第1242話 世界を巡り
少しだけ、時と場所は変わる。それはカイト達が湖底に沈んだ遺跡の調査に乗り出していた頃の話だ。幸か不幸か武闘大会にてカイトの魔の手から逃れていた盗賊の男はというと、エネシア大陸各地を巡って行動を起こしていた。
「ぐぎゃっ!」
そんな彼の目の前で、一人の男が斬り殺される。殺したのは勿論、彼が先生と呼ぶ剣士だ。やはりあの剣士の腕前は相当な物で、抜き放つや否や敵の命を奪い取っていた。
「……南無八幡大菩薩」
剣士は己が殺した一人の戦士に対して、軽く黙祷して頭を下げる。どうやら今回戦いを挑んでいたのは、カイトと共闘した老剣士の方の様子だ。
辻斬りじみた事をあの後も続けていた彼というか彼らであるが、二人は暗殺や辻斬りの様な事はせず、必ず真正面から斬り伏せていた。ある意味ここまで正々堂々とした辻斬りは居ないだろう程だ。斬られた側さえ同じ戦士である以上は恨みを抱けぬ程の正々堂々っぷりだった。
とは言え、それはこの剣士だけで、盗賊の方はさほど感慨は無さそうだった。故に盗賊の方はというと、手早く遺体を回収してそそくさと撤収の用意を整えていた。
「良し……先生。これで問題はねぇ」
「そうか」
もう少し死者に対する慈しみと言うか思いやりは無いものか、と剣士がフードの内側で僅かに顔を顰める。とは言え、そんな事は口が裂けても言えるはずもない。そもそも殺したのは彼だからだ。というわけで、内心のしかめっ面をフードで隠した彼は若干辟易した様子で盗賊へと問いかけた。
「それで? これで後何人じゃ?」
「いや、これで数は集まってる。後は、例のアレを盗み出すだけだ」
剣士の問いかけに盗賊は笑いながら首を振る。どうやら、少し先にカイト達が推測した通り武芸者を狩っていたのは彼らだったのだろう。
「そうか。であれば、もう良いか」
「ああ。これで後は中津国へ行くだけだ……えっと、この後に最適な日程と場所は……」
剣士の言葉に盗賊もまた頷いた。必要な素材は集まった。後は頃合いを見て実際に事を起こすだけだった。と、そんな所に『道化の死魔将』が現れた。
「剣士殿。お久しぶりです」
「御身か。迎えか?」
「はい」
剣士の問いかけに道化師が相も変わらずの笑顔で頷いた。基本的に剣士は道化師から貸与に近い形に盗賊に協力していると言って良い。故に仕事が終われば、この通り彼がやってきて回収していくのである。と、そんな会話に手帳を見ながら次に為すべき事を考えていた盗賊が気付いた。
「ああ、あんたか」
「お久しぶりです……お仕事は終わりましたか?」
「ああ。これで全部終わった……で、一応スポンサー様だから聞いておくんだけどよ。俺はあの古文書に書かれている物を手に入れて、あんたらはその途中で必要な物を手に入れる、って事で良いんだよな?」
やはり実際に事を起こす段階が近づいてきたからなのだろう。盗賊の顔には警戒感が滲んでいた。それに、道化師は笑顔で頷いた。
「勿論です。我々には奥にあるという榊原家の秘宝について興味はありません。貴方が行動を起こされる最中で手に入るある物が欲しいだけです」
「……なら、良いんだよ」
道化師の顔に嘘の色が無いのを見た盗賊が破顔して、一つ頷いた。やはり盗賊とて何かを狙っているが故に、このような事を仕出かしていたのだ。その目的が邪魔されるのであれば彼らとは手を切るだろう。
そして彼とて盗賊。嘘を吐き人を騙し、人の利益を盗んで生きる者達だ。嘘を見抜く事にかけては彼にも一家言存在していた。故に道化師の言葉が嘘ではないと理解したようだ。
そして道化師の言葉には、嘘は無かった。別に彼らも盗賊が狙うという榊原家の秘宝については一切の興味は無かった。『ある物』という何かが得られるからこそ、この盗賊に協力していたのである。
