第1406話 兄弟子からの言伝
武蔵の用意した三つの席。その内の一つには武蔵自身が座り、もうひとつは彼に命ぜられたカイトが腰掛けた。そしてその最後の席に腰掛けたのは、どういうつもりか神殿都市に入り込んでいたカイトの兄弟子にして柳生親子の息子の方、柳生宗矩が腰掛けていた。そんな三人は敵味方であるにも関わらず、祭りでの殺し合いは無粋とただただ酒飲みに興じていた。
「そう言えば……その煙管。肺に触りますよ。沢庵和尚も言われていましたが、現代だと科学的に肺活量……呼吸に影響する事がはっきりと証明されています。確か宗矩殿は煙から離れれば良い、と思われていたご様子でしたが……」
「……知っている。これは単なる飾りだ。中身はさる御仁が弄って単に香を嗅ぐだけのものにされている」
「ほお。あの夜中でも煙管を手放さなんだ宗矩殿が禁煙とは。やはり変わるものは変わるか」
やはり江戸時代からの知り合いだからだろう。宗矩の返答に武蔵が大層驚いた様子を見せていた。歴史書には記されないものの武芸者として数度相見えた武蔵であるが、同じ幕臣として宗矩の事は聞き及んでいた。それ故、煙草癖についても当時は有名な事として知っていたらしい。
「それで言えば新免殿。新免殿は今でも絵を描くとの事。ずいぶんと絵の趣きが変わられたようだ」
「……い、いささか地球時代の絵を見られておると気恥ずかしいものがあるのう」
宗矩の指摘に今度は武蔵が照れかえる。そんな会話が幾つも行われると気付けば頼んでいた料理が出来上がり、酒の肴に料理を摘みながら話が進んでいた。
「ほう……ではこれは伊達殿の考案された凍み豆腐を使っているのか」
「はぁ……」
そうなんですか? 宗矩の言葉を聞いた睦月はカイトを伺い見る。彼が今持ってきたのは高野豆腐の煮物だ。武蔵が頼んだのを一切れ貰ったらしい。と、そんな睦月の言外の問いかけを受けてカイトがさっと解説を行った。
「高野豆腐というから高野山が発祥だ、というのは間違いではない。が、同様に比較的気温が低い地域では高野豆腐は製法として見付けられていてな。ま、元々が寒い季節に豆腐を外に放り出していたら出来ていた、というのが発端だ。この口ぶりだと事実として、伊達政宗もまたこの製法を編み出しているのだろう」
「へー……」
「糧食として、伊達殿はこれを大いに活用されていた。あの御仁は食にずいぶんと熱を上げられていた」
そうなのか、と感心する様な睦月に対して、宗矩は懐かしげに高野豆腐を食する。製法そのものは昔と変わらないはずだが、やはり様々な研磨があるからか僅かに目を見開いていた。
「……伊達殿が居れば、大いにほぞを噛んだだろう。これは美味い」
「ははは。そう言えばお二人は知り合いじゃったか」
「うむ……あの御仁は腹に幾つもの謀を抱えていたが……うむ。伊達男の名に恥じぬ男っぷりであった。懐かしい……ずんだを振る舞われた事もあったか」
三代将軍家光の懐刀たる宗矩と、幕府の重鎮であった伊達政宗。やはり知らないという方がおかしいのだろう。何度となく顔を合わせた事があった様だ。
「あ、ずんだ餅も食べますか? ちょっと時間が掛りますけど、出来ますよ」
「ずんだまであるのか?」
「え、ええ、まぁ……ずんだ餅、ですけど……」
なんでこの人はこんなに食いつくんだろう。睦月は宗矩の正体を知らない――流石に騒がしい祭りの最中に料理をしながらカイト達の会話は聞けない――からこそ、驚きに顔を上げた宗矩にびっくりしている様子だった。
「頼む」
「はーい」
宗矩の依頼に睦月はそら豆を湯がき始める。ずんだ餅を作るにはずんだ餡が必要だ。が、それは用意していない。なので一から作る必要があった。そんな後ろ姿を見て、宗矩が感心した様に頷いた。
「……ふむ。お藤に似た良き器量よ。良き嫁子になろう」
「くっ……」
睦月に対する宗矩の評に、カイトは思わず吹き出して視線を逸らす。相変わらずというかなんというか、睦月のエプロン姿は非常に様になっている。この祭りの間にも彼が男と気付かない者はたくさん居たのであった。その一人にどうやら、宗矩も加わっていたらしい。と、そうしてそんな事を言ったからだろう。宗矩がちょっとしたやんちゃを見せた。
「カイト。お主が娶ろうなぞは思わぬのか?……ん?」
「い、いえ、なんでも……ぐっ……」
「くっ、くくく……」
「……どうされた?」
