第1349話 もう一つの活動
天桜学園として秋の収穫祭への出店を決めてから、およそ一週間。この頃に再び収穫祭の実行委員の一人であるマルツがカイト達の所へとやってきていた。
「ああ、おまたせしました。すいません、丁度この件でヴィクトル商会の担当者の方が来られていまして」
「いえ、こちらこそ急な来訪申し訳ありません」
応接室に現れたカイトに対して、マルツが笑顔で頭を下げる。待たされた形になる彼であるが、やはり商人だからかそんな様子は一切見せていなかった。そんな彼の前にカイトも座って数度の社交辞令を交わしあった後、カイトは本題に入った。
「それで、どうされました? 書類にミスは無いだろう、と公爵家の方から言われてはいましたが……何か手違いがありましたか?」
「いえ、書類にミスは無かった、と思いますよ。私も実行委員ですが、そこを管理しているわけではないのではっきりとした所は申し上げられませんが……」
「それは良かった。何分急な申し出でしたし、こちらも急ぎで仕上げたので……それでミスでもあれば申し訳ないですからね」
「いえ、こちらこそ有り難い申し出でした」
カイトの申し出にマルツが笑顔で首を振る。やはり出店となると手続きは一気に複雑になる。当然だが審査もあるし、各種の申請も必要だ。それを期限ギリギリにしたのだから、カイトがミスを疑っても仕方がない。
「それで場所の選定が終わりました事と、ついでなのでご挨拶に立ち寄らせて頂いたのです」
「早いですね」
「ギリギリでしたので」
驚きを見せるカイトに、マルツは笑って本当に期限ギリギリだった事を明言する。なお、これは本当にギリギリで遅れた事こそなかったものの、唐突に降って湧いた目玉になり得る組織からも申し出に実行委員会はてんやわんやになったらしい。
有名どころの招待と応諾は既に終わっていて、後は細々とした所で場所はそう困らないだろうと色々と決めていたそうだ。
「それは我々にとっては良かったと思っておきましょう」
「はい……それでこれが素案ですが、出店の際に割り振られる場所が記された地図となります」
「拝見させて頂きます」
カイトはマルツから差し出された地図を見て、自分達に与えられたスペースを把握する。
「これは……成る程。ありがとうございます」
「ああ、どうぞ。それはお持ちになって下さい」
地図を返却しようとしたカイトに向けて、マルツが首を振って手を差し伸べる。どうやらここらを詰め合わせるために来たのだろうう。そしてそんな彼は地図を指し示しながら、カイトへと問いかける。
「こちらの判断で三店舗分散させていますが……よろしかったでしょうか?」
「ええ、それが最適な判断でしょう」
「ありがとうございます」
カイトの応諾にマルツは少しだけ胸を撫で下ろす。ここでカイトから異論が出れば、調整が必要になる。そしてその調整をするのは実行委員会の仕事だ。面倒ごとにならなくて良かった、と思っているのだろう。そんなマルツは紅茶で一息吐くと、カイトへと問いかける。
「それで……一つ伺いたいのですが」
「何でしょう」
「出品のレシピは伺いました。面白い試みだと思います」
「ああ、あれですか。ありがとうございます」
マルツの賞賛にカイトが頭を下げる。あれ、というのはパウダー計画の事だ。これについては既に実現に向けて動き出しており、カイトが掛け合った形にしてどうせならマクダウェル家を中心として開発を急がせている。
そしてこんな面白そうな計画だ。彼お抱えの馬鹿どもも大いに乗り気で開発に関わっていた。
なお、この数週間後にはどういうわけか大量生産の為のフリーズドライ製法まで開発しようとしていることが発覚し、カイトからお説教を受ける魔王の姿があったとか無かったとか。部隊の夜食用にカップラーメンを作ろうとしていたらしいが、健康に悪い――技術班が常食するのが目に見えていた為――と怒られたそうである。
「いえ。目から鱗と言いますか、私もどのような形になるのか心待ちにしております……それで、それを聞いて実行委員の数人から他店舗についても質問が出ておりまして。特に、この割烹居酒屋……ですか? これへの疑問が多く……」
