第1284話 最後のひとっ風呂
カイト達が『桃陽の里』で武器を修繕してもらって数日。カイトは再び温泉街に戻ってきていた。そもそも『桃陽の里』へ行く事自体が予定になかった事だ。いや、そんな事を言い始めれば久秀達との戦闘が予定になかったことだし、彼らの復活なぞ想定もしていなかった。
というわけで、当初一週間だった滞在の予定はすでに伸びて二週間目に突入していた。が、これは仕方がない事だし、状況が状況だった事もあって報奨金名目で費用の一部が中津国から出ていた。得られた物を考えれば、十分帳尻は合わせられたと見て良いだろう。
「あっが……疲れたんだなー……やっぱ」
カイトはお風呂の中で大きく息を吸って、全身を伸ばす。今回特に冒険したという事はなかったが、無くてもやはり疲れはあった。特に今回は何より海棠翁に付き合わされて鍛冶をさせられたという事が大きい。なんだかんだと疲れは溜まっていた様子だった。
というわけで、今回も今回でスーパー銭湯の女湯との仕切りを背もたれにして、酒を飲みながらのんびりと湯に浸かっていた。なお、当然だがその背には仕切りを隔ててティナが一緒だった。
「……武器か」
カイトは今も異空間の中で眠る無数の武器達に思い馳せる。大半は彼に想いを託して散っていった『誰か』の物。どれもこれもが優れた武器というわけではなく、単なる量産品でしかない物の方が多かった。が、それでもそこに込められた想いは失われていない。
「……取り戻さないと駄目かね……」
思い出すのは、かつての己が振るっていたふた振りの刃。名もなき神剣。父と母が遺される己へと託し、その身を守る様祈りを込めた『もう一人のカイト』の武器。あれさえあれば、おそらくあの絶対者にも等しい力は行使出来る。
「……」
ぽぅ、とカイトの右目が真紅に染まる。そうして視るのは、かつての己が手にした武器の在り処。あれと己は一緒に語られる武器だ。というより、事情が事情故に子供の居ない『もう一人のカイト』であるので、今でも正式な所有者は彼だ。なので己を媒体にすればどこにあるか探す事は可能だった。
「……どこかの王宮……か? いや、どこかと考えるまでもないか……」
そんなカイトが見たのは、どこかの豪奢な場所だ。が、同時に神聖さもあり、丁重に扱われている事が一目瞭然だった。そこの中央に、かつての彼の相棒達はまるで敬われるかの様に安置されていた。
いや、まるで敬われるではない。真実敬われ、周囲には神官達によって祈りが捧げられていた。なにせその横にあったのは己の像だ。敬われていない方がどうかしている。
「あー……まぁ、良いんだけどさ……あっちじゃガチの神様だし……」
かつて人類と取り交わした取引によって、己の像はすべて無くなっていたはずだとカイトは考えていた。そして真実、彼を象った像は一切が失われていたはずだったが、どうやら新たに作られていた様だ。
とはいえ、やはり慣れない。なので彼は妙な気恥ずかしさを感じていた。そんな彼だが、己の相棒達の姿を見ながら少しだけ寂しさを感じていた。
「にしても……やっぱ形は変わっちまったな……」
そもそもかつてのカイトが使っていたという神剣は彼の成長に合わせて成長する特殊な剣だったという。であれば、持ち主の居ない今はまた別の形へと変貌を遂げてしまっていた。またカイトの手に戻れば元通り本来の彼の相棒の姿を取り戻すのだろうが、今はただ普通の剣とさほど変わらぬ姿だった。
それは何より、自分が今は『もう一人のカイト』ではない事を如実に知らしめていた。と、そんな物悲しさを感じていたからだろう。カイトは周囲に気を配れていなかった。
「……お前、その右目……どした?」
「うん? っと、ソラか……ん、まぁ、ちょっと気になる事があって<<千里眼>>の力を使っていた」
「……覗きか?」
「馬鹿か? あそこのバカ共と一緒にすんなよ」
どこか引いた様子のソラの言葉に対して、カイトは呆れ100%の様子で端っこの方で女湯を覗こうとしている男子勢を指さした。そしてソラとて本気で言っているわけがない。
なにせカイトだ。見たければ水着姿でなくても裸だって見れる。わざわざ覗く意味が無いし、覗きに風情を感じるほど酔狂でもない。それを知っているソラが本気で言うわけがなかった。
