第1316話 世界の深淵
リルによって遂に明かされた真実の一端。それに触れたティナによって問いかけを受けたカイトは、全てを認めて彼女らをある種の聖地とも言える場所へと案内する事にしていた。
とはいえ、それはその日の予定を鑑みればすぐにというわけにはいかず、実際に案内を開始したのはその翌日の朝の事だった。やはりその日はカイトも公爵という立場上リルの研究室の開設に伴うパーティ等に参加する必要があって数々の人々と会わざるを得ず、実際に向かう事は出来なかったのだ。というわけでその翌日だが、カイトは朝一番から物思いに耽っていた。
「……」
「何故お主がそんな顔をしておる」
「うん?……いや、まぁ、色々とあるんだよ」
カイトはクズハら公爵家でもごく一部の面子を伴って青空を見上げていたカイトへとティナが問いかければ、カイトはどこか神妙な顔だ。実のところ、カイトとしてもあの地へ入ったのは数度だけだ。やはり思うことがあってあまり立ち入っていなかったらしい。
が、事ここに至ってはあそこへ向かうしかない。なのでその顔にはある種の諦めもあったし、ある種の懐かしさもあった。悲しさもある。嬉しさもあった。本当に神妙としか言いようのない顔だった。
「大昔の事だ。あそこには、多くの馬鹿共が居た……が、今はもう誰も居ない。それを思うと、ちょっと物悲しいのさ」
「馬鹿ども、のう……お主がそう言うということは、ウチとさほど変わらぬ馬鹿共じゃというわけか」
「ああ、大差ねぇな。あいつらもまた、大馬鹿野郎ばっかりだ」
カイトは親しみを込めて、かつての己の仲間達について言及する。彼らは『もう一人のカイト』と共にその世界の戦場を駆け抜けた。
カイトをして、もう一人の自分と言わしめる『もう一人のカイト』の許に集った馬鹿だ。例えばラカムやレイナード、例えばオーア達の様に色々な形の英雄が居たのだろう。それ故に、その顔には親愛があった。と、そんなカイト達の所にリルがやってきた。
「おはよう、皆」
「おはようございます……今日はお一人で?」
「ええ……研究室の方は使い魔に任せたわ。先にこちらの謎の方が私には重要だもの。足掛け数百年ぐらい、探し求めていた答えよ。気になって夜も眠れなかったわ」
「わかりました……では、行きましょう」
カイトは妖艶に、しかしどこか子供っぽく笑うリルの言葉に頷くと、目的地となる『もう一人のカイト』の拠点へと移動する事にする。
とはいえ、何をするかというと、普通に異世界転移の魔術を展開するというだけだった。そうして、彼の前にどこかへと繋がる『転移門』が現れた。
「この先だ」
「えらく簡単に終わったのう」
「この異空間だけは特殊なんだ……まぁ、詳しくは向こうで話す」
カイトはそう言うと、僅かに迷いを滲ませながらも一歩を踏み出してかつて『もう一人のカイト』が拠点としていた異空間へと入った。そうして、カイトはもう一人の己の拠点への帰還を果たすのだった。
エネフィアではないどこかの異世界に存在していた、とある異空間。そこにやってきた彼らを出迎えたのは、リルが言及していた通りの公爵邸程の大きさの屋敷だった。敢えて言えば、もし公爵邸をカイトの帰還に合わせて改築や増築を行えばそうなっただろう。そんな場所だった。
「ここは……見事なものじゃのう。様式はわからぬが、庭園まであるか」
「自動化……ですか? 何かはよくわかりませんが……」
「む?」
クズハの言葉にティナはこの庭を手入れしているゴーレムに気付いた。が、そうして彼女は思わず目を見開いた。彼女はひと目でそのゴーレムの異常さに気づけたようだ。
「なんじゃ、これは……」
「どうしたんですか?」
「やはり、お前は天才だな……ああ、そうだ。これはおそらくエネフィアより三百年程先に進んだ文明と言って良いだろう。そこで偶然買ってな。普通に、こんなのが売られてるんだ。すごいだろう? まぁ、もう無い文明なんだがな……」
目を見開いて愕然となるティナに向けて、カイトは庭園の手入れをしているゴーレムがエネフィアよりはるかに進んだ文明の遺産である事をはっきりと明言する。
かつてのカイトが旅路の中で手に入れた異世界の産物の一つだった。ここにはこんなオーパーツとしか言えない品物が大量にあったのである。というわけで、目的も忘れたティナが目を輝かせる。
「一台」
「駄目」
「ちょびっとだけ!」
「駄目に決まってんだろ!」
結局、なんだかんだ彼らは何時も通りというだったらしい。まぁ、異世界のはるか先の文明の遺産だ。ティナからしたら興味深いの一言で十分すぎるだろう。というわけで、しばらくのやり取りの後、ティナは色々と言われて口を尖らせていた。
「むー……」
「だからお前だけは案内したくなかったんだよ……」
「むぅ……」
