第1129話 閑話 ――ある男との物語――
幾つかサブタイ等でご提案を頂いたのですが、昨日は夕刻より頭痛で寝てしまいました。本日以降で対応していくつもりです。
唐突でご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。が、ご理解ください。
この世界は地獄だと思う。昨日は灼熱の太陽の照りつける日だと思えば、次の日は真冬の様な気候の時もよくある話だ。もし万が一安全地帯の確保が出来なければ、容赦なく死ぬだけだ。そう言う意味で言えば、飼い殺しも悪くは無かった。
「……今日は、冬か……流石にこれは駄目ね。この勢いから見て、二日は続きそう……」
私は街の外に吹き荒ぶブリザードを見ながら、呟いた。捕らえられてから数日。食事は運ばれてくるし、時折隙を見てはカイトやヴィヴィアンがやってきた。が、勿論それでほだされるつもりはない。まだ脱出は諦めていない。
信頼するだけバカなこの世界で、誰かの下につくというのはほぼほぼ奴隷に等しい。私の様な若い女であれば、確実にそれは性欲の処理も含まれた話だ。故に、一匹狼。信じる者なぞおらず、信じてくれる者も居ない。
「何時まで、幸運が続く事かしらね……」
下腹部を見ながら小さく、私はつぶやく。幸運。それはカイトの心変わりだ。彼とて人である以上性欲はあろうし、いつまでも飼い殺すつもりも無いだろう。もし万が一彼が望めば、私はおそらく問答無用に股を開かせられる。
彼のイチモツを噛み切ってやるぐらいの気概はあるが、相手が相手故にそれは得策でも可能でもないぐらい理解している。そこについては、捕らえられた時点で諦めている。処女だが、仕方がない。それを喪って生きれるのであれば、それぐらいはくれてやる。
まぁ、勿論。女である事を活かしてそういった者達に媚を売って生きる生き方というのも存在はしている。とは言え、それは私には賢いやり方とは思えなかった。
「万が一でも幸運に恵まれれば、良いのだけど……」
何故か。それは非常に簡単かつ明瞭な話だ。そういう奴らは自分の欲求を満たす事だけが重要で、避妊なぞ全く考えていないからだ。子供が出来た瞬間、邪魔になって捨てられるかよくて他の部下達の慰み者にされるだけだ。後者であればまだしも、前者ならば悲惨の一言も出せない。
お荷物を抱えてボロボロになるしかない。そんな女性は山ほど見た。ここでは自分を守ってくれるでもない子供なぞ邪魔なだけだ。共倒れになるだけだし、よしんば自らの身を犠牲にして子供を生き残らせた所でその子は誰の庇護も受けられない。
男の慰み者として生きるのも、ここでは決して賢い生き方ではなかった。自分の事は、自分でするしかない。子供なんぞに構ってはいられない。明日は我が身なのだ。
「よー、ユリィちゃん。元気してるかー?」
「また来たの?」
やって来たカイトに私は大いに顔を顰めた。見回りの兵士もおらず、まるで抜け出してくださいと言わんばかりの牢屋。護衛はおそらく――姿が見えないからだ――ヴィヴィアンのみ。まるで殺してくださいと言わんばかりだ。
勿論、ここから出た暁にはこいつとヴィヴィアンだけは絶対に殺そうと思っている。捕らえられ、虜囚という恥辱を与えられたのだ。きちんと、代償は支払ってもらう。
「いっや、天気この有様だろ? 一応、『天蓋』で遮断してるけど太陽の光が無い所為で街中も寒いからさー。まぁ、雪が降ったり嵐が来たりしてくれないと水の確保が出来ないからそれはそれで問題なんだけどな。一応、街にも水脈はあるが……万が一に備えてはおきたいからな」
いつも通りどこからか持ってきた椅子に腰掛けたカイトは若干苦味を滲ませながら、持ってきていたカバンを開く。どうやら、差し入れらしい。
『天蓋』とはこの街を覆い尽くす巨大な膜の事だ。一応、魔術的な結界らしい。が、詳しい事は私にはわからない。一説には、彼が考案したらしい。それによってこの街の安全を確保しているそうだ。
相当強固な結界で、常時展開しているというのにどのような外敵からも内側の者達を守ってくれていた。この『天蓋』の入手は、私の――そして私と共にここに来た盗賊達の――もう一つの目的だった。
