第1169話 母の花を
カイトは皇国の依頼により教皇ユナルの娘にして自身もルクセリオン教国の枢機卿であるアユルへと探りを入れる為、彼女が常日頃控えているルクセリオン教の教会へと足を運んでいた。
そこでのやり取りにより幾つかの気になる情報を得たカイトであるが、そんなアユルからの話題の一つという事で彼女からの依頼を受ける事になる。
「それで、依頼とは?」
「花の種、もしくは花の苗が欲しいのです」
「花の種……ですか? それならば公爵家の方に言えば手に入ると思うのですが……」
カイトはアユルの言葉に首を傾げながら、公爵家に頼めばなんとかなるのでは、と問いかける。彼女らは人質と言えども表向きは教国からの使者だ。なので公爵家に頼めば大凡なんとかなる様にカイトも手はずを整えさせている。もしそこに手抜かりがあるのなら、これはカイトが言って是正させるべき事だ。それに、アユルは首を振った。
「ああ、いえ。確かに市販はされてはいるかもしれないのですが……ここらでは見当たらない、と」
「見当たらない? 珍しい花なのですか?」
「ええ……この花です」
アユルはそう言うと、一枚の写真を取り出した。それは一つの花壇を写した写真だ。写真そのものについては若干色褪せていて、そこそこの古さが感じられていた。
「これは?」
「父がまだ司教だった頃、故郷で育てていた花壇です。写っている後ろ姿は母です。と言っても後ろ姿で麦わら帽でわかりませんが。他にも写真はあるのですが……その、私が最近撮った物なので……」
少し照れくさそうにこの写真がどこで撮られた物なのかをアユルが語る。後に語られた事なのだが、どうやら彼女は趣味としてガーデニングをしているらしい。
確かにこの教会にも花壇はあるが、それはあくまでも実用的な意味での花壇だ。ガーデニングとは言い難い。植わっているのはハーブ類が殆どだ。そこらを自分好みに改良してみよう、という所だろう。
「ふむ……お借りしても?」
「ええ」
アユルはカイトへと写真を差し出す。そもそも依頼をしたのは彼女だ。断る道理がない。
「ふむ……パンジーやデイジー、チューリップ等が大半に見えますが……」
カイトは一人の長い金髪の女性の後ろ姿が写った写真を受け取ると、花壇に植わっている花を見る。場所はどこかの教会の前。教会は白塗りの木造建築で長閑だが、味のある見た目だ。それがまたこの花壇にはよく似合っていた。
女性にしても園芸をやらされている感はなく、好き好んでやっている感じが滲んでいた。こちらに気付いた様子はない。隠し撮りという所ではないが、かつての教皇ユナルがいたずらで撮ったのだろうと察せられた。なお、女性の腕にはアユルと同じ金色の腕輪があり、この女性が母で、この腕輪が母からの遺品であると理解出来た。
「母の付近を見てもらえますか?」
「はぁ……」
カイトはアユルの指示に従って、少し遠くのアユルの母の付近の花を見る。そこにはコスモスにも似た何らかの花が植えられており、アユルの母はそれを手入れしている様子だった。
「ん?」
「わかりますか?」
「あ、いえ……もしやこの小さな足は」
「ああ! それではないです! 花です、花!」
アユルは顔を真っ赤にしながらカイトを制止する。写真には殆ど写っていなかったがアユルの母の後ろ側には抱きかかえられる様にしている金髪の髪が写っており、よく見ればかがんだアユルの母の側にもう一つ小さな手足が写っていた。顔等は母親の影になりわからなかったが、これは幼き日のアユルという事なのだろう。
「あはは……えっと……この花は……ああ、これは……」
アユルの慌てた様子に一度笑ったカイトだが、仕事は仕事と気を切り替える。そうして再び花壇に目を落とし、そこにある碧色の花を観察する。そうして少し目を凝らしてみて、確かに珍しい花だと理解した。
「翡翠花……もしかして、グリーン・コスモスですか?」
「はい。通称グリーン・コスモス……よくご存知ですね」
「相棒と言うかウチのマスコットも園芸やってますから……図鑑で一度。それにハーブ等は我々も使いますからね。その折りに何度か図鑑で」
カイトは当たり障りのない言い訳をしておく。そしてこれについては嘘はない。ユリィからそういう花がある事は聞いていた。
