第1171話 カイトの苦手な物
ルクセリオン教国は教皇の娘にして枢機卿・アユルの依頼を受けて妖精たちの里へ向かう為にマクダウェル領内の『迷いの森』と呼ばれる場所へと久しぶりに足を踏み入れたカイト達。そんな彼らを出迎えたのは、何時もの妖精達の歓迎ではなく『殺人蜂』と呼ばれる巨大な蜂の群れによる襲撃だった。
この魔物は群れで行動する為、一時カイト達はその討伐を行う事になるがいつも通りのカイトとルーファウスの経験と才能を基軸として、魔物の群れの撃破に成功する。
「ふぅ……毒液、回収しておくか」
「触れちゃ駄目だよー」
「わーってるよ」
『殺人蜂』の群れを討伐したカイトは、手早く専用の容器を腰から取り外す。そうしてユリィの忠告を軽く聞いておいて、蜂のお尻の部分に相当する部分へと短剣を突き立てた。
「良し……」
「何をしているんですの?」
「ん? ああ、毒液回収。こいつの毒はそのままだと強力過ぎるから狩りなんかには使えないけど、少し溶液で薄めてやったりすればしびれ薬として活用出来る。逆に原液のまま利用して、武器に塗っておくのもありだな」
カイトは瑞樹の問いかけに切り裂いた『殺人蜂』のお尻の部分に蓄えられていた毒液を抜き取って、保存容器へと注いでいく。量としては10CCもあれば良い方だろう。とは言え、これでも十分人は殺せる。と、そんな行動を見ていた瑞樹がカイトへと問いかけた。
「手伝った方が良いでしょうか」
「ああ、いや。やめとけ」
瑞樹の問いかけにカイトは即座に首を振る。ここらカイトは平然とやっている様に見えるが、実はきちんと専用の装備を使って回収しているのであった。
「手袋、持ってないだろ?」
「あら……?」
瑞樹はカイトの作業を見守りながら、そう言えば珍しくカイトが手袋をしている事に気付いた。
「この毒液、皮膚からも浸透するからな。手袋無いと触ったら拙い。今回こいつらと戦う事になるとは思ってなかったから、装備の中には入れてないんだよ。一応、血清は持ってきてるけどな」
「では、その手袋は?」
「ああ、特殊な素材で出来てる。もっと深い森の奥深くには、こいつらの様な毒を持つ奴だろうとなんだろうとを餌食にする特殊な魔物が居てな。そいつの胃袋を加工して作られた特殊な手袋だ」
カイトは毒液を抽出する傍ら、少しだけ視線を己の手を守る手袋に向ける。一見すると茶色い鞣した皮の様に見えるが、実際には筋肉に近いらしい。と、そんな会話を横で小耳に挟んでいたルーファウスがどうやら、答えに気付いたらしい。
「まさか『暴食牛』の事か?」
「ああ、そいつだ。こいつらの天敵なんだが……やっぱり有名か」
「勿論だろう……手に入ったのか?」
ルーファウスの顔には驚きが浮かんでいた。実はこの『暴食牛』の胃袋を使って作られた手袋なのだが、相当に手に入りにくい。というのも、『暴食牛』がまず強いからだ。更には生息域も限られる。滅多な事では出回らないのであった。
そして出回っても勿論、それ相応に値が張る。ランクSの冒険者ならまだしも、ランクA程度の冒険者であれば持っている者が珍しいと言える逸品だった。が、ここらは幸運があった。
「まぁな……と言ってもちょっとした幸運に恵まれたって所だ」
「幸運?」
「ああ……まぁ、ルーファウスとアリスはまだ知らないと思うが、街の南の方で月に何度かバザー、ってかフリーマーケットが開かれるんだよ。で、冒険部で連れ立って買い出しに行く事があってな。その中に殆ど新品状態のこいつが紛れ込んでた」
「それは……また珍しい」
カイトの言葉にルーファウスが目を丸くする。フリーマーケットが行われている事そのものは彼としても不思議はない。こういう世界だし、こんな大規模な街だ。
月に何度かは露天商達や街の住人達が集まってフリーマーケットを開く事があっても不思議はない。とは言え、そういう所でこんな高価な品が紛れ込むのはかなり稀だろう。
「だな。盗品は持ち込み防止が為されているから、おそらく偶然街の外で拾ったんだろう。持ち主もこれが貴重な品だと気付いていなかったと思う。単にこれだけ綺麗ならまだ売れる、と思ったんだろうな。まとめ売りしてた所に、こいつが紛れ込んでてな……帰って確認してみて流石にオレも驚いたよ」
「大方、何処かの冒険者が落とした物を偶然拾って、か」
「そんな所だろう」
