第1228話 月に照らされ
エネフィア版スーパー銭湯とでも言うべき大銭湯にやってきていたカイト達一同。彼らはまず男女別に別れると、更にその後は各々が各々の目的に沿って好きな所に移動していた。そんな中、カイトは一見すると何の変哲もない温泉に浸かり、ティナとのんびりと話をしながら酒を飲んでいた。
「ふぅ……」
「ふぅ……」
仕切りを挟んで、カイトとティナは背中合わせに酒を呷る。何をするでもなく、ただしみじみと酒を飲む。カイトが一番好む飲み方だった。彼も確かに馬鹿騒ぎや宴会は好きだが、酒飲みとしての飲み方が一番性に合っていたらしい。
ソラ達が居ない時や桜らが寝静まった後等には、一人静かに飲んでいる事も多かった。と、そうしてしばらくは会話もなくただ相手の気配だけを縁に飲んでいると、クズハの声が女湯側から聞こえてきた。
「お姉様……が、ここに居るということはこの裏にお兄様が?」
「うむ。たまには良かろう。このようにしみじみと飲むのものう」
「あー……カイト、好きだもんねー」
どうやら、ユリィも一緒だったようだ。彼女はカイトとの付き合いがこの面子の中では一番長い。故に、夜中によく一人で飲んでいる事もしっかりと理解していた。とは言え、それは昔からなのでクズハもアウラらも勿論把握している。
「おーう、お前らも来たのか」
「ええ、美肌の湯とやらに浸かっていましたが……長々と浸かっても……というわけですので」
「アリスにバレないようにな」
「心得てます」
カイトの言葉にクズハが了承を示した。勿論クズハとアウラはアリスが居る事をわかっているので、魔術で姿を偽っている。クズハは元々300年前の姿は他国――この場合エルフ達の国以外という意味――ではあまり知られていないので300年前当時の姿、アウラは大凡15歳程度で更に後ろの羽根は濡れると面倒という事で収納していた。水気を含むと重くなる上、タオルで拭き取るのはかなりの手間らしい。
と言っても、アリスとこの二人だ。魔術の技量には天と地ほどの差がある。しかもここはお風呂場だ。アリスも気は緩んでいるし、魔道具等は一切持ち込めない。どれだけ頑張っても、見破る事はできないだろう。と、そんなクズハがふと声のトーンを落とした。
「にしても……お兄様」
「あ? なんだ?」
「……少々、色々と揉み過ぎでは? 主に胸部ですが」
「なんでさ」
唐突なクズハの苦言に、カイトが首を傾げる。向こうの状況が見えていないカイトにはわからないが、女湯側ではアウラがクズハの前で湯に浸かっており、まぁ、言ってしまえば胸が浮かんでいたわけであった。
「……お姉様は、まぁ、元からなのでしょうが」
「おねーちゃんも元から。最近ちょっとまた大きくなったかも程度」
「……嫌味ですか。そうですか……というか、なんでその年齢からすでに大きかったんですか!」
アウラを見ながら、クズハがヒステリーを起こす。どうやら、アウラがクズハぐらいの外見年齢の時には既に胸はかなり大きかったらしい。
「……揉まれたいという願望で大きくなった」
「それなら私もありました!」
「お姉ちゃんの方が上だった」
「あり得ません!」
「妄想で大きくなるかい……」
ぎゃわぎゃわと騒ぐ自分の義理の姉妹達に対して、カイトが思わず呆れ返って小声でツッコミを入れる。とは言え、そんな小声が仕切りを通過するわけもなく、カイトの声は仕切りに遮られて消えていった。が、一方の騒がしい向こうの声は、こちらにまで響いていた。
「ん? 声?」
「ああ、一通りの見回りは終わりか?」
「あ、うん。前来た時とそんなに変わらなかったからね」
やって来たのはソラとアルの二人だ。どうやら、飲んでいる間にそこそこの時間が経過したのだろう。見回りを終えた様子であった。そうして、カイトの横に腰掛けたソラがカイトからおちょこを受け取って、酒を注いでもらう。
「なーんか薬湯とか結構あったっぽいけど……あれ、こっちのだとマジで効果ありそうだよなー」
「あるぞ、普通に。本物の回復薬を漬けてるからな。結構な上物らしい」
「マジ?」
カイトからの情報にソラが目を見開く。地球での湯治というのが本当に傷を癒やす効果があるかどうかはカイトにもわからないが、少なくともエネフィアでいう湯治にはきちんとした効果があるのであった。所謂お湯出し、と考えれば良いだろう。