「そうでしたか……まぁ、それなら珍しいという事は?」
「ええ。滅多に出回らないと伺っています」
「それを、なんとか出来ないでしょうか? 母が好んだ花でして……是非とも、育てたいのです。用意して頂いた家には温室もありますから、上手くやれば次の春には教会の花壇にも植え替えられるかな、と」
「なるほど……」
確かに、これなら不思議はないな。カイトも彼女が自分達に依頼した理由に納得する。この花は二人の言う通り珍しい品種で、一応マクダウェル領内でも自生はしているものの場所が場所故に種も苗も滅多に出回らないのだ。
そして生育についても難しく、園芸向きではない為に尚更に出回らない。これを花壇いっぱいになるぐらいに育てられていた様子から、アユルの母は相当な園芸の腕前だと理解出来た。そしてアユル自身、この花を育てたいという所からその母への憧れもあるのだろう、と察せられた。
「ふむ……」
カイトはアユルからの依頼内容を考える。受ける受けないは達成の見込みがあるか無いかを考えてからだろう。そうしてまず考えたのは、これがどこで自生するかだ。
(翡翠の花は基本的に妖精達の所に行けば手に入るが……そこ以外となると一部の高山か、一部のエルフ達の森か……ここらだと……)
カイトはしばらく、黙考する。ここら、カイトが依頼について考えている事が誰にでも察せられた為、誰かが何かを言う事はなかった。
(エルフ達の里だと……ああ、近くの所は無いか……少し遠出をする事になるか……となると高山は……ふむ……秋口だから厳しいといえば厳しいか……? 妖精達の所へ行くべきか……?)
プランは二つ。一つは龍族達の自治区の近くの山に向かって自生地を見つけるプラン。もう一つは、妖精達の里へと向かい妖精達が保有しているだろう種を分けてもらうプラン。
どちらも見つかる可能性はある。が、より確実なのは妖精達から貰い受ける方だが、こちらは少し遠出になるので時間が必要だ。そこらは聞いておくべきだろう。
「お時間の程はどれぐらい頂けますか?」
「急ぎませんよ」
「そうですか……でしたら、可能です。大凡一週間もあれば確実に入手可能かと」
急がないのであれば、妖精達の里へ向かえば良い。カイトはそう判断すると、確実に入手出来ると判断する。
「そうですか。では、お願いしても?」
「はい。見積もりについては後程お持ちします。そちらにも予算があるでしょうし……」
「わかりました」
カイトの言葉にアユルが同意する。これで、とりあえずの合意が得られたと考えて良いだろう。というわけで、カイトはアリスを伴ってギルドホームへと帰る事にする。何をするにしてもまずは見積もりや予定を立てる必要がある。その為にも、まずは帰らねばならないのだろう。
「ただいまー」
「只今戻りました」
カイトとアリスが揃って帰還を告げる。どうやら、出ていっていた面子も大凡戻ってきていた様子だった。が、何か話し合いが起きていたらしく、少々困った様な空気が蔓延していた。
「ん? どうした?」
「あ、カイトさん。丁度良い所に」
帰って来たカイトに気付いた瑞樹が声を掛ける。どうやら、少々カイトの力を借りたい事態だったらしい。
「どうした?」
「天竜達の事ですわ」
「怪我、まだ治らないか?」
「ええ……」
瑞樹がカイトの問いかけに少し心配そうに頷いた。『虹を纏う獣』との戦いで、天竜達は各々程度の差はあれど怪我を負っていた。これについてはカイトも申し訳なく思う事であるが、冒険者という職業柄これだけは避けられない事だと全員納得の上での事だ。
とは言え、怪我を負ったのなら無茶をさせるわけもなく、カイトも竜騎士部隊の全員に命じてしばらくの間は天竜達を労ってやる様に命を下していた。いたのだが、そこで何か問題が起きたという事なのだろう。
「それで、少々薬草を取りに行きたいと思うのですわ」
「ああ、薬草をね……」
カイトは瑞樹の申し出になるほど、と納得する。やはり天竜と人、魔物と人だ。どうしても体質や肉体構造等は異なっており、人に効果的な薬草と竜達に効果的な薬草は異なっている。それを見越してカイトもきちんと竜達用の薬草の備蓄は購入しているが、より上質な物を入手したい、という事なのだろう。