「ありがとうございます。ああ、そうだ。それで、次のについては?」
「あっと……えっと……」
盗賊は再びメモ帳を取り出して、幾つもの内容を確認していく。そうして、答えはしばらくして出た。
「大体一週間後ぐらいには、出来るな」
盗賊はメモ帳を見ながら、とりあえず可能となりそうな日程に言及する。これで遺体が全て揃ったとは言え、その他に色々と用意が必要な事は必要なのだ。勿論それについては道化師が協力してくれているとは言え、色々と必要な頃合いと言うものが存在している。であれば、こうなったらしい。と、それに対して道化師が嘆きを滲ませた。
「ああ……これは申し訳ない。実はこちらの方がその頃合いでは問題がありまして……」
「そうなのか?」
「ええ……少し我々にも別の案件がございまして。どうしても、その頃では具合が悪い」
「そうか……」
なら、仕方がないか。盗賊は顎に手を当てて再び最適な日程を考え始める。勿論、いざとなれば一人でやるつもりである彼であるが、それが難しい事は彼も承知の上である。
そもそも中津国への移動等にはこの道化師の協力を借りるつもりだし、その他遺体の保管等にも力を借りている。他にもまだ色々と彼らというか剣士二人の協力が欲しい事もある。利益が共有出来るのであれば、協力してもらいたい所であった。
「そうですね……確か剣士様は来月検査がございましたか」
「む?」
そんな話は聞いていなかったのだが。剣士はフードの内側で僅かに目を瞬かせる。とは言え、メモ帳を見ていた盗賊はそれに気づかなかった。
「ん? そうなのか?」
「ええ……少々剣士様は今、万全の状態ではありません」
「は?」
道化師からの言葉に盗賊が思わず目を見開いた。それで、あれだけの実力だ。驚くのも無理はない。故に彼は剣士を見たが、それに剣士はこちらは疑問を挟む余地も無かったので頷いた。
「うむ……どうにもまだ半分程度しか力は出せぬでな。申し訳ない」
「い、いえ……それなのにあれだけの戦いが出来る事がただただ凄いかと……」
剣士の明言に盗賊は頬を盛大に引き攣らせながらもとりあえずはそう賞賛を述べておく。そしてこの言葉故、彼は道化師の言葉に混じっていた嘘に気づかなかった。というわけで、彼はそれに気づかれる前に、さっさと話を終わらせるべく動く事にした。
「とまぁ、そういうわけですので……剣士様を貸し出すというのは少々、無理が」
「……まぁ、次が一番苦労する事になるか……」
盗賊は道化師の言葉を聞いて、僅かに思考を行う。次が最後となるというのは、先程までの彼の会話を聞いていれば分かる話だ。であればこそ、ここは一つ万全を期してもらう方が自分にとっても都合が良いと判断した様だ。彼は一つ頷いて、道化師の申し出に了承を示す事にした。
「そうか。なら、仕方がねぇ……えっと、ちょいと待ってくれ。その次の日程を探ってみる」
盗賊はそう言うと、再びメモ帳を頼りに何かの計算を行っていく。と、そんな盗賊に対して、道化師が笑いながら告げた。
「再来月の中頃……この日程なぞどうですか?」
「ん? その日は……」
盗賊は道化師より提示された日程を見て、頭を働かせる。道化師はスポンサー。一部であるが、情報は彼らにも教えている。特に支援を貰う必要があるので日にちを計算する為の情報は教えており、道化師が提案しても不思議はなかった。
「まぁ、ドンピシャはドンピシャだけどよ……ちょいとゆっくり過ぎないか?」
「いえ、剣士様も検査の後は少しリハビリが必要でしょう。それで一月設けまして」
「ああ、そりゃそうか。リハビリは必要か……」
