第1122話 もう一人の少女
エルーシャとカイトのちょっとした組手の後。汗を掻いたという理由で水浴びの為近くの湖に向かったエルーシャの悲鳴を聞いたカイトは、即座に彼女の下へと駆け出していた。
「ここらに水辺で拙い魔物は居なかったはずなんだが・・・」
地面を蹴ったカイトは僅かな不安感を懐きながら、ここら一帯の情報を思い出す。基本的にここらでエルーシャが危険になる様な魔物は居ない。
よしんば『カルマ』が現れた所で、徒手空拳を主兵装とする彼女にとってみれば問題になろうはずもない。彼女にとっては肉体こそが最大の武器だ。風呂場だろうと万全の状態で戦える。
が、そもそもの問題としてここらが出没地域ではない。あれはもっと奥深い森に多く出没する魔物だ。こんな安全な所では出ない。いや、そもそも出ないから安全――もちろん、魔物が出ないわけではない――なのだが。
「とは言え・・・見捨てると後味悪いな」
カイトは再度地面を蹴る。別に覗き対策を依頼されたから、ではない。一番問題なのは彼女が友人の弟子である事だ。そこに嘘はないだろう。
彼女の戦闘方法にはアイゼンと似通った部分は確かにあったし、アイゼンその人もマクダウェル領にはよく出入りしている。彼女の実家と何らかの関わりがあっても不思議はなかった。であれば、やはり見捨てれば後味が悪かったし、アイゼンにも申し訳が立たないだろう。
「どうした!」
エルーシャの気配を頼りに湖の側に着地して早々、カイトは悲鳴を上げたエルーシャへと問いかける。と、そんな彼女であるが、逆にカイトが来た事に目を丸くしていた。そうして、僅かな沈黙の後。当然の事が起きた。
「「・・・きゃぁあああああ!」」
「うごっ!」
二人分の少女の悲鳴が響き渡り、カイトの額へと風呂桶が直撃する。当然だが、ここにエルーシャは水浴びをしにやってきたのだ。であれば彼女は当然、素っ裸である。そして水浴びをしようというのだから桶の一つも持ち合わせるだろう。
となれば、古来から少女の裸を見た男に対する対処は決まっていた。物が投げつけられる、という事である。そういうわけで古来からのお仕置きを食らったカイトはエルーシャの怒声を背に即座に回れ右して、急ぎ足で駆け出す。
「悪い!」
「出でけー!」
「ごめん! って、違う!」
気で作った<<気弾>>を乱射するエルーシャに大慌てで謝罪したカイトであったが、背を向けると一歩目を踏み出すと同時に障壁を最大限に展開してその場で立ち止まる。
この場から立ち去るのはまぁ、良いだろう。カイトも異論はない。と言うより、立ち去るべきだ。素っ裸の相手を凝視して良い仲ではない。が、悲鳴を聞いて駆けつけた以上、その原因は聞いておく必要があった。ということで、わずかに悲鳴混じりにカイトが問いかけた。
「痛い痛い! ちょ、一度止まれ! 何だよ、さっきの悲鳴は!」
「・・・あ」
エルーシャは数瞬目を瞬かせた後、手から連射していた<<気弾>>を止める。そうして彼女はそう言えば自分が悲鳴を上げていた事を思い出す。
誰だって悲鳴を聞きつければ駆けつけようとするだろう。カイトだってそうしてくれただけなのだ。感謝されども、非難される謂れは無かった。
「いやぁ、ごめんごめん。ちょっとびっくりしちゃってさー。ついうっかり」
「はぁ・・・その様子だと虫でも出たか?」
カイトはかなり照れ臭そうなエルーシャへと背中越しに問いかける。ここは言うまでもないが、自然溢れる森の中に近い。そして周囲にはカイトが密かに結界を展開しており、公爵軍もそれを把握している。悲鳴が聞こえて失念してしまったが、実は覗きについては出るはずがないのだ。となると考えられたのはそれぐらいだった。
「いや、そうじゃないの。服脱いでさて、水浴び、と思ったら目の前にものすごい綺麗な女の子が居てさー。ホント、びっくりしたー」
「あ、あははは・・・」
カイトの耳に、エルーシャではない女の子の声が聞こえる。と、そうして思い出せば、確かに彼が来た時に上がった悲鳴は二つだったし、彼の記憶にももう一人、裸の少女の映像が残されていた。
とは言え、それをここで言うのは駄目だし、それを詳細に思い出すのも流石に失礼だろう。なのでカイトは再度問いかける事にする。
「あぁ、なるほど・・・近くの村の女の子か?」
「い、いえ、あの、その・・・」
カイトの問いかけを受けたもう一人の少女が非常に言い難そうに言い淀む。ここらは確か村にも近く、村人達が夏場だと時折涼みにやってくるという。
秋口だが今日は良い月だ。この景色を楽しもうとやってきても不思議はない。水浴びは少し汗を掻いたとかだろう、とカイトは判断したのだ。少し腕の立つ少女なら、ここまでこれても不思議はなかった。
「あの・・・えっと・・・」