ルーファウスの推測にカイトはそちらを向く事もなく頷いた。実際、彼としてもそんな所だろうと推測していた。こんな物を手に入れられるのは冒険者ぐらいなものだ。
とは言え、流石にカイト達も幾つもの物を買った後なのでこれが誰から買ったのか、等は覚えていない。と言うより、確認していない。幾つもの店を回った上、何箇所かで手袋も購入している。おまけに複数人で歩き回っていた為、誰が買ったかもわからないのだ。もう手のうちようがない。であればこれは幸運だった、と図太く考えるのがお得だろう。
「良し……後は……」
カイトはそんな会話を行いながら敵の残骸が魔素となり消え去る前に、手早く『殺人蜂』のお尻の部分に刃を突き立てては毒液を回収していく。そんな手早く、かつ物怖じしないカイトに対して瑞樹が若干頬を引きつらせて称賛とも呆れともつかない言葉を送った。
「よ、よく触れますわね……私、昆虫類はどうしても駄目ですわ。まだそのサイズだからなんとかなりますが……手のひら大だともう駄目ですわね」
「慣れだ慣れ」
「慣れというかなんというか……」
カイトの肩の上のユリィが肩を竦める。ここら、やはり相棒という事でよく知っているらしい。そんな彼女が何かを言おうとした所に、声が飛んできた。
「こっち! 魔力感じた!」
「誰か居る!」
どうやら、妖精たちらしい。弓や短剣で武装した妖精達が木々の合間を縫うように飛翔して、こちらへとやって来た。と、そうなるわけなのであるが、当然毒液を回収するカイトに気づく。
「あ、カイトだ」
「わーい……じゃなくて! こっちに『殺人蜂』は……来てたみたいだね」
カイトへと駆け寄ろうとした妖精達であるが、周囲に広がる『殺人蜂』達の残骸にここで戦闘があった事を理解する。そうして自分達が追いかけていた集団の討伐が終了していたのを受けて、警戒を解いた。
「やっほー。皆元気?」
「やっほ。こっちは元気……で、今日はどうしたの?」
ユリィの挨拶に応じた妖精はそのまま彼女へと事情を問いかける。
「ユリィ、頼んで良いか? オレはなるべく回収しておきたいからな。由利達の毒矢にも使えるから、なるべく量回収したいから……」
「あ、うん。わかった。えっと……」
カイトの要請を受けて、ユリィが妖精達へと事情を説明する。幸いここには『翡翠花』の自生地があるし、更にはそう言う縁で妖精達が結構種を保存してもいる。来ても不思議はなかった。
そうして、手早く『殺人蜂』の毒液を回収したカイトもさらに加わって、そこを基点としてルーファウスとアリスが加わって事情の説明を行う事になった。
「どうか少しで良いので譲っては貰えないだろうか」
「ふーん……存外悪い人達じゃないみたいだし……うん。森も怒ってない。じゃあ、良いかな。長には話通しておくよ」
ルーファウスの申し出に集団達のまとめ役に近かった妖精が許可を下ろす。本来ルーファウスからすれば妖精はいまいち良い感情を持てないだろうが、そんな妙なプライドと枢機卿からの依頼では後者が断然優先された。そんな感情はおくびにも見せなかった。
そしてそれが功を奏したようだ。まとめ役も彼らが自分達の追っていた敵集団を森を殆ど傷付ける事なく倒した事もあり、その求めに応じてくれる事にしたらしい。
「ふぅ……」
そんな妖精達に、ルーファウスはほっと胸を撫で下ろす。実は彼としても妖精達に対して嫌悪感を抱かれない応対が出来るだろうか、というのは少し不安だったらしい。
とは言え、実は妖精達とて気付いていた。更に言うとルーファウスがルクスの実家の子孫だとも気付いていた。なので仕方がないな、とお目こぼしが貰えたらしい。まだまだ、と言う所だろう。と、その一方、瑞樹もまた問いかけていた。
「それで……こちらはどうでしょうか」
「うん、それについては問題ないよ……と言いたいんだけど……」
瑞樹の問いかけにまとめ役が顔を僅かに歪める。どうやら、何かあるらしい。それに、カイトが首を傾げた。
「どうした?」
「あー……やっぱりこの様子だと知らないかー……」
「「何が?」」
カイトはまとめ役の言葉にユリィと揃って首を傾げる。と、それと同時。彼の肩。ユリィとは逆側に何かがぼとり、と落下してきた。それを見て、カイトが一瞬停止して、騒動は起こった。
「ん? んぎゃにゃああああああ!」
「「「へ?」」」
「あー、うん。だよねー」
「っ~~~~」
