第1102話 剣聖の弟子対聖域の主
時は遡る。それはまだカイトが地球に居た頃の話だ。そこで彼はとある縁により、今の己の師である上泉信綱と出会い、彼より直々に教えを受けていた。これはその一幕だ。
「信綱公。一つお尋ねしたい事があるのですが・・・」
「なんだ」
神陰流と新陰流の開祖・上泉信綱。カイトや武蔵からは剣聖とも剣神とも例えられる人物であるが、この容姿については一言、優れた名刀の様な男と言って良い。
スラリと伸びた手足に、刀の波紋の如くのたなびく長い白銀の髪。刀の如く切れ長の目に、名工が打った刀の如く整った鼻梁。一目で、一角の人物と分かる人物だった。
とは言え、これだけでは気後れしそうな彼であるが、実際には意外と小粋で酒と饅頭を好んだ――この時もカイトと共に酒盛りをしていた――り、人々に伝えられる逸話の様に道理を弁えていたりする。剣心一如の極点に立つ者と断言して良いだろう。
もしかしたら、彼の弟子でもある柳生宗矩が剣禅一如や道としての活人剣――一人の悪人を斬り多くの衆生を救う事――を提唱したのには、そこらの影響があるのかもしれない。そこらはカイトや信綱にはわからぬ事であるが、とりあえず人格としても優れた人物であった。
「いえ・・・信綱公は今まで私に多くの技法を授けてくださりました。その中で、少し疑問があるのです」
「・・・なるほど。貴様の疑問は読めた」
カイトの僅かな言葉で、信綱はカイトが得た疑問を理解する。とは言え、これは別に不思議でもなんでもなかった。というのも、この質問は古くは柳生の一族からも疋田陰流の開祖からも、数多くの彼の兄弟子達が必ず行った質問だったからだ。兄弟子と同じく、カイトも同じ疑問を得て同じ疑問を呈しただけであった。
「なぜ、我が流派には特定の『技』が無いのか、だろう?」
「ご明察です」
カイトは信綱の問いかけを認め、頭を下げる。今まで彼は信綱より神陰流の基礎となる『転』に至るまでの技法やそれを応用した剣術としての<<転>>、それを応用した幾つかの技術を体得している。
が、それは言ってしまえば、技とは異なった物だ。確かにそれだけでも十分並の技を上回るどころか奥義にも匹敵するものであるが、例えば蒼天一流の<<一房>>や緋天の太刀の<<燕返し>>とは違う。『転』そのものに攻撃力は皆無だ。『転』とは究極的には技術にすぎないのである。
「信綱公が教えてくださった『転』の極意然り、それ単独では力を持ちえません」
「ああ。俺が教えている数多くの武芸の大半には、それだけでの攻撃力は無い。それこそ、素手でも出来てしまう」
カイトの言葉を信綱は認め、更に極論それが素手でも出来る事を明言する。と言うより、カイトも刀を使って戦うので刀で攻撃しているのであって、何も持たないでも神陰流は使える。エネフィアに居る時点のカイトであれば、それこそ素手でも『転』を使う事は可能だった。
「そうだな・・・一つ、話をしよう。新次郎・・・今で言う柳生石舟斎についての話だ。俺があいつに一つの武芸を考案するように命じた、という逸話をお前は知っているか?」
「有名な柳生石舟斎の無刀取りの事ですね」
「ああ、そうだ。あれはある種、新陰流の本流を受け継ぐに相応しいか試す為の試験の趣もあった」
カイトの言った言葉に信綱は同意して、その意味を告げる。無刀取り、というのは柳生新陰流にある独特な技法だ。端的に言ってしまえば、これは素手で相手の刀を無力化する為の体術だ。
剣術の一端なのに、その実態は体術なのであった。が、二人の会話を聞いていれば、別に不思議でもなんでもないだろう。なにせ神陰流の開祖たる信綱その人が、刀なぞ不要と断言しているのだ。
「とは言え、それを見ればわかろうものだ。神陰流とは所詮、身体の扱い方を教えているに過ぎん。自然と身体が導かれるわけなのだからな。小細工なぞ不要なのだ」
「はぁ・・・」
それは確かに、とカイトも納得する。それこそ本気の信綱を相手に打ち込めば、己は遠からず確実に首が飛ぶと理解している。小細工は不要という発言は彼に言われれば何ら不思議でも無い発言に思えた。
「が・・・それ以外にも不要である理由がある。所詮、剣技とは全て、剣が知っている物を剣士達が考案しているように勘違いしているに過ぎない。いや、剣という概念が知っている物、というべきか。剣士は人を離れ剣という概念に接続し、その武芸を学んでいるに過ぎん。我ら剣士は如何にして、その剣と一体化するか。それこそが、最も重要なのだ。故の、剣心一如」
