第1317話 もう一人のカイトの遺産
時乃の案内で世界の時の絶対標準を司るという時計を見たティナ達はその後、ひとまず今までの内容を整理する為にかつて『もう一人のカイト』が拠点としていたという屋敷へとやってきていた。
「……」
おそらくここに居たのは英雄だろう。ティナはそこに残されていた数多の痕跡から、そう理解する。何故わかったか。それはひとえに、彼女にも馴染みがある物だらけだったからだ。極度に高まった自我を持つが故に強く残る残留思念。それが無数にその屋敷には渦巻いていた。
「……」
が、それ故にこそティナには悼ましい気持ちしか無かった。誰よりも、何よりも一人の男の想いがこの屋敷には色濃く残されていた。その残留思念には苦しみや悲しみ、それさえも失われていく果てしない時間が感じられた。
「……」
「どした?」
「……のう、カイト。これは、お主じゃな?」
「うん?」
悲しげな表情のティナに問われて、カイトは首を傾げる。今の彼女は何も持っていない。これと言われても理解は出来なかった。
「この屋敷に残る無数の残留思念……千や二千では足りぬ数多の英雄達の想念……その中で誰よりも色濃く残るこの想念。これは……うむ。明らかにお主の想念じゃろう」
「……ああ、これか……」
ティナの問いかけにカイトは若干の優しさを滲ませて微笑んだ。否定するつもりは無い。もうここに来てしまった。何時かはわかってしまうだろうと覚悟していた事でもある。
「そうだ……いや、これはオレでありオレでない男の想念……」
カイトは一度だけ、目を閉じる。そうして、目を開いた。過去から『もう一人のカイト』を呼び起こしたのだ。
「っ」
真紅の右目。それを見て、ティナは思わず頭が痛んだ。それは僅かな棘の様な、違和感とさえ言い得る痛みだ。が、確かに何かを感じた。
「……」
それに対してカイト、いや、カイト達は何も言わない。ただ、微笑んだだけだ。その微笑みを見てティナの中に見知らぬ何かが、去来した。
『よう。マジ逃げ足速いな、お前は。ルイスに聞かなきゃ追い付けなかったよ』
『……なんじゃ。今更、余になんの用がある』
『へー……そんな口調だったのか。いや、そりゃそうか。オレ、お前の事知らねぇもんな』
ああ、あれはどこだったか。ティナはここではないどこかを垣間見る。それは本当の出会い。もう一つの出会いの物語だった。
『来いよ。いや、違うな。連れて行く。これはオレの我儘だ。お前はオレの女だ。だから、来い。拒否権は無いぜ?』
力強い言葉を聞いた。彼は拒み、拒絶する自分を強引に連れ出した。それに一度は憤慨した。あらがった。が、こういう我儘な男なのだと理解して、恋をした。
『都合の良い話過ぎるじゃろう』
『そうさ。言っただろう? これはオレの我儘。が……ま、なんてか。知ってたからな、お前らの事は。悪いとも思っている。だけどまぁ……なんってか……うん。都合の良い話で悪いが、うん。そりゃそうだろ、としか言い様がないだろ?』
ああ、そうだ。それはそうだとしか言い得ない。何故、受け入れられるのか。何故、自分を連れ出そうとしているのか。何故、会ったこともないはずの自分に彼が愛や恋を抱いているのか。それを笑う彼から指摘され、思わず納得した自分が居た。それを、ティナは見た。
「……」
眼の前のカイトの姿が、ティナにはかつて自分を迎えに来た『もう一人のカイト』と重なった。そして重なったと思った次の瞬間、カイトが口を開いた。
「……今は、幸せか?」
それは、どちらの言葉だったのか。が、どちらでも構わなかった。思ったのは、今は幸せだという当たり前といえば当たり前の答えだったからだ。
「うむ」
「そうか」
カイトは満足げに頷くと、それで一度目を閉じた。そうしてゆっくりと再度頷いて、口を開いた。
「……それなら、それで良いさ。ここにあるこの苦しみや悲しみ……それは決して嘘じゃない。辛かった。苦しかった。だが、その果てにお前らとの出会いがあった。だから、この想いも直に癒える……いや、もう癒えてる」
カイトはかつての己が遺した苦しみの残滓を取り込む様に、大きく息を吸い込んだ。
「……ここで数々の英雄達と過ごした。何時か、お前にも会わせたいな」
