第1227話 大温泉
カイト達の浴衣選びから、しばらく。大分と夕刻も過ぎて、夜闇の帳が街を包み始めた頃だ。カイト達は少々早目だが、温泉に足を運ぶ事にしていた。あまり遅くても今度は酒に酔った客が来て面倒が起きかねない。それにのんびり入りたいのなら、早い内に向かうのは良い考えだろう。
「というわけで連れ立って来てみたわけですが……大きすぎないか!?」
300年前の記憶と見比べてその大きさにカイトは目を見開いて声を上げる。カイトが初めて訪れた時はまだ単なる露天風呂に近かったのであるが、その後一度カイトの手により若干スーパー銭湯地味た状態になった。その後300年の時を経て、もはや地球のスーパー銭湯でも滅多にお目にかかれない程巨大な設備になっていたのである。
「これは……驚いたな。まさかここまで大きいとは……」
「そう? 僕はこれ見慣れてるから普通に思うんだけど……」
やはり国外に出たことのないルーファウスは大いに驚いていたが、一方やはりマクダウェル家の軍人であり、なおかつルクスの子孫という事で中津国とはそこそこの付き合いがあるアルはここに来た事があった様だ。彼も言う通り見慣れているからか、これが普通だと思っている様子だった。とは言え、大きい事は大きいとわかってはいたらしい。
「まぁ、でも……うん。大きい事は大きいだろうね。中津国でも国内最大、という話だから……中津国最大って事は多分エネフィア最大じゃないかな」
「だろうな……はへー……」
カイトは思わず、間抜け面を晒す。それほどまでに大きかったらしい。とは言え、実はこれには幾つかの事情があった。と、その横で同じように間抜け面を晒していたソラがアルへと問いかける。
「ここまで大きいのは普通なのか?」
「まさか、普通じゃないよ。温泉が多い中津国でも流石にここまで大きいのは、ここぐらいかな」
アルはおよそ三階建ての巨大な建物を仰ぎ見る。基本的なサイズとしては比較するのなら、中学校等の学校施設だろう。スーパー銭湯というのが相応しいぐらいの大きさだった。と、そんな二人の横で瞬もまた、エネフィアのスーパー銭湯に何処か感動していた。
「スーパー銭湯はよく行くが……ここまで大きいのは日本にも無かったな」
「よく行くんっすか?」
「何かとな。やはり疲労がたまると、こういう所の温泉を活用させてもらう」
アスリートだから、なのかもしれない。瞬はこういうスーパー銭湯の電気風呂だの薬湯だのを活用させてもらっているそうだ。
「へー……まぁ、似たようなのは別に不思議じゃないのかもね。と言っても、こっちは奥には温水プールもあるからね。勿論、混浴じゃなくて普通の銭湯もあるけど」
「な、なるほど……」
カイトはアルからの指摘に何度も頷いた。確かに彼は300年前に一度、この銭湯の発展の為に意見を請われて――あくまでも極論として――温水プールも提案した事がある。それを実装したのだろう。
自然なので当たり前なのだろうが、ここらにもあまり温度の高くない源泉はあった。それを活用する方法として提案したのであるが、平和な時代となり人口増加に伴う利益が増えた事でならばいっそ、とカイトが遺した意見を取り入れてみたというわけなのだろう。ここはヴィクトル商会の資金援助も受けている。不思議はなかった。
「ま、それならそれでとりあえず温水プールはまた今度にして、今日は混雑する前に温泉にゆっくり浸かる事にするか」
「それが良いよ。もうご婦人方は皆行っちゃったしね」
アルが笑う。まぁ、こんな所で男連中だけで話しているのなら、当然女性陣は全員先に入ったか遅れているかのどちらかだろう。今回は前者だった、というわけだ。
「そうだな。あまり遅れても問題か」
「そうするか」
カイトに続いて、瞬が歩き始める。別に何か故あって遅れたわけではない。単に出掛けしなに少し宿の主人と出会って話し合いが持たれ、先に行っておいてくれと女性陣には言っていただけだ。そこに偶然ソラ達が来て瞬達が来て、としていて男性陣が残った結果、彼らが後になっただけというわけである。
というわけで、カイト達は受付でせっかくなので一週間分の入場料を支払うと早速水着に着替えて温泉の中に入る。温泉も宿にある大浴場等では水着着用の義務は無いのであるが、ここは奥に温水プールもあるという事で流れでこちらに来る者も居る。なので水着着用が義務付けられていたのであった。
「はー……すっげ……」
「中は日本のスーパー銭湯とさほど変わらんか」