回復薬ほど急速な効果は無く、緩やかに傷を治癒してくれるそうだ。そしてそれ故、大怪我を負った時等で回復薬ではどうしてもある肉の疼く様な嫌な感覚もなく傷を癒せるそうだ。
「オレも昔利用したからな。効果は保証する」
「あー……そう言えば言ってたっけ……っとと、サンキュ」
「おう」
カイトは手酌でソラに酒を注ぐと、二人揃って一息に酒を呷る。魔術で冷酒はそのままだ。故にソラが何処かおっさん臭い様子で息を吐いた。
「くっ、はぁーーーー! うっめ! 温まった身体に染みるぅー!」
「あはは。そりゃ、結構」
「おぉ! 兄さん、良いのみっぷりだねぇ!」
笑うカイトの近くから、声が掛けられる。まぁ、あれだけ良い飲みっぷりだったのだ。酒飲みであれば思わず声が掛けたくなっても仕方がない飲みっぷりだった。
と言うわけで、そんな声に三人がそちらを向いた。そちらにもどうやら似たように酒を浮かべながら飲んでいた三人の男性が居て、その中の一人が彼らに声を掛けたのである。
「っと、悪いねぇ。ちょいとあんまりに美味そうに飲むもんだからなぁ」
「あ……すんません」
笑いながら告げた一人に、ソラはかなり恥ずかしげに小さく会釈する。そんなソラに、一人が大きく笑みを見せた。
「いや、良いって良いって。で、兄さん。ちょいと俺達にも一杯ずつくれねぇか? そっちの兄さんの見てたらどんな味か気になってなぁ」
「おう、良いぜ。その代わり、そっちのも一杯ずつくれよ」
「お……兄さん、これに興味あんのかい?」
カイトの問いかけに声を掛けた男性が笑みを見せて徳利を掲げる。折角だ。こういう所で見知らぬ相手と飲み交わすというのも、乙なものと言えるだろう。
相手はここらの地元民なのだろう。中津国特有のどこか日本人に似た雰囲気があり、徳利とおちょこの二つで飲んでいた。観光客が多い様に見えるが、地元民とてここには居る。地元民が来ていても不思議はないだろう。
「酒飲みが酒に興味が無いわけがなし。こっちはエンテシア皇国の地酒だ。そっちは?」
「お……他国のかい。こっちはここらの地酒だ。米酒なんだが……兄さんは知ってるかねぇ?」
「お、そりゃ良い。こっちも米だ」
「おぉ、そりゃ奇遇。やっぱり温泉は冷えた大吟醸に限るねぇ」
声を掛けた男性は笑いながら、カイトが注げる様におちょこをお盆から取り出した。それに、カイトは折角なので手ずから酒を注いでやる事にした。
「お、悪いねぇ……っとと……っと、そうだ。俺は与四郎って名前だ」
「カイトだ。エンテシア皇国から湯治だ」
「へぇ……随分と遠い所から……っとと、おい」
与四郎と名乗った男は笑いながら一緒に居た男二人に声を掛ける。
「っとと。かたじけない。儂らも頂けるか」
「あっははは。こっちも三人分頂くからな」
「いやぁ、かたじけない。儂は新介。こっちの無愛想なのは新次郎で、儂の息子よ」
新介と名乗った男は笑いながら、横に座って小さく――小さくなのは風呂場なので――会釈した無口な男を紹介する。大凡、与四郎が30代半ば、新介は40代前半、新次郎は20代前半という所だろう。
後者二人は顔立ちに似通った物があり、たしかに親子なのだろうと納得出来た。そして同時に、やはり中津国だからなのか、ある特徴が見て取れた。というわけで、カイトはどうしても興味が抑えきれず新次郎に対して酒を注ぎながら、問いかけた。
「かたじけない」
「あっははは。こんな素っ裸、ってわけでもないが風呂場だ。かしこまらなくて良いだろうさ……にしても随分と鍛えている様子だ。何か武芸をしているのか?」
風呂場故に動き等で見切る事は出来なかったが、湯を通してでも三人がかなり鍛えている事は見て取れた。それに、新介が隠すまでもないと答えてくれた。
「まぁ、儂もこれもこれでも地元では名の知れた剣士でのう。一応、一端の剣士と知られておる。此度は護衛の仕事、という所か」
「へぇ……護衛って事はどこかのお偉いさんか?」
「だったら、どうする?」
カイトの問いかけに与四郎が笑いながら問いかける。それは一見すると妙な迫力がある様に思えたが、彼の態度は飄々としていて決して掴みどころがなかった。それ故、カイトはこの態度を嘘と見抜いた。真剣味が無かったのだ。故に彼は冗談で返す事にした。
「謙る」