「ふむ? 何か疑問が出る内容では無かったと記憶しているのですが……何か手違いでもありましたか?」
カイトは顎に手を当ててマルツの述べた居酒屋を思い出す。今回、カイトというか天桜学園が申請した店舗は三つだ。これに間違いはないし、そこはカイトもしっかりと把握している。
一つは先に瞬が提案した所謂若者向けのお店。これは敢えて言うまでもないだろう。二つ目は、酒飲み向けの焼き鳥屋だ。とはいえ、ここにも少し工夫を凝らし、タレの種類を日本風にして焼きそばなど屋台に合う物も入れている。最後の一つが、所謂ファミリー層向けの割烹居酒屋だ。ここは敢えて奇をてらわず、普通の日本料理を提供する事にしていた。
と言っても、たかが学生達が出来る事だ。自炊して料理が出来るようになっているとは言え、流石に刺し身等を提供するわけにもいかない。なのであり大抵な家庭料理と言っても良いだろう。
「いえ、普通だったので、という所なのでしょう」
「ああ、成る程。それはたしかに」
マルツの指摘に、カイトは頷いた。考えれば納得できようものだ。他二つはそこそこのアレンジをしていて、異世界感を出している。にも関わらず、ひとつだけ普通なのだ。何か隠しているのでは、と思っても不思議はない。が、そういうわけは無かった。
「そういう事ではありませんよ。いえ、たしかに些か普通とも言い難いですが」
「やはり、何かお考えでしたか」
「あははは。ええ、まぁ。とはいえ、それを含めて敢えて日本で言えば普通ですから。なので普通の割烹居酒屋、と」
「成る程……確かに、それはそうですね」
カイトの指摘にマルツは己の考え違いを理解して、笑みを浮かべて頷いた。そもそも、ここは日本ではない。普通だから、普通ではない事もあるのだ。異世界であるという事はつまり、日本のそのままが異質と言っても過言ではないのだ。
「これは失礼しました。何人かの委員がそれで良いと仰っていた理由が分かりましたよ」
「おや……いえ、それはそれで良いのでしょう。それにこれは公爵家にも説明して、あちらの協力も得ての事です。安全面などはきちんと配慮しています。ご納得頂けましたか?」
「はい、十分に」
カイトからの指摘に頷いたマルツは、そう言っても立ち上がる。既に収穫祭まで残り少ない。時間はあまり残っていない。疑問が解消されたのなら、次の所に行かねばならないのだろう。そうしてマルツはカイトに激励と握手をして、次の所へと向かっていった。
「ふぅ……これで何とかなるか」
マルツを見送った後、カイトは一つため息を吐いた。と言っても、これは安堵のため息だ。これで後は正式に招待状が届けば、終わりだ。というわけで、カイトはそこらで詰めておく必要を鑑みて一度公爵邸に向かう事にする。せっかく期待してくれているのだ。ならば、十全に応えたいというのが人情というものだろう。それに今回は少しの考えが固まっていて、そこで話しておきたい相手も居る。
「というわけで来たわけですが……進捗はどうだ?」
「うむ。とりあえずこんなの試作品として作ってみた」
カイトの確認を受けたティナが出来上がったばかりの試作品をカイトへと提示する。それは言うまでもなく粉だが、片栗粉や薄力粉など白い粉と言うよりも僅かに茶色い感じがあった。
「舐めろ、って事か?」
「そうじゃな。舐めてみれば味がわかろう」
「ふむ……」
ティナの頷きを受けて、カイトは人差し指に少し茶色い粉を付けて舐めてみる。すると、どこか香ばしいながらも懐かしい味が口内に広がった。が、それはどこか己のよく知る味とは少し違っていた。
「焦がし醤油……か?」
「正解じゃ。お主、中々味覚が冴えておるな」
「これでも料理はするからな」
ティナの称賛にカイトは特に自慢する事もなく頷いた。カイトが感じたのは僅かな苦味にも似た香ばしさ。醤油を焦がした時特有の味だった。
「ふむ……スプレードライか?」
「うむ。スプレードライ製法を試してみてのう。ま、ここから更にフリーズドライ製法を試験してみて、どちらがより美味いか試してみようとのう」
「そりゃ、醤油本来の旨味だとフリーズドライだろ。スプレードライはどうしても高温にする関係で焦げた様な感じが出るからな」
