第1229話 桃の花に見守られ
カイト達が楽しげに会話を繰り広げていた頃より少しだけ、時は戻る。女湯ではというと、ティナがカイトとの大人な会話を楽しみクズハらが美肌の湯とやらに浸かり夜に備えていた一方、桜らはというと実は彼女らの方が一際興奮していたりした。
「わー……こんな所なんですね、スーパー銭湯って」
初めて見るスーパー銭湯に桜が目を輝かせる。敢えて言う必要なぞ無いかもしれないが、彼女は大企業のご令嬢にして、名家の令嬢である。スーパー銭湯なぞ行かせて貰った事は一度も無かった。それどころか存在も殆ど知らない、と言っても過言ではない。
それにもし興味を持ったとて、彼女の場合はスーパー銭湯側に来い、と言えるだろう。そしてそれは勿論、天道財閥と双璧を為すと言われる神宮寺財閥のご令嬢の彼女も一緒だった。
「すごいですわね……まさかこんなに多種多様なお風呂があるなんて……」
「お二人は知らないんですか?」
「逆に暦さんは知ってらっしゃいますの?」
暦の問いかけに瑞樹が逆に問いかける。まぁ、暦からしてもこの二人がスーパー銭湯を知らないでも不思議はないと思っている。なので疑問は無かった。というわけで、暦が頷いた。
「はい。ウチはお姉ちゃんが好きなんで……週に一回は車で連れて行って貰ってました」
「そ、そんなに……」
「す、すごいですね……」
瑞樹と桜は暦が意外と経験豊富だった事を受けて、思わず驚きを露わにしていた。が、逆にそんな態度に暦の方は驚きを浮かべたかったが、別に驚く必要も無いと思っていたからかスルーだった。とは言え、それに驚きを浮かべた者が居る。凛であった。
「こっちとしてはお二人が驚きな事が驚きですよ……」
「そ、そういう凛ちゃんは……来てそうですね」
「……はい。お兄ちゃんもっとすごくて……多い時は三日に一回ぐらいは」
「「あ、あはははは」」
凛からの情報に桜も瑞樹もその様子が完璧に想像出来たのか、ただただ乾いた笑いを上げるしかなかった。ここまで多種多様なお風呂があり、更にはサウナルームまで完備されているのだ。ここが日本のスーパー銭湯に似ているというのなら、自ずと日本のスーパー銭湯にもサウナルームがあると思えた。
「……いの一番にサウナに入っていそうですわね」
「あー……後、向こうと言えばルーファウスさんも入ってそうですね」
「「……正解です」」
瑞樹と桜の笑いながらの推測に、妹二人が視線を逸し呆れを滲ませながらその予想が正解だと明言する。妹達からしてもわかり易すぎたらしい。と、そうして無駄に立ちっぱなしな五人に向けて、声が掛けられた。
「何やってんのー!」
「気持ち良いよー……あー……癒されるー……」
魅衣に続いて、由利が一同に声を掛ける。まぁ、銭湯に来て馬鹿みたいに突っ立っているだけというのは確かに可怪しいだろう。話なら湯の中でも出来る。なので魅衣も由利もクズハらと同じく一足先に入っていたわけだ。が、桜達がそのまま突っ立っていれば疑問に思うだろう。
というわけで、桜らは少し恥ずかしげにそそくさと移動する事にする。そうして移動する先は、とりあえず魅衣の所だった。彼女は彼女で妙なお風呂に入っている様子だった。
「……これは……なんですか?」
「炭酸のお風呂……しゅわしゅわー、としてるんだけど……ほれ」
「わきゃー! なにこれなにこれ! 泡がブクブク!」
桜の問いかけを受けた魅衣は笑いながら、横で大興奮のカナンを指で示す。尻尾はブンブンと犬の様に興奮していた。まぁ、敢えて言うまでもないが彼女は根っからの冒険者である。中津国になぞ足を伸ばした事は一度も無かった。
となると、勿論こんな炭酸風呂は見たことがあるはずもない。それこそ、まさしく未知との遭遇だったそうだ。想像もしていなかった上、この炭酸が面白すぎたらしい。大爆笑だった。
「……いやぁ……まさかこっちでも炭酸風呂に入れるとは思ってもいなかったわー……」
魅衣が幸せそうな顔で炭酸風呂に浸かる。彼女の家は桜の実家と同じく武家屋敷に近いそうなのであるが、天道家ほどお硬い家ではない。故に魅衣の姉がこういった炭酸風呂を推進したりしてくれているそうで、普通に自宅でも入った事があるそうだ。故に懐かしかったらしい。
