第1303話 唐突な来訪者
『木漏れ日の森』で活動するソラ達から大きく離れ、エネフィアの何処か。そこで久秀は相も変わらず研究所でのんびりと次に動ける時を待っていた。
『と、いうわけです』
「なるほどねぇ。あのお坊ちゃんらもきちんと動いてるってわけかい」
道化師から寄せられた連絡に、久秀が楽しげに笑みをこぼした。今回、道化師からもたらされた情報はカイトではなく、ソラ達の物だった。まぁ、カイトと一緒に居るのだ。久秀としても興味はあったらしい。なので道化師に頼んで定期的に情報をくれる様にしていたのである。
『ええ、まぁ……とはいえ、少し楽しい話ではないですか』
「そりゃねぇ……まぁ、良い風潮じゃあねぇのよ。御大将に全部任せちまやぁ楽だってのに。自分達も血を流すかね」
『さて……彼らの考えなぞこの道化にはわかりませんよ』
「あははは。この老いぼれにもわかんねぇよぉ」
道化師と久秀。二つの世界でも有数の策士二人が笑い合う。が、その様子からソラ達の事を嘲笑っている様子はなかった。少なくとも、どちらもソラの事を少しは買ってはいるのだろう。とはいえ、お坊ちゃんという言葉が示す様に、決して認められているわけでもない。敢えて言えばおもちゃとして良い、とでも言う所だろう。
「で? わざわざそんな他愛もない事を言いに来たんだ。何かあんだろ、オタクん所の目的が」
『勿論』
久秀の問いかけに道化師は悪びれるどころか、隠す風さえ一切なく同意する。というより、この両者の関係はギブ・アンド・テイクに近い。なので何の目的も無く情報をくれてやる、という事は基本的にあるはずがないのだ。その思惑を語ってくれるか、それが真実かは別にして、何らかの思惑があることは事実だった。
『実は今彼らが調査中の遺跡にある神殿は元々太陽神シャムロック・ニムエを祀っていた神殿でして』
「ああ、あの御大将がご懸想……ぶっ……いや、すまん……」
『楽しそうで何よりです』
久秀は現在のカイトが恋多き男である事を聞いてから、どうやらしきりに笑いが堪えられないらしい。時折今の様に思い出しては笑っていた。
「あっははは。いやぁ、昔から女に尻に敷かれてたはずの御大将だが、今でもそのまんまとはねぇ。いい加減懲りりゃ良いのによ。相変わらず楽しいお人じゃないの……で?」
目端に伝う涙を拭いながら、久秀が先を促す。それに、道化師も笑いながら自分の思惑を語っていく事にした。
『ええ。それで、実は……』
「へぇ、なるほどね。それは中々に面白い」
どうやら、道化師の思惑は久秀にとっても面白い結果をもたらしそうな様子らしい。というわけで久秀は道化師の言葉を受けて、一人七人衆から離れてエンテシア皇国はマクダウェル領へと入り込むのだった。
ソラ達遠征隊が『木漏れ日の森』の中心にあった神殿の概要を掴んでから、更に数日。神殿で祀られている神が誰なのかを判明させた結果、ソラ達は森のエルフ達も知らないかつての神殿の痕跡を見つける事に成功していたものの、本来の目的である森で起きている異変の事については一切わからないままだった。
「うーん……」
何もわからない。日本人だからわかる事でもあるのか、と数日考えていたソラであるが、結局何もないままだ。故に彼は眉を顰めて首を傾げていた。そしてそれは横で一緒に考え込むシルドアやウェッジらも一緒だった。
「……森に異変が起きているのは、確かなんだが」
シルドアがそう呟いた。この数日遺跡を幾つも巡って、幾つもの痕跡を新たに発見していた。確かにソラというかカイトが託した資料は有用で、その結果わかった事も幾つもある。だが、どれもこれもが学術的な意義こそあれど今回の異変に関係がありそうではなかった。
「森の動物達は何か言ってますか?」
「いや、何も言っていない。この間お前が出会った狼達もあの後は沈黙を保ったままだ」
ソラの問いかけに今日は獣達との間で情報交換を行ってくれていたウェッジが首を振る。森の獣達もこの森の中で異変が起きている事は知っているらしいのだが、その詳しい原因は知らないそうだ。なので怯えているものの、それがなぜ怯えるのかは本人達にもわからないらしい。
「とはいえ……一つわかった事はある」
「ふむ?」
「なんですか?」
ウェッジの言葉にシルドアとソラが先を促す。今の所手がかりは無しだ。少しでも手がかりは欲しかった。
「おそらく、ここを中心として何かが起きているはずだ」
「ここを?」
「まさか」
ソラが訝しみ、シルドアが若干鼻で笑う。ここ、というのはソラ達が初日に作った遺跡の拠点だ。今回の仕事ではソラ達はここを拠点として、各地へ散って調査を行っている。
