第1160話 虹の厄災・3
湖底に沈んだ遺跡の奥深く。その実験エリアと思しき領域に封印されていた神話に語られる大戦の敵たる『虹を纏う獣』。このかつての文明を滅ぼした敵との遭遇により、カイト達冒険部は撤退を余儀なくされる。が、その撤退もまた、知性を持つと判明した『虹を纏う獣』により困難な状態に陥っていた。
「はぁ……」
アルとルーファウスを医務室へと連れて行ったカイトがため息を吐いた。というのも、二人ともあまり状況は芳しくなかったからだ。即時入院を言い渡された。しばらくは、戦線離脱は確実だろう。
「どうじゃった?」
「難しい。虹がどういうものかわからない所為で、いまいち対処が出来ないようだ。命に関わる程ではない、というのがミースの見立てだが……」
「ふむ……にっちもさっちもいかんのう……」
ティナが顔を顰める。近接攻撃も駄目、遠距離攻撃も駄目、だ。まさに手も足も出ないとはこの事だ。一応、短期決戦を挑めばなんとかなるとは思うが、敵の事を考えればそれもあまり得策とは思えない。
「とりあえず、一時撤退かのう」
「それしかない、か……どれだけ時間稼ぎが出来てくれるか……」
カイトは放っていた使い魔を通して、結界の状況を観察する。流石にこの状況だ。飛空艇も遠巻きにさせて、近寄らないように指示してある。
「まだなんとか、って所か……咄嗟に自律式を選んだのは、流石というべきか……」
「ふむ……そうでなければ今頃、と言う所かのう……おそらく、敢えて油断させる為に虹を侵食させなんだか」
「だろうな」
その前の結界を展開している段階で何故侵食が無かったのか、という事を二人は推測する。あの時点でも本来ならば、虹を侵食させられたはずだ。
だが、『虹を纏う獣』はそれをしなかった。それはなぜか。獲物が一箇所に集まるのを促す為だ。敢えて、カイト達の避難を促していたのである。効率的に、そして確実に仕留める為には飛空艇という箱の中に入れてしまった方が良い。そう判断していたのだろう。明らかに知性がある判断で、決して獣ではなかった。
「まともに戦っては軍じゃ勝てそうな相手じゃあないか」
「というより、軍では無理じゃろうな。あれは流石に……うむ。なんというか素直に賞賛しよう。かつての文明が滅ぼされたのもようわかる」
ティナは敵ながらあっぱれと惜しみない賞賛を送る。が、その顔に苦味があったのは、やはり戦わねばならぬ身なればこそだろう。滅ぼされるわけには、いかないのだ。
「とりあえずティナ。お前は撤退を。ユリィはその補佐を。オレは先に向こうに行って軍の指揮を取る」
「うむ、そうせい。流石にこれは拙い」
「うーん、それしかないかー」
カイトの要請をティナとユリィが受け入れる。兎にも角にも、これは組織だって動かねば下手を打つと国の壊滅さえあり得る敵だ。まだマクダウェル家という色々と特殊な対処が可能な家だからこそなんとかなっているが、それだって危険は危険だ。油断は出来ない。
クオン達に要請するなりするにしても、少なくともカイトが出るべき事態ではあった。というわけで、彼はそのまま艦橋から取って返すようにして公爵家へと転移術で移動する。
「お兄様」
「ああ……現状は?」
「はい。とりあえず飛空艇の艦隊は少し距離を取らせました。それで、結界ですが……」
「わかっている。見えてる……ゆっくり、だが確実にこちらに向かってきているな。今は凡そ、世界の情勢を見極めているという所か。油断が無い」
カイトは使い魔を通して送られてくる映像を見ながら、クズハの言葉に応ずる。結界はすでに破られていた。どうやら、かつてカイト達が戦ったかの邪神の神使もどきよりも遥かに強いらしい。