で、桜らとは別の方向性からこういう場でどうすれば良いかわからないカナンはそれに従って、完全にツボに嵌っていた様子である。と、そんなリラックスした様子の魅衣を見て、桜が問いかけた。
「気持ち良いんですか?」
「きめ細やかな泡がなんかこう……身体の隅々まで洗ってくれてる様な感じ……どうやってんだろ、こっちで……」
魅衣は益体もない事を考えながらお風呂に入っているらしい。なお、どうやっているのだろうというのはこの炭酸の事だ。
家庭でならクエン酸と重曹等を使って再現するわけであるが、こちらではそういうわけにもいかない。勿論クエン酸も重曹もあるが、大量生産方法が確立されているとは思えない。疑問は当然だろう。
『知りたいか?』
「おろ……ティナちゃん。知ってるの?」
『知ってるも何もそのプロトタイプを作ったのは余じゃからな。色々改良されておるが、大半の風呂の基盤は余が開発した物を使っておる。故に、わかる』
カイトがここの設立に関わっていたのだ。であれば必然、ティナもまた関わっていたのだろう。であれば不思議はなかった。と、そんなティナであるが話を始める前に桜らに声を掛けた。
『っとと。その前にそこで突っ立っておるお主ら。アリスもおる事であるし、突っ立っておっても邪魔じゃろう。さっさと入れ。出来栄えは余が保証しよう』
「……せっかくなので入りますか?」
「そうですわね。せっかくですし、ここまで気持ちよさそうにされてますし……アリスさんはどうされますか?」
桜の問いかけに瑞樹がアリスへと問いかける。凛と暦は連れ立って別の所――香りが有名なお風呂があるらしい――へと向かっていたし、残るは彼女だけだった。
「……ちょっとだけ」
やはり泡まみれというか泡が沢山のお風呂は興味があったらしい。おっかなびっくりという感じはあったが、周囲に従って湯船に浸かる事にした。そうして、三人が魅衣らと一緒の湯船に浸かる。
「あら……こう、なんと言いますか……不思議?」
「と、しか言い得ませんね……」
「……ふふ」
不思議な感覚に妙な感慨を得ている桜と瑞樹に対して、どうやらアリスはそれが気に入ったらしい。珍しく笑みを零していた。と、そうして彼女が気に入ってくれたのを見て、ティナが満足げに念話を飛ばしてきた。
『うむ。気に入ってくれて何より……っと、まぁ、それはさておき。この温泉の大半の基盤には余が作った各種の魔道具が埋め込まれておってな。基本は同じ湯じゃが、魔道具で例えばそこには炭酸の気泡が一定量仕込まれる様になっており、他にも電気風呂であれば低周波が生まれる様に工夫し、としておる。勿論、それ以外にも岩盤風呂もあるし、砂風呂なんかもあるぞ』
ティナは少し自慢げに自分の開発物を誇る。やはりこういう所は彼女らしさが見え隠れしていた。と、そんな言葉を聞いていたからだろう。由利が益体もない事を提案する。
「あー……ねぇ、ティナちゃんー。それならいっそウチのお風呂も細工してー」
『気が向けば、じゃのう。余としてもいっそ全部のせとかやってみたくはある。美容と健康には気を遣わねばならんからのう。子供向けも開発せねばならんし』
由利の提案にティナは曖昧に返しておく。とは言え、気を使おうというのは事実だ。と、そんな返答に由利が疑問を得た。
「? どうして子供向けー?」
『む? いや、そりゃカイトの子やら云々と考えておれば普通に考えるじゃろ。自宅に取り付けるのは確定じゃし、そうなると自ずと子供の事を考えねばのう。そも、自宅に子供向けが色々とあるのは孤児向けではなく、じゃぞ』
ティナはあっけらかんと将来の事を明言する。と、そんなティナに、思わずカナンとアリスを除いた全員がそれを意識してお風呂とは別の理由で顔を真っ赤に染めた。
まぁ、下世話な話であるが恋人である以上、そしてカイトの性格を考えてもやることはやっている。今はまだ駄目だが、そうなる可能性はゼロではない。
「「「……」」」
「……どうしたんですか?」
「な、なんでもありませんわ」
アリスの問いかけに瑞樹は慌てて首を振る。意識してしまったからか妙にそういう思考が生まれてしまったらしい。
「ま、まぁ、それは置いておこう。うん、置いとこう」
「そうですね、置いておきましょう」
「マスター、大変だなー……」
