第1420話 閑話 ――剣心一如――
ソラがブロンザイトの指示を受けつつも邪神の信徒達をとらえていた一方。カイトが一切の手出し無用を明言した宗矩はというと武蔵とカイトという二人の招きと許可を受け祭りに参加する者として、今回ばかりは柳生“但馬守”宗矩として弟弟子の街を守るべく動いていた。
そんな彼はブロンザイトとは違い、監視の者たちに迂闊な事をさせない為にもこの時までは普通に祭りの参加者として祭りを楽しむだけで一切動きは見せていなかった。が、それで十分だった。
「……」
宗矩は少しだけ目を閉じる。それだけで、彼にも世界の流れが手に取るように理解出来た。この流れを読む事こそが神陰流の基本だ。この才能ではカイトより下と師の信綱に明言されている宗矩も父の石舟斎も、等しくこの程度なら出来る。ただ、カイトより時間が掛かったり細かな部分が読みきれないだけだ。
とはいえ、これが出来てようやく新陰流の奥義である無刀取りを極めたと言えるのだ。一対一なら使える領域には到達していたし、信綱やカイト程の精度を求めなければ街一つの流れを読む事ぐらいは出来るらしい。
なお、柳生親子からしてみれば、現代の者たちの使う新陰流の無刀取りなぞただの猿真似でしかないらしい。あれはその先、神陰流での『転』を学ぶ為の足がかりに過ぎないとの事である。
あれは武器を奪う事が目的なのではなく、自らの攻撃の手を封ずる事で相手の動きと流れの観察に重点を置くためのものだそうだ。結局、彼ら曰く奥義に到達したければ基礎を極めていけ、という事らしい。
「……一つ……二つ……三つ……」
世界の流れを読む宗矩はその流れに乗らず、乗ろうともしていない淀みを探り当てる。この淀みの原因が何か、と言うとそれははっきりと断言出来る。この祭りを邪魔しようとしている者達だ。
が、ここまで大きな淀みを生むのはこの祭りに乗じて盗みなどの良からぬ事を考えている者ではない。彼らは祭りに乗じて事を起こすが故、祭り全体を阻害しようとは考えない。流れに乗れずとも、流れに乗ろうとはする。それさえ無いのであれば、答えは一つだ。祭りそのものを邪魔する者。つまり、敵でしかないのである。
「……」
流れを知れるという事は、流れに乗る事も遮る事も容易であるという事だ。それ故、宗矩は祭りの中で武装しているにも関わらず、街の警備兵達からさえ気付かれる事もなく静かに歩いていく。
その静けさと街への溶け込み具合たるや、常に監視をしている公爵家と皇国の監視達からして、一瞬でも目を離せば見失うとわからせるほどだった。が、それ以上に彼らにはこれがまだ宗矩が敢えてわからせてくれるから追跡出来ているのであって、もし本気になれば自分達なぞ容易く振り払われると誰よりも彼らが理解していた。
『これが……』
『あの勇者カイトとその師をして剣聖と言わしめたお方の弟子……』
カイトの言う事は正しかった。密偵達は心の底から、隙だらけに見えた宗矩に手を出さなくてよかったと安堵する。もし迂闊にも彼を仕留められると功を焦っていれば、自分達はその間合いに踏み込んだ瞬間に死んでいた。そう、理解した。
戦うのなら真正面からでなければこの男は倒せない。不意打ちを考える様な格下なぞ、相手にならないのだ。そう暗殺者でもある彼らが心底理解するに十分だった。
「……」
これで、手出しはしないか。肝を冷やす密偵達に対して、一つ安堵を滲ませる。彼らも理解していたが、宗矩は敢えて見える様にやっていた。
自分との力量差をわからせて、邪魔をされない様にしていたのである。そんな彼は更に流れを読んで、この『淀み』達がどこを目指しているかを推測。その上で一番こちら側が手薄な場所へと向かう事にする。
「……」
ここが、その中心か。宗矩は数人の敵を見抜くと、それを標的とする事を決める。そうしてそんな彼が移動したのは、その彼らが狙う広場の中心だ。そこは役所などが集まるエリアの一角と言っても良いだろう。奇しくも、<<暁>>の支部の近くだった。
「ほぅ……こりゃ、また……」
そんな<<暁>>の支部の前に立っていたのは、バーンタインだ。彼はアイナディスとは違いカイトの要請を受けて町中の警備に就いていた。
何より祭りを邪魔しようとする邪神の信徒達のあまりの無粋さには憤慨していたし、彼ほどのビッグネームは敵としても見張る対象だ。更にはギルドの規模が規模なのでギルドそのものも監視されやすい。なので、クオンらとは違い内側に控える事にしたのである。そんな彼はまるで幻が実体化した様に現れた宗矩に問いかける。
「あの方から聞いちゃ居たが……まさかあんたが、そうなのか?」
「ふむ……貴殿、強いな」
「ほう……わかるか?」
「ああ……血が疼く。が、申し訳ない。此度は……」
「あぁ、構わねぇ。俺としても、その意見にゃ同意する所だ」