「厄介だな……ウチの奴らでも超級を出さないと駄目な領域か。先史文明が滅んだのも無理はない。こんなのが複数、その上信仰も奪われ、か……」
カイトは思わず、笑いが出た。というより、笑うしかない。彼の部隊というと、その存在そのものが伝説級だ。戦士となると平均がランクSというぶっ飛び具合だ。
が、それでも数で囲んでも勝ち目は薄いと言わざるを得なかった。相手は知性を持っている。普通の魔物を討伐するのと同じに考えていれば、確実に痛い目に遭うだろう。
「お兄様。笑っている場合では」
「わかってる……さて、どうするかな……」
カイトは慌ただしく動く司令部にて、少しだけ黙考を開始する。兎にも角にも、何か手を考えねばならないのだ。とはいえ、いつまでもそのままではいられないのも事実だった。
「……お兄様。陛下よりご連絡が。どうやら、陛下の耳にも入った模様です」
「……そちらに対処は任せる。あまり切りたくない札だが、一つ手がある」
「それは?」
「……あれは地球に端を発する神が何らかの事情でこちらに招き寄せられた結果、ああなったわけだ。であれば……地球の神の力が通用するかもしれない」
カイトはそう言うと立ち上がる。流石に地球の神の力が使えるのはカイトただ一人だけだ。ティナでも流石に厳しい。というのも、彼女は地球の神々に関わりはしたもののその加護等を受けていたりはしないのだ。こちらの存在として、安易な干渉はしない事にしていたらしい。
いや、これはどちらかというとどの世界だろうと節操もなく神の力をホイホイと受け入れるカイトが可怪しいだけなので、彼女が珍しいわけではない。彼女が普通だ。
とは言え、今回はカイトの判断が良く働いている。まだ虹の力についてはアル達よりも遥かにマシだし、今回は切り札になり得るかもしれないのだ。悪くはないだろう。
「通用するのでしょうか」
「……わからん。それに正直、あまり切りたい手札でもない。あまりに属人的すぎて、オレ以外では替えが効かない。今後を見据えれば使いたくはないんだが……」
カイトは僅かに苦渋を滲ませる。だがしかし、ここで使わなければどこかの街が壊滅するだけだ。まだ相手がゆっくり移動してくれているだけで、何時速度を上げるかもわからない。
更には勿論、何時どこで方向転換して手頃な街を襲うかも不明だ。今はまだ飛空艇が逃げた方角に向かってゆっくりと移動しているだけだが、それも何時まで続く事かはわからない。もしどこかでキャラバンを見つけたとすれば、そちらを追いかけるかもしれないのだ。使いたくない云々を言える状況ではなかった。
「仕方がない。まずは、人命優先。この地を預かる者である以上、民達への被害は是が非でも抑えねばならん。それに陛下も今頃、気を揉んでらっしゃる事だろう。オレが対処に入った、と言うだけでも随分違うはずだ」
「そう……ですね。かしこまりました……では、ご武運を」
「ああ……周囲の飛空艇には距離を取らせろ。魔術的に地球と似たような状況を創り出す。飛空艇に何かがあれば大事だ。敵との会敵ポイントはここからおよそ150キロ北西の荒野とする。あそこなら、何があっても被害はないはずだ」
「わかりました」
カイトの指示にクズハが早速手はずを整えるべく各所へと連絡を入れ始める。カイトが出るという話だし、更には特殊な力を展開するというのだ。飛空艇がもしまともに行動出来なくなればそれだけで甚大な被害が出る。遠ざけておくのは、基本だろう。そうして、それを背にカイトは移動を開始する。
