第1374話 神話の序曲
<<無銘>>という絶対の宝具を解放して敵を消し飛ばしたカイトはその後、100メートル級の侵食種との戦いを終えたシャルロットと合流していた。そんな彼女は今は力を抑制したからかつややかな漆黒の髪となり、厭世的な雰囲気を浮かべて空中を浮かんでいた。
「雑魚ね……それで、下僕。そちらはどうだった?」
「雑魚だな。全盛期の七割という所かね」
「私でも抑えられたからねー。まぁ、でも現代の水準を考えればこれぐらいでちょうど良いんじゃない?」
特に恐れる必要もないと判断したカイトと同じく、ユリィもまた軽い感じだった。三百年前のあの大戦期であれば、彼女でも制止出来ない英雄なぞごまんと居た。その彼女で抑えられるのはその程度と言える領域だ。間違いなく、強い英雄達であれば軽く捻り潰せるだろう。
「十分強いだろ。この程度なら、現代だと一匹でもやばいからな……それにお前今、過去世と融合中で段々と強くなってるだろ」
「あー……そう言えばそうだねー……まぁ、まだ弱いけど」
あれだけやって、まだ弱い。並の英雄であれば一体が精一杯な筈な相手を抑え込んで、だ。だが、それで彼女の場合は正しい。彼女が今取り戻そうとしているのは、かつての力。過去の一生涯で手に入れた世界を敵に回して勝つ力だ。この程度では到底足りなかった。
「さて……じゃあ、後はこの雑魚共と噴出する孔をどうするか、という所ですが」
カイトは改めて下を見て、黒いモヤが吹き出す噴出孔をどうするか考える。あの巨体を封じていた穴であるが、ここからまだ黒いモヤは吹き出ている。これをどうにかしなければこの事件は終わらない。
この孔の先がどこにつながっているのかというのは気になるが、流石にカイトも突っ込もうとは思わない。下手に突っ込んで邪神を目覚めさせても面倒だ。まだこちら側の応戦準備は整っていない。
まぁ、こちらの準備が完璧に整ってから来てくれるとは思わないが、なるべく後の方がこちらにとっては有利だ。時間がこちらに有利になる以上、藪をつついて蛇を出す必要はなかった。
「……しょうがないわね。私の神としての権能を使いましょう」
「お……初めて見る」
「ふふ……」
カイトが一歩退いたのを見て、シャルロットが微笑んだ。そうして蕩ける様な笑みを浮かべておいて、彼女は神器を二つ取り出した。
「「良い月ね……そうね、下僕。このまま今日はお月見をしましょう。今宵は私の為の夜。そして、ずっと待っていてくれた貴方の為の夜。今宵だけは、貴方の為に踊りましょう」」
唄う様に、ささやく様に。二人に分かれたシャルロットは舞い踊る。それは二つの円を描く様な月の舞踏。太古の神が踊る月を象った舞。白と黒の女神による、二重螺旋の踊り。激しくはない。が、それ故に優雅で、美しいだ。それは見る者すべてを見惚れさせるほどに幻想的な光景だった。
「「……」」
これが、月の女神が美の女神とも言われる所以。夜という恐ろしい存在でありながら、同時に恐ろしいまでに美しい月を象ったが故だ。
そしてその舞踏は女神の舞踏。故に月光と二人の女神が舞踏に呼応し共鳴して、絶大の力をシャルロットの身に宿らせる。神が儀式を行う。それ故に人が行うよりはるかに強大な力が宿っていたのだ。しかしその神々しくも美しい舞踏に、ユリィもカイトも見惚れるしかなかった。
「Ra……Ra……」
「La……La……」
優美で軽やかな舞と共に、二人のシャルロットの口から歌声の様な声が溢れる。気分が高まっているから、なのだろう。それはいつしか音の高低のみで奏でられる音色となり、遂には原初の歌となって周囲を満たしていく。
「「RaLa~♪」」
シャルロットの口から奏でられる原初の歌だけが、月夜で照らされた周囲に響き渡る。それは更にシャルロットの舞踏と共鳴して更に彼女の力を高めていく。それがある閾値を超えた時、彼女の足元にもう二つの月が顕現した。
「「RaLa……raLa……rala……」」
その舞踏ももう、終わろうとしていた。が、舞踏が終わりに近づくにつれてシャルロットの生み出した月は輝きを増していき、もはや邪神の生み出したモヤでは近寄る事さえ出来ないほどの力を有していた。
「「さぁ、終焉を奏でましょう?」」
唄うようにして、シャルロットが意味のある言葉を述べる。それは原初の女神による舞踏の終焉。太陽が昇り生命が始まるのであれば、月が昇り生命は終わる。その終焉に相応しい双子の月は今、女神の奏でる舞踏に相応しい力を持っていた。
「「<<終焉の月>>」」