「そう・・・なのですか?」
「そうだ」
カイトの問いかけに信綱が頷く。これはこの時のカイトにはわからない話だった。とは言え、それも無理はない。これはこの時の彼には実感の無い事だったからだ。そうして、そんな信綱が少しだけ考えた後に頷いて立ち上がった。
「・・・そうだな。貴様であれば、到れるだろう。武芸の才能の無いお前だが、自然と一体感・・・剣の概念に接続する事にかけては万人を遥かに超えた才を持つお前だ。見せておいて損は無いだろう」
「はぁ・・・」
立ち上がり己から距離を取った信綱の言葉にカイトは首を傾げる。彼は信綱より剣士としての才能は石舟斎らより遥かに下と言われているしそれを自負しているが、逆に信綱でさえカイトの『転』に対する適正は非常に高いと認めている。
それこそ自分と同程度だろう、と断言するほどには認めていた。故に石舟斎や疋田景兼らでは適性の関係でどうしても至れなかったある種の境地に到れると踏んでいたのである。
「以前、奥義の一つである<<全一同体>>は見せたな?」
「はい」
「それとは別。もう一つの奥義を、見せておこう。今まで数多の剣士がこの高みを目指し、俺以外の誰一人として至れなかった領域だ。おそらく、卜伝でさえ無理だろう」
信綱はそう言うと、彼の愛刀を手にとって意識を集中する。そして何かが起きる。そして、その瞬間。カイトは信綱の言う事が正しいということを、心の底から理解するのだった。
そんな日から、はるか遠く。エネフィアの武闘大会にて、カイトは突撃しながらそれを思い出していた。ここまでの相手だ。そしてこれは武闘大会。力を競うではなく、技を競う戦いだ。
力技で押し切る事は彼も武芸者としてここに立つ以上、その誇りにかけてできなかった。それをするぐらいなら、負けた方が遥かにマシだった。
(使わないと駄目か・・・?)
カイトは自ら切りかかってなお一切のゆらぎを生まない大鎧に対して、己の持てる最大の切り札を切るべきかを考察する。
(神陰流の奥義はたった三つ・・・その内、オレは二つ使えるが・・・)
カイトは突撃しながら、どう戦うかを考える。彼は何度も彼自身が言っているが、見習いの段階だ。神陰流においては敢えて言い表すのであれば、まだ印可にもたどり着いていない。目録程度だろう。
故に奥義を使える、と言っても完璧に使えるわけではない。なんとか使えると言って良いだろう、と言う程度でしかない。
それでも彼が使えるのは、『転』への圧倒的な適性があったからだ。こればかりは本当に幸運というかなんというか、笑い話と言えるだろう。
武芸に関しては凡才かつ鬼才と評される彼であるが、どういうわけかこの世界で最も難しい剣術と言われる神陰流にだけは抜群の適性があった。故に神陰流こそ、カイトが本当に学ぶべき流派だったとさえ言えるほどであった。
(神陰流の奥義は三つ。心の奥義。技の奥義。体の奥義・・・三つ使えて初めて奥義を習得したと言える)
カイトは信綱の教えを思い出す。信綱は己の神陰流の奥義を、武術の三要素になぞらえていた。この内、信綱がかつてカイトに見せたのは『技』の奥義と『体』の奥義の二つ。『心』の奥義は存在は聞けていたが、学べてはいない。
(体の奥義<<全一同体>>の完成度は7割。技の奥義<<剣心一体>>の完成度は5割・・・使用可能時間は前者が2分。後者は1分)
カイトはあと僅かに迫った大鎧を見ながら、己の手札を考える。どちらも完成形と呼ぶには程遠い。故に永続的には使えない。この二つを使えるのは、言ってしまえば適性の問題だ。体の奥義は神陰流の基礎である『転』が大きく影響しており、習得率も使用可能時間も高かったのである。そして技の奥義の方もこの基礎が大きく影響しているため、今の彼でも使えたわけだ。
心の奥義についてはまだ学んでいないので使えないだけだ。が、おそらくこれも同じ原理ではあるはずなので、使えないわけはないだろう。これについては間が悪かったと言うしかない。
「はぁ!」
カイトは己の手札をサブの思考回路に考えさせながら、大鎧へと切り込む。それに大鎧は迷うこと無く迎撃を選択した。この大鎧だ。これに何の意味があるかはわからないが、少なくとも大鎧が本来持ち合わせるであろう機動力が大きく削がれて――それでも驚異的な速さだが――いる事だけは事実だろう。故に、迎撃を選択したのだ。
(ここだ!)