「……ここら辺で大丈夫……かな。クズハ、敵の進路は?」
『敵、速度を上げて移動しています』
「速度を上げた?」
『はい。お兄様が転移術でそちらに移動したと同時に、速度を更に』
「どういうつもりだ……?」
何故、自分が来ると同時に速度を上げたのか。カイトは僅かに不可解な状況に首を傾げる。とは言え、もしかしたら、ということはある。
「シャルの神使である事を見抜いていた……? いや……もしかして地球人だとわかったか? 何が起きたか知ろうとしている可能性はあるな……」
カイトは僅かに眉根を付けて敵の思惑を推測する。数度矛を交えた感想だが、『虹を纏う獣』がカイトを集中的に攻撃したという事は無かった。強敵と認識はされているのだろうが、その程度だ。敢えて言えば要注意人物。その程度のはずだ。が、たしかに今とさっきで違う所があるのも事実だ。
「いや……今はさっき以上に出力を上げているから、神使だと気付いても不思議はないか。とりあえず、推測は後にすべきか」
カイトはそう言うと、気合を入れ直す。と、そうして少しすると、速度を上げたらしい『虹を纏う獣』の気配がカイトの肌にまで届いてきた。相当速度を上げたようだ。
「来たか」
『カイト。聞こえておるな?』
「ああ、ティナか。そっち、軍の司令部か?」
『うむ。余が臨時で全ての指揮を担おう。何をするかは大凡聞いた。故にユリィもこちらに留めておいた。流石に慣れもせぬ空間に放り込まれるのはあれでもつらかろうからのう』
「すまん。それと助かった。これで後顧の憂いなく戦える」
カイトは一気に気楽さを滲ませる。彼女らが後ろに居てくれると言うだけで、一気に安心感が違う。
『準備は?』
「すでに……後は、引っかかってくれるだけだが……」
カイトは一切の油断なく、準備を整えていた。当たり前だが、地球を同じ状況を創り出すというのに一瞬というのはカイトには不可能に近い芸当だ。
故に距離にはかなりの余裕を設けていたわけだし、出力をいつも以上に高めていたのである。とは言え、敵に違和感を感じさせない為にも、今はまだ異変は起こしていないだけだ。
『相対距離、20キロの地点を通過……監視の飛空艇離脱……』
カイトの耳には、風の音とティナの声だけが響く。
「効果範囲は1キロ……全力展開すればもう少し伸ばせるが……流石に気付かれかねないし逃げられかねない……」
カイトは小声で己のなすべきこと、己のなせることを口にして確認する。おそらく1キロであれば今の敵の速度からすれば一瞬と言える距離のはずだ。そこに上手いように嵌めなければならないのだ。刹那のタイミングで敵の動きを見切る必要があった。
『相対距離5キロ。準備は良いな?』
「ああ」
カイトは轟音と共に走ってくる『虹を纏う獣』を見据える。荒野を選んだ理由は二つ。一つは、周囲に被害を生まないため。もう一つは、それが最適だからだ。
「……」
『虹を纏う獣』の巨体が、数秒で一キロという距離を駆け抜ける。が、それはまだ今だからであって、敵を見据えればたった一歩でその一キロを駆け抜けるだろう。それ故、彼に与えられた猶予はその一歩のみ。その瞬間を逃さず発動せねばならなかった。
「<<認識加速>>」
後数歩。そこにたどり着いたタイミングで、カイトは一気に己の認識を加速させる。これは別に不思議な事ではない。故に、『虹を纏う獣』も何かの違和感を感じる事はなかった。
そうして、瞬く間に相対距離が二キロを切った。後、数歩。それだけしか残されていない。そして次の一瞬には、最後の一歩の為の足が上げられた。
(ここだ!)