「……うむ。余も会ってみたいものじゃ」
カイトの顔には痛みを堪える顔は無かった。それ故、ティナもそれで良いのだろうと思う事にした。そうして、二人はその場を後にして屋敷を移動する事にするのだった。
さて、それから少し。屋敷を好き勝手に見て回っていた一同であるが、その中でカイトと別れたティナは一枚の写真を見付けていた。それは八人の人物が写った写真だ。人間の様な姿もあれば、エルフや異族の姿も見受けられた。
「これは……む?」
その中の一人には見覚えがある。間違いなくカイトだ。これは確定だ。転生する前だと思うのだが、それでも顔貌は完全に一致していた。本来DNA型等の変化により転生で同じ顔になる事はまず無いのだが、不思議な事にカイトは転生しても同じ顔だった。
これには色々な事情があるのだが、それは今のティナは預かり知らない事だった。とはいえ、見覚えのある顔があったおかげで、これが『もう一人のカイト』とその友人達なのだと理解する事が出来た。
「……」
しかし、カイト以外は他は見覚えが無かった。まぁ、当然か。ティナは一瞬そう思ったが、写真の中に写っていた一人の金糸の長い髪の美少女を見て、再び脳裏に何かが去来する。
「……知っておる……のか?」
思い出そうとしても思い出せない。先程と同じ様に脳裏に何かが去来する事もなかった。が、確かに知っていると己の魂が告げている。と、そんなティナにアウラが問いかけた。
「どうしたの?」
「む?……む?」
アウラの指摘でティナは思わず己の手に力が入っていた事を理解する。それはそうだ。この美少女はティナが恋敵と理解している女だ。記憶が封じられている程度で忘れるはずがなかった。肉体が、魂が覚えていたらしい。
「……なーんか、この女は確実に性格が悪い。うむ。そう思う」
「……どして?」
「そう思うからそう思うんじゃ!」
「……???」
アウラは猛烈に主張するティナに首を傾げる。と、そんなティナの持つ写真にアウラが興味を持った。
「……カイト?」
「うむ。そうらしいのう。かつてのカイトと言う所なのじゃろうが」
「横は……誰?」
アウラはカイトと笑顔で肩を組む一人の赤毛の青年を見る。こちらも成長したカイトと同じく美丈夫と言っても過言ではない。いや、それどころかカイトと同じく神がかったと言っても良い領域だ。が、その系統ははっきりと異なっている。カイトが本当に武人や剣士としての落ち着きが出てきたというのなら、こちらの彼にはどこか幼さというものがあった。
勿論、それはソラの様な性質としての幼さや顔立ちとしての幼さではない。敢えて言えば、雰囲気としての幼さだ。それは同時に活発さとも言い得るものであり、それがなおさら彼の英雄っぷりを高めていた。
「わからんが……この様子じゃと親友やらそういう所で良いのじゃろう」
「ふーん……とりあえず聞いてこよ」
「「いや、普通に居るけど」」
「「ぴゃ!」」
後ろからいきなり聞こえてきたカイトとユリィの声に、二人が思わず跳ね上がる。それに、カイトが楽しげに笑った。
「あっははは。この屋敷にある物に傷が付けば自動でオレに報せる様になっててな。で、写真が割れたっぽいから見に来てみたが……あっはははは。なるほど。ま、そっちの女については何も語るまいよ」
カイトは思いっきり強く握っていたが故にガラスにヒビが入っていたのを見て、ただただ笑うだけだ。それを良しとして受け入れると決めたのは彼らだ。であれば、これも良しとして受け入れるだけであった。
「で、そいつか……」
カイトはティナとアウラが先程話していた真紅の髪を持つ一人の青年を見て、懐かしげに目を細める。と、そんなカイトの一方、相も変わらず彼の肩の上で呑気にカイトと喋っていたユリィが写真を覗き込んだ。
「あ……こんな顔だったんだ」
「うん? お主も知っておるのか?」
「いや、知らないよ。だから、こんな顔だったんだ、って言ったでしょ?」
ティナの問いかけにユリィははっきりと知らない事を明言する。とはいえ、それはおかしな言い方ではあった。
「む? じゃが確かに今の言い方では聞いてはいたというような感じではなかったか?」
「あー……あれ? そう言えば聞いた事あったっけ?」
