第1304話 閑話 かつての戦い
ソラ達が『木漏れ日の森』を訪れた日から遡る事、およそ数千年前。まだエンテシア皇国の前のマルス帝国が興るよりも更に前の事だ。所謂、エネシア大陸の戦国時代と呼ばれる時代よりも前。先史文明時代の事だ。
『木漏れ日の森』はその名では呼ばれていなかった。その当時の名は、『太陽の森』。溢れんばかりの日光が差し込む生命満ち溢れた森だった。その中心には、神々の王にして太陽神シャムロックを祀る大神殿があった。とはいえ、これについては実は不思議な事はない。
こういう日光があふれる場所には大抵、シャムロックを祀る大神殿か神殿が建てられていて、神官たちが彼へと祈りを捧げていたからだ。この神殿もその例にもれず、というわけに過ぎない。
が、それは平時の時の話であって、有事である先史文明の最終盤では神官長と戦士長の二人を中心として、日夜シャムロックと共に敵との戦いを繰り広げていた。
「戦士長! おかえりなさいませ!」
「よーう。帰ったよー」
この神殿の戦士長は、一言で言えば軟派な男だった。性格も一言で言えばキザったらしい。とはいえ、見た目は金髪碧眼で笑顔の似合う男なので、それが嫌味にならないモテる男と言ってよかった。
神殿の戦士長なのだからルーファウスの様にお硬いイメージがあるかもしれないが、実はシャムロック達の神話体系ではそうではない。こういう風な軟派な戦士長というのも認められていた。
とはいえ、これはオーリンを見ればわかるだろう。彼が酔っ払って失態をした事なぞ両手の指では済まないのだ。それを許している様に、基本シャムロックはかなり自由を認めている。なのでこういう戦士長が自分に仕えていても良いだろう、と笑って許してくれていた。
勿論、かといって戦士長の側に信仰が無いわけではない。そんな軟派な自分を認めてくれて取り立ててくれているシャムロックに対しては掛け値なしの信頼をしており、そして絶大な信仰を捧げてもいる。それ故に公の場では決して戦士長としての風格を落とさない様に決して粗相はしない。
「どう? ここ最近」
「やはり、我々は劣勢としか……周囲の信徒達も祈りを捧げてはくれていますが……何分、通信網を利用されて洗脳されてしまったが故に、数が……」
「だよねー」
神殿を守ってくれていた守護隊長の報告に、戦士長は口調は厄介だ、と言う感じで僅かな苦味を滲ませる。が、その顔からは余裕の笑みが失われていなかった。
「まー、そう言っても相手は洗脳。質は無いわけで。俺達みたいに上質な祈りは捧げられんでしょ。相手が数だってんなら、俺達は質で上回れば良いだけの話だろ」
「はっ!」
そんな戦士長の余裕の笑みに、神殿を守っていた戦士団の守護隊長も笑顔で頷いた。そんな守護隊長に戦士長は笑いながら後ろ手に手を振って、歩いていく。が、そうして少し歩いた所で、彼の顔には真剣さが滲んだ。
「まだ希望は失われてないのよ、この世からは……」
やはり、外で戦っているからか実情を理解できているらしい。戦士長の顔には現状がかなり苦しい事が見て取れるだけの真剣さがあった。軟派者として知られる彼が、この真剣さだ。その窮状たるや、察するに余りある。
「通信網がズタズタにやられたのは、痛いねぇ……北の方の研究所でも日夜侵攻があるし……俺も休暇明けはあっちに増援だったな。相当敵は賢いな……この間も西の果ての研究所が落ちたって言うし……ちっ。どこの馬鹿だ。異世界から神を召喚する、なんぞやりやがったのは……」
戦士長は真剣な顔で現状を見直していく。その顔に僅かではない苛立ちがあったのは、やはりこれが一部の研究者達や国の上層部の失策だったからだろう。巻き込まれた形の一般市民達からすれば良い迷惑だ。