その瞬間。周囲すべてが夜闇に包まれる。その中で光を持つのは、ただ一つ。シャルロットの生み出した双子の月だけだ。月光すべてを彼女の生み出した月が取り込んだのだ。
そして月光すべてを束ねた一撃が、月そのものをぶつけるかの様にして放たれる。それは螺旋を描く様に絡み合いながら黒い噴出孔へと突入すると、極光を上げてそれらすべてを消し飛ばした。
「「……」」
終焉が訪れて、逆さまの月光が下から二人の月の女神を照らし出す。それを心地よさげに浴びて、彼女は力を失う様に、螺旋を描く様に地面へと落ちていく。
「おっと」
そんなシャルロットであるが、道中で一つになった所でカイトが見事にキャッチする。別に力を失ったわけでも、高度な術式を展開した結果疲れたわけでもない。単に落下したかったから落下したというだけだ。彼女は気まぐれ。気まぐれにこんな事もしでかすのである。
「ありがとう、下僕」
心地よさげにシャルロットはカイトにお姫様抱っこされながら、彼の首筋に手を回してその唇にキスをする。これはよく出来た下僕に対するご褒美だ。そうして柔らかな口付けを一つで、カイトは前を向いた。
「はい、女神様……さぁ、帰還しよう。オレ達の勝利だ」
もはや周囲に敵影は何も残っていない。黒いモヤに汚染された魔物達さえ纏めてあの一撃が消し飛ばした。これが、彼女の本来の実力。全盛期の彼女の力だった。そうしてカイト達は圧倒的なまでの力で邪神の尖兵を掃討すると、そのまま冒険部の野営地へと帰還する事にするのだった。
その夜。カイトはシャルロットとの短くも長い再会を終わらせると、静かに月を見上げてある人物との連絡を取っていた。流石にあれだけ大きな戦いで女神さえ降臨していたとて、事件の開始時点で草木も眠る丑三つ時だ。夜明けこそ遠かったものの、戦っていた面子は避難した冒険部に合流すると即座に再度の眠りに就いていた。
寝ている所を叩き起こされた挙げ句、あの激闘だ。仕方がないといえば仕方がない。すべての報告などは明日の朝に回す事になっていた。そして、月の女神さえ眠った今だ。ここでしか取れない相手と連絡を取る事にしたのだ。
『……そうか。やはり、か』
「はい……戦いは近い」
『そうだな……にしても、よく覚悟したものだ』
その人物はカイトがした覚悟に対して、掛け値なしの称賛を送る。が、これにカイトは若干辟易した様に首を振った。
「別に本気でやるつもりはありませんよ。ただ、今回ばかりは必要だと思ったので使うだけです」
『あはははは……だが、オレには見えるぞ。お前がどうなっているのか、という状況がな』
「……あれ、もしかして浮気バレまくりですか?」
『貴様ほど浮気と本気の差がわからん者も居るまいよ……まぁ、女の寝顔の側でオレに連絡を取るほど無粋な奴でもあるまい』
「貴方に、そう教えられましたからね」
相手の茶化す様な言葉にカイトもまた笑って頷いた。確かに部屋にはシャルロットも寝ている。が、彼女の安眠を邪魔しない様に少し離れた所で連絡を取っていた。
『そうだな……だが複数の女を侍らせろと教えたつもりは無かったがな』
「あっはははは……さて。再会の挨拶はこの辺で良いでしょう」
『そうだな……わかった。用意はしておこう。喜べ……貴様の背後には地球がある』
「ええ……見せて、やりましょう。今の地球の……貴方が築いた人類史の今を」
『……』
カイトの言葉に、相手はただ少しの間無言だった。だがそれは考えていたり返答に困ったからではない。その間には万感の想いが滲んでいた。
『……ああ。だからこそ、お前も見せてくれ。オレのかつての息子にして……もう一人の後継者よ。人類すべてを統べる者としてのお前を見せてくれ』
「……わかりました。今度ばかりは、見せましょう。オレの、貴方の義理の息子にして始源の英雄の後継者の一人の実力を」
相手の言葉にカイトは少し悩むも、彼の万感の想いに応える事を良しとする。決して王となりたいわけではない。何故か受け継いだ<<無銘>>であるが、それは彼が好き好んで得ているわけではない。叶う事なら、誰かに渡したいとも思っている。
が、あまりに危険すぎる武器だ。誰かに、と言っても信頼出来る人物であり、実力も相応の相手が見付けられなかった。それはそうだ。彼と同格でなければ駄目なのだ。見付かるわけがなかった。
『ああ……ではな。また会える時を楽しみに待とう』
「ええ、オレもです……ああ、先生。オレは約束通りに動くつもりです」
