第1237話 強敵と好敵手と
『夢幻洞』の奥深く。地下五十階に居た奇妙な勇者カイトとの交戦の果て。圧倒的なまでの実力差によって敗北を喫した瞬の意識は暗転する。が、そうしてそんな彼の目を覚まさせたのは、彼がここに入る前に浴びた冷水だった。
「っ~~~~~~!?」
冷水は本当によく冷えた水だった。それ故、瞬は思わず跳ね起きる。と、そうして跳ね起きた彼に向けて、この『夢幻洞』の入り口の左右に控えていた榊原家の家人の一人が笑って声を掛ける。
「目ぇ覚めたか?」
「あ、ああ……ん?」
家人の言葉に頷きながら、瞬は腹に違和感を感じる。確かにあの『勇者』カイトから問答無用の一撃を貰ったはずだったのだが、それ以外の細かな傷も含めて全て完治していたのである。
そして更に、疲労感も完全に雲散霧消している。一切、どんな残滓も残っていない。それはまるで、この中での交戦が全て夢幻の如くでさえあった。と、そんな不可思議な表情を浮かべる瞬に向けて家人が手ぬぐいを差し出しながら問いかけた。
「狐につままれた様な顔をしてるな。新人さんかい?」
「え、あ、ああ……今日初めて潜った」
「そうか。なら、そういうもんなんだ、この『夢幻洞』は。脱出した奴の持ち物はそのままだから、きちんと夢でも幻でも無いんだろうけどな」
家人は笑いながら、瞬へとそう説明してくれた。と、そんな説明を受けた瞬は試しに『夢幻洞』の中で使っていた小袋を開いてみる。
そこには幾つかの道具がまだそのまま入っていて、元々彼が持っていってしまった道具と一緒に乱雑にしまわれていた。なお、残っていたと言っても所詮回復薬等の取るに足らない物だ。武器類等の高価な品物は全て没収されていた。敗北者への罰則という事なのだろう。
とは言え、ここがもっと厳しい迷宮であれば本来はあれで死だ。生命があっただけ物種というものだろう。あれだけの修行も出来た。金銭には換えられない経験を得られた事を考えれば、魔法銀製の剣等取るに足らない物だと瞬には感じられた。と、そうしてあれが事実だったのか、となんとかそれを実感していた彼に対して、家人が問いかけた。
「で、新人さん。あんたは何階までたどり着けた?」
「ん? あ、これも残っていたのか……」
瞬は家人の言葉で己の右手の指に嵌っていた『啓示の指輪』に気付いた。どうやら、これも失われなかったらしい。が、地図は失われていた。どうやら、あれは逐一手に入れなおさねばならないらしい。そうして、瞬は一応確認の為に指輪を使ってみる。みると案の定、そこには『五十』の表示があった。
「五十階だ。そこのボスにあっけなくやられた」
「ほぅ……中々良い腕じゃないか。初心者でそこまでたどり着けた奴は早々居ない。ここ最近だと……」
「さっきの踏破者ぐらいじゃないか? さっき引き継ぎの奴ら、そんなこと言ってなかったか?」
「そんな所か。今日は豊作だな」
榊原家の家人達は笑いながら、瞬の腕を賞賛する。どうやら、それほど珍しいらしい。とは言え、突破は出来ていない。瞬もまた、百人の内の九十九人だった。
と、そんな彼らの前で再び、空間が裂けて人が吐き出される。まぁ、言う必要も無いかもしれないが、それはアル達だった。どうやらほぼほぼ全員が同時に敗北を喫したというわけなのだろう。
「リィル!」
地面に倒れて意識を失っているリィルへと瞬が即座に駆け寄った。と、そうして少し揺り動かすだけで彼女は目を覚ました。どうやら冷水をぶっかけなくても普通に目を覚ますのだろう。後に聞けばここに何時までも寝そべっていられても邪魔だし、面倒なので水をぶっかけて起こしている、との事だった。
「……瞬? ここは……」
やはり彼女も彼女で狐につままれた様な顔をして、周囲を見回す。まさに夢幻の如く。『夢幻洞』の名に恥じない摩訶不思議な状況の為、初めてになると負けが理解出来ても完全回復している己の状況から現状が上手く飲み込めないらしい。慣れるまでの辛抱との事だった。
「外だ。そちらも、負けたらしいな」
「あ……」
そう言えば、とリィルが何があったかを思い出す。そうして、瞬の手を借りて立ち上がった。なお、その間にアルとルーファウスも水をぶっかけられて目をさましていた。というわけで、アルが少し残念そうに呟いた。
「あー……負けたんだ」
「……その、ようだ。にしても……」
アルと同じく自分の状況から敗北した事を理解したルーファウスが首を傾げる。そうして彼は少し悔しげに呟いた。
「何故騎士団長閣下が……?」
「騎士団長?」
ルーファウスのつぶやきに瞬が首を傾げる。彼が戦った五十階のボスはかつてのカイトを模した幻だった。と、そんな瞬の疑問にルーファウスが首を傾げる。
「ん?」
「あ、ああ。いや、こっちはカイトだった」