「だよなー……でもなら何故<<千里眼>>なんて使ってんだ? あれ、確か魔眼の一種だろ? お前が使えても不思議はないけど、使ってるの見たこと無いし」
「ああ、まぁ……ほら、なんだかんだ一週間滞在が伸びちまってるだろ? で、学園の方で何か問題は起きてないかな、ってな」
ソラの問いかけに対して、カイトは当たり障りのない嘘を言っておく。そして<<千里眼>>を使っていた事に嘘はない。カイトが使っていた力は厳密には<<千里眼>>ではないが、大別すれば<<千里眼>>にも含まれる。ただ見ていたものと理由に嘘があるだけだ。
そしてカイトも魔眼を使っている関係でソラを真正面から見る必要がない。結果、ソラもカイトの顔を見れなかった事で嘘と判断は出来なかった。何より、こいつならそのぐらいはやっていそうだ、という考えもある。嘘と思う事がなかった。
「にしても、魔眼ねぇ……使い勝手どんなのなんだ?」
「ん、まぁ、いくつかの魔眼は使えるが……やっぱり慣れてない間は変な感覚があったな。実際に見えている物と見える物が違うんだ。そう言えば由利も一つは魔眼使えるんじゃないのか?」
「へ?」
カイトの指摘にソラが目を丸くする。実のところ、魔眼だからと言ってもそう特殊な物や難易度の高い物ばかりではない。例えばカイトが今使っていた<<千里眼>>は精度や距離を求めなければ簡単な部類に位置する魔眼で、ソラでも習得可能だった。
「標的を拡大して見る望遠鏡の様な力を持つ<<遠視>>、はるか彼方の映像を見る<<千里眼>>、複数の標的を狙い撃つ際にいくつもの処理を可能とする<<多重照準>>……こういった魔眼は後天的に手に入れられる物で、弓兵であれば一つは欲しい物でもある」
「はー……」
魔眼と一言で言ってもそんないくつもの種類があるのか。ソラは感心した様に口を開ながら何度となく頷いていた。名前を聞くだけでも、直感的に弓兵には便利そうな魔眼ばかりだ。
実際、これは弓兵だけでなく遠距離からの狙撃を成し遂げる魔術師も習得している者は少なくない。それほど便利なものだった。とはいえ、魔眼を習得するのがそんな遠距離攻撃系の者たちだけかというと、決してそうでもない。
「なぁ、俺達みたいなのが使う魔眼ってのもあるのか?」
「あるな。まぁ、小細工になるからあまり多用はされないが……そうだなぁ……」
カイトはソラの問いかけに一度自分が覚えようとしたり、または覚えている魔眼の種類を思い出す。魔眼は近接戦闘になると兆候を見破られやすい――今回の彼の様に身体的な変化が出やすい――ので多用はしないが、冒険者である以上は技術を持っていて損なことは何ひとつない。なのでカイトも今後のソラの成長の取っ掛かりとなれば、と思って少しだけ語る事にした。
「まずは、<<拘束の魔眼>>。これは読んで字の如く、敵の動きを拘束する魔眼だな。慣れれば、というかこの系統を強くして更に上位の魔眼にたどり着けば、例えば魔術などの概念に属する物も停止させる事が出来る」
「魔術までかよ。使えりゃチート過ぎないか?」
「実際はそこまで便利なもんじゃない。魔力に抗う力……抗魔力次第じゃ普通に逃れられる。後はああ、カリンが持つ魔眼も系統としては近接の戦士が覚えて損のない魔眼だな」
「あれ、先天性じゃなかったか?」
「あの領域まで行けば、という話で似た力は後天的にも得られる」
ソラの問いかけにカイトは一応の所を明言しておく。あれは<<透視眼>>、もしくは<<透視の魔眼>>と呼ばれる力だが、障害物の先を見通す程度の力なら普通に後天的に手に入れる事は可能だ。
この場合は先天性か後天性か、という部分はその力がどこまで発揮されるか、という程度にしかならない。先天性ならカリンの様に隠された『何か』を見つける事が出来るほどに到達出来る可能性があるし、後天性なら本当に物理的な障害を見通す程度だ。
「ま、そんなわけでこんな感じになるわけだ」
「へー……習得ってやっぱ難しいのか?」
「そりゃな。簡単じゃない……が、今は流石に良いだろ。風呂場で話す内容でもなし」
ソラの問いかけに答えたカイトであるが、そこまで語っておいて面倒そうに酒を呷る。そもそもここには湯治で来ているのだ。なのにせっかくの湯治をこんな仕事の話に費やす必要性はなかった。
「あー……職業病かな?」
「あっはははは。随分とこっちに染まってきたな……ほらよ」
「おう、サンキュ」