最後の一歩が踏み出されると同時に、カイトが行動に入る。すでに足は振り上げられようとしている。次の着地ポイントで、『虹を纏う獣』は己の術技の範囲内に完全に身体を入れる。すでに足を上げる体勢に入っている相手は止められないはずだ。
「行くぜ!」
カイトは右手を天へと掲げると同時に、今まで練りに練っていた魔術を二つ展開する。一つ目は、使徒化と呼ばれる地球独自の力だ。地球に居るミカエルやガブリエルらという有名な天使達より授けられる力で、擬似的にその天使の力を借り受けるという技法だった。
それは本来は、天使達の居る地球でしか使えないはずだった。が、カイトは授けられた相手の特殊性により、異世界でも可能というある意味チートにも近しい特典を得ていたのである。
それで身に宿すのは、かつては天使達の長と言われ、今では堕天使の王とも悪魔の王とも言われるルシフェル。彼が最も懇意にしていて、ティナが唯一同格と認めている少女の力だ。そして同時に、イクスフォスの妹でもあった。故に、異世界でもこの力が使えるのである。
「<<天宮図>>展開!」
ついで、カイトはこの使徒化でしか使えない特殊な魔術を展開する。これこそが、魔術的にこの場を地球と同じにしてしまうある種の秘術だった。
それはイクスフォスと同じ種族故に世界を渡り歩ける力を持つルシフェルという少女と、それが地球での縁により一時的になっていた神使という立場、そしてその神の特殊性より生み出された使徒化という特殊な技法。これらが兼ね備えられた事により生まれた、カイト以外にはだれも使えない秘術だった。
「星辰を固定!」
カイトはそう言うと振り上げた右手を一気に、地面へと叩き付ける。そして、その瞬間。彼の右手を中心として、土地は渇き周囲には埃っぽく乾いた空気が広がっていく。
が、異変が起きているのはそれだけではなかった。それに従ってその周辺はまるで夜闇の如くに闇の帳が舞い降りて、日の光を奪っていく。
「いでよ、『帰還する事のない土地』!」
カイトの口決と共に、一気に異常は加速する。それは、地球最古の文明と呼ばれるメソポタミア文明の神・エレシュキガルの力だ。彼は地球での活躍によりエレシュキガルとイシュタルという姉妹の加護を受けており、使徒化を併用する事で異世界でも地球そのもののようにその力を振るう事が出来たのである。
そして得たエレシュキガルの力は、己を中心として冥界を発生させること。そして、その内部でならばありとあらゆる生命――それは神をも含む――には逃れ得ない絶対命令権限を行使できるという事だった。『冥府の女主人』と呼ばれる彼女だからこその力だった。
「っ! 何!?」
が、その力は失敗に終わる。いや、失敗ではない。正常に冥界は展開され、彼の周囲には擬似的な『帰還する事のない土地』が生じている。そこには一切の不備も失敗もありはしない。
では、何が失敗だったのか。最後の一歩を敵が踏みしめると同時に展開したこの力が『虹を纏う獣』を飲み込むよりも前に、敵が転移術で一気に距離を取ったのである。
「なん……だと……」
今まで自分へと一直線だったはずが唐突に消えた敵に、カイトは思わず愕然となる。完全に決まったはずのタイミングだ。逃れようのないタイミングを狙い撃った。
更にはそれだけではない。荒野を選んだのだって、その為だ。この力は空間そのものを塗り替える為、元の空間と異なれば異なるほど違和感は大きくなる。湿原で使えば違和感なぞあまりに明白だろう。
そこから違和感を覚えられるのを避ける為に、彼は敢えて荒野を戦場としたのだ。だというのに、この『虹を纏う獣』はその必殺のタイミングと万全の体制から逃れた。彼が愕然となり我を忘れるのも、無理はなかった。
『カイト! 呆けるでないぞ!』
「っ! ちぃ!」
ティナの叱咤で我を取り戻したカイトは舌打ち一つで、気を取り直す。どうして敵がこの切り札と必殺のタイミングから逃れられたかはわからない。が、少なくともここが危険だと認識はしているらしい。
距離を取り、決して彼へと近づこうとはしていなかった。あれだけ猛烈な勢いで突進していたのに、今は一切動かないのだ。そうして、己の切り札の一つから逃れた『虹を纏う獣』とカイトはしばし、にらみ合いを行う事になるのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第1161話『虹の厄災』