「ふむ? 俺は教国で懇意にさせて頂いている騎士団長閣下だったのだが……アルフォンス、貴様は?」
ルーファウスは受け取った手ぬぐいで身体の各所を拭きながら、アルへと問いかける。それに、アルも訝しげに答えた。
「僕の方も、カイトだよ。と言っても彼と言って良いのかはわかんないんだけど……姉さんは?」
「ええ。こちらも、カイト殿でした」
「……俺だけ違うのか」
アルとリィルの言葉にルーファウスは自分だけ異なる事を理解する。と、その会話を聞いていた榊原家の家人が笑って教えてくれた。
「全員、五十階までたどり着いたのか。なら、教えてやろう。あそこの階層からは自分が強敵と思う人物の影が投影されて、ボスとして現れる。勿論、実力はそれ相応に落とされている場合が多数だ。それ故、ボスは決して一種類にはなり得ない」
「ああ、それで……」
四人はなるほど、と納得する。今までの階層でも何度かボスが分かれる事はあったが、それでもある程度の規則性と種類は定まっていた。故の疑問だった。
ルーファウスも確かにカイトは強者だと思っているが、その真の実力を知らないが故に自分が知っている騎士団長――勿論ルードヴィッヒとは別――の事を想像し、それがボスとして現れたわけだ。
それに対して瞬ら三人はカイトの正体を知っている。故にあそこにカイトが現れたという事なのだろう。もしこれがアリスであれば、あそこに現れたのがルーファウスの可能性もあった。そういうものなのだそうである。
「まぁ……流石に俺達も百階まで到達したわけじゃないから詳しい事は知らん。が、五十階以降でどういう風にボスが選ばれるかは誰にもわからないそうだ。例えば、俺とこいつならご当主が選ばれる事もあるし、カリン殿が選ばれる事もある。が、基本としては五十階だと近い奴が選ばれる事が多いらしい」
家人の言葉に瞬らはそれで自分達はカイトなのか、と理解する。まぁ、これは正しいのだが、瞬らの場合は実は偶然だった。
アルなら他にもルーファウスが選ばれた可能性がある――逆もまた然り――し、瞬なら彼が師と仰ぐクー・フーリンが出て来る可能性があった。とは言え、選択肢はあまり多くはないのだ。ボスが同じになっても不思議はなかった。
「なにはともあれ、五十階までの到達おめでとう。五十階まで到達出来たのなら、街の店でその指輪を見せればそこそこ割引してもらえる事も多いぞ。活用してみると良い」
「それにもう良い時間だしな。酒とか安く貰えるぞ」
榊原家の家人達は笑いながら初心者だという瞬達にこの街独自の風習を教えてくれる。どうやら、この指輪を見せれば階層に応じた割引をしてもらえるらしい。
なお、この時は誰も何も言わなかったが全踏破と言われる百階層踏破者は永久の無料チケットの様な物も貰える事になるらしい。この街がこの『夢幻洞』で栄えている為の特殊な措置というわけなのだろう。と、それはさておき。時間の事を言われて瞬らは各々が持つ時計に目を落とした。
「……もうこんな時間なのか」
気付けば、潜入を開始してから五時間近くが経過していた。とは言え、五十階で五時間だ。およそ11時に突入したので、現在時刻は16時を少し回った所と言える。
最終的に瞬達が到達出来ていた『夢幻洞』の難易度、所々で合流していた事を考えれば、妥当どころかかなり異常なペースと考えても良いだろう。
「おっと……また人が出て来るか。さ、そろそろ行ってくれ。そこに長々と居られちゃ邪魔になる。手ぬぐいの返却はあっち。風呂に入りたかったらそこで言え」
「あっと……ありがとうございました」
瞬は榊原家の家人達に礼を言うと、連れ立って歩き始める。疲労感は無いが、やはりそれでも戦いの後だ。これから動く気にはならなかった。そうして手ぬぐいを榊原家の指定された場所で返すと、与えられたエリアに戻る事にする。
と、そうして一度各自で別れて室内着に着替えて冒険部上層部に与えられた場所へ行くと、既にソラ達が集まって色々と話していた。どうやらカイトは結局入らなかったらしく、普通にそこで座っていた。
「ん? っと、先輩。そっちも終わりっすか?」
「ああ。まぁな……五十階まではたどり着けたが……そこが限度だった」
瞬はソラの問いかけに答えながら、彼に勧められた席に腰掛ける。そうして腰掛けた瞬へとソラが問いかける。
「五十……やっぱやばかったっすか?」
「ああ……そこまでたどり着くにもボロボロになるほどだった。と言うより、あれは幸運にもたどり着けただけだな」
「それはそうだろうな。あの階層付近になると雑魚が雑魚と言えない様な領域だ。一瞬の油断が死に繋がりかねん」
隠すこと無く正直に告げた瞬にカイトもまた同意する。彼は今回は潜入していないだけで、何度も入っている。そして完全踏破者だとも教えられている。というわけで、カイトが笑いながら瞬へと問いかけた。