これがあれば外で相当有利に立ち回れる。いや、それこそこの地獄において正真正銘の王として振る舞えさえするだろう。彼が王と称されるのも道理だ。それだけの財宝を、彼は持っていた。
「ほら、コート。流石に寒いだろ」
「……」
私は差し出されたコートを無言で受け取る。寒いのは事実だ。プライドなぞすでに無い。プライドなぞそこらを跳んでいた兎に餌として与えてやった。その兎はその代わり、私の二日分の食料になってくれた。その時点で、プライドなぞドブに捨てた。
「……で? 今日こそ、私に股を開けとでも言いに来たの?」
「おいおい……だから嫁居るんだってば……」
礼の代わりに言った私の言葉に、カイトはがっくりと肩を落とした。私がこれを問いかける度に、これだ。妻がいる。彼はそう言って肩を竦めるのだ。
が、その妻は一度も見たことがないし、彼以外からは語られた事がない。というわけで、暇だったことと興味が少しあった事もあり、問いかけてみる事にした。
「それはヴィヴィアンという女? それとも私に食事を持ってくるあの修道女?」
「いや、モルでもヴィヴィでもねぇよ」
「……妄想?」
「うぉい!」
彼が怒鳴る。とは言え、それぐらいしか私が見ている限りでは彼の周りに女性の影が無いのだ。そう思うのも無理はなかった。そうして、ゆっくりと彼が聞いてもいないのに語り始める。
「……外にな。幼馴染だ」
「外……」
彼の言葉に、私はここ以外の世界の事を思い出す。かつては、私もそこに居た。ここは地獄。『奈落』というのが正式名称だ。ゴミ捨て場でも良いとは思う。ここで生まれた以外はすべからく、外から落とされてきた者ばかりだ。そうして思い出してしまったからだろう。懐かしくなった私は更に問いかける。
「……どこに住んでたわけ?」
「ん? ああ、王都から西に馬車で3日って所の小さな村だ。有名な物は何もない、本当にのどかで良い村だよ」
「西に3日……」
聞いた事があった。というのも、私は今でこそ盗賊だが元々は王城に勤めていたからだ。そしてそれ故、有名な所が何もないという言葉が正確ではないと理解した。
「それ……まさか……引退した近衛兵団団長ギルガメッシュの居るという村?」
「よくわかったなー。もうかなり前の事だから覚えてる奴なんて殆ど居ないと思ったのに……」
どうやら、当たりだったらしい。彼が目を見開いていた。まぁ、確かにさほど有名な事ではない。ギルガメッシュの名を知っている者は多い。かつて彼が近衛兵団の団長であった事や王国軍陸軍大将への昇進を蹴って引退を宣言した話は有名になったが、今いる王城の大半は知らないだろう。
所詮、話題なぞそんなものだ。何故引退したのか、どこへ行ったのか、というのはその分野の者達でなければ最早知らない事になっていた。私にしても職務上どこへ行ったか知っていただけで、何故引退したか、今は何を、という所までは知らない。
「……彼が居た時代ではないけど、王城に勤めていたから」
「メイドさん?」
「文官よ」
むっ、とした様子で私が告げる。これでもそこそこ良い地位には居た。将来有望だとも言われていた。が、それ故にここに居たわけでもある。そうして言ってしまったからだろう。忘れていたはずの怒りが湧いてしまい、思わず原因を口にしてしまった。
「……上司に嵌められたの。賄賂受け取ってるのを偶然知っちゃって、口封じ。元々、あのクズには疎まれてたし」
「そりゃ……ご愁傷様。まぁ、オレも似たようなもんだ。嵌めたのは『王』達だけどな」
彼の言葉に少しだけ、同情を滲ませる。同類相憐れむ、というのだろうか。同じく嵌められた者同士、妙な親近感を得てしまった。そうして、彼の側も思い出してしまったからだろう。小さく、語り始めた。
「オレの目の前でさっき言った嫁さんが国の兵士に殺されちまった。んで、ちょっと大暴れしちまってな。そこでまぁ……先生とかに止めてもらったんだが……気付いたらここに落とされていた」
「……そう。ご愁傷様ね」
