第1264話 果心居士
「果心居士?」
桜は弥生の出した単語に首をかしげる。いや、彼女だ。知らないが故に傾げたわけではない。果心居士と言えば戦国時代を取り扱うサブカルチャーでは必ずと言って良い程出る名だろう。が、そう言う話ではない。
「彼女を会わせてはならない? どう言う事ですか?」
桜は弥生へと問い掛ける。疑問は、ここだ。別に織田信長と果心居士が知り合いであっても不思議はない。知られている話だ。
女であった事はびっくりだが、所詮は伝説上の人物にも等しいのだ。そこも良い。が、何故カイトに会わせてはいけないのか。これが理解できなかった。そんな桜の疑問に弥生は遠くを思い出す様に、過去の己の記憶を取り出して答えた。
「果心居士……織田信長がその奇術を絶賛しながらも仕官をさせなかった幻術師。これについては別に桜ちゃんに語るまでも無いわね。それでここで一つ知っておいて欲しいのだけど。織田信長はある寺に寄宿していたペテン師に対して、苛烈とも言える対処をしているの」
「無辺の話ですね?」
「ああ、知っているのね」
桜の言葉に弥生はなら話は早いと頷いた。昔、信長の治める地に無辺というペテン師紛いの僧侶が居たらしい。彼はあるお寺に寄宿していたそうだが、そこでペテン紛いの事をしていたそうだ。
そこにその無辺という僧侶の噂を聞きつけた信長が興味を持ち、少しのやり取りの後に彼がペテン師である事を明らかにした、というエピソードである。その後、無辺は一度は恥辱を与えられた上で釈放されたものの、更に明るみに出たペテンの数々を憂慮され処刑されたのであった。そしてその話と共に、信長は不正を許さぬ性格である、と言われていた。
「だったら、話が早いわ。彼女は本物の幻術師、いえ、私達風に言えば魔術師と言って良いの」
確かに、弥生の言う事は桜にも理解出来た。不正を許さない性格の信長が果心居士を絶賛した。つまりこの二つを重ね合わせると、果心居士はペテン師ではなく凄腕の奇術師か本物の魔術師の何方かだったという事なのだろう。
そして彼女らが居るのはある意味では剣と魔法の世界だ。そして地球にも異族が居る事はすでに判明している。であれば、時の権力者に対して本物の魔術師が仕官を求めても不思議はなかった。そして現に信長その人も奇術師を雇った記憶は無いと本能寺で言及している。存在を知ってもいたと見て良い。
「ですが、仕官は認められなかった」
「そうね。それはそう……そもそも、仕官を求めたというのは織田信長に接触する為の言い訳だったに過ぎないのだから、当然といえば当然なのだけれど……」
弥生は己の前世の記憶を頼りに、当時の事を思い出す。ここらは当時を生きた者でなければわからない事が沢山ある。桜も知らなくても不思議はない。そして弥生とてその記憶があるからこそ分かるというだけだ。
「接触する為の言い訳?」
「ええ。彼女はそもそも仕官するつもりなんて一切無かったのよ。ただ、公的には仕官を求めたという理由で訪ねてきただけで。まぁ、その嘘を通せるのも、通せる立場だったからという話があるのだけど」
「……スパイか暗殺者だった、というのでは無いのですよね?」
少なくとも今の話からは、果心居士がカイトの敵とは思いにくい。そしてだからこそ、会わせてはならないという事に繋がる。カイトの敵であってはならないからこそ、カイトに会わせてはならないのだ。
昔から敵であればそもそも迷いも無くカイトも斬れる。久秀と一緒だ。まともには斬れない相手だからこそ、そして精神にダメージを与えてくるからこそ、会わせてはならないのである。つまり、彼女は元来は久秀と同じく此方側だったということである。
「そうね。彼女なら、それも出来たわけだけど……」
くすり、と弥生は笑う。彼女の事は良く知っている。そしてカイトも良く知っている。信頼していたと断言出来た。だからこそ、暗殺は可能な立場だった。もちろん、彼の身体の特殊性からそれが出来ないとしても、だ。
『何故、貴方は……』
大昔にただ一度だけ果心居士に罵られた事を、弥生は思い出す。その言葉は今でも忘れられない。そこに乗せられた無念の感情を、彼女も生涯忘れなかった。
そしてだから、その果心居士に対して弥生も覚悟を示した。その彼女の覚悟がどういう風な形を表わしているのかは、わからない。わからないが、少なくとも彼女があそこに居る事はその覚悟の現れだと思っていた。だから、弥生は果心居士の本当の名を明らかにした。
「生駒殿。それが、彼女の名よ」
「……は?」
生駒殿。戦国時代の女性だ。それはおそらく何人もの同名の女性が居ただろうが、帰蝶であった彼女が言う場合は一人しか指し示さないだろう。そうして思わず絶句と困惑を露わにした桜に対して、弥生は更に明言した。
「正解よ。その、生駒殿よ」
『何故、貴方はあそこで死ななかったのです』