朝一番に里の野営地を出て、ここに移動。班に分かれて各地を調査して、時間が来ればここに集合して情報を統合。そして帰還というわけだ。というわけで、今日の調査を終えた今もここに全員が揃っていた。そして勿論、野営地に何かが起きない様にここには常に十人程度は人が残っている。この中には里のエルフも含まれる。何かがあれば、通信機よりも前に森を通して伝令が来るはずだった。何も無い以上、ここには何も無いということだ。と、そんなシルドアにウェッジがむっとした。
「む……」
「いや、だがな……流石にここまで里の者が常に控えていて、それでこの遺跡を中心として何かが起きている、というのは信じがたい。では問うが、なぜここで何も発見出来ん」
「それは……」
半ば宥める様なシルドアの指摘に、ウェッジも若干言い淀む。確かにそれが疑問なのだ。とはいえ、彼とてそう言い切れるだけの根拠はあった。
「ここ数日、異変が分かってからというもの獣達の動きを見ていた。すると、時折ある一定の方向を気にしている事に気づいた。それが、こちらだった」
「ふむ……そう言えば……」
どうやらウェッジの指摘にシルドアも思い当たる節があったようだ。記憶をたどり、時折獣達がふと振り向いたり、顔を上げていた事を思い出した。ここら、やはり森に生きる彼らだからだろう。ソラ達よりも遥かに注意力が高かった。
「だが、何か他に共通点があったか? 時間は?」
「それだな、問題は……時間は少なくとも、一定している様子はなかった。勿論、里の者達がここに居る時にふとなる事もある」
シルドアの問いかけにウェッジがため息を吐いた。獣達が怯えている方角を見ればこちらに何かがあるのかも、と思えるそうだが、獣達はこの遺跡の付近でも目撃されている。
なので確たる理由と言うには、まだ確証が無かったようだ。と、そんな風にソラやシルドア達を中心とした会議だが、それはふと響いたアラーム音により終わる事になる。
「……あ」
「時間か」
「そうですね。全員に帰還命令を出します」
シルドアの呟きにソラも頷いた。帰還もある以上、時間は区切って行動している。なのでこのアラーム音が鳴り響いた時点で、どれだけその作業が調子が良かろうと撤退する事にしていた。
とはいえ、やはりこの世界だ。それでもやはり何らかの理由で間に合わない事もある。なのでこの一度目のアラーム音で作業を停止させて各班に帰還を伝達、二度目のアラーム音でまだ帰還していない班へと伝令か増援を送り、三度目のアラーム音で完全に撤退出来る様にしていたのである。そうして、ソラ達はこの日の作業を終えて、里へと帰還する事にするのだった。
それから、一時間程。夕暮が近くなった時間に、ソラ達は『木漏れ日の森』のエルフ達の里の近くに設営した野営地へと帰り着いていた。
「ふぃー……ただいまー」
「あ、おかえりー! ソラくん、ご飯もうちょっとだから先に荷物置いちゃってー!」
「あ、おーう!」
今日も今日とてソラの帰りを出迎えてくれたのは、もう一人の恋人であるナナミだ。と、そんな彼女は同じくもう一人の恋人である由利に声を掛けた。
「由利ー! そう言えば頼んでたのどうなったー!」
「あ、うーん! 手に入ったよー! 荷物置いたら持ってくねー!」
由利は手提げ袋の中から麻の小袋を取り出して、ひとまずは机の上に置いておく。中身はこの森で特有の香辛料だそうだ。偶然この森で生えている事をエルフ達から聞いて、ナナミが手に入れられないか由利に持ちかけたのだ。というわけで、この数日の探索の間に見付けられたので持ち帰った、というわけである。
「ふぃー……仲良き事は美しきかな、と……」
そんな恋人達の他愛ない会話を聞きながら、ソラは少し幸せそうな笑みを零す。由利がどういう想いでナナミを受け入れる事にしかた、ナナミがどういう想いでここに居るか、等は勿論三人で話し合った。そこから、今のあり方を彼は良しと考えていた。と、そうして油断したその時だ。ナナミがそう言えば、と声を発した。
「あ、ソラくーん! そう言えばお客さん来てるよー! マスターの知り合いだってー!」
「あ、おーう! カイトの、ね」
「心配になった、とかかなー?」
「かもな」
ナナミの言葉に由利とソラが苦笑しあう。やはりカイトだ。なんだかんだと増援を差し向けてくれても不思議はない。そしてそうなると、必然身分を偽った『無冠の部隊』の隊員というのが一番ありえた。
「どこ? で、どんな人?」
「んー、目つきの鋭い人だったよ。多分、腕利きじゃないかな。相当強そうだったし。ソラくんが居ない、ってわかると指揮所のテントで待っとくって」
「わかった。じゃあ、ご飯の前に先にその人と話してくるな」
「いってらっしゃーい」
ソラは調理の為のテントを横目に見ながら、とりあえずは指揮所の変わりに使っているテントの一つへと向かう事にする。
「にしても……あいつほんとに心配性すぎんだろ」