バーンタインは宗矩の言外の申し出に同意を示す。と、そんな彼であったが、宗矩の腕前を見て歩き出した。
「こっちは、任せて良いかい?」
「……委細承知。貴殿の館には傷一つ残さぬ」
「ありがてぇ……俺は別の所に行った方が良さそうだ。ピュリ。この旦那の手伝いしてやんな。と言っても、何もする必要はねぇ。ただ、倒した奴を密かに回収しな」
「あいよ」
身体スペックなら上だろうが、技術であれば自分より遥かに上。宗矩の力量は確実に自分と同格だろう。それを見抜いたバーンタインはこの場を彼に任せる事にして、自分は他の所の援護に入る事にする。確実に自分より彼の方が敵の動きを見抜いていると理解していたのである。
そうして宗矩はピュリとも会話はせず、一人その場に佇む事になる。が、何もしていないわけではない。流れを読み、敵の動きを読んでいた。そして、しばらく。彼がようやく目を開いた時には、すでに全てが終わっていた。
「……」
絶句。畏怖。恐怖。何でも良い。横のピュリは自身もランクSに到達した猛者として、僅かばかりでも起きた事が理解出来たからこそのそういった物全てを含んだ困惑を浮かべていた。間違いなく冒険者でも上から数えた方が早いだろう自分よりも遥かに格上。それを理解出来た。
「あんた……何した?」
おそらく、敵が全員昏倒させられた。それはピュリにも理解出来る。が、それ以上の事は何もわからない。何かが起きて、敵は昏倒している。それがわかっても、それ以上の事がわからないのだ。力ではなく技。何かの一つの物事を極めたが故に出来るまさしく神業だった。
「……敵に答える道理はない」
ピュリの問いかけに対して、宗矩はそう静かに答えただけだ。そうして、彼は困惑するピュリをその場に残して立ち去る。が、そんな彼が路地に消えた所で、その背に問いかける者が居た。
『……一つ、お聞かせ願いたい』
「隠密が主以外の前で口を開く事か」
「……これはこの地に住まう者であり……そして御身の弟弟子でもあるカイト様に仕える者としての問いかけだ」
「……であれば、聞こう」
一瞬の猛烈な敵意に耐えながらも答えた隠密に対して、宗矩は踵を返して彼の顔を見る。褐色の肌を持つ美貌の男、カイトの配下でも有数の暗殺者でもあるストラだった。
並の隠密では宗矩を追いきれない。そう考えた皇帝レオンハルトはカイトへと彼を付ける事を命じたのである。そしてカイトにしても彼なら、迂闊に動く事はないと信じている。なので勅命を受け入れたのであった。
「何故、此度我らに助力された。御身は修羅道に堕ちたと聞く」
「……別に民草が嫌いなわけではない。いや、民草にはなるべく被害は与えたくはない。ただ、それだけの事だ」
「であれば何故、敵に」
「修羅道に一度ぐらいは堕ちてみたい……それだけの事だ」
宗矩はどこか老成した老人の様に自嘲気味に、そしてどこか年若い少年の様に朗らかにそう微笑んで踵を返す。
「結局、俺は但馬守を捨てても性根は変わらんか」
思えば、おかしな事をしているものだ。そう呟く宗矩はストラの問いかけにそう自身の行動の奇妙さを理解する。せっかく得られたもう一度。叶うのなら、とこの修羅道を歩む事を決めたのは彼自身だ。
にも関わらず、捨てた筈の但馬守という自分がここで民達の為に戦わせている。見過ごせば良かったし、別に彼がやる必要も無い事だ。カイトは万全を期して事に臨んでいる。襲撃を察知出来た時点で戦いは終わったも同然だった。わざわざ危険を冒す意味もないはずなのに、彼はここに居る。
「剣心一如……だったか」
それはそうだったか。結局、但馬守も自分である事に宗矩は気が付いた。剣心一如。剣と人、剣と心は繋がっている。故に正しい剣の修行をする事は正しい心を学ぶ事でもある。そう自分に説いたのは、誰だったか。思い出すまでもなかった。流祖・信綱である。
間違いなくその観点について宗矩は父を上回っていると自負している。沢庵和尚との語らい、そして自らの剣の修行の中で無念無想を会得した彼だ。その観点だけは上回れると誇っているし、石舟斎をしてこの点のみは決して宗矩を上回れないと断じた。
そしてその自負は彼の根幹を成すものであり、同時に彼の剣の根幹を成すものでもある。剣心一如と無念無想は変わらないのではなく、その点だけは彼が剣士として立つ以上は変われないのだ。
「……不思議なものだ。捨てた己に立ち戻るのも、存外悪くない」
父がここに居れば、大笑いした事だろう。宗矩はそう思いながらも、一時立ち戻ったかつての己として、更に戦いの中へと戻っていくのだった。
さて、そんな宗矩であるが、彼を見ていた影が二つある。その人物は天桜の屋台が提供する焼き鳥片手に手酌で酒を飲んでいた。そんな二人の前には唐揚げの乗ったトレイもあるので、どうやらどちらにも立ち寄っていたらしい。
