第1398話 第一夜目 ――月の女神の奉仕者達――
さて、カイト達が神殿都市でシャルロットの出迎えをしていた頃。魔族領に赴いていたティナはというと、すでに帰還の途にあった。
「うむ。お主は変わらぬな」
「ええ。特には」
「そういう事ではないわ! 皮肉じゃ、皮肉! 余の与えたドレスはどうしたと聞いておる!」
「あれを有象無象に見せるなぞ! 勿体無い! あれは宝箱の中に入れて大切にしまっています! 使うのは年末年始の挨拶だけです!」
「お主のう……」
クラウディアの堂々とした発言にティナはただただため息を吐いた。余の与えたドレス、というのはクラウディアの為のドレスだ。彼女の即位式の際に与えたもので、彼女の正式な場でのドレスと言えた。妖艶なれど華美にならず。さりとて質素にはならず、淫靡にもならない様に細心の注意を払った逸品であった。
「あれは私の一張羅! ただ来訪というだけで身に纏うわけには参りません!」
「月の女神来るとお主知らんのか?」
「……へ?」
「じゃから、月の女神が復活して、神殿都市に来とると言うておる」
「……」
パチクリ、とクラウディアが目を瞬かせる。そうして、非常に珍しい事に彼女がティナへと抗議の声を上げた。
「まままま、魔王様! どうして言って下さらなかったんですか!?」
「知っとると思うとったんじゃ!」
「大半の情報は魔王様のお言葉より優先されません!」
「お主の脳みそはどういう構造をしておる!」
「魔王様で一杯です!」
クラウディアは堂々と胸を張って言い切った。それはもう清々しいぐらいに思いっきりである。が、そんな彼女も流石にこのままでは駄目だと気付いたらしい。
「魔王様! 減速50%でお願いします!」
「はよう戻れよー」
「はい!」
クラウディアはティナの言葉に頷くと、大急ぎで魔王城にまでドレスを取りに行くべく転移術で外に出て飛翔を開始する。言うまでもないが、クラウディアはサキュバス。夜に活動する種族だ。
故に彼女の来訪も夜になるわけであるが、言うまでもなく彼女もまた月の女神の奉仕者の一人である。シャルロットが来るのであれば、一張羅を出す事に迷いはなかった。
「やれやれ……」
いつも通りといえばいつも通りなのであるが、それ故にいつも通り彼女が呆れるしかなかった。そうして、どういうわけか主賓を乗せるはずの飛空挺は主賓も居ないまま、神殿都市を目指して進んでいく事になるのだった。
さて、時は進んで夜の帳が周囲を満たした頃。ティナを乗せた飛空挺が神殿都市に到着していた。
「……よし。これで十分じゃろう」
「ありがとうございます、魔王様」
ティナ直々に身嗜みを整えられて満足げな顔で、クラウディアが感謝を示す。それに合わせて上機嫌に尻尾がパタパタと揺れていた。
「さて……」
既に祭りも一夜目が終わろうとしている。が、それは祭りそのものは、というだけだ。屋台に関してはまさにこれからが本番で、どこもかしこも満員御礼だった。
「クラウディア様のご来訪、心よりお待ちしておりました」
「はい……またしばらく、世話になります」
街の重役の言葉に、クラウディアは頷いた。またしばらく。そう言う様に、クラウディアは例年この祭りに顔を見せている。
昔魔族との軋轢があった時代、その軋轢をなるべく減らす為に顔見せをしていたからだ。ここまで最初からいるのは珍しいが、それはティナが居るから、で大丈夫だろう。
「今年の祭りはどうですか?」
「早くも宴も酣、という所でしょう。今年は不幸も多かったが、慶事もまた多い。幸い客にも恵まれております。なので大いに盛り上がっております」
「そうですか。それは良かった。私としても先の魔王様に顔向けが出来ると言うものです」
街の重役の言葉にクラウディアが数度頷いた。そうして数度の会話の後、クラウディアは彼女に設けられた宿へと入る。
「では、このシャルロット様というのが……」
「うむ。月の女神じゃ」
「それで気付かなかったわけですか……」
クラウディアが深いため息を吐いた。クラウディアとて仕事の予定は把握している。なので知っていたが、ティナというか公爵家から身内向けの資料が回ってきていたらしい。シャルロットの神の名であるムーンレイではなくシャルロットで記されていて、気付けなかったのだ。
特に今回、シャルロットの来訪が決まったのは祭りの数日前という土壇場だ。そもそも目覚めたのが土壇場だったのだから仕方がないといえば仕方がない。連絡が回っただけ、十分という所だろう。
「しゃーないのう。お主を身内と捉えたのは間違」
「……」
「すまぬ。冗談じゃ冗談」