「……お主、何故そんな事を知っておる」
「調べたから」
ティナの問いかけにカイトはさも平然と答えを明かす。まぁ、わりと知られている話であるが、カイトは案外凝り性だ。なので気になると調べるらしい。
そしてこの男。なんだかんだと料理をするのは意外と好んでいる。当人曰く、自分がやるしかなかったから仕方がないだろう、という話だが腕前はその領域は明らかに超えているだろう。そして調味料も拘っている。そこから、調べた事があったらしい。
「なんでじゃ」
「いや、だってルイス居るし。あいつもあいつで美食家だからな。やれこれ作れあれ作れ、と言うから。ま、バカ皇子とは違って自分でも作るから文句は無いけどな」
「……お主、いまさらじゃが」
「何?」
「……いや、やっぱやめじゃ……余も鍛え直そう」
小首を傾げるカイトに対して、ティナは何かを言おうとしてやっぱりやめて小声で心に誓う程度にしておく事にする。なお、何を言おうとしたかというと、自分より料理の腕前が上ではないか、という所だ。
カイトの知識と腕前を思い出して、ちょっと気にしたらしい。が、それは花嫁修業も叩き込まれているティナ自身の沽券に関わる為、流石に言わないでおいたらしい。
「ま、良いわ。というわけで、今はようやくスプレードライ製法が試験的に成功した、という所じゃのう。とりあえずこれで焦がし醤油パウダーについてはひとまず成功した、と断じて良かろう。他にもそれの兼ね合いで焦がしバター、焦がしバター醤油等が完成すると言ってよかろう」
「そうか。とりあえずパウダーはなんとかなりそうか」
「うむ。ま、後は色々と味を研究する必要はあるじゃろうが……そこらは流石に余らがするべき事では無いのう」
カイトの見立てに頷いたティナは、更にそう述べておく。ここらは役割というものだろう。そして一番苦労する所だろうし、最も重要な所でもある。そこを彼女らが奪うわけには、いかなかった。というわけで、そこらの話を一段落させたカイトは本題に取り掛かる事にする。
「そうだな……で、ティナ。お前に用事」
「なんじゃ。お主が用事……は、珍しくも無いのう。で?」
「ああ、ほら。今度オレ、クッキング・フェスティバルに出るだろ?」
「らしいのう。またお主らしくもない酔狂を、とは思うたが大精霊様方の頼みであれば仕方があるまいな」
カイトの明言にティナは大体の話は聞いていると明言する。やはりカイトが料理大会に出るというのだ。その話はまたたく間に広まって、彼女の耳にも入ったらしい。クズハらの耳にももちろん、入っている。
「まぁな。そうでもないとオレが出るわけもない……で、お前も出ろ」
「は? 嫌に決まっとろう」
「いや、個人じゃなくて。オレと一緒に。いや、正確にはオレ、ユリィと一緒に」
一瞬で嫌な顔をしたティナに対して、カイトは勘違いが生じていたのではっきりと告げる。今回、カイトは敢えて料理上手の睦月や由利には頼まず、ティナとユリィの二人に頼む事にしたのである。
「ふむ? 余とユリィを、じゃと? 何か意図が様子じゃのう」
「当たり前だろ? 敢えてのこの面子だ。意味が無いわけがない」
カイトは笑いながら、ティナにその理由を語っていく。それに、ティナが楽しげな顔をした。
「なるほど。それは中々に面白い試みではあるのう。で、それなら余というのも頷ける。特に今回は来賓も面白い事になっておるからのう」
「だろう? そこらを考えると、お前らしか適任者がなかったのさ」
「であれば、仕方があるまい。時には労ってやるのも元とはいえ王の務め。久しぶりに余も料理の腕を振るうかのう」
どうやら、カイトの目論見にティナも賛同してくれたようだ。特に今回は来賓としてクラウディアも来るらしい。そこらを考えた時、一つ料理を振る舞ってやるのも良いか、と思ったようだ。そうして、カイトはティナを面子に加える事にして、クッキングフェスティバルに臨む事にするのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第1350話『食材探し』