もう一人の少女は少しおどおどとどうするかしばらく悩むと、何か意を決した様に一つ深呼吸をする。と、そうして漂った気配に、カイトが思わず振り向いた。
「・・・は?」
「こっち向くな、バカ!」
「ご、ごめん・・・」
当たり前だが、二人共まだ素っ裸である。というわけでエルーシャの<<気弾>>を食らったカイトはくの字に地面に倒れ伏す。これは彼が迂闊だった、としか言い様がないだろう。
とは言え、唐突に振り向いたのは仕方がない。なにせこの気配は少し前に感じた忘れられない気配だったからだ。そうして、カイトは腹を押さえながらもう一人の少女へと問いかけた。
「だ、だけどちょっと待ってくれ・・・この気配は・・・まさか・・・」
「・・・はい。あの・・・私が、貴方の言う大鎧の中身・・・です」
「・・・え?」
もう一人の少女の言葉に今度はエルーシャが目を丸くする。彼女も流石にそこは知らなかったらしい。というわけで、まさかの告白に再び、彼女の悲鳴があがる事になる。
「えぇえええええ!」
「きゃあ! ごめんなさい! 騙すつもりは全く無かったんです!」
エルーシャの悲鳴に大鎧の中の少女が大慌てで謝罪する。そうして、しばらくの間カイトは腹に食らった一撃から復帰するのに時間を要し、エルーシャは混乱から復帰するのに時間を要し、少女の方はそんな二人をどうすれば良いか、とオロオロする事になるのだった。
それからしばらく。とりあえず変わった事はというと、カイトの頬に紅葉が出来たぐらいだ。
「ごめんなさい・・・」
「もう良いよ・・・裸見たのは見たから・・・それと相殺って事にしておいてくれ・・・」
若干ふてくされる様にして落ち込んだ様子のカイトは背中に衣擦れの音を聞きながら、謝罪する少女に対してそう慰めの言葉を送る。衣擦れの音は勿論、彼女とエルーシャが服を着ている音だ。
さて、何があったのかというわけなのであるが、これは簡単だ。どうすればよいかわからなかった彼女はとりあえず痛みに耐えるカイトをなんとかしよう、と考えたらしい。
が、ここで迂闊だったのは彼女も混乱していたからか、素っ裸でカイトの介抱に入ってしまったのである。となると当然、カイトの視界に彼女の裸が入るわけだ。
それに気付いて両者沈黙の後、思わずひっぱたいてしまった、というわけである。どうやら本質はこの少女もエルーシャに負けず劣らずおてんばなのだろう。そしてその音にエルーシャが気付いて我を取り戻し、その後はカイトが先に服を着る様に勧めて、今に至るのであった。
「ふぅ・・・とりあえず私は着替え終わり。貴方は?」
「あ、はい。終わりました」
「こっち向いて良いよー」
エルーシャが二人共着替え終えた事でカイトに声を掛ける。それに、ずっと体育座りをして落ち込んでいたカイトが振り向いた。
「はぁ・・・なんか色々とすまんかった」
「「あ、あははは・・・」」
カイトの謝罪に二人が少しばかり照れた様子で視線を外す。カイトとて悪気が有ったわけではない。故にお仕置きはあの程度で二人も許していた。と、そうして振り向いたカイトだが、改めてそのもう一人の少女の顔を見て口を大きく開いたまま、閉じられなくなった。
「・・・あ」
「あ、あははは・・・」
しばらくカイトは少女の顔を観察する。そして確かに、これならエルーシャの驚きも納得出来ようものだった。カイト自身も思わず見惚れてしまったぐらいの美少女だったからだ。とはいえ、それ以外にも驚いた理由があった。見知った顔だったのだ。
「お前は、あの時の・・・」
「あ、あはは・・・」
かつて武蔵と共にホテルのレストランで見た美少女はカイトの視線に対して己の視線を泳がせる。まさか、彼女がかの大鎧の中身だとは思いもよらない事だった。
「いや、だが・・・あんたメイドと一緒だったよな?」
「えーっと・・・はい。あの・・・あれの一人に、その、イミナも・・・」
「え゛」
カイトはまさかの暴露に目を見開いた。そうしてよくよく記憶を探ってみると、確かにメイド服の中にイミナらしき緑色の髪があった事を思い出した。
「うわ・・・マジで居るよ・・・うっわ・・・ガチやっちゃった・・・」
気付こうとすれば早々に気付けたはずなのに気付けなかった己の迂闊さにカイトは愕然となる。が、仕方がない。全員メイド服だったのだ。それだけで全員ガラリと印象が変わってしまう。幾ら彼でも気付けるはずがなかった。というわけで、若干愕然となりつつもカイトが問いかけた。
「でも、なんでメイド服?」
「・・・えっと、あの・・・どこかの令嬢のお忍びの旅行とかに・・・見えませんか?」
「降参だ・・・そうとしか思えなかった」
少女の言葉にカイトは素直に諸手を挙げて降参を宣言する。彼女らはどこからどう見てもお忍びのお貴族かその令嬢にしか見えなかった。カイトの脳内には――勿論、武蔵の脳内にも――冒険者や剣士等の荒事師という選択肢は一切提示されていなかった。まんまと彼女の策略に乗せられてしまっていたのであった。やはり大鎧を脱いでも油断ならない相手、というのは変わらなかった。
