第1397話 月の神殿
シャムロックが神界の戦士長にして己の神使の一人であるアスラエルを連れて神殿都市にやってきていたと同時。当然だがいわゆる月の神殿と言われる神殿ではシャルロットが降臨する事になり、世界各地の神官達が勢揃いしていた。その中に、カイトとユリィも混じっていた。と、そんな彼の前に一組の夫婦が姿を見せる。
「神使様」
「ああ、貴方達は……」
カイトにはその夫婦に見覚えがあった。それは今から数ヶ月前。シャルロットの力を邪神の奉仕者達に悪用された事件の最後の事だ。サシャと呼ばれる女神官の両親だった。
「ファミリア夫妻でしたね。お久しぶりです。ご息女の容態は?」
「その節はお世話になりました……ええ、なんとか、目を覚ましました。が……やはり数年に渡る洗脳は娘に多大なダメージを与えておりました。本当であれば、この場にあの子も参列させたかったのですが……」
カイトの問いかけにファミリア夫妻の妻は悲しげに項垂れる。幸いな事に数ヶ月前の事件以降、懸命な治療のおかげもあってサシャは意識を取り戻していた。
ここら、どうやらシャルロットの加護の影響もあったらしい。本来ならば廃人確定だったそうであるが、彼女の信徒であった事が幸いして内側の最も重要な部分は守られたそうだ。曲がりなりにもかつて邪神と戦った中心核の女神というわけではなかったのだろう。おまけに復活も近かった事もあり、というわけだそうだ。
「いえ……今は無理をなさるべき時では無いでしょう。幸い、女神は遂に目覚められた。であれば、サシャ殿の治癒も早くなるでしょう。それに、まだ洗脳の影響は完全には根絶されていない。今下手に女神に会い、洗脳の残滓との間で葛藤が起きる方が問題だ」
「そう、ですね……今は無理をさせず大事を取るべきなのでしょう」
カイトの指摘に妻は何度か頷いて、己を納得させる。やはり信者の心としては、女神に会わせてやりたかったのだろう。が、やはりそれで身体を崩しては元も子もない。シャルロットが目覚めた今、その加護で身体を治す方を優先すべきだろう。
「では、私はひとまず女神を出迎えるべく参ります。また、後ほど」
「はい」
カイトの言葉に妻が頭を下げる。そうして彼女に断りを入れてから、カイトはシャルロットを出迎えるべく紋様の中心に立った。神使の利点は神と同じ様に神殿の間でなら移動が出来る事だ。こちらの準備が整った事を報せに行く、というわけである。
なお、流石にそういうわけなのでこの紋様での移動はユリィには不可能だ。なので彼女はこちらで神官達の統率を行う事にしている。というわけで、カイトは紋様に乗ってシャルロットが入っている神界へと移動する。
「ふぅ……どれぐらいぶりだ、ここに来るのは……」
カイトが降り立ったのは、神界の中でも神々の神殿がある地帯だ。その中には月の神殿の総本山とでも言うべき神殿があり、ここから世界各地の神殿へ繋がるのである。
「すぅ……」
神界の空気をカイトは一度、体内に取り込んだ。エネフィアは異族が普通に居る関係で空気汚染の影響は地球と比べて段違いだ。なので何か外と大差があるわけではない。と、そんな彼はシャルロットの部屋へと歩いていく。そうしてたどり着いた部屋には、神としての衣服を身に纏った彼女が居た。
「……下僕」
「おう……」
「……」
なにかを求めるように、シャルロットがカイトをじっと見詰める。それに、カイトは言うべき言葉は一つしかなかった。
「ああ……綺麗だ。月の女神に相応しい美しさ、としか言葉が出ない……ありがとう。オレに見せるのが、帰還後初めてなんだろう?」
「そうね。それに、貴方にこれを見せるのは初めてでもあるわ」
シャルロットは微笑み、己の衣服を見る。以前彼女が神々の間での帰還祝いに際して来ていたのは旅装束。いつもの白のゴシック・ロリータにローブを身に纏った姿だった。あれは彼女なりの旅装束であり、普段着だ。彼女は数千年の旅から戻った形だ。なので着飾るではなく、旅装束のままの方が良かった。