迎撃してきた大鎧の大剣に対して、カイトは打ち合うのではなく力をいなしてやる事にする。大剣を相手にまともに鍔迫り合いに持ち込むのは馬鹿の所業だ。そして、大剣故の弱点もある。
『っ』
大鎧の気配にゆらぎが生ずる。振りかぶった大鎧の脇腹へとカイトが踏み込んできたのだ。大鎧の得物は大剣。カイトよりも射程距離は長いが、同時に懐の広さも広い。入り込めば、流れが読めなくても勝機はある。
『はぁあああ!』
大鎧がここに来て初めて吼えた。どうやら、カイトの事を好敵手と認めたのだろう。そうして、大鎧の大剣の速度が一気に加速する。
「っ!?」
明らかに先程までとは段違いに加速した大剣に、カイトが目を見開く。どうやら今までは様子見としてか手加減していたらしい。それに合わせて大鎧の内側から闘気も見え隠れしており、流れが如実に露わになっていた。
とは言え、読めたからと言っても流石にこの状況では不可避の一撃だ。すでにカイトは一撃を打ち込むべく刀を構えていた。謂わば、後の先を取られた格好だ。偶然だったのだろうが、大鎧はカイトに対して絶好の好機を捉えていた。
とは言え、神陰流を学べばこそ、カイトはその直撃から逃れられた。流れが見えるということは、自分に不利な流れも見えるという事なのだ。直撃の流れが見えていて、対処が考えられないはずがない。
「つぅううううう!」
カイトは不格好になるのを承知で、強引に自らの真横で魔力を爆発させて距離を取る。攻撃しようとしたタイミングでの自爆めいた行動だ。流石に彼もこれに無傷とはいかなかった。
この自爆は大剣の直撃とどちらが良いか、と選んでやった行動だ。そして自爆であれば、彼の強固な障壁も無意味になる。ダメージは覚悟の上だった。
「つぅ・・・なんとか、か・・・」
『見事』
大鎧がカイトに対して掛け値なしの賞賛を送る。そんな大鎧の大剣だが、こちらには傷一つなかった。勿論、鎧にも傷一つ無い。ほぼほぼ直撃と言って良い状況だったのだが、どうやら相当に名のある剣と鎧の類と見て良いのだろう。
「そりゃ、どうも」
カイトは額から流れる血を指で拭い去り、地面へと捨てる。全体的にこちらは自爆の反動でボロボロだ。が、この程度は良くある事なので何ら問題はない。そして、このお陰で収穫もあった。
「だが・・・」
カイトは牙を剥いて笑みを見せる。自爆めいた行動とそれまでの己の一撃により、大鎧からは闘気が放たれていた。それでもなんとか落ち着かせようとしている様子であったし、段々と落ち着いているがそれでも流れが読めるほどに気配にゆらぎが生じていた。
「決めに行くか」
カイトは敢えてそう口にする。今、大鎧は揺れている。もっとカイトと戦いたいという武芸者であれば男女問わず持ち合わせる闘争心と、それを駄目だと抑制する強靭な精神との間で衝突が起きていた。
「1分。1分で勝負を決める」
カイトは更にそう口にする。ここで決めに行くつもりだ、と敢えて口にして相手の闘争心を煽ったのだ。が、流石にこの挑発に乗ってくる様な大鎧ではない。
だが、同時にカイトが何をしてくるのか、という好奇心を抑えられるほどの精神力も持ち合わせていない様子だった。やはりまだ大鎧にも若さが滲んでいた。
武蔵も見抜いていたが、この大鎧が大成するのはまだまだ先なのだ。まだ、この大鎧は未熟なのである。それでもこの領域に立てている事は素晴らしいが、未熟には違いない。そうして大鎧の『呼吸』を敢えて明白にしておいて、対するカイトは一気に精神を落ち着かせる。
「神陰流奥義・・・<<全一同体>>」
『っ!』
明らかな驚きが大鎧の気配に浮かぶ。大鎧の目にはカイトがそこに居るのに、気配が感じられないのだ。驚くのも無理はない。まるで、自然と一体化した様な感じだった。
「・・・」
そんな自然と一体化した様なカイトが消える。転移術ではない。超高速で移動したのだ。それは目視では追いきれる速度ではなく、意図も簡単に大鎧の背後を取ってみせた。
完璧。それはそうとしか言い得ない移動だった。一切の無駄はなく、一切の淀みもない。万を超え、億を超えた修練をしようと不可能なまでの一部の狂いもない動きだった。
『っ!』