と、そんな真剣な顔の彼だが、唐突に先程までの軟派な笑みが戻る瞬間があった。それは目の前に一人の女神が居たからだ。勿論、この女神というのは比喩でも何でもない。正真正銘の女神である。
「お! シャルちゃんじゃないのよ! 来てくれたわけ!?」
「っ……クソエルフ。詩人でも無い癖に女をたらしこむ変態」
「ちょ、ちょっと。そんな顔で睨まないで欲しいなー」
シャルロットから睨まれた戦士長は少しばかり苦笑気味にまぁまぁ、と両手で彼女を宥めすかす。彼女が素の調子で罵倒するのだ。相当の事があったのだろうし、事実あった。
実はこの戦士長はシャムロックの神使でもあった。大神殿の戦士長だ。それぐらいの実力はあったし、公の場では威風堂々たる様もある。資格は十分だろう。
というわけで実は戦士長はこの当時は存在していたシャムロック達の神界に招かれる事があったのであるが、まだ新入りと言うに相応しかった頃にうっかりと女神と知らずシャルロットを口説いてしまった事があるのである。
で、シャルロットからは大いに不興を買ってしまったというわけであった。なまじ兄の神使だからと丁寧に扱ってしまったのが悪かった、とは後に彼女がカイトへと語っていた事である。
「あはは。相変わらず、君は警戒されているね」
「い、いやぁ……あの頃はホント、調子乗ってたとしか言えないわ」
「君らしいといえば君らしいよ」
たはは、と照れかえる戦士長に対して、神官長としてシャルロットを出迎えていたらしい神官長が気兼ねなく笑う。二人共、この森で生まれ育ちこの神殿の者達と共に暮らしていたこの森出身のエルフだった。
この神殿は基本先史文明の誰でも受け入れていたが、やはり立地上多いのはエルフだ。なので神官長も戦士長もどちらも、基本的には代々エルフだった。
「たはは」
「あはは」
「……」
少し照れくさそうに笑う戦士長に、それに何時もの彼らしいと笑う神官長。そしてそんな二人の間で無愛想なシャルロット。その三人は少しの間、戦いの最中のつかの間の休息を得る。が、それは本当につかの間でしかなかった。程なくして、その場に神殿の守護隊長が駆け込んできた。
「戦士長! 神官長!」
「うん? どうした?」
「敵襲です! 敵、多数! あまりに多すぎて数えられません!」
「「「っ!」」」
三人が一斉に立ち上がる。こちらが劣勢なのは分かっていた。分かっていたが、まさかこんな所の神殿にまで攻め込むとは思いもよらなかったのだ。
ここは立地上も重要な拠点ではなく、戦略的な有用性も一切ない。故に戦士長と神官長は連戦に継ぐ連戦で疲れた身体を癒やす為に、本拠地にして故郷であるここに帰ってきていたのであった。同時に休暇明けから反撃に転じる為、一度休めという指示でもある。
「私が道を切り開くわ。漆黒の獣達なら、私の鎌で十分」
「……」
「……」
シャルロットの提案に戦士長と神官長の二人は顔を見合わせて頷きあう。それが最善の一手だし、この神殿に多数の敵を食い止められるだけの戦力は無い。そして戦士長が言っていた通り、現在のこの文明の通信網は完全に敵に掌握されている。となると、誰かが外に出て援軍を呼びに行く必要があった。
であれば、それはどう考えてもシャルロットが一番適任だった。ある程度の距離まで出れば、神としての力を使って彼女は隠れられる。力量としても単なる神使である戦士長なぞ比べ物にならない領域だ。
惜しむらくは、今が昼日中で月夜ではないという所だろう。彼女は月の女神。どうしても月が無ければ全力が出せない。そこらを考えても、彼女は残るより増援を呼びに行った方が良かった。