「で?」
「で?」
カイトの問いかけに少女が首を傾げる。何が何だかわからない。とは言え、別に何か不思議な事を聞いているわけではなかった。
「名前だよ、名前。あんたの名前。ミステリオン、というのはどう聞いても称号だろう?」
「あ、ああ。はい・・・んん・・・」
少女は一度だけ咳払いをして、己の調子を整える。そうして、見た目相応の優雅さでスカートを持ち上げて一礼をした。
「リオ・ミステリオ。リオとお呼びください」
「これはご丁寧に。カイト・アマネ。カイトとお呼びください」
流れでカイトも自己紹介を行っておく。となると、居た堪れないのはエルーシャだ。何か自分もしなければならない様な気がしたらしい。
「え、あ、あたしも? えっと・・・エルーシャ・アンダルシアです」
「「「ぷっ」」」
何故か冒険者なのにかしこまった様子で挨拶を交わしあった三人が唐突に笑い声を上げる。そうして、しばらくの間三人は笑い合う事になるのだった。
それから、しばらく。三人は笑うのを一段落すると、改めて少しの雑談に入っていた。となると、やはりカイトが気になるのはこれだった。
「ふむ・・・思うんだが、リオ。その鎧は最近身に着ける様にしたのか?」
「あ・・・はい。やはりお分かりになられますか?」
「傷の付き方が少々可怪しいからな。鎧を身に着けるのはまぁ、良いとしても大剣に比べて傷の具合が明らかに浅い。ある一定程度の力量を身に着けた後、鎧を着込む様になった者の傷の付着具合だ」
「・・・あ、ホントだ・・・」
カイトの言葉にエルーシャもリオの鎧をまじまじと確認して、なるほど、と納得する。今までは少し離れた所で戦っていたが故に気付かなかったが、言われてみれば大剣に比べて大鎧の傷はかなり浅いのだ。
が、普通は大剣よりも大鎧の方が傷は深くなる。当人の練度が低ければ低い程、強敵は多い。それ故に怪我のリスクは高くなる。故に、戦いを重ねれば重ねる程防具の傷は深くなる。大剣より鎧の傷が浅いということは、普通はあり得ないのであった。
「まぁ、あれだけ近くで戦ったからな。よく見ていればわかるよ」
「・・・それは・・・そうですね。少々理由があって、この鎧を着込んでいるのです」
「理由?」
やはり理由があったか、とカイトは思いながらリオへと問いかける。彼女の丁寧さから見て、大凡手加減とは思えなかった。であれば、理由があるのだろうと思ったのだ。そうしてわずかに悩んだ後、リオが口をひらいた。
「・・・兄を探しています。生き別れた、というのとは少し違うのですが・・・とりあえず、兄を」
「そのお兄さんが、その鎧を?」
「いえ。これは兄の鎧に似せて作っただけです。兄がこういう大鎧を着込みますが、漆黒の物です。私達が大鎧の武芸者として名を馳せれば、兄に伝わるのではないか、と。もしくは兄の噂も手に入れやすくなるのでは、と思い敢えてこの格好で」
「なるほど・・・」
カイトはリオの考えにようやく納得の行く事が出来た。その兄と生き別れたのだか何なのだかはわからないが、とりあえず離れ離れになったのが今から数ヶ月前、遠くても一年前という所なのだろう。兄の側から接触が取れる様に、もしくは逆に兄の側に接触しやすくなるように敢えてこの格好だったのだと思われる。
「あの・・・大会の時はすいませんでした。本当は、この大鎧無しが本来の私なのですが・・・」
「いや、構わないさ。大方大会に出たのもあの姿で有名になれば兄に伝わるかも、と思ってやった事なんだろう?」
「はい・・・」
リオはカイトの問いかけに非常に申し訳なさそうに頷いた。とは言え、そういうことであれば、カイトとしても文句はない。あの無口な性格も兄を模した物だとするのなら、納得も出来る。
「なら、問題はないさ。オレ達はお前らも知ってるだろうが、家族と引き離されている。その辛さは理解してやれる。文句を言えるわけがない」
「ありがとうございます。それで、その・・・後、出来れば私については内緒で・・・」
「ま、オレは別に構わねぇけどな」
「私? 私は別にどうでも良いよ?」
カイトに続けてエルーシャが黙っておく事で良しとしておく。どちらにせよカイトに至ってはその気になれば相も変わらずどこから情報を手に入れているのやら、というサリア達から入手出来るし、エルーシャについてもランが情報屋との伝手を持っているのなら手に入れられるだろう。どちらも問題はない。そうして、この後。三人は更に諸々の事を話し合う事にするのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第1123話『隠し事』