ソラはカイトから差し出された徳利を受け取って、手酌でおちょこへと注いで一杯呷る。
「ぷはっ! 染みるなぁ……」
「ん?」
「なんだよ?」
「いや、お前よく酒飲むとおっさん臭く声上げてんじゃん」
「あー……ほら、前ん時あんなことあったから気をつけた」
カイトの問いかけにソラは少し照れくさそうに酒とも湯ともまた別の要因で頬を染める。彼自身もおっさん臭いとは思わなくもないらしいが、つい出てしまうのだから仕方がない。
「いや、別に気にせんでも。多分、久秀の事だ。んなことが無くてもなんだかんだ理由を付けてここで接触してただろうぜ」
「んなもんかな?」
「多分な。策略家ってのはそんなもんだ。自分達の策略を成就させる為に機を逃さない。それが、一番重要な事なんだよ」
「そりゃ、わかるけどな……」
ソラはカイトから徳利を再度受け取ると、今度はちびちびとおちょこから酒を飲む。カイトの話は確かにソラも指揮官として学んでいる以上、わかった話だ。が、やはり本当に理解出来ているか、そしてそれを実践出来るか、と言われると困る所も多かった。特に何より、機を逃さないというのが難しい。
「難しいよな、戦術ってのも」
「そりゃそうだ。チャンスってのは突発で出て来るもんだ。が、それが本当にチャンスかどうかの見極めが重要……もうそうなると本能の領域にまでなる事も多い。ほら、言うだろ? 本能的に攻め時がわかる武将が居るって」
「お前みたいな?」
「そ。オレみたいな。あんなのとっさに判断してらんねーよ。本能的にここが攻め時だと思ったから攻める。それに過ぎん」
どこか茶化す様なソラの問いかけに対して、カイトはそれを認めるしか出来なかった。咄嗟に、と言えば聞こえが悪いが実際に咄嗟の判断なぞ思考をいくら高速化した所で限度がある。なので本能や直感に従う事は多かったし、それで良いと言う理由もわかっている。
「本能的に、って言うと言い方が悪いが実際には経験から来る直感だ。本能的に答えを理解してる、ってだけに過ぎん……結局は経験を積むしかないな」
「だな……にしても、やっぱすげぇな」
「何がだ?」
「月だよ、月」
カイトの問いかけにソラは天窓から見える月の姿を改めてじっと見つめていた。それに、カイトもまた月を見る。が、彼が見るのは酒の入ったおちょこの水面に映る月の影だ。
「……良い月だ。双子の月。エネフィア特有の月だな」
「これ見てると、やっぱここが異世界なんだなー、って何時も思うよ」
「あっははは。そりゃ、結構。ここを占有してる甲斐がある、ってもんだ」
どこか感慨深げなソラに対して、カイトは水面の月を飲み干すが如く一口で酒を飲み干して、再度注ぎながらそう告げる。それに、ソラが首を傾げた。
「ん? 何か理由あんの?」
「何か、つってもまずここは女湯との境目だ。あっちの奴と話すには丁度良い……それに……」
『なんじゃー?』
「こういうのもちょっとは乙なもんだ」
「うん?」
仕切りの先から唐突に声を返してきたティナに、ソラが再度首を傾げる。
「たまには、ちょっと風流にバカップルやってるのも悪くないもんだ」
「???」
『なんじゃ、教えとらんのか』
少しいたずらっぽく笑うカイトに困惑するソラの気配を感じ取って、ソラが何がなんだか理解していない事をティナが理解する。実はもう一つ、ここにカイトが居る理由があった。
「お前もどうせ桜達に教えてないだろー?」
『まぁの……たまにはこういうのも有りじゃ。そういう事なので余もあまり人のことは言えぬか』
クスクスクスとティナもまたカイトと同じ様にいたずらっぽい顔で笑う。実はこれはクズハ達なら知っていたのであるが、彼女らもまた黙っていた。そしてそれ故、カイトも敢えて語らない事にした。
「うん……良いもんだ」
『うむ。恋人同士の密かな愛の営みという感が出る』
「???」
何に同意しあっているのか理解出来ぬソラを横目に、カイトとティナはしみじみと酒を飲む。そうして、結局ソラは実はこの湯が別名『恋人の湯』と呼ばれている理由を把握せぬまま、そして同じく実はカイトとティナが仕切りの最下部、わずかに色の付いた湯で見えない事を良い事に手をつなぎ合っていた事に気付かぬまま、最後の入浴は終わる事になるのだった。
お読み頂きありがとうございました。最後の最後でバカップル。
次回予告:第1284話『領主のお仕事』