「全員、持久戦だ! 女神様が行って帰ってくるまで待てば良いだけだ! 簡単な仕事だ! ぬかるなよ!」
「神官達は周辺住民の収容を急ぎなさい! それが終われば即座に結界を展開しつつ、戦士達の援護を行いますよ!」
「「「はっ!」」」
戦士長と神官長の二人は手慣れた感じで指揮を開始する。やはり時代柄というものがあるのだろう。百年に及ぶ連盟大戦を生きたカイトがそうである様に、建国の大戦を生き抜いたイクスフォス達がそうである様に、迷いや淀みというものが一切無かった。
「耐えなさい。月が貴方達を導くまで」
「はいよー。なるべく早めにお願いねー」
戦士長は無数としか言い様のない漆黒の獣達を見据えながら、軽い感じで手を振って一人そんな漆黒の津波の中に突っ込んでいくシャルロットを見送った。どっちもどっちだ。突っ込んでも絶望的な戦いだし、残っても絶望的な戦いだ。
だが、やらねばならない。だから、戦士長は笑みを見せる。膝を屈して絶望を見せれば、それだけで戦士達の心が折れる。それは、避けねばならないのだ。
「俺達は生き延びなきゃぁ、なんないのよ」
戦士長は何らかの剣を構えて、いつもの様に軽い笑みを見せる。<<太陽の笑み>>。それが、彼に与えられた二つ名の様な物だった。
「さぁ、行こうぜ!」
「「「おぉおおおおおお!」」」
戦士長が号令を掛けて、漆黒の津波としか言い得ない無数の敵へと突っ込んでいく。それに続いて、エルフの戦士達が守るべき民達の為、家族の為に突っ込んでいく。そうして、数千年先の歴史書には遺されていない、一つの絶望的な戦いが始まったのだった。
結果から言えば。シャルロットの増援は間に合わなかった。いや、間に合うはずもなかったのだ。なぜか。それは三人が驚いていた様に、こんな辺鄙な所の大神殿にまで大軍勢を差し向ける理由があったからだ。
そう。丁度この時、この森のはるか北にあった研究所――カイト達が見付けた湖底の遺跡――への一大攻勢が開始されていたからだ。敵はここを起点とした反攻作戦を見抜いて、先手を打ったのである。
そこへ増援を送られない様に、あの戦士長と神官長の休憩を狙って本拠地へと攻撃を仕掛けてきたのであった。それを、戦士長は戦いの最中に感じた敵の本気度から理解していた。
「あー……こりゃ、ウチの秘密兵器がバレたかな……」
総身血みどろになりながらも、戦士長は生きていた。その戦いっぷりたるや、もしこの場にカイトや武蔵、更にはそれらが憧れとさえ言う信綱やカイトのもう一人の師たるスカサハがみても天晴と感嘆しか述べられない程の獅子奮迅の戦い様だった。が、それはもう、限界だった。
「半分やったつもりだけど……あっははは。マジで半分ぐらいじゃねぇかな」
屈しそうになる膝を必死で持ちこたえさせながら、戦士長はただただ笑うしかなかった。夕刻前に始まっていた戦いはすでに夕刻に差し掛かり、もう少しで日が落ちる段階にまでなっていた。そんな彼は何時もの笑みを絶やすこと無く、自分と二人神殿を守る為に数時間の戦いを戦い抜いた神官長へと問いかける。
「おーう。生きてるかー」
「なんとか、です……少なくとも、生きてますよ。手足も無事です」
「お互い生きててなにより、か」
二人はただただ、お互いが無事である事に笑うしかなかった。が、そうしていられるのも後僅かだ、というのは分かっていた。
「次が、多分最後の波なんでしょうが……いけますか?」
「やるっきゃないでしょうが」
もう本来なら、絶望に膝を屈しても良い状況だ。敵は今、最後の攻勢に向けて最後の準備を整えていた。謂わば今は嵐の前の静けさ。この静けさが終わったその時こそが、本当に絶望的な戦いの開始だった。