おそらくティナが封印されたと聞いた時以上に絶望した様子のクラウディアに、ティナが笑いながら冗談だから、と明言する。
「まぁ、そういうわけじゃから。あまり粗相のないようにな。お主が余らの身内であるように、あれもまた余らの身内となる者。立場上、種族上敬わねばならぬというのは余も知っておる。が、あまり過度に敬い、へつらう事のないようにな」
「はい」
相手は月の女神だ。淫魔族の族長でもあるクラウディアからすれば謂わば己の宗派の最高神だ。ティナ命と言わしめる彼女がドレスを取りに行ったのも、当然だった。が、同時に家族でもある。変に遠慮を生まない様にするのも、家族の務めと言えた。
「さてと。では、行くぞ。すでに場は押さえられておるし、まぁ、敢えて言えば身内の集まり。それが此度は少々かたっ苦しくなっておるだけじゃ」
「はい」
ティナに続いて、クラウディアが歩いていく。目的地はシャルロットが居る会議場だ。月の女神が目覚めたというのだ。奉仕者や眷属を集めよう、というのは当然の話である。
そして幸いな事に今はカイトが主催する収穫祭の真っ只中。どんな高位の異族たちが集まっていても不思議はない。集まった所で問題はない。もちろん、そこに彼女が参加したとて問題は何一つない。
「……」
そんな会議場ではやはり、カイトが神使としての姿で立っていた。これについては妙な話ではあるが、彼は領主と同時に神使も兼任している。なので当然といえば当然だし、別に何かが問題あるわけでもない。
「……」
まぁ、当然だったのかもしれないが。この場では誰も何も迂闊に話そうとは思っていない様子だった。なにせ月の女神の御前――まだ来ていないが――だ。月の女神の奉仕者たちからしてみれば、神の許可もなく喋る事は憚られる。故に雑談さえ無かった。
『……何人か、見覚えがあるわね。いえ、私ではなく、下僕を介してなのでしょうけど……』
『そりゃ、まぁ……当然といえば当然だろうな』
カイトが見るのはレイナードやラカムら彼女を頂点とする一族の長達だ。いつもは喧嘩ばかりの二人であるが、流石にこの場では喋る事さえ無かった。その中にはカナンも一緒だ。族長としての立場を優先していたのである。
滅多にない『月の子』だ。両種族が険悪な仲だったのは誰もが知っている。その両種族に生まれた慶事だ。お目通りさせておこう、というのは自然といえば自然な発想だった。なお、その彼女は生まれて初めてとなるドレスを着せられている。
『……因果、なのかもなぁ……』
思えば、不思議なものだ。月の女神の神使たる己が帰還したと同時期に、友の子として『月の子』が生まれている。偶然にしては出来すぎている様に思えた。
『?』
『世界は幾つもの糸が複雑に組み合わさって出来ている。無意味なように思えて、しかし決して無意味な事なんて一つもない。この世にあるのは全て、必然だけ……』
たった一つの偶然が運命を覆す事だってある。カイトは何度となく生まれ、死んできた経験からそれを知っていた。
『小さな出会いが世界を守る事だってあった。小さな戦いが世界を滅ぼす事だってあった』
『種火が大火となる……そう言いたいの?』
『んー……ちょっと違う。どちらかと言えば川の流れだ。はじめはせせらぎの様でも、ずっと流れればそんな流れが集まって何時かは大河となる。その中の一つがあの子だったのかもしれない、とな。勿論、オレもまた』
『……』
やはり『月の子』と呼ばれるほどだからだろう。カナンの力はシャルロットにはよくわかっていた。
『……月日は巡り、生と死は繰り返される。その繰り返された時の中で、帰り来た貴方は何を望む?』
『さて……それについては、わからないな。敢えて言えば、今は幸せのみを望もうか。では、女神よ。貴方の望みや如何に?』
今この手の中にある幸せだけで十分だ。なにせ昔はそれさえ手に入れられなかった。だから、それで良かった。
『今はただ、平穏なる日常を。そして限りある生の中を満足に終わらせられる死を全ての者が得られる事を』
『そうか……それは平凡だ。が、それなら良いな。オレも、それが望みだ』
『……そう。では、始めましょう』
『あいよ、女神様』
カイトは満足げなシャルロットの言葉に頷くと、一度気を引き締める。どうやら気付けば参加者が全員集まっていたらしい。
「女神が来られる。皆、失礼の無いようにされよ」
「「「……」」」
カイトの言葉を受けて、全員が一斉に立ち上がる。女神が来るというのに座ったまま出迎えるほど無礼なやつは誰一人として居ない。というか居たらこの場のラカムかレイナードによって叩き出されているだろう。それこそ、おそらく怪我や病気を押して来たのだろう者たちさえ背筋を伸ばしていた。