弥生の耳に、もう一度果心居士改め生駒が投げかけた非難が聞こえてきた。それは同じ男を真逆の方向から支え、同じ様に愛したからこその言葉だった。そしてだからこそ、だろう。彼女の奥底で眠る帰蝶が、弥生に涙を流させる。
「……彼女だけは、今のカイトに会わせては駄目よ。彼女はおそらく、何かの覚悟と共にあそこに居る」
わかる。わかってしまうのだ。弥生はかつて帰蝶であったからこそ、そして死んでも変わらない物があると信じられるからこそ、彼女はあそこに居るのだと。
そしてだからこそ、弥生は今は会わせてはならないと判断した。果心居士は相当な覚悟と共に、敵地に潜んでいる。その理由はわからない。もしかしたら、彼女を蘇らせた道化師達にもわかっていないかもしれない。そしてそれ故、余人である桜にはわからなくても仕方がなかった。
「ですが、何故?」
「……カイトが動くからよ」
「あ……」
言われてみれば、当然の話だ。カイトは自分の女が危地にあるのを良しとはしない。そして生まれ変わった程度で見捨てる様な人物ではない。
であれば、答えは見えている。彼女に何の事情があろうと、カイトは生駒を連れ帰るだろう。その時の彼を止められる者は誰も居ない。が、同じ女だからこそ、それはさせないと弥生は決めたのだ。
「彼女は、此方側の存在よ。何故、彼女があちらに与しているかは私にはわからない。彼女にしかわからない事は多いでしょう。だけど、彼女は裏切らない事だけは分かっている」
自分に覚悟を示せ、と言ったのだ。そして彼女らは生まれ変わったわけではない。甦ったにも等しい。であればこそ、その答えに迷いは無かった。
彼女はカイトを裏切らない。それが、明確な答えなのである。そしてそんな弥生の信頼を見て、桜はそれが信じられる答えなのだと理解する。そしてしたが故の、問いかけだ。
「彼女は何を考えているのでしょうか」
「それはわからないわ。少なくとも敵の情報を手に入れる、とかではないと思うのだけど……でもまぁ、彼女は当分は語らないわね。ああいう女よ、あいつは」
「……厄介ですね」
桜は僅かな呆れとも苦味とも取れる複雑な顔でそう明言する。厄介な事この上ない。ただでさえ三百年も昔からの敵に加え、この上に過去に散った者達の再来だ。おそらく、自分達も関わらざるを得ない。桜にはその未来が見通せていた。そしてそれは、弥生も同じだった。
「……そうね」
弥生は月夜を見つめる。この星のどこかに、生駒もまた居るのだろう。何が彼女の思惑なのかはわからない。わからないが、少なくとも信じている。だから、思うのは一つだけだ。
「……無事に、帰ってきなさい。私は、こうして生まれ変わった。貴方が甦ったとしても、彼はそれを受け入れてくれるわ」
小さく、弥生はどこかへ消えた生駒へと告げる。その言葉が風にのって生駒へと届けられたのかは、誰にもわからない事だった。
そんな弥生と桜の一方。カイトはというと、静かに武蔵と共に酒を飲んでいた。が、その彼らの前には影が浮かび上がり、どこかへと繋がっていた。
「……すまん、姉貴」
『まさか、その様な事になっておったとはな』
影の先、紅に近い黒髪を持つ美女がため息を吐いた。彼女こそカイトの地球時代の師にして、近接戦闘の技量なら地球一だろうと言われる『影の国』の女王スカサハだった。女王スカサハ。彼女は近接戦闘に長けていながら、カイト自身がかつて武蔵達に明言した様に魔術師でもあった。
実は彼女は異世界転移術を行使出来る程の魔術師でもあり、その彼女から教わった――カイト達の消失後に地球で開発したらしい――魔術でカイトは恥を忍んで地球に連絡を取っていたのである。とはいえ、それだけの事態ではあった。
『柳生の開祖達か……ぜひとも生かして捕らえよ。儂が相手をしてやろう』
「楽しそうっすねー」
相も変わらずといえば相も変わらずなスカサハにカイトはため息を吐いて肩を竦める。彼女は言ってみれば極度のバトルジャンキーに近い。弟子を育てるのも何時か自分に比する存在を、という話らしい。
とまぁ、そんなバトルジャンキーな自分の師に頼んでいたのは、もう一人の自分の師への接触だった。そうして、そんな会話をしてしばらく。日本のとある所にスカサハがたどり着いて、一人の男性が映り込む。言うまでもなく、カイトのもう一人の地球側の師である信綱である。
『……カイトか。どうした?』
端正な顔に僅かな訝しみを浮かべる信綱はスカサハの来訪を受け事情――カイトが話をしたいという事――を聞くと、二つ返事で了承を示してくれたらしい。それに、カイトは平伏して師の顔を見た。
「お久しぶりです、信綱公。此度は恥を忍んで、この様な形を取らせて頂きました」
『ふむ……確かに貴様の性質であれば、この様な形で連絡を取る事はよほどの事態でなければありえんか』
「申し訳ありません。そのよほどが起きたのです」
信綱の言葉にカイトも応じ、再度頭を下げる。信綱は全ての剣士が敬うに値する剣聖だ。故にカイトも、そして横の武蔵も平伏して最上位の扱いを行っていた。その扱いは八咫烏以上だったと言って過言ではない。そうして、カイトは話の前に武蔵を紹介する事にする。