が、今回は民衆へのお披露目に近い。なので女神の女神としての服を身に纏うのであった。それは華美に飾られず、貞淑さや純真さを兼ね備えた美麗な服だ。美の女神でもある彼女に相応しい。そうして、カイトは彼女と共に神域のとある場所にある『月の大神殿』へと向かう事にする。
「にしても……錚々たる様子だな」
まぁ、当然か。カイトは居並んだ神々を見ながら、そう思う。そこに居たのはシャルロットを頂点とする神々だ。何度となく言われているが、彼女もまた主神だ。今まではシャムロック一人しか目覚めていなかったので全ての神々を彼が率いていたが、本来は彼女と二人で全ての神々を統率していた。
その彼女が目覚めた今、本来あるべき形として神々の半数を彼女が率いる事になったのである。そしてその主神が人類に帰還を示すのだ。彼女が率いる神々のおおよそ全てが同時に降臨する事になっていた。
これは主神限定の能力、と言うべき所だろう。主神と共にならその配下の神々は一斉に同じ所に転移出来るらしい。
『では、参りましょうか』
シャルロットが神々へと号令を下す。それに、神々が一斉に神殿都市へと転移していく。当然だが、彼女が一番最後だ。そうして神々の転移と向こうでの支度が整うのを待つ間、カイトは今度は伽藍堂になった神殿の中で彼女を見た。
「……さて」
「ん……」
とりあえず、一度口付けでも。そんなカイトが軽くシャルロットと口付けを交わす。すでに誰も居ないのだ。恋人として振る舞ったとて問題はない。
「綺麗だよ、本当に」
カイトは再度、しかし今度は耳元でシャルロットへと囁いた。本当にそれしか言える事はない。美の女神である彼女は非常に美しく、見る者全てを見惚れさせる様な美があった。が、少し言いたい事はあった。
「綺麗ではあるんだが……少し布地は薄くないか?」
「私が月の女神だからよ。月とは夜の象徴。そして夜には恋人達が秘め事を交わし合う。私の配下には当然の事だけど、愛の女神も夜を司る神も居るわ」
「当然といえば、当然か」
当然といえば当然。やはり多神教だからだろう。ローマやギリシアの神のように、彼女らもまた数々の概念に分かれた神様が居る。なので当然としてそういった恋人達の秘め事に関する神も居た。と言っても流石にギリシアの様にヘスティア――彼女は炎と同時に炉も司る――の様な特異な神は居ない。流石にそこまでの大所帯ではないらしい。
「が……少し嫉妬するのは許してくれるか?」
「貴方が、それを望むのなら」
カイトの問いかけにシャルロットは微笑んで、了承を示す。この衣服は月の女神が最も美しくなるように拵えられた一品物だ。似合うのは当然だし、妖艶さが漂うのも当然だ。
が、やはり男として、恋人としてそれに見惚れられるのは嬉しくない。できれば、自分だけの為に着てほしい。そう思う事は人として仕方がない事だ。と、その言葉をまるで待っていたかのように紋様が光り輝いた。どうやら、向こうの支度が整ったらしい。
「下僕……準備は?」
「ああ、大丈夫だ」
カイトは改めて、フードを深く被り直す。女神の降臨だ。しっかりと身だしなみは整えねばならなかった。何より、彼が勇者カイトだとバレると面倒だ。顔を隠す事だけはしっかりとする必要があった。
「じゃあ、先に行く。どこかでおねんねだけは、もうやめてくれよ?」
「そうね。私も、もう闇の中で眠るつもりはないわ」
カイトの冗談にシャルロットが笑う。そしてそれを背に、カイトは紋様の中に入った。出迎えたのはこちらもまた、無数の神々と無数の神官達だ。ほぼ全員が跪き、カイトを待っていた。
そんな彼女らも、カイトが来た事で女神が降臨するのが近いと理解する。そうして紋様の横に立った彼はなるべく厳かに感じられるように注意しながら口を開いた。
「……女神が降臨なさる。各々方、お心静かに」
かん、という音――神器の大鎌の柄で地面を叩いた――で自らへと注目を集めたカイトは大鎌を前に構え、居並ぶ全ての者へと告げる。ここでのカイトの役目は女神に仕える神使だ。
そして今回、シャルロットは女神として降臨する。シャムロックとは違い人界に姿を見せるのは数千年ぶりだ。故に、基本この場は彼と月の神殿の大神官が取り仕切る。女神側を取り仕切るのが神使たるカイトで、人側を取り仕切るのが大神官というわけだ。