勘違いしたままの宗矩に対して、武蔵とカイトの二人は揃って笑いを堪える。いたずらをするつもりが逆にいたずらを返されていた様子である。と、そんな妙な気配に感づいた、というわけでもなく単に近くに居たというだけで皐月が口を挟んだ。
「それは駄目ねー。三姉妹揃って輿入れはちょっと駄目じゃない?」
「お前のファンを敵に回すのは宗矩殿を敵に回すよりヤバイな。オレも遠慮したい」
「む? この娘とも知り合いか」
やはり唐突に割って入った皐月に宗矩は訝しんでいた様子だが、カイトの親しげな様子に知り合いなのだろうと理解する。それに、カイトは睦月と皐月を指さして頷いた。
「あっちとこっちで姉妹ですよ。で、オレの幼馴染でもありまして。いえ、正確にはこいつが幼馴染なんですが」
「おぉ、なるほど。であれば、その姉が……ふむ」
カイトからの言葉に宗矩が合点がいったと頷いた。ここで姉妹と言っている当たり、彼も彼で楽しんでいる様子だった。なお、彼は当然だが生駒の事を知っている。
知っているが、その彼女がどうやら神楽坂三姉妹の事を黙っていたらしい。おまけにそれを楽しんだ道化師まで乗っかって、敢えて『三姉妹』と伝えていた様子であった。相変わらず、彼も彼で時々変な事をしでかす様であった。
「ああそれで、お客様。そっちのお皿をお下げしても?」
「ああ、かたじけない」
宗矩は皐月の言葉を受けて、食べ終わったお皿を彼女へと手渡す。そうして更に空いたスペースへと皐月が運んできたお茶を差し出した。
「はい、お茶です」
「かたじけない……ふぅ」
「皐月ちゃーん! こっちもおかわりちょうだーい!」
「あ、はーい! じゃあ、行ってくるわねー」
「おーう。存分に稼いでくれー」
また別の客にお呼ばれした皐月をカイトが見送って、再び場には三人だけになる。そうして三人だけになり、お茶で少し口を整えた宗矩が思い出した様に口を開いた。
「……そういえば。クラウン殿より言伝を受け取っている」
「クラウン殿?」
「道化の仮面を被った御仁だ」
「っ」
宗矩の言葉にカイトは僅かに、顔をしかめる。彼からの言伝だ。良い内容とは思えなかった。そしてこれはある意味では正解だ。
「……この祭りを狙う者が居る。敵数少なからず。数千年前より歴史の裏にて暗躍せし者たち也」
「……どういう意図だ、と聞きたい所ですが……宗矩殿は単なる伝令ですか」
「相違無し。此度、道化師殿よりこちらに来る対価としてそれを勇者殿に言い伝えよ、と命ぜられたに過ぎん」
宗矩の言葉にカイトはもし彼が動かないでもその時は道化師自身が来たのだろう、と納得する事にする。そちらの方が色々と厄介だ。言伝を頼んでくれただけで良しとしておくべきだろう。
そして敵とはいえ兄弟子が伝令を行ってくれたのだ。奇妙といえば奇妙な事であるが、カイトは宗矩に対して頭を下げる。
「わかりました。伝令、感謝いたします」
「ああ……」
カイトの返礼に宗矩は頷くと、そのまま彼らは再び先ほどまでと同じ様に和やかなムードで昼食を食べる事にするのだった。
さて、それから数時間。流石にカイトも宗矩からの情報を受けて、即座に行動に入っていた。なのでまず連絡を入れたのは皇帝レオンハルトに、だ。兎にも角にも彼の身の安全を確保する。それが最優先だろう。
「は……信頼出来る筋というより、信頼は出来ずとも確たる情報と考えるべき相手からの情報と」
『ふむ……それは公が昼頃卓を囲んでいた相手という事か?』
「ええ……かの人物の名は柳生宗矩」
『む? その名は確か……』
「はい。敵により蘇らされた者の一人。が、どうやら彼らは道化師の思惑とは別に動いている模様。一筋縄ではない、というわけなのでしょう」
僅かに訝しんだ様子の皇帝レオンハルトに対して、カイトははっきりと彼が敵である事を明言する。そしてここらについては彼も聞き及んでいた。
『そして、公の兄弟子であると。此度は兄弟子として訪れた、という所か』
「ご理解頂けて幸いです……ああ、そうだ。捕らえようというのは、やめた方が良いでしょう。彼らはたった七人で武芸者揃いの榊原の武芸者達を蹴散らしました」
『勝てるが被害がとてつもない事になる、と』
カイトの言葉を皇帝レオンハルトは正確に理解した。会話は密偵を通じて筒抜けだ。カイト自身が隠す意味もないと普通に聞かせていた。そうして、そんな彼はわかっている事ではあるが、と改めて明言する。