自身を義理の息子と呼び、相手を先生と呼ぶ。カイトがそう言う相手はこの世に唯一人だ。それはかつての彼の義理の父にして、地球においては一番最初の英雄にして王と伝えられる英雄王ギルガメッシュ。彼以外には有り得なかった。彼は地球との間で連絡を取り合っていたのである。
『ああ、あの約束か……別に気にする必要もないが』
「いえ……貴方も見せてください。オレに、貴方が……いえ、貴方達こそがオレの知り得る限り人類最高の英雄だと言う所を」
『む……』
カイトの懇願にギルガメッシュが目を瞬かせる。確かに、成長した姿を見せてくれと頼んだのは自分だ。であれば、その願いを聞き届けてやるのは悪くはなかった。
『……そうだな。別に今更どうでも良いといえば、どうでも良い話なんだが……いや、どうでも良くはないか』
ギルガメッシュは一度目を閉じて、会話の間ずっと黙して口を開かなかった最大の友へと問いかける事にする。別に二人に遠慮していたわけではない。必要が無かったから黙っていただけだ。
『エンキ……我が友よ。どうする?』
『どうする、とは?』
『何……せっかくだ。二人で奴を叩きのめしに行くか、とな』
『……喜んで、ご一緒させて頂きます。なにせ私は、ですからね』
ギルガメッシュの問いかけに、エンキドゥは輝かんばかりの笑顔を見せる。それは心の底から喜んで同行すると言っていた。
『……そうだったな。では、決まりだ……カイト、約束通り露払いは頼む。そしておそらく、貴様の出番もあるだろう。ぬかるなよ』
「ええ、もちろんです……そもそも、主催者はオレですから」
『そうだったな……では存分に、特等席で見るが良い。オレの、お前の育ての親の今の完成した姿を』
「はい」
ギルガメッシュの力強い言葉に、カイトはある種の歓喜を伴って頷いた。カイトが最も尊敬する男。それは武芸の師である上泉信綱でもなければ、武蔵や旭姫達ではない。数多の英雄達でもない。ギルガメッシュこそがカイトが最も尊敬する男だった。
その男が、特等席で自分の雄姿を見せてやると言ってくれているのだ。嬉しくないはずがなかった。そうして両者の会話が終わり、地球との連絡が途絶する。
「……あぁ、駄目だ駄目だ。オレは勇者カイトだろう?」
この時ばかりは、どうしても邪神の復活が待ち遠しくて仕方がなかった。しかしそれは犠牲を考えても許容出来る事ではない。それ故にカイトはぐっと拳を握りしめて歓喜を抑制する。
と、そんな彼の横にユリィが降り立った。シャルロットの希望で彼女だけは一緒だった。どうやらカイトを通してユリィがハーレムに入っていた事は知っていたらしい。故にか、一緒を望んだのだ。
「……カイト」
「……ああ。みなまで言うな、という所だ」
「そっか……うん、そっか」
カイトの言葉に、ユリィは何を思うのか。それは定かではないが、少なくとも歓喜がそこには滲んでいた。
「遂に、始まるんだね」
「違うさ。もう始まっていた……ただ、お前が気付いていなかっただけだ」
「むー……それはしょうがないじゃん。でもまぁ、うん……ふふ。ちょっとだけ、哀れだね」
ユリィは珍しい荒々しさを伴いながら、今度の敵に憐れみを向ける。当然だが、彼女はカイトの秘策を聞いている。絶対に勝てる。彼女をして負ける気が一切していなかった。それ故の憐憫である。
「負ける事なんて有り得ない……だってカイトには私が、私達が居る。そして彼女も……」
ユリィは親愛の情を眠る月の女神へと向ける。遂に、取り戻せたのだ。彼女もまた嬉しそうだった。そんな彼女へとカイトがゆっくりと近づいていき、ほっぺたを突っついた。
「……全く……お前、寝てばっかりだな」
「無茶させたのカイトでしょー。よく考えたらシャル、時間経過としては数時間前まで生娘じゃん」
「オレはずっと我慢してたんですー。ここ当分、こいつの為にちょっと抑え気味だったし……」
つい数時間前まで三百年の眠りに就いていたばかりなのに、また寝ている。しかし、これは単なる疲れたというだけの眠りだ。朝になれば起きる。先程までの己の力の抑制とは一切違う。何時目覚めるのか、と不安になる必要はない。だから、カイトはこの寝顔を愛おしく思うだけだ。
「……ありがとう、シャル。目覚めてくれて……帰ってきてくれてありがとう」
小さく、カイトは額に口付けをしてそう呟いた。その言葉にはただ万感の想いが滲んでいた。そうして、カイトもまた三百年の月日を掛けて取り戻した愛する人を抱いて眠るのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第1375話『次なる戦いへ』