唐突に誰も聞いたことがない様な絶叫を上げたカイトに対して、妖精たちは何時ものこと、と呆れてユリィがしかめっ面で耳をふさぐ。その一方、カイトは己の肩に落ちてきたそれを大慌てで、しかも魔術で触らない様にして吹き飛ばしていた。
「うるさいなー……」
「はぁ……はぁ……はぁ……」
呆れ返るユリィに対して、ぶるぶるぶる、と鼻息荒くカイトが震える。その表情はあえて言えば、嫌悪感が盛大に滲んでいた。しかも見える肌には鳥肌が立ち、これが演技ではない事を誰しもにわからせていた。
「……あ、あの、カイトさん?」
「なんだ!?」
「いえ、あの……先程のは?」
「毛虫に決まってるだろ!?」
瑞樹の問いかけにカイトが声を荒げる。まぁ、見たままである。彼の肩に降ってきたのは、一匹の毛虫だ。そうして、カイトは更に全身を擦って珍しく素直な嫌悪感を口にした。
「あー! 思い出すだけで体中がゾワッと! うぁああああ……ふぅ。落ち着いた。悪い」
「あいっかわらず苦手だよねー、虫」
「しょうがないだろ、苦手なもんは苦手なんだから……」
まとめ役の呆れた表情にカイトは拗ねた様に口を尖らせる。あえていう必要もない事であるが、カイトとて人である。苦手な物は一つならずとも存在している。それは食べ物も然りだし、生き物も然りなのである。少なくとも妖精達がもう茶化すのも止めるぐらいには、彼は虫が大の苦手なのであった。
「苦手、なんですの?」
「悪いかよ」
「そんな拗ねないでくださいな」
相変わらず子供の様に口を尖らせて不貞腐れるカイトに対して、瑞樹は思わず肩を震わせる。こういう弱い一面は滅多に見れないのだ。珍しく子供っぽさが前面に出たカイトを見て面白そうだった。と、そんなカイトはふてくされた様子で少しだけ、語り始めた。
「虫だけは、無理なんだよ。もうどう無理とか言うの無理なぐらい無理」
「実際さー、カイトの虫嫌いって根っからだもんねー」
ユリィが呆れながらカイトのある意味での弱点について言及する。当たり前だが彼女は勿論知っている。もう彼女が茶化す事もなく呆れている時点で、どの程度かはお察しだろう。というわけで、その状況を羅列し始める。
「まずどれだけ言われても食料に入れない」
「当たり前だ。あれは三人での合意の上だった」
「寝袋に入らない様に寝袋は完全オーダーメイドの密閉式」
「当たり前。寒さも防げるし、光も溢れない。安全もきちんと重要視してる……ってか、オーダーメイドはお前の為だろ」
ユリィの言及にカイトは即座に応ずる。とりあえず、嫌いらしい。なお、大規模な野営地を設けないテント等で使う寝袋は密閉式の方が遥かに値が張る。おまけに周囲の見通しが悪くなるのであまり冒険者には好まれない。
根の大阪人気質というかもったいない精神を持つ彼が色々と理由を付けてまで虫に入られない事を重要視するぐらいなのだから、よほどである。なお、カイトの言う三人とはカイトを含め、ルクス、ウィルの三人である。前者は虫嫌いなので、後者二人は美食家としてゲテモノ料理は認めないそうである。
「さっすがの私も呆れたわ」
「嫌いなもんは嫌いなんでーす」
ユリィが肩を竦めたのに対して、カイトは盛大に開き直る。なお、勿論の事であるが、ユリィは一度は虫を使ってカイトにいたずらを仕掛けた事がある。
その結果なのだが、詳しい過程は省くがユリィが丸こげになったらしい。これはカイトが意図しての事ではない。防衛反応で虫を咄嗟に焼き払ったそうだ。そのレベルである。そのある意味の悪夢があるので、ユリィも妖精達も一切カイトへ対して虫を使ったいたずらだけは仕掛けないそうだ。というわけで、それを知る妖精達がため息を吐いた。
「はぁ……変わんないのは良いんだけどさ……だから今カイトは来ると思ってなかったんだよね」
「どういうことだ?」
「まぁ、良いや。とりあえず事情を説明するから、レミィの所、行こう。どっちにしろ薬草は兎も角、花の種はそっち行かないと駄目だからね」
カイトの問いかけにまとめ役が移動を開始する。どうやら、妖精たちの里へ移動してレミィから事情を説明させる事にしたようだ。確かに何か問題が起きている様子なのだ。
それを考えれば、戦士達がこんな所で長々と話しているわけにもいかないだろう。そうして、カイト達は一路妖精達の里へと案内される事になるのだった。
お読み頂きありがとうございました。カイト、実は小さな虫が超苦手。
次回予告:第1172話『西からの来訪者』