「あっははははは! やはりあれは真面目よ! いやぁ、クソ真面目という言葉がよく似合う!」
「あっはははは! 誰に似たんだろうねぇ!」
「間違いなく、儂ではありませんなぁ!」
「それは間違いない! お前さんじゃないなぁ!」
そんな二人とは言うまでもなく父の石舟斎とその主であった久秀である。二人は宗矩の予想した通り、生真面目さを捨てきれない宗矩に対して大笑いしていた。と、そんな二人は宗矩の生真面目さを酒の肴にして飲んでいたわけであるが、一緒に天桜の酒の肴も食べていた。
「にしても……美味いな、これ」
「うむ。実に美味」
衣はサクサク、中はジューシー。高い金を出して『ロック鳥』のから揚げを頼んだ――価格破壊を起こさない為に普通の鶏のから揚げより値段は高い――わけであるが、二人共どうやら『ロック鳥』を食べるのは初めてだったらしい。とっつきにくいかと思っていたが案外食べやすく調理されていて、悪くないと思ったようだ。
「さて……まぁ、これでとりあえず、って所か」
「うむ」
別に宗矩も一度は寿命で死んでいる以上、良い年齢だ。なので二人としても不必要に手出しをするつもりはない。が、やはり親世代という所なのか、何時までも子供は子供。どうしても気にはなったようだ。
「にしても、果たし状ね。実に粋じゃないのよ」
「ははは。あれは何事も格式張るのが良い所であり、悪い所なのでしょう。ま、それ故のあの剣。そこをなくしてはならぬでしょう。儂なんぞはどうしてもそこら性根が性根故そこら、面倒に感じる」
「そうかい。ま、俺は剣の道なんぞ知らんのでわからんがね。俺は茶の道だ」
久秀は酒を呷りながら、石舟斎の言葉に笑う。それに石舟斎も楽しげに笑い、一転一つため息を吐いた。
「にしても……神とて興は解すると思うておったのですがのう」
「あっははは。ま、そりゃ言うべきじゃねぇかもしれねぇな。なにせウチらの地元出身だ」
「それも確かに」
「さて……でまぁ、俺たちゃクラウンの旦那から御大将の様子見てこい、って言われたわけなんだが。こりゃ、失敗かねぇ」
「そのかわり良きものが見れておるので、良いではないですかな?」
「それもそうか」
久秀はもうひとつの神々が創り上げた満天の星空を見て、満足げに頷いた。当然だが彼らとて何も理由もなく来たわけではない。彼らの場合、宗矩とはまた別に道化師よりカイトがどうするつもりか見極める様に指示が出ていたのである。とはいえ、この可能性は勿論、最初から考慮されていた。
「ははははは。まぁ、この可能性は考慮しておりましたよ」
「おっと、こりゃクラウンの旦那。どうだい? 一献」
「失礼……っと、お気遣いなく。酒ぐらい自前で用意していますよ」
噂をすれば影がさす。そう言わんばかりに現れたのは、道化師その人だ。こうなる可能性はあるかもな、と考えていた彼は自身で外を、久秀達には街の中から監視を頼んでいたのであった。
やはり町中をあまり出歩くべきではない彼だ。妥当といえば妥当だったのだろう。と、そんな彼の手にも唐揚げがあった。但し、こちらはパウダーを付けて味わう方だ。相変わらず道化に似合う自由奔放さだった。
「あむ……面白い考えですね、相変わらず」
「中々に美味いもんだろう? いや、俺が偉そうにする事でもないがねぇ」
「「「ははは」」」
道化師は久秀の言葉に一頻り笑い、それに久秀と石舟斎も笑う。と、そうして一頻り笑いあった後、久秀が問いかけた。
「で? 何か用事かい?」
「いえ、流石に私とて興と粋は弁えていますよ。それにここは流石に陣形が分厚すぎる。総力戦を挑むならまだしも、そうでないのにこの面子だけで事を起こすのは馬鹿がやる事だ。今回私達はノータッチで行きましょう……というより、そうでもないと私も飲みませんよ」
やはりこの男が案外真面目らしい。久秀は常には人を食った様な道化師の性根が真面目である事を見抜いていた。が、それ故に久秀は誰よりもこの男を警戒していた。
自分と同じだからだ。久秀の人を食った様な態度は相手の油断を誘う為の演技だ。それと同じでこの道化師の姿が演技であるのなら、必ず腹に一物を据えている。自分達に対して何らかの策を講じている、と。
とはいえ、嘘も言えば真実も言うのはお互い様。策士の常だ。そして、まだどちらも動くべき時ではない。故に、そんな雰囲気を本能で理解したのか石舟斎が徳利を手に取った。
「ははは……では、儂からも一献」
「いやぁ、かたじけない」
道化師は道化師の仮面のまま、石舟斎から差し出された徳利から酒を飲む。そうして、奇妙な事に敵味方共に神殿都市の中で酒を飲みながら、カイト達による暗闘は静かに始まり、そして静かに終わりを迎えたのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第1421話『狼煙は上がった』