「「「……」」」
僅かな静寂が場を満たす。そしてそれを受けて、カイトは神使が使える特殊な信号を用いてシャルロットへと合図を送った。それから、数秒。再び紋様が光り輝いて彼女が現れた。
「「「……」」」
その瞬間、初めて見る女神の姿に信徒達が息を呑むのがカイトの耳に聞こえた。あまりに、美しい。夜の如くの漆黒の長い髪。そしてその漆黒が黒ければ黒いほど際立つ、シミひとつ無いきめ細やかな白い肌。そして女神に相応しい美しい蒼と銀の衣。幼さと美しさが絶妙にマッチした顔立ち。純真さと貞淑さ、そして美しさの象徴にこれほど相応しい少女は居ないだろう容姿だった。
「……」
神官達の動揺を抑える為、僅かな間が空く。そうして動揺が収まった頃を見計らって、カイトは再び口を開いた。
「神よ……我らに貴方様のお言葉を」
「……皆、此度はよく来てくれた。そなたらは教義やで我が名を知ろう。故に今更逐一名乗りはせぬ」
シャムロックの時とは違い、シャルロットは全神官の前という事もあり神としての威厳を出した語りで演説を行っていく。当たり前だがカイトの事を下僕と言ったり妙な言葉遣いをするのは内々だから出来る事だ。あれでなければ話せないわけではない。
「此度、我は旅路の中で得た神使の尽力により復活を遂げた。そなたらの多くは我が神使の事を知らぬだろう。故に、この場を借りて紹介しておく。この者が、我が神使。我が神器と我にその身魂を捧げた者である」
シャルロットは改めて、カイトの事を全体へと通達しておく。神々は知っていたが、一般にはシャルロットは神使を持っていない事になっている。なのでこの場できちんと公表しておこう、という事だった。
そしてその彼女の語りに、全ての神官達も彼が神使である事を納得した。なにせ彼は神器を手にしている。そして神官達からしても女神に身魂を捧げた、と明言されたというのは十分に神使に任じられるに相応しい事だと思われたのだ。
「……」
続くシャルロットの語りを聞きながら、カイトは静かに立っている。本来は彼が場を取り仕切るのが通例になるのであるが、今回はシャルロットが語る事になっていた。
なので手持ち無沙汰は手持ち無沙汰だ。だからといって何かが出来るわけでもない。そうして聞いていると、気付けばシャルロットの演説は終わりを迎えていた。
「我が神使よ。兄の下へ案内なさい」
「はっ」
シャルロットの命令に応じて、カイトは彼女をこの街のホテルの一つへと案内する事にする。そうして神々が去り、神官達の大半が居なくなった――正確には居なくなったのは二人だが――所で、疲れたようにシャルロットがため息を吐いた。
「はぁ……下僕……疲れたわ」
「お疲れ様。後少し、我慢してくれ。とりあえず人目のつかない所に移動しないとどうにもならんだろう」
「そうね……それにしても、ここが……」
カイトの言葉を聞きながら、シャルロットはカイトが作り上げた街を見る。そうして、彼女は何を思ったのかふわりと浮かび上がった。
「あ、おい……やれやれ。何考えてるのかわからない所は変わらないな……」
唐突に浮かび上がったシャルロットに呆れながらも、カイトもまた浮かび上がる。そうして彼女が降り立ったのは、己の神殿の屋根の上だ。
「……生命の脈動。力強い生命の鼓動を感じるわ」
「ああ……だろう? オレが、守ったんだ」
カイトは誇るように、両手を広げる。かつてとは違う、希望に満ちた人々の鼓動。シャルロットは死神でもあればこそ、生命が放つ音の様な物を聞き分ける事が出来るらしかった。
かつては絶望に染め上げられたそれに汚染され、同じ様に絶望を得てしまった。が、もうこれなら心配は無い、と心の底から思えた。
「……光が見えるわ。全ての生命が喜びに満ちあふれている。この世を満たす希望の声……」
シャルロットは死神だが、死が好きなわけではない。それどころか死神だからこそ、生が好きだ。そうして、しばらくの間彼女は三百年前とは違う希望に満ち溢れた生命の鼓動を聞く事にするのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第1398話『第一夜目』