今日の夜は激しそうかなー、なぞとどうやら落ち着いたらしいカナンが少し小声で呟いたが、誰も否定も同意もしなかった。と、いうわけで魅衣はとっさの判断として、自分陣営にダメージが出ないという理由で由利に話を振ることにする。
「そう言えば由利ー」
「何ー?」
「そっちどう?」
「どうって、何がー?」
魅衣の問いかけに同じく炭酸に包まれる由利が首を傾げる。
「……そりゃ、まぁ……この話の流れなんだからそーいうことでしょ」
「……こっちに振らないでよー」
「あー……でもまぁ、素直に友達なんだから疑問ちゃ、疑問なのよねー」
「うーん……」
わからないでもない。由利は魅衣の言葉になんとなくではあるが、理解は示した。一応、中学時代からの長い付き合いでお互いにこちらに来てからその時代からの付き合いの者たちを恋人にしている。
しかもお互いに地球で見れば色々と特殊な付き合い方だ。カイトはカイト故に結構色々と聞こえては来るが、逆にそれに隠れているのかソラ達の側はあまり話題にならない。魅衣の側としては気にはなるのだろう。
「普通っちゃ、普通だよー……と言うか、そっちと違ってソラは普通の高校生だしー」
由利は笑う。これは二つの意味がある。カイトが勇者カイトという隠喩でもあるし、ある意味性豪と言われるカイトであるという事でもある。なので魅衣達は前と取ったし、そうと知らないアリスは後ろと取った。
「……どんな感じ?」
「聞く、普通?」
魅衣の問いかけに由利は思わず素というか戦闘時の様子で問いかける。まぁ、確かにそれはそうである。とは言え、ここは女しかいない。現実なぞそんなものだろう。
「まー……うん。だってここ、男居ないしー」
「はぁ……そっちより普通は普通だよー……あれ……? 普通……? 二人一緒って普通……普通ってなんだろー……?」
由利が普通の定義を考えて、首を傾げる。そもそもここは三人一緒に付き合っている。それを地球の常識で考えれば普通と言い得るかどうかは、微妙だろう。それ故か、魅衣も桜達も半笑いだった。
「あ、あははは……」
「うーん……普通じゃないのかもー……」
由利は延々一人で悩み続ける。と、そんな彼女を見ていたからだろうか。瑞樹がふと、疑問を呈した。
「そう言えば……少し大きくなられました?」
「「ぶっ!」」
由利と魅衣の二人が揃って吹き出す。この話の流れだ。変に邪推しても仕方がない。なお、瑞樹はただそう思ったから聞いただけだ。何が、とは言うだけ野暮というものだろう。
「ま、まぁ……ちょっとは大きくなったかなー……」
由利はかなり恥ずかしげに少しだけ胸を隠す。元々人並み以上に大きかった由利の胸であるが、最近更に大きくなった印象はあった。印象、なので実際がどうかはわからない。
「と、と言うか私でもそっちには負けるって……」
由利は慌てて自分から話題をそらすべく、瑞樹自身へと話題をトスする。元々この面子の中では一番瑞樹が巨乳だった。正しい意見である。
「ま、まぁ、そうですが……大きすぎて不便という事は昔はありましたが、今はさほどですわねー」
「そう言えば……瑞樹ちゃん、時々ブラ選びに苦労してる、とか言ってましたっけ」
「あー……こっちに来て上が沢山居る事を知りましたし、それ故豊富になったので苦労しなくなりましたわねー」
やはり男もお目付け役も居ないからだろう。お嬢様である瑞樹も桜も下世話といえば下世話な話で盛り上がる。なお、当の桜も最近ワンサイズ以上は成長しているらしい。そして大きいが故に出来る事もあった。
「それにまぁ、大きければ大きいで便利ですからね」
「そうですわねー。そうだ、桜さん」
「あ、良いですね」
何か二人で理解出来た物があったらしい。二人が笑顔で頷きあう。と、そんな二人と同じく理解出来た――と言うか全員理解は出来ている――魅衣が苦言を呈した。
「嫌味?」
「あ、いえ、そういうわけじゃ……」
「じょーだんよ、じょーだん」
慌てた瑞樹に対して、魅衣が笑いながら首を振る。そうして、こちらはこちらで出自にも関わらず少し下世話ではあるが、楽しげな時間が過ぎていく事になるのだった。
お読み頂きありがとうございました。しばらくは日常回が続きます。
次回予告:第1230話『のんびりとした日々を』