現れたカイトの気配に気付いて、大鎧がすんでのところでその攻撃を回避する。が、この流れはカイには見えていた。故に、ここからは彼にとっては詰将棋だった。
大鎧の流れが読めようと、大鎧の術技は失われていない。並外れた才覚はそのままだ。故に藤堂の時と同じように決めるには時間が必要となる。
「・・・」
現れたカイトの気配が再び消える。次に現れたのは、大鎧の真横だ。
『はぁ!』
大鎧がカイトへ向けて斬撃を放つ。移動の目視は出来ていないが、カイトが攻撃を放つ一瞬だけは気配が現れる。攻撃の瞬間だけは、カイトも止まらなければならないのだ。これは仕方がない事だ。
が、それ故にこそ大鎧は対応出来る。故に精神を研ぎ澄ませ、一瞬先の直撃を避ける為に現れるカイトの気配に従って攻撃を放っていたのである。こちらも此方で超絶の技巧と言って過言ではないだろう。コンマ数秒という領域ではないのだ。
とは言え、大鎧が対処する事をカイトは読めている。なので剣戟が防がれると同時に再び彼の気配は消え去った。今のカイトは限定的にではあるが、一分先までの流れが読めていた。
故にどれだけ防がれようと避けられようと一切の驚きは無く、故に行動に迷いも生じさせない。ある種、未来予知にも等しい事が今の彼には可能だった。ならば、対処される事もすべて想定内。迷いもよどみも生まれるはずがない。
『っ』
今度は、大鎧が苦味を浮かべる番だった。段々と大鎧の気配に明らかな動揺や迷い、淀みが現れる。カイトの気配が読めない上に、完全に一歩先を行かれているのだ。当然だろう。
『・・・』
が、ここでカイトにも一つ、誤算があった。確かに今の彼には一分先までの事が完全に把握出来ている。完璧かつ完全な行動を取る事が可能だ。
ここで誤算だったのは、大鎧がこの若さにもかかわらず、途轍もない激闘を越えていたという事だった。本来なら、ここまで至ってはもう元には戻れないはずなのだ。
だというのに、この大鎧は後数秒で敗北という所で完全に明鏡止水を取り戻した。何度も何度も生死の境を彷徨って、そこから帰ってこれた者だけが出来る事だった。
「・・・」
『・・・』
カイトが告げた一分が経過するよりも前。後5秒でカイトの詰将棋が完成する、という所だ。そのカイトの動作が、止まった。そして同じく、大鎧の動作も止まっていた。
お互いに、剣の切っ先を相手の脇腹に突きつけ合っていた。後一センチでもどちらかが進んでいれば、どちらもお互いの攻撃に直撃していただろう。
カイトの動作の先を、大鎧も読んだのだ。いや、意識的に読んだわけではあるまい。死中に活あり。何度も死線を越えた者故にこそ、一瞬先の死を逃れる為の一撃を本能が読み取ったのだ。
そして必殺のタイミングを両者共に狙い打ち、お互い刃が当たれば自分も獲られると判断して直前に停止したのであった。
「見事だ」
『感謝する』
カイトの賞賛に大鎧が僅かな喜色と共に礼を述べる。なぜ読めたのか。後にカイトが聞けば、大鎧の中の人物は、直感と答えた。そして同時に、今も同じ事をやれと言われても無理だろう、とも。それ故の隠しきれぬ喜色だった。ある意味、この大鎧はカイトの所為でもう一段上に登れてしまったのである。
「・・・」
『・・・』
両者は僅かな間、お互いの脇腹にお互いの刃を突きつけたまま停止する。どうするか決めかねていたのだ。どちらも、一歩でも前に進めば勝利を得られる。が、それをどちらかが見せた瞬間に自分も斬られると理解していた。
そうしてカイトはここで初めて、大鎧の奥にあった澄んだ瞳と視線を交わらせる事が出来た。そこには一切の邪念がない。明鏡止水に至れた者だけが浮かべる事の出来る、澄んだ瞳だ。カイトが綺麗だ、と思わず見惚れる様な、まるで透き通る水面の様な青い瞳だった。
「・・・」
『・・・』
カイトと大鎧は目で会話する。そして同時に闘気を収め、同時にお互いの得物を下へ下ろした。
「仕切り直しだ」
『良いだろう』
カイトの申し出に大鎧が応ずる。最早千日手。どちらも進めるし、どちらも進めない。ならば流れそのものを断ち切らねばならなかった。そうして、戦いは更に続く事になるのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回予告:第1102話『望まぬ結末』