「その前に……信綱公にご紹介したい方が」
『見覚えがある顔だ』
「ありがとうございます……信綱公。新免武蔵、と言えば思い出して頂けますでしょうか」
武蔵は平伏して、宮本武蔵という名ではなく当時名乗っていた新免武蔵の名で名乗り出る。流石に転生等の影響で顔貌は若干変貌している。なので見覚えがある、という程度だったのである
『ああ、貴様が……一度、我が地へと来たのだったか』
「その節はご無礼を働いた挙げ句に無様を晒し、伏して謝罪を申し上げます」
信綱の言葉に武蔵は再度深々と頭を下げる。武蔵自身も明言していたが、一度だけ信綱の事を見た事があった。その際、武蔵は鍛錬する信綱の姿を見て己のあまりの未熟さに恥じ入り、声を掛ける事もなくその場を去ったそうだ。こんな程度の自分で彼の前に立とうとしたのが烏滸がましい、と思ったとの事である。
なお、その前に信綱が武蔵の気配に気付いて、鍛錬の時間故に少し待て、と会話とも呼べない僅かな会話があったそうである。故に信綱も覚えていたそうだ。少なくとも、あの時点で一端の武芸者とは思われていたらしい。
『別に気にしてはいない……それで、まさかもう一人の師を紹介したいという程度で貴様が連絡を取ったわけではあるまい』
「はい……信綱公におかれましては信じられぬ事かもしれませぬが、どうしてもお耳に入れねばならない事が出来たのです」
カイトは再度信綱に伏して、今回彼が出会った者達についてを語り始める。
『……宗矩と石舟斎の二人が甦った?』
流石にこの事は信綱をして、俄には信じられない出来事だった。いや、普通は死者が蘇るなぞと信じられる話ではないだろう。が、それが事実なのだ、と彼には理解出来た。
『が……それほどではないと貴様が連絡を取ってくる事も無いか』
「はい……俄には私も信じられぬ事ではありましたが、事実として、彼は完璧なまでに新陰流を使いこなしておりました。そしてあの風格……紛うことなく石舟斎殿に相違ありません」
「儂も、かつて同じ幕臣として何度か顔をあわせた宗矩殿である事を明言致します」
『ふむ……』
流石にこれには信綱も眉をひそめる。この二人が言うのだ。おそらくこの二人は本物だ。が、だからこそ対処には苦慮するしかなかった。戦士としては一流。いや、超一流だ。そして肉体が人間というある意味脆弱な肉体を離れ、何らかの異端へとたどり着いている。
下手をしなくても確実に化物と言っても過言ではない状態だろう。とはいえ、信綱にとっては弟子である。そしてカイトにとっても兄弟子だ。対応に苦慮せねばならない相手ではあった。
『……どうするのが得策か……』
「「……」」
カイトと武蔵は信綱の裁可を待つ。流石に武芸者の頂点と言われる男の弟子だ。彼の威名がある限り、弟弟子であるカイトであれども安易な手出しは出来ない相手だった。そしてエネフィア側はカイトの名がある以上、安易に手出しが出来ない。と、そんな所にスカサハが口を開いた。
『なんであれば、儂が手を出そうか? 別に儂はそこらの話は興味が無いからのう』
『ふむ……何時かは、手を借りる事になるかもしれんか。すまんが、同じ者を弟子にしたよしみとして頼まれてもらいたい』
『構わん構わん。儂としてもそれほどの剣豪とは一度戦ってみたい。多少の手間賃ぐらいは支払おう』
信綱の依頼をスカサハが快諾する。そしてそれは一つの事を示していた。
『すまんが、捕らえて共に連れ帰ってくれ。事情はどうあれ、そして一度は死したとはいえ、我が弟子である事には変わりない。そして貴様にしてみても師の説得も無く兄弟子を斬る事は外聞もあり憚られる事だろう。一度は俺が説教をせねばならん』
「かしこまりました。ありがとうございます」
カイトは信綱の己への気遣いに感謝を示すと共に、信綱の命令を受諾する。そうして、そこに応諾が出来て後、信綱は武蔵へと依頼する。
『新免殿。貴殿にも同じ事を願い出たい』
「いや……実は少々の想いあり、儂からも同じ事を申し出させて頂きたかった所存です」
『ふむ……?』
「宗矩殿の件、儂にまかせては下さいませんか」
武蔵は訝しむ信綱に向けて、そう願い出る。彼も宗矩との出会いにより、色々と思う所があったらしい。そしてそんな武蔵の申し出に、信綱が少し考えて頷いた。
『……承った。宗矩の件は貴殿にお任せする』
「かたじけない」
『いや、謝罪するのはこちらの方だ。世話を掛ける』
武蔵の感謝に信綱が苦笑混じりの微笑――謝罪する側が感謝されたので――を浮かべて首を振る。そうして、カイトと武蔵は各々が因縁のある剣士との間での対処を決めて、それに向けて動き出す事にするのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第1265話『湯治』




