあるからな」
「……お主、この場でそれをほざきおるか」
「あっはははは」
先程とはまた別に恨めしげなティナの視線を受けながら、カイトはわずかに楽しげに笑う。勿論、わかっている。何が言いたいかなんてわかりきった事だ。そもそも、これは彼がした問いかけだ。だから、わからないはずがなかった。
「……ああ、好きだ。愛してる」
「……うむ。余もじゃ」
自らを抱き寄せる力強い手を感じながら、ティナはカイトの背へと手を回して口づけを交わす。これから悩み、苦しむ事になるだろう。それでも、彼と共に歩んでいこう。彼女はそう思う。
「……」
すまないとは思う。だが、同時に恨めしくも思った。この男を心の底から愛しているがこそ、義弟には素直に愛せない状況にした事を恨めしく思う。彼が馬鹿な事をしなければ、素直にこの男を愛せたのに。そう思わずには、いられなかった。
そんな日から三百年。ティナは不思議な様子でカイトを見ていた。
「……」
「どしたよ」
ずいぶんと慣れたものだ。あの頃とは違い長い年月を連れ添った夫婦のそれとしか言い得ない気軽さで己に問いかけるカイトを見て、ティナはそう思う。
「いや……勇者という称号を与えられるからかのう。ふと、一度目の事を思い出しておった」
「……んだよ。何度も謝っただろ」
つーん、と拗ねた様子でカイトが口を尖らせる。あの大陸間会議の後、カイトはティナに対して平謝りしていた。長い時間を話し合った。いや、これは少し違うだろう。ティナが望まなくても、カイトが時間を取ったのだ。
どういう考えで、どういうつもりで隠していたのか。何故その結論に至ったのか。そういった事を本当に丁寧に、それこそティナがもう良いと呆れるほどに、思わず彼女が笑うほどに丁寧に教えてくれた。
笑ったのは、ここまで自分の事を大切に思っていてくれているのか、と改めて思い知らされたからだ。操られて殺された事なぞもはやどうでもよくなるぐらいに、だ。そもそもそんな事を言い始めれば操られたのは自分達も一緒だ。何かを言える道理はない。
「わーっとるわ。言っとくが、流石にもう聞かんぞ。何度も何度も言われんでも流石にもう理解しとるわ」
「そか……なら、どした?」
「うむ……似合わぬのうと思うてな」
「何が?」
きょとん、と目を丸くしたカイトが首を傾げ問いかける。やはり彼女だけは二回目だからだろう。どうしても一度目の姿がちらつくのだ。
「一度目のあの時……お主は本当にそれはもう格好良かった」
「ごふっ!? え、あ、えぁ?」
唐突過ぎる言葉にカイトは思わず顔を真っ赤に染める。普段は不意打ちを多用するカイトであるが、それ故にこそこの様に不意打ちを使われて真っ赤になっている姿は非常に稀だった。と、そんな姿にティナが逆に目を丸くしていた。
「なんじゃ、変な奴じゃのう」
「え、あ……うん。ありがと」
「ふむ……まぁ、それは良いか。それを思い出してのう。偽装とわかってはおるが……うむ。幼さが残るお主はやはり余は慣れん。似合わぬとしか言い得ん」
「なんだよ。最初の時はそうだっただろ」
「あの小僧の時分の小僧と今のお主は……うむ。はっきり言えば段違いよ。本当に良い男に育ちおってからに」
「え、なに? オレ褒め殺しされてる? それともけなされてる?」
けなされては称賛され、を繰り返したカイトはどうやら大混乱している様子である。
「褒めておるわ、馬鹿者……まぁ、それはともかくじゃ。お主そろそろ偽装を些か変えて良いのではないかと思うてのう」
「どういう風に?」
「うむ。当時のお主で良くないか?」
カイトの問いかけにティナははっきりと当時のカイトを思い出す。が、それにカイトは大きなため息を吐いた。
「出来るわけねーだろ。どんだけの奴があの当時のオレを見知ってると思ってるんだよ……」
「なんじゃがのー。なーんか余は慣れぬ」
「なんでだよ」
「好いた相手がより格好良いのであれば、それを望んで悪いか?」
「……お前はオレを殺す気か!?」
何度目かになる絶賛に対して、カイトがついに悲鳴を上げる。それに、ティナも笑った。
「はははは。うむ、すまぬ。余もこんな事を言うつもりは無かったが……うむ。たまさか一度目を思い出したら二度目がなーんか締まらぬのう、とがっかりというか……拍子抜けとは言わぬが変な感じがしてのう」
「はぁ……わーったけどさー。流石にオレも恥ずかしいっすよ?」
「ははは。うむ。そうじゃのう」
非常に照れ臭そうなカイトにティナは楽しげだ。が、時にはこういうのも良いだろう。ティナはそう思う。そうして、しばらく二人はイチャつきながら、授与式の前を過ごす事にするのだった。
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次回予告:第1470話『カイトの授与式』