「で、五十だと誰が出た?」
「お前だ。アルもリィルも揃って、だそうだ」
「オレか。そりゃ、ご愁傷様だ」
瞬の答えにカイトは笑いながら、それは仕方がないと笑う。デッドコピーだろうと自分に勝てない事は他ならぬ自身の事だからこそ、よくわかっている。とは言え、その会話が分かるのはこの場では二人だけだ。故に当然、ソラから疑問が飛んだ。
「どいうことだ?」
「ああ、五十階のボスからは自分が強敵だと思う相手が選ばれる。勿論、本物じゃなくてそのイメージを読み取った洞窟が投影したデッドコピーだけどな。魔物じゃないから相手もきちんとした技を使ってくるし、戦術も戦略も構築して戦う。今までとは桁違いの戦闘力というわけだ」
カイトはかつて踏破した者として、教えられる限りの情報を教えてやる。別にこの程度は隠しても意味がない。確かに百人に一人程度しか折り返し地点を突破してはいないが、到達出来る者ならばそこそこ居る。
なにせ運にさえ恵まれれば瞬程度でも到達出来るのだ。冒険者でもランクB程度であれば才能か経験のどちらかが備わっていれば十分に到達出来るという事でもある。なのでこれは普通に出回っている情報だった。榊原家に関わりのある街の人なら、おそらく大半が知っているだろう。
「へー……それでカイトってわけか……ん? そういやさ」
カイトからの情報になるほど、と納得していたソラであったがふと疑問を得た様にカイトの顔を見る。
「お前、確か踏破したって話だよな?」
「ああ、一応、最下層と言われている所に何があるかは知ってるな」
ソラの問いかけにカイトもしっかり、最後まで踏破している事を認める。これが何故周囲にもわかっているかというと、五十階の踏破の時と同じく百階を踏破した者が現れると脱出時に今までとは違う現象が起きるから、らしい。ド派手になるとかではないらしいが、五十階とも違う現象だそうだ。と、そんな彼は笑いながら一応の明言を行う。
「言っとくが、教えないぞ? 自分で行け」
「いや、そりゃ良いよ。俺だって自分で行ってみたいし……って、そうじゃなくて。お前なら、誰が出たんだ?」
「む……」
確かに、それは気になる。この世界で最強と言われているのが、カイトである。その彼が強敵と思う相手だ。瞬としても気になった。故に彼も僅かに身を乗り出した。そんな二人に、カイトが思わず笑う。
「あっはは。オレの場合、か……」
カイトは懐かしげに、大昔に入った『夢幻洞』の事を思い出す。そうして見えたのは、真紅の髪だった。
「ダチ公、だったな。やっぱあいつは強かった」
カイトは懐かしげに、かつての旧友の事を思い出す。過去世の中で何度も拳を混じえ刃を混じえ、共に修練した終生の友。己の最大にして最強の好敵手だった。
「強い? お前が言う程か?」
「ああ。強い……本気のオレと互角に戦えるのは唯一、あいつぐらいだ。奴だけは、オレと互角に戦える。まー、それでも最後はクロス・カウンターの相打ちになるんだろうけどな」
懐かしかったからだろう。カイトの中に眠る『もう一人のカイト』に影響されて、カイトはふとそう口にする。それに、ソラ達が思わず目を丸くした。それこそ、ティナもである。故に彼女が問いかけた。
「なんじゃ、それは。余も聞いたことが無いぞ」
「ん? あ、あっははは。そりゃそうか。いや、悪い。忘れろ」
それはわからないのは当たり前だ。なにせカイト当人は会ったことがない。『もう一人のカイト』が知っているだけだ。故にカイトも照れた様子で頭を掻いて、有耶無耶にしておく事にする。が、そうは問屋が卸さない。
「ふむ……? まぁ、良い……わけがあるまい。誰じゃ」
「ですよね……どこに居るかはオレにもわからん。ちょっとした腐れ縁で、変な形で知ってるだけだ。おそらく、地球ともエネフィアとも違う全く別の世界に居る」
じー、とティナはカイトの瞳を見つめて、事の真偽を確かめる。が、これには嘘はない。なのでこの言葉には、ティナも納得する。
「ふむ……嘘は言っとらんか。まぁ、お主の場合妙な事を経験しておっても不思議はないか……にしても、別世界のう……」
やはり、異世界には自分の考えの及ばぬ敵が多そうだ。ティナはそう考える。そんな彼女に、カイトは少しだけ笑って呟いた。
「……何時か、何時かあいつとは出会うだろう。負けまくりのオレだが……あいつにだけは、負けられない。ライバルってのは、そんなもんだろ」
珍しくカイトが戦士としてではなくただ一人の少年として、血を滾らせる。そうして、そんな珍しいカイトを見ながら、全員カイトにも好敵手という存在が居るのだという事を実感する事になるのだった。
お読み頂きありがとうございました。だんだん登場フラグが立ってます。
次回予告:第1238話『今に伝わりし者達』