「あっはははは! 言うねぇ! ま、冗談だよ、じょーだん。仕切りの向こうにお鶴って娘が居てな。その護衛がこの二人ってわけだ。俺は単なるしがない油売りだ。ちょいとこの新介とは旧知の仲でね。湯治に来るって話だからついて来ただけさ。一応、剣は少々使えるがねぇ。ま、そんな所だ」
与四郎は飄々としながら、自分の身の上を語る。確かに、商人らしい食えない所は見え隠れしていた。真剣さを出せば凄みもあるだろう。商人、と言われてカイトも素直に信じられた。と、そんな彼は仕切りの向こうに声を掛けた。
「おーい、お鶴ちゃーん! そっち居るかー!」
「大声を上げぬでも聞こえています」
仕切りの向こうから、一人の女性の声が聞こえてきた。どこか固さがあり、真面目さの滲んだ声だった。これが件のお鶴という少女なのだろう。
「何用ですか?」
「と、いうわけだ」
「……いや、何用か聞いてるけど、良いのか?」
ほら、居るだろう。そう言わんばかりの与四郎に対して、カイトが思わずツッコミを入れる。お鶴を呼ぶだけ呼んで、そのまま放置である。疑問も出て当然である。
「っと……なんでもないぞー!」
「なら何故呼んだのですか!」
「そらそうだ」
お鶴の怒声にも似た声にカイトも納得するしかない。そうして、そんな大声を上げたからだろう。向こうもこちらでカイトが会話に加わっている事に気付いたようだ。と、それ故にユリィが気付いた。
「あれ? 貴方さっきの……」
「あら? あ、さっきの……」
「どしたー」
何かがあったらしいユリィに対して、カイトが問いかける。それに、ユリィが声を返した。
「ほら、カイト。さっきのあの女の子!」
「あー! あれがお鶴って子だったのか!」
カイトはここでお鶴というのが先程己に声を掛けてきた女の子の声である事にようやく気付いた。縁とは異なもの味なもの、とは言ったものだろう。と、それ故か向こうもこちらに気付いたようだ。
「あぁ、ついさっきお鶴が鮎貰ってきたってのは兄さん達の事だったのか」
「おぉ、そうか。これはかたじけない。先ごろ、四人で囲んで酒の肴にさせて貰った」
与四郎の言葉に続いて、新介が笑いながら感謝の意を示した。それに、カイトが僅かに照れかえる。
「あー……そうか。そりゃ少し失礼したな。数、足んなかっただろ?」
「いや、十分だった。元々好意で貰った物。それに旬の魚だ。油が乗っていて、良い味だった」
「あっはは。そう言ってもらえれば助かる」
「カイト、何の話だよ」
新次郎の慰めにカイトが笑い、そんなカイトにソラが問いかける。どうやら彼はまだ何がなんだか分かっていないらしい。
「ほら、さっき魚釣りしてたろ?」
「ああ……あ! あの時のか!」
「わかったの?」
ソラが理解したのを受けて、アルが驚いた様子で問いかける。それに、ソラも頷いた。こちらはカイトとは違いしっかりとお鶴の事を覚えていたようだ。
「さっきほら、魚釣ってたって言ったろ?」
「うん、聞いたね」
「そこでカイトがちょっと失敗しててさ。その時に声掛けてきた薄桃色の髪の女の子。女の子っつっても俺達と同い年ぐらいだけどさ。その子だろ?」
「そういうこと。どうやら此方さんはその知り合いだったらしいな」
カイトは楽しげに笑みを見せる。こういう味な出会いは滅多に得られるものではない。が、時として起こり得るからこそ、楽しいのである。ある意味温泉街や旅行での醍醐味の一つと言っても良いだろう。
「いやぁ、礼を言わねばと思い新次郎と共に川辺へ行っては見たが……おらんからと明日にするかと思いこちらに来たが、まさかここで出会えるとは」
「あははは。そう言わないでくれ。オレとて単に見物人にちょっと幸運のおすそ分けてっ所だし……あまり幸運を独り占めすると不幸が来るからな」
「あっははは。面白い事をしてかしてたみたいじゃないかい」
「あ、ちょっ!」
やはり共通の話題があれば話が弾むものなのだろう。ある一つの出会いがあったからか、風呂場で楽しげな会話が始まる。
そしてどうやら、お鶴の側でもユリィが気付いた事で会話が持たれる様になったのだろう。あれ以降めっきりお鶴の怒鳴り声は聞こえなかった。そうしてカイトはしばらくの間、偶然の出会いを楽しむ事にするのだった。
お読み頂きありがとうございました。
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