「ナダルの爺から何か聞いているか?」
「ええ。怪我については総じてそこまで悪くはないのですが、今回の事もありしばらくは良い薬草を使った餌を与えるべきだろう、と。それでそこらなら相談してみるようにとの事ですわね」
「なるほどね……確かに、それは道理か」
カイトは瑞樹の言伝を理解する。天竜達の怪我を治すにはやはり餌の改良が一番手っ取り早い。医食同源と言うが、回復薬がある意味ご飯に近い天竜達にとってみればそれはまさに真実だ。そこを改善しよう、というのは良い考えだろう。謂わば病院食や病人食という考えで良い。
「そうか……うん、なら丁度良いか」
「どういうことですの?」
「ああ、うん。丁度妖精達の里に出向く用事が出来てな。あそこなら貴重な薬草もかなり自生しているから、取りに行くなら丁度よい話になる」
「ああ、そういう……」
カイトが以前行った時にも言われていたが、妖精達の里には元々貴重な薬草が自生しているエリアはかなり多い。そこには当然、竜達に効く薬草も自生している。勿論、妖精達が育てていたりもする。
自生しているのは高山にも言えた事だが、確実に手に入るのは育てられているこちらだ。品種にもしっかりと分類がされていて、間違いもない。であれば、やはり今回は妖精達の里へと向かう事にすべきだろう。
「じゃあ、瑞樹も同行するか?」
「そうですわね。ご一緒させて頂きますわ」
「良し……ああ、椿。そういうことだからとりあえず日程を立ててもらえるか? アユル卿から依頼で少々妖精達の里へと出かける必要が出来た」
「かしこまりました」
カイトの言葉に椿が腰を折る。ここら、やはり相手が枢機卿ならその予定が優先されるべきだろう。と、そんなある意味では馴染みの名を出されて、ルーファウスが興味を持つ。
「アユル卿からの?」
「ああ。花を育てたいらしいのだが、ちょっと種が手に入りにくい種でな。母君が好んだ物らしい」
「翡翠花です」
カイトの言葉をアリスが補足する。とは言え、ここらアリスも女の子かつ騎士学校の出だから知っているのであって、同じ騎士学校出身でもルーファウスは知らなかったようだ。
「翡翠……花?」
「学校の中庭に植えられていたコスモスに似た碧色の花です……兄さんは馴染みなかったでしょうけど」
「……ひどい言い方だな」
「否定できますか?」
「……すまん」
アリスの物言いに抗議の声を上げたルーファウスであるが、どうやら否定は出来なかったらしい。なお、カイト達は知る由もないが教国の騎士学校の中庭にはアユルが植えた花が植えられているらしい。
騎士学校というが厳密には騎士達以外も居るようだ。どちらかと言えば、宗教学校という所なのだろう。そこにはやはりグリーン・コスモスが植えられており、中庭を中心としてお昼を食べる事の多い女子生徒達は知っているらしい。
「あはは……まぁ、そういうわけでな。翡翠花、通称グリーン・コスモスを手に入れて欲しい、と依頼があった」
「ふむ……そういうことであれば、俺も同行させて貰おう。枢機卿からのご依頼とあれば、俺とアリスも行くべきだろう。アリス、大丈夫か?」
「はい、大丈夫です」
「わかった。じゃあ、二人も同行という事で」
ここら、カイトに二人の指示権限はない。あくまでも二人は出向という形でこちらに来ているだけだ。その二人が枢機卿の事を斟酌して動くというのであれば、カイト達に拒める道理はなかった。
「良し……じゃあちょっと依頼の見積書とか色々と整えるから、その間二人は瑞樹と一緒に依頼の用意を整えておいてくれ。ついでだからさほどの費用にはならんはずだから、すぐに終わらせられるだろうしな」
「わかりましたわ。では、二人はこちらへ」
「かたじけない」
「お願いします」
自分の執務用の机に向かうカイトに対して、瑞樹がアリスとルーファウスを連れて執務室を後にする。そうして、カイトはその一方で椿と共に即座に見積書を仕上げて、その日の内に再び教会へと持っていく事にするのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第1170話『迷いの森へ』