「……」
「……」
カイトの頷き――神官達への合図――と共に、きぃ、という音がして会議場の扉が開いた。そうして、シャルロットが入っていくる。彼女は自分の奉仕者でもある一族の長達の間を歩いていき、最も上座となる席、即ちカイトが立つ横の席へと腰掛けた。
「「「我らが月の女神よ」」」
「……揃っているわね。腰掛けなさい」
各々の一族の最上位の敬礼で己を出迎え己の名を讃えた高位の異族達に向けて、シャルロットが着席を命ずる。それを受けて、高位の異族達が腰掛けた。
「……ふむ。まずは一つ、慶事がある様子ね。報告なさい」
「はっ……夜の一族が長レイナード。月の女神へとご報告致します」
シャルロットの言葉を受けて、レイナードが立ち上がる。ラカムではないのは、月を奉る一族では母親の血統が優先されるからだ。なので実は、この場でのカナンの扱いは夜の一族となる。
が、やはり実父も居るのでラカムとレイナードの間にカナンが腰掛けていた。この二人が近くにいるが、流石にこの場では揉める事はなかった。
なお、これはその種族による分類なので、皇国としてはカナンはブランシュ家からの申請に従ってラカムと同じ獣人となる。ここらはその種族の風習と法律の差という所だろう。
「我が一族と我が一族の友にして金獅子族が長のラカムとの間に子が生まれております。御身の加護を強く受けた、『月の子』にございます」
「……」
レイナードの紹介を受けて、カナンがラカムと共に立ち上がる。
「この大陸の金獅子族が長、ラカムです。こちらは私とレイナードの妹を母としたカナンです」
「はじめまして……」
で、良いのかな。カナンはこんな高位の異族達に囲まれる経験が一切無かった為、かなり緊張している様子だった。まぁ、今の今までずっと冒険者として活動していたのだ。高位の異族のお姫様として振る舞え、と言われて出来るわけがない。そして幸いな事にこの場の異族達は大半がカナンが行方不明だった事を知っている。なのでお目溢しは貰えた。
「そう……我が加護を受けし『月の子』ね。それがこの差し迫った脅威が見えたこの時に生まれたと言うのは、民草を守れという啓示。両種族とも、その子を中心として防備に努めるように。そなたら種族には特に強い我が力が授けられている。その意味を、生ある者が良き死を得られる様守る事に使いなさい」
「「はっ」」
シャルロットの指示に対して、ラカムとレイナードは即座に了承を示す。これで、彼らからしてみれば大義名分が出来たにも等しい。今より更に交流を深める事が出来るだろう。そうしてその頷きを見て一つ頷いて、彼女は次いでカナンを見た。
「……カナン、と言ったわね。皆に貴方が『月の子』である事を見せなさい」
「え……?」
『月の子』である事を見せろ。つまりは力を解放しろ、という事なのだろう。そう言われたカナンは困惑し、両横の二人を伺い見る。それに対して二人共迷いなく頷いた。そんな二人を見て、カナンは次いでカイトを見る。
「……」
『安心しろ。オレもそいつらも居る。今の状態だろうと問題はない……それに、まぁ……ま、やってみ?』
どこか楽しげなカイトからの念話に、カナンは覚悟を決める。というのも、今の彼女はドレス姿だ。故に内側には玉藻から貰った呪符を張り付けていない。どうなるかわからないのだ。
「……っ」
覚悟を決めて腹に力を入れたカナンの姿が変わり、『月の子』としての力が顕わとなる。それを見て、歓声が上がった。
「おぉ……」
「『月の子』が生まれたというのは真実だったか……」
「……あ、れ?」
いつもならもっと熱病にうなされる様な感覚があるのに。歓声の中、カナンは自らの違和感に首を傾げる。それにカイトが再び念話を飛ばした。
『『月の子』の力の暴走はシャルの力の暴走に近い。彼女が外側から制御してるんだ。今回ばかりの特例な』
『ああ、それで……』
呪符無しでもなんともないのか。カナンはカイトの説明に納得する。一応、月の奉仕者達には彼女の加護がある。『月の子』に与えられる加護は他の高位の異族よりも遥かに強い。故に、『月の子』というわけだ。であれば、その力を授けている側としてシャルロットがなんとかしてやる事が出来た、というわけであった。
「……見事な紅き髪ね。もう良いわ。貴方も、一族の誇りとして民草を守りなさい」
「はい」
シャルロットの指示にカナンが頷いて、『月の子』化を解いた。そうして、その後も月の奉仕者達とシャルロットの会合はしばらくの間続く事になるのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第1399話『ただのんびりと』