道中、ソラは相変わらずといえば相変わらずの友人の気遣いに少しだけ笑う。とはいえ、せっかく手配してくれた増援だ。無下にする必要はないし、そもそも現状で手をこまねいていた事は事実だ。有難く借り受けるだけだ。
「あ、すいません。おまたせしま……」
「よーす。大体三時間ぐらい待ったぜ」
絶句して停止したソラに対して、久秀は読んでいた雑誌から顔を上げて片手を上げる。なお、読んでいた雑誌にはカイトのインタビュー記事が掲載されていた。
「っ!」
まるで敵意なぞ見せない久秀に対して、ソラは一瞬で距離を取る。それには当然、帰還したばかりの冒険部のメンバー達が何事か、とそちらを見たが、それに慌てたのは久秀の方だ。
「あ、おいおい! そんな驚きなさんなって! ってか、そんな驚くと周囲が気付くだろ!」
「何をどう考えたらそんな発想になんだよ!」
「っと……ほい、マジでストップ。マジで今ここで御大将に急行されると困んだわ」
懐に手を入れて緊急用のスイッチ――カイトへと救難信号を発信する為の物――に手を伸ばしたソラに対して、久秀が何らかの魔術を展開して一瞬で彼を停止させてそのままテントへと引き込んだ。
「はぁ……まぁ、俺は敵だし良い反応速度だ、と褒めてやりたいんだがねぇ。ちょいと迂闊だ。お前さん、ここで戦ったとて俺に勝てんの?」
「っ……」
何らかの魔術か技本で完全に動きを縫い留められたソラは、久秀の指摘に顔をしかめるしかない。久秀とソラだけでなく、更には冒険部のメンバー達の力量差は歴然だ。
確かに久秀は軍師役として石舟斎や宗矩より数段力量は落ちるが、それでも遠征隊で勝てる敵では決して無い。更には今はまだ藤堂達腕利きも欠いている。
彼らが居たとて、久秀とまともに戦うのなら少なくとも瞬や桜ら上層部の面子がもっと必要だ。決して、この場で安易な行動をして良い相手ではなかった。そうして、久秀の苦言は更に続いていく。
「そして勝てても御大将が来るまでにどんだけの被害出すつもりだ、お前さん。少なくとも、この近くの里は壊滅すんぜ。お前さん、そいつらの家族になんか詫びれんのか? 敵倒したけど里一つで済んだから良かったね、とでも言うのかよ」
「ぐっ……」
久秀の言葉は道理でしかなかった。故にソラは自分の迂闊さにただただ顔を歪ませるしか、出来なかった。久秀の言葉がかなりきつかったのは、カイトの今の仲間だからなのかもしれない。それ故か、彼はかなりきつい言葉をソラへと投げかけた。
「お前さん、御大将がなんで俺達と無闇矢鱈に戦っていないかわかってるか? お前さんら……いや、お前さんらだけじゃないな。民衆って足手まといさえ居なけりゃ、御大将は俺達なんぞ秒で瞬殺できんだぞ。それをしないのは少しでも悲しむ奴が生まれない様に、ってしてる為だ。それを真横で見てるお前さんがその気遣い忘れちゃぁ、駄目だろうよ。ここでお前さんが取るべき手は一つ。俺と戦わない、だ。もちろん、こっちが攻撃してくるのなら話は別だがな。が、そんな気配は俺は見せてない……だろ?」
「……」
この男はおそらく、自分以上にカイトの事を信頼している。そしてその面子を気遣っている。ソラは久秀の言葉の端々に滲んでいる掛け値なしの怒りを見て、力なく項垂れる。
自分以上に彼はカイトの事を理解して、その意向に沿って動けるのだ。敵なのに、自分以上にカイトの事を理解していた。
そしていつしか気付けば、彼の身体を拘束していた何らかの力は消失していた。と、そうして敵意を消したからだろう。ソラは通信機がけたたましく鳴り響いていた事にようやく、気がついた。
『おい、天城! 聞こえてるのか! どうした!』
「ほら。わかったら応えてやんなよ。今俺がここに居るのがわかったら、大騒ぎだ」
「……あ、ああ。悪い、なんでもない。ちょっと気づいたら虫が目の前に居ただけだ」
『……そんな感じじゃ無かったが?』
通信機の先、綾崎が訝しむ。どうやら帰ってきていたか、ソラの態度を訝しんだ誰かから連絡を受け取っていたのだろう。が、それにソラは首を振った。
「大丈夫っす。すんません。それと、指揮所にカイトからの客が来たんで、ちょっと応対に出ます。すんませんけど、人払い頼んます」
『……そうか』
何かがあったのだろう。綾崎や藤堂ら冒険部上層部に近しい面子はソラの声音が硬かった事に気づいていた。だが、それ故にこそ立ち入ってはならない事も理解していた。ソラの指揮官としての性能は信じられている。だから、安易に行動すべきではないと察したのだ。そうして、ソラはなぜかこの場にやってきていた久秀との対話を行う事になるのだった。
お読み頂きありがとうございました。次回は少しだけ本筋から離れます。
次回予告:第1304話『閑話』