日本を含めても初めて見るスーパー銭湯に驚いた様子のソラに対して、逆に瞬は見慣れた様子に若干鼻白んでいた。元々地球出身のカイトが発案したというのだ。であれば、大した差が出ていなくても当然だろう。とは言え、違う所は確かにある。それは例えば入れ墨を入れた客の出入りが許可されている事もそうだし、例えばカイトの持ち物にあった。
「ま、流石に風呂場でまで集団行動、ってわけにもいかんだろ。オレはあそこで飲んでるから、各々好きな様に動け」
カイトはそう言うと、風呂桶の中身を掲げる。中身は言うまでもないかもしれないが、徳利だ。中身は冷酒である。エネフィアのスーパー銭湯では迷惑にならない程度の飲み物の持ち込みが許可されている。
おつまみは駄目だが、酒もごく少量――樽等は駄目という程度――であれば持ち込んで良いのであった。というわけで、そんなカイトの提案を受けた瞬がアルへと問いかけた。
「ふむ……アル、そう言えば来た事があると言っていたな?」
「うん、何度かね」
「サウナルームはあるか?」
「む……」
瞬の問いかけにルーファウスもアルを見る。それに、アルは頷いた。
「一応、僕の記憶が確かならあるはずだよ。あの奥の扉がそうで、その横がサウナに入った人向けの少し冷た目のお風呂、だったと思う」
「そうか……では、俺は先にサウナに入ってくる」
「同行させてもらおう」
「む……」
ルーファウスの申し出に瞬が僅かに笑みを浮かべる。どうやら、何か通じ合うものがあったらしい。と、言うわけで二人がサウナ室へと向かっていく。そうして残ったソラに、アルが問いかけた。
「で、ソラはどうするの?」
「どーしよ。俺スーパー銭湯来た事ないんだよな」
「じゃあ、一緒に来る? と言っても僕も気になるお風呂入るだけだけど」
「んー、そだな。お前と行った方が一番楽しそうか」
カイトは普通のお風呂――に見えるだけ――に入ってのんびりと冷酒を飲んでいるし、そうなると彼はしばらく動かないだろう。であれば、色々と入ってみたいお風呂が多すぎて決められないソラにとってはアルに従うのが一番良かった。
「良し。じゃあ、行こっか」
「おう」
最後に残ったアルとソラもまた、自分が望む風呂を探しに歩き始める。そうして、彼らは全員が各々が望む所へと向かっていく事にして、そこでゆっくりと休む事にするのだった。
さて、興味本位に電気風呂に入る事にしたアル組やサウナで汗を流す瞬組に対して、カイトはというと一人に見えて実は一人ではなかった。
「ここは、変わらないなー」
「そうじゃのう」
カイトの腰掛けた温泉の縁の後ろ、木製の仕切りの先からティナが応ずる。実はここで男性用と女性用のエリアが分けられていて、ここだけは向こう側と話せるのである。
「ふぅ……とりあえずは、お疲れ様」
「うむ、そちらものう」
二人は仕切りを隔てて、背中合わせにお互いの労をねぎらい合う。やはりこの数ヶ月誰が一番忙しかったかというと、それは紛れもなく彼らだろう。やはり目に見えぬ所で疲労は蓄積されていたようだ。というわけで、穏やかな時間が流れるわけなのであるが、そんな中、ティナが穏やかな顔で告げる。
「……こうやって、背中合わせに飲むのも妙に乙なものよ」
「うん?」
「ま、本来はそちらが異常なのであろうが……なにせ共に飲む方が多かったが故な。こういう風に姿も見えず、ただ仕切りを挟んで相手がどの様に飲むかと思い飲むのも悪うない」
「なるほど……確かに、オレ達にしてみりゃこっちの方が珍しいか」
カイトは風呂に浮かべた風呂桶から徳利を取り出して、同じく風呂桶に置かれた盃に酒を注ぐ。そしてそれを呷れば、熱いお風呂で温められた身体に冷えたお酒が染み渡った。
「くぅー……! はぁ……美味い。ここを考えた奴がどういう考えだったかは知らんが……まったく、乙というのは確かだな」
「で、あろう。まぁ、それを語るのが金髪碧眼の余であるのは、些か可笑しな気もせんでもないがのう」
「そういうな。こういうのは、雰囲気の方が重要だろうさ」
カイトはティナの言葉に笑いながら、酒を呷る。一体どういう風な感じで彼女は飲んでいるのだろうか。それを、カイトは見る事は叶わない。いや、覗こうとすれば仕切りの隙間から覗けるのだろうが、それをするのはあまりにも無粋というものだろう。水着を着用してはいるが女湯だ。マナーも欠ける。何より背中で感じるのが、乙なのである。
「ふぅ……こういう関係は良いのう……なんというか……随分と余もお主も落ち着いたもんじゃ」