結局、カイトがティナを説き伏せた最大の要因は技術の正常な進歩を阻害する、という一言だった。やはりここにある魔導具の数々はおそらくエネフィアの文明と地球の文明が後500年程掛けて開発するのだろう物や、どこかの世界のどこかの文明が最期の最期に遺した所謂メッセージボックスの様な遺産もある様子だった。
これは確かに、その文明が後世のカイト達に遺してくれた物だ。が、それを手にするべきは今ではない。幾ら何でも文明が最期に手にしていた技術だ。確かに何時かは至り、超えるべきだろうがそこにたどり着くには今の人類はまだ早いとカイトは判断し、そしてティナも同意したのである。エネフィアでの天桜学園の扱いと一緒だった。正常な進化を行う為に、敢えて知識を封印する事にしたのである。
「そもそも目的はそっちじゃねぇだろ……こっちだ」
カイトはティナを宥めると、そのまま歩き出す。そうして屋敷の領域外に出てみると、そこは広大な草原地帯だった。遠くには一本の巨大な木が見える。それだけだ。と、そんな様子を見てティナが問いかける。
「これは……どこぞの神域並に広さがあるのではないか?」
「あるだろう。いや、それどころか太陽ぐらいの大きさがある。強度は地球の数十倍だったかな」
「太陽ぐらいの広さで、強度は数十倍……なんじゃ、この空間は」
ここまで広大かつ強固な異空間は聞いた事がない。カイトの返答にティナは思わず目を見開いた。が、それはそうだ。ここは元々『もう一人のカイト』が拠点として活用する為に使っていた。その中には当然、修行もあった。星を軽々破壊する男が修行するには、その程度が必要だったらしい。
そして驚くティナの一方、カイトは最後の人物に声を掛けた。彼女は朝からずっと一緒だった。誰も気付けなかっただけだ。ここに来て姿を現して良いだろう、と判断したのだ。
「さて……時乃」
「……ようやく、吾のお目見えか」
「「「っ……」」」
現れた童女に、全員が息を呑んだ。明らかに大精霊としか言い様のない姿がそこにはあったのだ。そうして、時乃は少し浮かんで消える。
「こっちじゃ」
「!?」
カイトを除けば、全員何が起きたかわからなかった。唐突に後ろに時乃が立っていたのである。明らかに高速移動でも転移術でもなく、瞬間移動としか言い様がなかった。それに、時乃がクスクスと笑った。
「ちょいと、時を止めてみただけじゃ。手慰み、もしくは挨拶代わりにはこれで十分じゃろ。ついてこい。お主らが見たいものを見せようぞ」
十分。何が十分なのかティナにはさっぱりわからなかった。時を止めた。それは人には無理な事であり、今の現象はそう言い表すのが一番だった。彼女らほどだからこそ、今何が起きたのか直感で理解出来てしまったのだ。
そうして、圧倒的なまでの格の違いを見せつけた時乃の案内を受けて、一同は少し離れた所にあった巨大な大木へとたどり着いた。
「これは……」
「座標の絶対標準だ……言わば、世界全ての中心と言っても良いかもしれん」
巨木を眺めながら、カイトはティナへとこれが何かを語る。ここは敢えて言えば座標の基準点。地球で言えばグリニッジ天文台だ。ここが、世界全ての基準点だった。そんな事を聞いて、ティナはもはや絶叫にも近い声を上げる。
「そんな物までここにはあるじゃと!?」
「ここは、吾ら高位の大精霊が初めて降り立った地故。それ故、ここにはありとあらゆる標準がある……他にもあの大樹の下には原初の砂、原初の水等、この世を形作る際にオリジナルとなるべく作られた物質が供えられておる」
「……」
ティナは思わず、震えるのを抑えられなかった。ここにはこの世全てのオリジナルが存在しているという。その意味は彼女程の、魔法使いとさえ言われる魔術師であれば理解できないはずがなかった。
「もし、それを媒体として魔術を使えば……」
「ま、ありとあらゆる世界の全ての物を操れるじゃろうて。やろうとすれば魔法なぞ簡単に行使出来るじゃろうのう」
ティナのつぶやきに時乃はどうということもない、とばかりに軽く明言した。が、そんな軽い物ではない。この世全てを操れる絶対の力。それにも等しい物だった。
先程は興奮して我を忘れたティナさえ、決して近付こうとは思わない。間違いなくエネフィアの世界樹より遥かに強固な守りが敷かれていると考えて良い。今の彼女どころか百年先の彼女でも、手も足も出ない領域だろう。
「そして絶対標準には、もう一つある物が存在しておる。それが、此度お主らがここに招かれた理由じゃ……ついてこい。見せてやろう」
時乃は圧倒される一同を後ろに、再び歩き出す。そうして少し巨木に近づいてみると、そこあったのは時計の木としか言い得ない奇妙な物体だった。
と言っても、枝があったり幹があったりするわけではない。一つの少し大きな古びた時計を中心として、その上に葉っぱの様に無数の時計の文字盤が浮かんでいたのである。