失敗したと私は思う。聞いてしまったからだろう。僅かな親近感と同情、仲間意識の様な物を得てしまった。そうして、しばらくの間彼との会話を行う。
どちらにせよ今の脱出は不可能だ。この状況で無策に『天蓋』の外に出れば、その瞬間にお陀仏だ。会話をするぐらいしか、今は出来る事がない。
「じゃなー」
彼が手を挙げて牢屋の前を立ち去る。ヴィヴィアンが現れて、仕事に戻る様に告げたのだ。どうやら、暇というよりサボっていたらしい。
「あ……」
少しだけ、寂しいと思ってしまった。こんなに会話をしたのはおそらくここ数年で初めての事だ。そう思ってしまった自分に、思わず私は驚いた。そんな感情は一緒に落とされた奴らを見捨てた時に、はるか昔に捨てたはずなのだ。残っていたとは、思わなかった。
「っ……」
駄目だ、と強く念ずる。寂しいと思ってはならない。誰かに頼りたいと思ってはならない。それが、ここでのルールだ。優しさを、情を見せれば一方的に食い物にされるだけだ。が、どうしても駄目だった。ここには無い『優しさ』が、私を惑わせる。
「……少し急ぐべきね」
もう少し時間を稼いでおきたい所であるが、このままでは情にほだされかねない。ここに居たいと思ってしまう。ここは地獄なのだ。裏切らねば、裏切られて死ぬだけだ。裏切られる前に裏切るしか生きる方法は無い。
故に、私は今まで片手間だった脱出計画の立案を本格化させる。脱出計画なぞ手が限られる状況で長く計画するのは無駄だ。状況の観察に重点を置いた方が遥かに良い。
行き当たりばったりとも思えるが、取れる手が限られる状況で一番大切なのはタイミングと運だ。綿密な計画を練って機を逃すのであれば、多少天運に身を委ねる方がよほど得策だった。勿論、計画をおろそかにして良いという話ではない。それは分かっている。
「脱出ルートは……いえ、その前に『天蓋』の入手をしないと……」
捕らえられたという失敗はあるが、それは同時に守りの内側に潜り込めているという事でもある。であれば、目的も一緒に手に入れておく必要はある。
そもそもここから逃げ出すだけであれば、ここに居た方が遥かにマシだ。少なくとも、ここは『天蓋』の外に比べれば非常に安全だ。衣食住は確保されている。勿論、それが何時までかは、わからないが。
「あの男……結局『天蓋』については何も話さなかったわね……」
油断ならない奴、と私は思う。ああまで明け透けに話してくれていて、それでいて重要な事は一切話していない。勿論、密かに聞き出そうとはした。が、話してもらえる事はなかった。
「とりあえず脱出後は……子供を盾に奴から情報を聞き出すべきね」
兎にも角にも、子供が居るというのは非常に良い。自分が連れていくのなら御免こうむるが、相手に居るのなら非常に有用だ。人質として、便利に使える。
「食料もなんとかしたい所だけど……それは流石に強欲か」
本来は食料も欲しい所だ。こういう場所であの男であれば、非常食として干し肉や缶詰め、塩漬けぐらいは用意している可能性は十分にある。
それも確かに是が非でも欲しい所であるが、それよりも遥かに『天蓋』の方が有用だろう。どの程度の大きさかはわからないが、少なくともさほど大きくはないだろうとは思う。こういう『魔道具』の類は決まって魔石や宝玉だ。それが一番様々な面で効率が良いからだ。
「結界の中心は多分、あの教会……」
私は窓の外を見て、大凡どこにあるのか目星を付けていた。ギリギリだが、ここから見える範囲に教会があった。結界の形状からそこを中心としているのでは、と思ったのだ。こういう類の結界は中心に結界の基点があるのだ。教会というのは非常にお似合いに思えた。
「後は……ここから出るだけね」
そもそも出る方法なぞ考えついている。と言うより、相手から出してくれると言っているのだ。利用しない手なぞ無い。そうして、私はまたしばらくの間、最適なタイミングを狙って機を待つ事にするのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第1130話『閑話』