「おいおい……実際、オレもお前も良い年は良い年だぞ……いや、実際の所はオレは遥かに年下なんだがね」
カイトは笑いながらその実義妹や相棒達よりはるかに年下であった事をふと思い出した。が、やはり時の流れが緩やかな種族が多かったからか、そういう実感はなかった。更に言えば、見た目も己より年下という所が大きい。やはり年上としての意識が根付いていた。
「むぅ……それはそうなんじゃがのう……」
ある意味事実といえば事実な指摘に、ティナが僅かに口を尖らせる。とは言え、ある別の方面から見てやれば、実は彼らも十分かなりの年齢だった。
「と言うかじゃ。お主も余も実際の所の公的な年齢はプラス300歳されるんじゃがのう」
「んげっ……マジ?」
「マジじゃろ。余は更にプラス100入るからのう……ぐぅ……」
自分で指摘して自分でダメージを受けたらしい。ティナが勝手にぐうの音を上げる。何に気付いたか、というと彼女は自分の実年齢に気付いたのである。
彼女は地球に居た時代の300年プラス、魔王ティステニアに封じられていた100年がある。それを合算して彼女自身の年齢を計算した場合、なんと700歳近くにもなるのであった。しかも彼女の場合は公的な手続きもエネフィアで行っている為、これが正式な年齢となる。実際はその半分以下ではあるが、実年齢としてはそうなるのであった。
「あはは。自分で言って自分でダメージ受けてら……ま、最悪地球で取った偽造戸籍で良いんじゃねーの?」
「そ、その手があったか! うぉし。余はこれから十七歳として生きるぞ」
「ティナさんじゅうななさい」
「それでもまだ若いのう」
「ちっ」
棒読みで読み上げたカイトの冗談に対して、ティナはそれでもご機嫌に笑っていた。300歳を優に超える彼女からしてみれば、17歳も37歳も小娘同然である。それどころか100歳だろうと若造と言うだろう。十分に若かった。
「と言うか、オレの場合どうなるんだろ」
「ふむ……それはそうよなぁ……ま、んなもんはどうでもよかろう。どうせお主も余も寿命じゃくたばらん。せいぜい生き足掻き、世界の崩壊でも見届けて輪廻転生の輪の中にでも還る事にしよう」
「あっはは。そりゃ良いね。大往生だ」
ティナの提案にカイトも笑って応ずる。それが何時か、なぞ誰にもわからない。わからないが、少なくとも百年先ではないだろうし、一千年先でもないだろう。一千億年先でもないかもしれない。
いつになるか、なぞ誰にもわかりっこなかった。が、それまでは今みたいにバカップルとしてイチャイチャして生きるのも、乙なものだろう。時間は無限にある。大いに喧嘩して、大いに愛し合うだけだった。
「ふぅ……あー……なんか良いなぁ、お前とこうするのも」
「む?」
「いや、地球じゃルイスがこういうの好きだろ? お前あんまり乗ってくれないじゃん」
「そう言えば……そうじゃのう。ルルの奴はどうしてかこういう粋がるのを好むからのう」
「だろ?」
カイトはティナの明言に同意を求める。このルイスというのはイクスフォスの妹、つまりティナ自身の叔母――彼女自身は勿論それを知らないが――の事だ。ルルというのはその幼名で、本名の方は少々地球では有名な名になってしまっていたので幼名を普段使いとして使っていたのである。
ルイスというのはそんな中で使った偽名の一つだ。カイトはこちらで名乗られて長かった為、これを彼女の愛称としていたのである。
「むぅ……なんじゃ、思い出せば腹たってきたのう……余ももう少しこうした洒落た事をすべきか……」
「あっはは。ま、それも良いがな。やっぱりお前は馬鹿やってくれた方がオレとしちゃ、嬉しいな」
一人自分の在り方に悩むティナに対して、カイトは酒を呷りながら今のままが良いと告げる。こんな彼女だからこそ、カイトは彼女が好きなのだ。変に無理する必要はどこにもなかった。
「それ……褒めとるのか?」
「褒めてる……けど、褒めてるようには聞こえないか。ま、親愛表現の一種だと思ってくれよ」
「むぅ……しょうがないのう。此度は良い気分故、大目に見てやろう」
カイトの言外の謝罪にティナは穏やかな顔で頷いた。彼女とてカイトが親愛を向けてくれるが故の言葉だとはわかっている。だから、笑って許した。そうして、二人はそれからもしばらくの間、穏やかな空気の中で語り合うのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第1128話『月に照らされ』