勿論、文字盤にはきちんと秒針も分針も時針も存在していて、時計である事を示していた。その様子は確かに、さながら葉の生い茂る木の様だった。
「これは……」
空中に浮かぶ無数の時計の文字盤を見ながら、ティナがなんとかその光景を理解しようと頑張ってみる。が、法則性は一つもない。動いているのかと疑いたくなる様な非常に遅い進みの時計盤から、目を回しそうになるほどに高速で時針が動いている――勿論、それ以上の速さで分針と秒針は動いている――物まで山程あった。
「この時計の文字盤一つ一つが、どこかの世界の時間経過を表しておる。その数は無数……そう言っても過言ではない。まぁ、今見えておるのは当然ごく一部。この第一世界群の中でも吾が調律に必要な分だけしか……いや、ここらの話は今言った所で理解出来ぬか」
「……これが……全て……」
ティナは時乃の言葉を聞きながら再び文字盤を見上げてあまりの多さに圧倒され、思わず感動さえ覚えた。今彼女が知っている世界は、地球とエネフィア、更にはこの異空間が存在するどこともしれない異世界の三つだけだ。だが世界はその数万倍どころか本当に数えきれない程に存在していた。と、そんな彼女は再び視線を下に落として、普通の時を刻む古びた時計を見る。
「この時計は?」
「これはこの世界の時間と言っても過言ではないのう……先にカイトがこの大樹を世界の絶対標準と言ったな。それで言い表わせば、この時計こそが世界全ての絶対的な基準の時間。もし相対的に世界を考えるのであれば、この時間より早いか遅いか。それを基準として考えるわけじゃ」
「つまり、これこそが……」
「うむ。数多存在する『世界』達が使う時間と考えて良い。もし外の世界が巻き戻ろうと、この時計だけは巻き戻せん。こここそが、全ての基準。全ての絶対。全ての時の理じゃ」
ティナの言外の問いかけに時乃はわかりきった事だろう、とばかりに明言する。と、その中に含まれていた言葉に、ティナが思わず驚愕した。
「時を巻き戻す!?」
「出来よう。いや、吾でもやれぬことはやれぬがの」
悲鳴にも近い声のティナに対して、時乃はくすくすと妖艶に笑う。司るから、と何でもかんでも出来るわけではないのだ。とはいえ、彼女らにしてみればカイトという実例があるのだ。出来ないわけがないと知っていた。が、一度はされたと教えれば話がややこしくなる。なので言わない事にしておいた。
「とはいえ、所詮時も規定されている事。そしてここが基準であるとするのであれば、つまり逆説的に世界の時を逆に動かす事も不可能ではない。つまりこことは逆に進めるという理論であれば良いだけの話故な……が、その難しさと不可能という事はお主であれば理解出来よう」
「……」
当然だ。おそらくここで時乃が語っている理由は彼女がそれを禁じているという事を自分ならわかるから、とティナは正確に理解した。が、そうして理解してこそ、この疑問も出た。
「何故そんな魔術……いや、魔法が存在し得るのですか?」
「ふむ。無秩序にやられても困るし、以前一度やられた事がある。ま、それは阻止されたがの。それを教訓にして、体系化して時の操る法則を作ったというわけよ。お主の言葉を借りればネトゲの大型アップデートと思えば良い。吾らは後付で出来た大精霊と言える」
「なっ……」
ティナは時乃の前半分の言葉を理解した時点で、後ろの作った云々の言葉は全て理解できなくなった。一度誰かが時を戻そうとした。そしてそれは阻止されたという事はつまり、成功する見込みがあったという事だ。少なくとも今の自分が逆立ちしたって勝てない程の技術をその相手は持っていると断じて良かった。
「まぁ、そこから云々といろいろとあって、そうして出来たのがこの時計と言うわけよ。これを基準として『世界』は時を判断する。これより早いか、遅いか。これより早すぎると判断すれば遅くして、遅すぎると判断すれば早くする。そういうわけじゃ」
「それが、御身の仕事と」
「ま、無意識領域でやっとるがの」
ティナの問いかけに時乃は笑いながら頷いた。ここらの調整は大精霊だからと意図的にやっているわけではない。そもそも彼女らは概念を司る神の様な存在というだけだ。そして無意識的に出来るだけの性能は持っていたし、そうあるべしと作られている。出来て当然である。
「ここが、世界の深淵の一端。ま、ここには滅多な事では来ぬ方が良い」
圧倒され、ただ呆然と今までの内容を咀嚼するのが精一杯のティナに向けて、時乃がそう告げる。そうして、彼女らは世界の深淵を覗くという目的を半ば達成するのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第1317話『もう一人のカイトの遺産』