そこは盲点だった。盗賊はしきりに頷いて剣士の調子の事を考慮に入れていなかった事を思い出した。そしてそんな受諾にも近い頷きを見て、道化師が更に告げる。
「ええ。まぁ、その間此方の都合でおまたせするのですから、中津国へ行って温泉にでも入ってゆっくりしていて下さいな。今まで駆け足でやっていらっしゃるのですから、今後を考えて貴方も少し骨を休めるのも必要でしょう。こちらはその代金という所ですか」
「……それはそうか。じゃあ、有難く受け取っておくぜ」
盗賊は道化師から差し出された偽造のパスポートの様な物とわずかばかりの金銭を有難く受け取っておく。折角骨を休める時間が手に入ったのだ。この後に待つのが一番むずかしい案件だとわかっているのであれば、一度英気を養うのも重要だと判断したのである。
「では、我々は病院の方がありますのでこれにて」
「ああ……じゃあ、この日程に合わせてまた来てくれ」
「かしこまりました。では、剣士様」
道化師はそう言うと、どこかへと続く『転移門』を創り出して剣士を招き入れる。そうして、両者が別れた後。剣士が問いかけた。
「……何故わざわざ嘘を言ってまで日程を変えさせた?」
「ああ、それですか」
「そりゃぁ、簡単だ」
道化師に変わって、二人を出迎えた人物が笑いながら解説をする。と、その声に剣士が振り向くと、そこに居たのはなんとこの数ヶ月後に与四郎と名乗った男が立っていた。そうして、剣士もフードを下ろした。やはり此方も数ヶ月後にカイトへと新介と名乗った老剣士だった。
「おお、これは殿。わざわざの出迎え、かたじけない」
「あっはははは。だから殿じゃねぇって……ま、そりゃ良い」
与四郎は笑いながら頭を下げた新介の言葉に首を振る。そうして、彼はその理由を語り始めた。
「ちょいとまだ巴ちゃんの調子が良くなくてなぁ」
「ふむ……御前様が……かの僧兵は如何に?」
「まぁ、半分って所か。道化師さん。巴ちゃんはまだ仕上がってないんだったな?」
「ええ。何分彼女だけは特例や特殊な状況と言っても過言ではありません。故に、まだしばらくは時間が必要でしょう」
「って、わけさ」
道化師の明言に与四郎が日程をわざわざ操らせた理由を語る。とは言え、それだけではなかった。
「それに……御大将がその近辺であっちに向かうのさ」
「それは……」
与四郎から告げられた言葉に、新介の顔が楽しげに歪む。それに、与四郎もまた顔を歪めた。
「楽しいじゃねぇのよ。そっちの方が。御大将にゃ、ぜひとも俺が挨拶しないとならねぇしな」
「かかか。相変わらず殿はそういう趣向がお好きな様じゃのう」
「生きていく上で楽しい、ってのは重要だぜ? 侘び寂びも良いが、時にはド派手に行かねぇと生きている上で張り合いがねぇさ。侘び寂びを説いた俺の兄弟弟子だって、若い頃は随分と暴れまわったもんさ」
与四郎は楽しげに新介に対して己の思惑を語る。カイト達が関わるのを見越しての対処だったらしい。
「さぁ、御大将。久しぶりに遊ぼうじゃねぇの。なぁに、あんま犠牲は出さねぇよ。出しすぎるとあんたブチギレちまうもんな」
与四郎は楽しげに、まだ見ぬカイトとの出会いを待ちわびる。その顔は楽しげであり、そして嬉しげであり、どこか懐かしさが滲んだものだった。
「俺の正体に御大将は気付いてくれるかねぇ……」
与四郎はそう言うと、身を翻す。そうして、それから一ヶ月と少し。彼らは自分たちが表舞台に立つその時まで、今しばらくの埋伏の時を過ごす事になるのだった。
お読み頂きありがとうございました。そろそろ与四郎達の正体に気付いた人、居るかもしれませんね。
次回予告:第1243話『男二人と小さな相棒』