「ええ……彼としても不戦を示すべく腕輪を身に着けていた。ここは、こちらの為にも彼の顔を立てるべきかと。間違いなく手酷い火傷では済みますまい。これをこちらに伝えた奴らの思惑は気になりますが……おそらく彼が言われた通り、知らぬと考えて良いのでしょう。奴らの考えなぞ、どうせ考えるだけ無駄です。手がかりを見つけるまで、今はこれで良いでしょう」
『……わかった。が、監視は付ける。それは構わぬな?』
「それが、最良かと思われます」
皇帝レオンハルトの言葉にカイトははっきりと頷いた。今のこの街には世界中の貴族達もやってきている。それを鑑みれば、間違いなく宗矩との交戦は控えるべきだ。
皇国とてもし万が一他国の貴族に被害が出る可能性がある。相手が交戦を避けている以上、迂闊な事は控えるべきと判断するのは当然の事だった。
『にしても……公の兄弟子か。俺としても、いささか興味があるな。もし捕らえる事ができれば、師に引き渡す前に一試合しておきたい所。場を整えてはくれんか?』
「はぁ……陛下らしいといえば陛下らしいお言葉。が、ゆめ油断なさいませんよう。間違いなく剣技だけであれば私を超えている。本来は一端の武芸者として相手をするべきではございません」
『ははは。理解の良い臣に恵まれて俺は幸福だな』
呆れ混じりながらもカイトの言外の了承に皇帝レオンハルトが豪快な笑みを浮かべる。彼とて天桜学園が来てから、地球に関する書物は読んでいる。その中には武芸者に関する事――完全に彼の趣味――も含まれていて、柳生宗矩の事も知っていた。
やはり高名な武芸者だ。戦えると思えば血が騒いで仕方がないらしい。と、そんな皇帝レオンハルトは一転真剣さを滲ませて問いかける。
『で……公よ。どうするつもりだ?』
「ふむ……陛下。この事は我ら公爵と大公以外の貴族には伏してくださいませ。そして何卒、この一件は我がマクダウェル家に一任するとお命じください」
『む?』
妙な事を言うものだ。カイトの申し出に皇帝レオンハルトは不思議そうに首を傾げる。相手が相手だ。可能な限り貴族達が共同して事にあたるべきだろう。そんな彼にカイトは敢えてわかりきった事を問いかける。
「陛下……今のこの街では何が行われておりますか?」
『ふむ……収穫祭だ』
「はい……当家主催の収穫祭にてございます。我が領地で行われる4つの祭り。民達はこの一年、この大祭に向けて備えております。であれば民達には心ゆくまで、楽しんで頂きたいのです。彼奴らの事なぞ一切知る必要はございません。ここでは祭りしか行われていなかった。それで、今は十分なのです」
カイトは皇帝レオンハルトに向けて、この祭りが民達にとってどの様なものであるかを語る。そうして、彼は更に続けた。
「そしてこの地の守護の任はもとより、陛下より当家が仰せつかっております。故に、この一件は全て当家が処理するのが道理。他の貴族達の手を借りるまでもございません……いえ、もし借りれば我が名に差し障る。勇者カイトが防衛に他の貴族達の手を借りた、なぞ恥でしかありません。全てを、当家が処理する事をお約束致しましょう」
『勇者カイトに策あり、と考えよという言葉で良いな?』
絶対の自信を滲ませるカイトの言葉に、皇帝レオンハルトが重ねて問いかける。それに、カイトははっきりと頷いた。
「もちろんでございます。陛下や他の公爵達はただこのお祭りが如何なるものであり、そしてそれに手を出した愚か者達がどの様な末路を辿るのか。それをご覧頂けましたら結構でございます」
『良かろう。伝説の勇者である公がそうまで断言するのだ。この一件はマクダウェル家に一任する。一切の手抜かりなく、我らに貴公がマクダウェル公にして勇者の代名詞である事を示してみせよ』
「はっ」
皇帝レオンハルトからの許可に、カイトは深々と頭を下げる。そうして通信が終わった後、カイトは立ち上がった。
「……クズハ。招かれざる客……いや、馬鹿が来る。存分に出迎えてやる。無粋な輩には相応の礼をしなければな」
「かしこまりました」
馬鹿にしてくれたものだ。この祭りは勇者カイトが主催するものだ。それに刃を持ってやってくるというのであれば、それは自身が馬鹿にされたも同然だ。敵である宗矩さえ、自身に敬意を払ったのだ。それも無いのならどうなるか、と思い知らせてやる必要があった。
それ故、彼も今回ばかりは容赦するつもりは微塵も無かった。そうして、カイトは道化師からの情報を受けて邪神の信徒達の襲撃に備えて準備を整える事にするのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第1407話『閑話』