「何人、残ってるかね……」
戦士長はさっと周囲を見回す。ここまで数時間、攻めに攻められた。息つく間もない大侵攻だった。それ故、本来なら即座に治療すれば助かるはずの生命の多くが失われていた。それを見て、戦士長は戦士だから、負けを悟った。
「……おい」
「……なんでしょう」
「……神殿の中に残ってる奴逃せ。こりゃ、駄目だ。多分、シャルちゃんは全力で走ってるんだろうけど……俺達だけじゃ支えきれない。この神殿は落ちる。今逃さないと、全滅だ」
「っ……」
自分達の故郷が落ちる。それを冷酷なまでにはっきりと指摘されて、神官長の顔が歪む。が、彼とて実情はしっかりと理解出来ている。故に、吐きたくなる怒声を飲み込んで、虚勢を張ろうとする己のつよがりの部分を抑え込んで、頷いた。
「……わかりました……ご武運を」
「ああ。そっちもな」
神官長は神官。祈り、導く者だ。戦士ではない。であれば、ここで戦う為に残る選択はしてはならない。それは戦士の役目だ。逃がす為に、そして明日へ繋ぐ為に生き延びてもらわねばならないのだ。
そうして神官長が神殿に下がっていくのを背後に感じながら、戦士長はシャムロックより与えられた太陽の如き輝きを持つ剣を構える。
「全員、悪いな」
「あっはははは。戦士長。何を今さら」
「いつもの笑みが失くなってますよ」
「おぉ? そうかな?」
極僅かな生き残りの戦士達の激励に、戦士長は何時もの笑みを浮かべる。全員、笑っていた。が、それは決して感情が壊れたが故の笑みではなく、この戦いが明日への希望となる事を信じての事だった。そうして、そんな彼らが最後の戦いへの決意を固めたと同時。一斉に敵の大侵攻が開始されたのだった。
シャルロットがその神殿にたどり着いたのは、丁度その最後の大侵攻が開始されて少し。戦いが佳境を迎えた時の事だ。
「っ!?」
大神殿から、太陽の如き光が迸る。それを、彼女は見たことがあった。それは彼の兄、シャムロックが授けた剣から迸る神剣の煌めきだった。これが大神殿から迸るのだから、相当な強敵が神殿内部に入り込んだと察するには十分だった。
「ああ、良かった……シャルロット様」
敵の数からすれば僅かとしか言い得ない増援を引き連れてやってきたシャルロットに向けて、神官長が微笑んだ。その顔には、何らかの決意が滲んでいた。
「……彼らを、頼みます」
「っ! 待ちなさい!」
決意を見せて、ただ自分に逃げた神官や民衆達を任せた神官長にシャルロットが制止を掛ける。が、振り向いた神官長の顔に、彼女は何も言えなくなった。
「……ありがとうございます」
死ぬ気だ。決意の表情と決死の覚悟を見せられては、さしものシャルロットも気圧された。それほどにやばい相手が、この場に来ていたという事なのだろう。
「……月が、私が貴方を導くわ。迷わず、逝きなさい」
「……」
シャルロットの激励にぺこり、と神官長が頭を下げた。そうして、その数分後。大神殿の一階部分で強大な魔力が迸り、それまで途絶える事のなかった闇夜を切り裂く太陽の如き光が迸る事はなくなった。
「……馬鹿なエルフ……でもそう言う所、嫌いじゃなかったわ」
壮絶な相打ちを遂げた兄の神使とその戦友に、シャルロットはただ小さく祈りを捧げる。彼女は死神。死者を導く神だ。新たに死者の列に加わった二人の英雄へと、最大級の敬意を表したのだ。そうして、数千年前に起きた戦いの一つがまた、幕を下ろしたのだった。
お読み頂きありがとうございました。この物語が今とどう繋がるのか。それはもう少しお待ち下さい。
次回予告:第1305話『語られた異変』