「んー……いや、無かった様な気もするなー……」
カイトはユリィの問いかけに上を向きながら首を傾げる。基本、過去世では一緒に居た彼らであるが、実はこの時はどういうわけか一緒ではなかった。それについて当人達は幾つかの推測を行っていたが、とりあえず一緒では無かった事だけは事実だ。なので知っているわけではなかった。
「ま、とりあえず彼は知ってるよ。てーか、ホント嫌になるぐらい」
「あははははは」
唯一ユリィの言う事が理解出来るカイトは笑うしかなかった。というのも、大抵彼らが死ぬ理由というのは彼に殺されるかこの写真の中の他の誰かに殺されるかしかない。と、そんなカイトにユリィが問いかけた。
「……あれ? そう言えばカイト。一個聞きたいんだけどさ」
「んだよ?」
「ここ……この世界なわけ?」
「ああ、そうだな。ここは一応そこに隣接している……と言っても、流石に今はあの時計があったり色々とある関係で往来は不可能にしてもらってるけどな」
ユリィの問いかけにカイトははっきりと頷いた。この世界、というのはこの写真が撮られた世界の事だ。これは当たり前の話ではあるが、ここを拠点にしていた『もう一人のカイト』というのはその世界の出身者だ。それ故、この異空間はそこに隣接した異空間となっていた。そして彼は最後には帰り着いた。であれば、ここも元あった場所に戻っていたのである。
「む? なんの話じゃ」
「あ、ああ。ここ、ほら。お前が見通した通り、ここはオレが一時拠点にしてた所でな。まぁ、世界と世界を渡る移動拠点の様な感じで改良して使ってた時期があったんだよ」
「……すまん。余は今の話が信じたくない」
「あ、やっぱり?」
今にも頭を抱えたそうなティナに対して、カイトは思わず笑う。同じく、アウラも今の言葉の異常さを理解していた。異空間と異世界の差。それはここにあった。
「出来るの、そんな事。異空間は所詮、異なる空間。異なる世界ではない。単独では存在し得ない」
「おいおい……今お前らが見たのは誰だよ? そしてここは普通か?」
アウラの問いかけにカイトは逆に問い返す。ここには物凄い量と深度の世界の深淵の情報が詰まっている。まずまかり間違っても普通に来れては行けない場所だ。故にカイトでさえ、リルがここを見付けたという時には驚いたし、そして見付けられたのならバレたと理解して明かしたのである。
「「……」」
なるほど。それなら納得だ。二人も素直に納得した。異空間は単独では存在し得ない。そして異空間を切り離した時点で本来はその異空間は消滅する。それは異なる空間だからこそだ。
が、大精霊達ならなんとか出来る可能性はあった。彼女らは世界のシステム側の存在だ。その程度はやってのけられる力がある。
そして何より、その当時のカイトは『世界』達の意思でその代行を行っていた。彼らであれば、異空間の一つを移動拠点の様に使ってみせる事なぞ造作もない事だろう。
「ま、そういうわけでここにゃ色々とどこの世界に出てもまずいアイテムが沢山だ。だから誰も来れないってわけ」
「あ、うん。それはどうでも良いの。ティナ達みたいに私学者じゃないし」
「……そらそうか。で、だからなんなんだよ?」
ユリィの返答にカイトは唖然となっていたティナ達を置いてユリィに再度問いかける。それに、ユリィが何が聞きたいかを教えてくれた。
「こっちから行けるの?」
「あ、それは行ける。ここはあの世界に今も隣接してるからな」
「ね……何時か、行ってみて良い?」
「……ああ、何時か。この全てが終わった後、一度お前を案内したいって思うよ。色々な思い出があそこにはあるんだ。お前にもぜひ、知ってもらいたい」
ユリィの求めに、カイトは笑顔で頷いた。あの世界には『もう一人のカイト』が彼女に見せたい物が沢山ある。今、あの世界がどうなっているかは転生を経た彼らにはわからない。が、それでもまだ続いているとだけは信じられた。そうして、そんな会話を最後にカイトはティナから受け取った写真を修復して、再び元の位置に置いておくのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第1318話『同盟者達』




